第94話 円形闘技場
事前に、上院・下院の生徒たちには通達がなされ、全校生徒に招待状が送付されている。普段は行き来が禁止されている上院の敷地は、この日に限り下院生にも開放されて自由な出入りが可能となった。
円形闘技場・一階にある選手控室。
そこは石造りの殺風景な空間だった。部屋の
「おいおい。控室として使わせるなら掃除ぐらいしとけよな」
長いこと使われていないのか、壁に掛けられているタペストリーは
石壁を背にした
「お母様がこの学園に
二人して流動する
姿を現したのは、掃除用具一式をフル装備した
「お任せください、ご主人様。
やる気を
いや、と断ろうとした
「昨日の事なんだけどね、
タペストリーの汚れははたき棒で落とし、床に落ちた
「手伝おうか?」
「大丈夫です! ここは
テキパキと流れるような作業。それはまさしくプロの手際である。
素人が下手に手を出すものではないと、部屋の
「こんなにいい子が奴隷だったなんて信じられないよな」
「優れた人格者が上に立てる社会じゃないのよ」
「黒陽はどうなんだ」
「お姉様の場合は、実力が伴っているから発言力があるのよ。人格が優れているから上に立てているわけではないわ」
二人して
「まだ黒陽にもきちんと話せてないんだ」
「
「ああ。同盟締結時に簡単には伝えたんだけどな。なぜか
「そ。じゃあ、試合が終わったあとゆっくり話せばいいわ」
それもそうだ、と
「桜華やアリスさんにも、
「幻滅したいのなら勝手にさせておけばいいのよ。あんたの決断に従えないのなら、その程度の
「いや、そうは言ってもな。桜華には散々群れは作らないって言っちゃったし、アリスさんは人間だからなぁ。そんな簡単な話じゃないんだよな」
「命懸けの試合だと思うんだけど。あんたはいつも通りなのね」
「実を言えば少し
「そう。気力は充実しているのね」
そこで
「お姉様からの伝言よ。『あなたの勝利を信じている。試合が終わったら会おう』ですって。信用されているのね。不安だったら顔を見にきているはずだもの」
「おう。じゃあ俺からも黒陽に伝言を頼むわ。必ず勝っておまえを迎えに行く。だから期待して待っとけってさ」
「この戦いが終わったらってやつ?」
「おい、その言い方はやめろ。それは有名な死亡フラグだ」
肩を震わせてクスクスと
「わかったわ。きちんとお姉様に伝えておくわね」
◇◇◇◇◇
上院の敷地には闘技場が二つある。
一つは、授業で使われる室内闘技場。これは上院本校舎の別館にある。
そしてもう一つは、
室内闘技場の収容人数は最大で千人程度だが、円形闘技場の収容人数は最大で五万人と
「それもこれも、今は昔。色々と問題があったみたいだね」
円形闘技場最上部にある
その後ろへ控えていた
「他の群れの主人を
「さすが
「そんな。もったいないお言葉ですわ」
「で、だ」
「どうして使われなくなった
「見せしめにしたいのでしょうね」
「
「ええ。
「それは困ったね。派閥にも影響があるのではないかい」
「はい。残念ながら」
ふむ、と
「
「万に一つもありませんわ。あれは学生の勝てる相手ではございません」
「それはますます困ったね。そもそも禁軍統領と
「困りましたか? それにしては楽しそうな顔をしていらっしゃいますよ、
背後に立つ
「私の勘はよく当たるんだがね。
◇◇◇◇◇
円形闘技場の入口を
一方、階段を上らずに真っ直ぐ進めば選手入場口へ、途中で横道に逸れれば選手控室へと繋がっている。
名を
壁を背に佇む
「控室は利用しないのか」
暗がりから音もなく現われたその人物へ、
「黒陽公主」
母親譲りの
「お久しぶりです。ご
「本当に久しいな。昔はよく、
黒陽公主の
護衛の任についたのも、一度や二度の話ではない。よく幼い黒陽公主を連れて各地を渡り歩いたものだった。
今でも、顔を合わせれば世間話をするぐらいの関係ではある。
「今日の対戦相手は、黒陽公主の婚約者だそうですね」
黒陽公主が浅く
「命じられた以上、真剣勝負となります。ご了承ください」
「良い。貴様の
「
「そうだな。模擬刀を使った模擬戦形式とはいえ、龍公クラスとなれば真剣とそう大差ない。幼少の頃からの付き合いとはいえ、手加減しろとは言えぬよ」
両者の間に
天井に
「ですが、
「ほう。だが、使わねば負けるとしたら?」
黒陽公主の漆黒の瞳が、すべてを
人を
「もし仮に
肩に掛かった黒髪を後ろへ
「それを聞いて安心したぞ。貴様は有言実行の男だからな」
「婚約者――と言っても、私は話に聞いただけですが。彼のことを本当に信頼しているのですね。純粋な剣術勝負なら負けないと、貴方は本気でそう思っている」
無表情だった黒陽公主の顔に、ふっと笑みが浮かんだ。
「
そう言って
戦闘開始の
◇◇◇◇◇
円形闘技場の観客席。五万人を収容可能な大容量の客席に、全校生徒九百名は少なすぎた。学園職員の姿もチラホラ見かけるが、それでも総員は千名に満たないだろう。要するに、五十席につき一人が収まる計算だから、人口密度がとてつもなく
アリスと
その全盛期には全席が埋まり、
「あれ? 陽ちゃん、どこ行ったんだろう?」
ひたすら広い観客席をキョロキョロと見回しながら、ポップコーンを両手に桜華が首を傾げている。その横顔は少し寂しそうだった。
「すぐに戻るとおっしゃっていましたよ」
黒陽公主が席を外したのは、つい今しがたのことである。
入れ違いとなった桜華が、ぶーとふくれっ
「もー、待っててって言ったのにー」
アリスの隣では、短い足をブラブラさせながら
「おやおや。呑気にポップコーンなんか食べて。お祭り気分ですの?」
三角眼鏡を持ち上げて、
「さて。
「あのクソガキも終わりですわね。
「おやぁ?
「何を言いますの! あんなクソガキどうなろうと知ったことではありませんわ」
教師たちの不穏な会話にアリスがそわそわしだす。
アリスは
「あの、桜華さん」
「なぁに、アリスちゃん?」
「
そこで桜華は一瞬だけ
「ダイジョーブ、ダイジョーブ! 翔くんはああ見えて、やる時はやる男の子なのです」
ぐっと親指を立てて、ウインクする桜華。
と、そこで黒陽公主が席に戻ってきた。その手にはなぜか長剣が握られており、見知らぬ男子生徒も一緒だ。
「もー、陽ちゃんどこ行ってたのー」
「すまん。旧友と会っていた」
「その人は?」
「この男は
次から次へと最前列の客席に人が集まってくる。
がやがやと
「
「そうだねえ。この施設を使うのは何十年ぶりかなぁ」
「ふん。貴様の頭の中は年中お祭り騒ぎだろうが」
見慣れぬ三人の女教師の姿まである。
と、そこに
もしかしてこれは、新しいハーレム要員なのか――と、アリスは内心でドキドキしながら妄想を
「お姉様。あいつのコンディションは良好のようです」
「はいです。ご主人様はやる気満々でした!」
「そうか。ならば何の心配もいらないな」
と、その時だ。
最前列に陣取っていた多くの女子生徒たちから歓声が上がった。
選手入場である。
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