第95話 開戦

 雲の合間から差し込む太陽光に目を細める。

 五メートル、いや六メートル以上はあるか。円形舞台に立つ者を逃すまいと、ぐるりと円周状に高い壁がそそり立っている。


 高台にを描いて並ぶ観客席は、幾層いくそうにも階段状に連なって空へ向かって伸びている。そのほとんどが無人であり、満員御礼おんれいには程遠い。よく目をらしてみれば、生徒たちは観客席の前列に集まっているようである。


麒翔きしょう様ー! がんばってくださーい!」


 観客席の最前列から、女子生徒たちの熱狂的な声援せいえんが送られてきた。その中には馴染なじみの面々の姿もある。湧きあがる会場の興奮に、麒翔きしょう気恥きはずかしげに頬をく。


「注目を集めるのは慣れないな」


 声援を送ってくれているのは、同じ派閥の女子生徒たちである。上院の半数以上が同じ派閥に属しているので、その声援も力強い。

 逆に、ブーイングを送ってくる者もいる。それは主に下院の男子生徒たちだ。


盛館ダチが言ってたっけ。見下していた奴に追い抜かれるのは、プライドにさわるんだって。奴らからしたら、俺がコケるのを今か今かと待ち望んでいるんだろうな」


 当の盛館せいかん本人は、麒翔きしょうの上院行を喜んでくれたものだった。

 麒翔きしょうに対して歪んだ感情を持っていないのは、下院では彼ぐらいなものだろう。改めて観客席を見回してみたが、その姿は見当たらなかった。


「ま、いいさ。どこかで見てくれてるだろ」


 闘技場の床は一面のタイル張り。

 ってみた所感しょかん。跳ね返ってくる振動と音の感触からして、厚みのあるタイルだ。おそらくは板状のタイルではなく、分厚いブロックが埋め込まれている。しっかりした造りだ。全力で蹴り飛ばしてもビクともしないだろう。


 びっしり敷き詰められた白タイルの先には、黒い陰影いんえいのような美男子が立っていた。黒づくめのその男こそ、本日の対戦相手である。


 どことなく公主様に似た、不愛想ぶあいそうな無表情がこちらを静かに見つめている。

 長髪をなびかせた流麗りゅうれいな姿もどこか共通点がある。


 審判はいない。この場に立っているのは二人だけだ。

 麒翔きしょうは無言のまま模擬刀を引き抜いた。それに応じて、対峙する黒衣の剣士もまた脇に差した模擬刀を引き抜く。


 なるほど、と麒翔きしょうは内心で納得した。

 紅蘭こうらんの言う通り、只者ただものではない。構えに一分いちぶすきもないのがわかる。

 まだ構えただけだというのに、男から受ける威圧感で手が汗ばむ。

 震えだしそうになる腕を、麒翔きしょうは意志の力だけでねじ伏せた。


 ふー、と息を吐き、麒翔きしょうは肩の力を抜く。


「これはどのタイミングで始めりゃいいんですかね?」

「いつでも良い。先手ぐらいはくれてやろう」


 禁軍きんぐん統領とうりょう雲嵐うんらんが取っているのは、剣先を水平よりやや下げた構え。下げられた剣身に水色の《剣気》が静かに立ち昇る。まだ本気には程遠いウォーミングアップみたいな力加減だろうが、そのエネルギー総量は公主様の《剣気》を軽く超えていた。


 対する麒翔きしょうは、正眼せいがんに模擬刀を構えた。

 ただがむしゃらに剣を振るうには、この構えの方が都合が良い。


 学園へ入学してから今日まで、圧倒的な《剣気》でごり押し、勝利を掴んできた。しかし今回ばかりは同じ手は通用しないだろう。だが、そうだとわかってはいても、麒翔きしょうはこのやり方しか知らない。


 迷えば剣はにぶる。気負きおわず、力を出し切ることだけに集中する。


「そんじゃあ、行かせてもらいますかね」


 正眼に構えた剣身から紫炎しえんの《剣気》が立ち昇った。

 この三ヵ月間、魅恩みおん教諭から叩き込まれた剣術の基本が走馬灯そうまとうのようによみがえる。同時、追憶ついおくをなぞるようにして全力で地を蹴った。




 ◇◇◇◇◇


「――痛っ!?」


 背中から白龍石はくりゅうせきの床へ叩きつけられる。肺から空気が吐き出され、痛みと呼吸困難による酸欠で麒翔きしょうあえいだ。ズキリと痛む左肩口を押さえて半身を起こすと、視界のはしに緑のころもがチラリと見えた。


「ふむ。どうやら貴様に複雑な《剣気》の操作は、まだまだ望めないようだな」


 まばゆい太陽光を背に、仁王立ちするのは魅恩みおん教諭である。彼女は自慢の三角眼鏡を押し上げて、大きく吐息といきした。

 吹き飛ばされた模擬刀を拾い上げ、フラフラと立ち上がった麒翔きしょうは口を尖らせる。


「《剣気》の操作っつっても、そんな簡単にポンポンと切り替えられませんよ」

「無論、簡単にはいかないだろう。だが、《剣気》をがむしゃらに振るうだけでは、この先、勝てない相手が現れるかもしれない。貴様はそれでもいいのか」

「……わかってますよ。でも、どうしてもコツが掴めないんです」


 魅恩みおん教諭は「ふむ」と頷き、模擬刀の剣先で床をコンコンと叩いた。注目を集めたい時に、教師が黒板を叩く所作しょさと少し似ている。


「もう一度、おさらいしよう。《剣気》には三つの形態けいたいがある。全てげてみろ」

「《はつ》《ゆう》《いん》の三つでしょ」

「そうだ」


 模擬刀の切っ先で、発、誘、引、と三つの文字が床面に彫られる。


「では各形態の特徴とくちょうを説明してみろ」

「《はつ》は普段使っている《剣気》の形態です。すべてを拒絶して断ち切る力。我流で《剣気》を習得した場合、真っ先に覚えるのがこの《はつ》になるでしょうね。一般的に《剣気》と呼んだ場合、この《はつ》を指します」


 その回答に、魅恩みおん教諭が満足げに頷く。


「いいだろう。では《ゆう》はどうだ」

「《ゆう》は、相手の《剣気》を誘導する形態です。《はつ》の状態にある《剣気》を誘惑の炎で誘い出し、任意の方向へ誘導する。要するに斬撃軌道をらせるわけです」

「正解だ。では、実際に使ってみろ」


 距離を取り、魅恩みおん教諭お得意の振りかぶるような突きの構えが取られる。切っ先がこちらを真っすぐ狙っている。魅恩みおん教諭が地を蹴った。


 《剣気》を宿した模擬刀の切っ先が、麒翔きしょうの肩口に迫る。通常なら回避してからの反撃か、下から斬り上げる形で対応するところだが、麒翔きしょうはあえて正眼の構えから振り子のように剣身を横へ倒した。


 あやしく立ち昇る紫炎しえんの先が、手招てまねきするように長く伸びる。するとその長く伸びた炎に誘われるようにして、魅恩みおん教諭の突きの軌道が右へれた。


 空振り。

 それははたから見れば、軽く触れただけでなしたように映ったはずだ。


「よし、合格だ。《剣気》で劣る私が、貴様のデタラメな《剣気》をさばけたのも、この《ゆう》の技術によるものだ」


 公主様でもさばけなかった麒翔きしょうの《剣気》を魅恩みおん教諭が捌けたのは、単に《剣気》の質が高かったからだけではない。麒翔きしょうの知らぬ未知の技術が使われていたのだ。


「では《いん》はどうだ」

「《いん》は、相手の《剣気》を引き寄せる形態です。主に《ゆう》の状態にある《剣気》に使用することで、誘惑の動きを引き寄せ無力化。斬撃軌道への干渉を防ぎます」

「正解だ。では、私の《ゆう》を破ってみろ」


 今度は魅恩みおん教諭も正眼の構えを取った。その剣身からは細長い炎が立ち昇っている。あの炎こそが《誘》の形態だ。


 これに対し、麒翔きしょうは打ち合う形で模擬刀を振るった。交差する二つの刃。その衝突の瞬間、細く伸びた炎が麒翔きしょうの《剣気》にからみ付こうと手を伸ばしてくる。が、その誘いの炎は、強風にあおられるようにしてその姿を維持できなくなり、紫炎の《剣気》に吸い込まれるようにして消えていった。


 直後、刃が激突し、鍔迫つばぜり合いが起こる。斬撃軌道はらされなかった。


「うむ、この短期間でよくここまでできるようになったな。だが、一つだけ補足しておこう。《いん》を使っている最中に《はつ》で攻撃を受けると、引き寄せている分だけ相手の斬撃が鋭くなるので注意が必要だ」


 要するに、どもえのじゃんけんを想像するとわかりやすい。

 《ゆう》は《はつ》に強く、《いん》は《ゆう》に強い。そして《はつ》は《いん》に強いのだ。

 そしてこれらの剣気は、同時に複数起動することができる。


 三位一体さんみいったい


 用途に応じて素早く《剣気》を切り替えて、相手の《剣気》に対抗することが肝要かんようだ。剣気の総量を100%とした場合、受け重視で戦うのであれば《はつ》30%、《ゆう》60%、《いん》10%などの割り振りを行う。これに対抗する一つの解としは、《はつ》35%、《いん》65%として相手の誘導を封じ、余った《発》5%分の余剰エネルギーで優位に立つ戦術が挙げられる。


 上記はあくまで一例に過ぎず、ここから更に後出しじゃんけんが続く。相手の手を見て、こちらの手を変える――なく《剣気》の割合をスイッチし続けることで、相手よりも優位に立ち回るのが定石じょうせきだ。


 今までの麒翔きしょうは常に、《はつ》に100%の力を割り振っていた。ゆえに《剣気》の総量で上回ってはいても、魅恩みおん教諭に付け入る隙を与えてしまっていたのだ。


「この三形態をすべて完璧に習得すれば、もはや私では手も足も出なくなるだろう。だからこそ、死ぬ気で習得しろ。黒陽公主を娶りたいのならな」

「だけど先生。口で言うのは簡単ですが、実際には難しいんですって」


 現実問題として、《剣気》のスイッチはとても難しい。

 《ゆう》と《いん》を習得するだけでも一ヵ月かかったが、これらを組み合わせるのは更に難行なんぎょうだった。例えるなら、右手と左手と両足を使って、それぞれ異なる曲を異なる楽器で演奏するようなものだろうか。キャパオーバーで頭が混乱するのだ。


 その泣き言に魅恩みおん教諭も思案顔だ。


「わかっている。普通は成龍おとなになるまでの長い時間を使って、少しずつ習得していくものだからな。無茶は承知なわけだが……」


 と、そこで魅恩みおん教諭は「ならば、こうしよう」と前置きし、床に彫刻ちょうこくした《はつ》と《いん》に丸印を追加した。


「三つの作業を同時にやろうとするからおかしくなるのだろう。ならば、《はつ》と《いん》に絞って訓練を進めていくのはどうだ」

「うーん、確かに《はつ》は馴染なじみの形態ですから、比較的スイッチは楽です。あとは《いん》に注力すればいいって話ですね」

「そうだ。そしてこれは実戦でもそのまま使える。貴様の馬鹿みたいに巨大な《剣気》を活かして、相手の《ゆう》を封じることだけに注力するんだ。要するに《はつ》と《はつ》の勝負。純粋な力のぶつかり合いに持ち込むわけだな」


 麒翔きしょうが注力するのは相手の《ゆう》に限定する。そして《ゆう》の発動を確認したら、すかさず《いん》を発動し、強制的に《ゆう》を無力化する。そうすると、あとは単純な《はつ》同士のぶつかり合いになるという脳筋のうきんロジック。


「要するに、いつものごり押し戦法が通用するわけですね」

「ああ。ただし、この戦法は相手の《剣気》を常に上回っている必要がある」


 相手の《ゆう》を完全無力化した上で、《はつ》でその上をいくためには《剣気》の総量で風上に立っていなければならない。なぜなら《いん》の使用中は、相手の《はつ》の威力が増すからだ。つまり、この戦法は同格相手には通用しない。


「そしてもう一つ。相手の《ゆう》をどれだけ無力化できるかは、単純な《剣気》の強弱だけでなく、スイッチ速度や《いん》の精度にも大きく依存する。ここから先の二ヶ月間でそれらの技術をどこまで高められるかが勝負だ」


 その日を境に、魅恩みおん教諭のスパルタ特訓の方針が変わった。

 

 一日十二時間。《はつ》と《いん》に絞ったメニューが組まれた。

 それを毎日休むことなく、魅恩みおん教諭とマンツーマン。

 ちなみに座学の授業は全部(強制的に)キャンセルされて、必修科目以外は全部特訓漬けの日々だった。これとは別に、夜の《気》の修練も律儀りちぎに行っていたので、麒翔きしょうの睡眠時間はとても短く、過酷かこくなものであったことをここに記しておく。




 ◇◇◇◇◇


 剣先を水平よりやや下げた構え。防御の姿勢で佇む黒衣の剣士――雲嵐うんらんへ向けて、麒翔きしょうは一直線に駆けだした。


 小細工なしの真っ向勝負。

 剣の技巧ぎこうでは年季ねんきが違う。はなから、まともに打ち合って勝てるとは思っていない。勝機があるとすれば、こちらの《剣気》に対応される前に仕留める短期決戦。


 猛々たけだけしい紫炎しえんの《剣気》を走らせて、えた獣のように雲嵐うんらんへ襲いかかる。血走った目と悪魔的に吊り上がった口。事情を知らぬ者が見たら、きっと悪役は麒翔きしょうの方だと思うだろう。それぐらい凶暴きょうぼうな笑みを浮かべて、


「しゃらああああああっ!!!」


 大上段から斬撃を振り下ろした。

 雲嵐うんらんの発動する《ゆう》に合わせて《いん》を発動。

 ここまでは予定通り。練習の甲斐もあって、雲嵐うんらんの《ゆう》を大きく抑え込む。

 互いの模擬刀が十字にクロスする。

 ビリビリと手に伝わる衝撃。

 その手応えに麒翔きしょうは笑みを深めた。


「――ぐっ、これ程とは」


 雲嵐うんらんうめき、《はつ》の出力を上げて真っ向から押し返してくる。麒翔きしょうもそれに対応して《はつ》の出力を上げる。鍔迫つばぜい。その末に――


 ガキィンッ!


 両者は大きく吹き飛ばされ、距離が空いた。

 しかし、麒翔きしょうは手を休めることなく、すぐに駆け出しラッシュを仕掛ける。

 先制攻撃の強打で、こちらのペースに引き込んだ感触がある。しかし、攻撃を少しでもゆるめれば、体制を立て直されてこのアドバンテージは消失するだろう。


 そう直感した麒翔きしょうは、がむしゃらに乱打を放つ。

 その一撃一撃は、黒龍石こくりゅうせきを両断する必殺を有している。

 上段から斜めに斬り下ろした斬撃をバックステップで避けられれば、躊躇ちゅうちょのない前進で追いすがり、返す刀で鋭角に横薙よこなぎを放つ。これを雲嵐うんらんは模擬刀を盾に防御。《剣気》の衝突が起き、激しく大気をふるわせた。


 脳内麻薬が大量に分泌ぶんぴつされ、もたらされるのは圧倒的な高揚こうようだ。

 踏み込みはより大きく、打ち込みはより大胆に加速していく。

 対する黒衣の剣士は、すずしい顔のまま流麗りゅうれい剣捌けんさばきでその猛攻もうこうを切り抜ける。

 一進一退。麒翔きしょうが押した分だけ、雲嵐うんらんは後ろへ下がり、その差は一生変わらない。


 優勢――そう思っていた麒翔きしょうは、違和に気付く。

 禁軍統領・雲嵐うんらんは、まだ一度も攻めに転じていない。

 何かを狙っているのか。そんな予感を抱きつつも、それでも麒翔きしょうにできるのは神風かみかぜごとく突進あるのみ。


 雲嵐うんらんの思惑ごと断ち切るように、麒翔きしょうは剣を振るう。


 戦局は次の局面へ移ろうとしていた。

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