第93話 禁軍統領

 降り注ぐ火球かきゅう石礫いしつぶてが民家に大穴を開け、猛々たけだけしい炎を上げる。

 四角い窓から息をぐように黒煙こくえんが吐き出され、狭い窓枠から逃げるように空へと昇っていく。


 村が燃えていた。


 幾多いくたもの剣戟けんげきが交差し、怒号どごうと悲鳴がそこここから上がる。

 模擬戦などではない。真剣を使った正真正銘しょうしんしょうめいの殺し合いだ。せられた者は鮮血と共に地面へ倒れ伏し、最後の力を振り絞って砂利じゃりを握り締めて立ち上がろうとする。その背にトドメの剣が突き立てられ、むくろがまた一つ増えた。


「龍皇陛下のお膝元ひざもとでの狼藉ろうぜき。その代償だいしょうは高くついたな」


 黒一色の龍衣。肩口には金糸で”黒煉こくれん”と刺繍ししゅうされ、両翼りょうよくを広げた龍のもんが刻まれている。腰まで伸ばした長髪の美男子が、引き抜いた剣を正眼せいがんに構えた。

 その正面。剣を向けられた男は、追い詰められた民家の壁を背に蒼白そうはくの顔を引きつらせ、形式的に構えた長剣をガクガクと震わせる。


「強制隷属化れいぞくかぐらい誰だってやってる。それが弱肉強食の龍人社会だろうが!」


 威勢いせいのいいその言葉とは裏腹に、男の声は震えていた。

 男の名は飛衛ひえい。百五十年を生きた成龍おとなの龍人で、爵位は龍閃りゅうせん――中央龍皇学園・首席相当――の実力者である。


 間近に迫る死の恐怖に、飛衛ひえいの顔はぐちゃぐちゃに歪んでいた。

 その泣き顔に対し、容赦ようしゃのない剣閃けんせんが縦にきらめく。


「うわああああああ!?」


 太刀筋たちすじが見えたわけではない。ただ飛衛ひえいは反射的にその身を斜めにして難を逃れていた。斬撃がすっと石壁を通り過ぎ、なんの抵抗もなく民家が二つに割れる。一軒家が丸々一つ輪切りにされたのだ。その身も凍るような切れ味に飛衛ひえいは大声で悲鳴をあげた。


 長髪の美男子が口角を歪め、せせら笑う。


「強制隷属れいぞく化ぐらい誰だってやっているだと? ならば、我々が貴様の群れを制圧し、貴様らを隷属化したとしても、悪ではないという理屈になるな」

「ふざけるな! 龍皇だからって手当たり次第に村を焼きちし、片っ端から隷属化していくなんて暴挙ぼうきょが許されるものか!」

「手当たり次第? 片っ端から? まだ未熟な若い群れを襲い、手当たり次第に隷属化していたのは貴様らの方だろう」


 ぐっと飛衛ひえいは言葉に詰まった。その指摘が事実であったからだ。

 長髪の美男子が失笑を漏らす。


「自分たちは自由に隷属化するが、自分たちが隷属化させられるのは御免ごめんこうむる――と、なかなかどうして支離滅裂しりめつれつな論理だな」


 再び剣閃けんせんが走ると、飛衛ひえいの握っていた長剣が横四つに輪切りにされた。金属音を響かせて刃がボロボロと地面へ落ちる。飛衛ひえいつかだけ残った長剣を投げ捨てた。


「なぁ、俺たちは龍皇の縄張りを犯していない。そうだろ!?」


 酷薄こくはくに唇を歪め、長髪の美男子が剣をさやへ収めた。

 それを見た飛衛ひえいは一瞬ほうけるように硬直し、危機が去ったと勘違いしたのか安堵の表情を浮かべた。そしてそのまま、ぽとりと首が落ちた。飛衛ひえいが最後に見たものは、ゆっくりと回転する世界だった。


「陛下の群れに奴隷は存在しない。貴様の妃も、その部下もきちんと人として扱ってやる。だから安心して死ね」




 ◇◇◇◇◇


 ――禁軍きんぐん

 それは龍皇直轄の精鋭部隊である。


 黒衣こくいで統一された制服が特徴とくちょうで、その構成員はすべて男性だ。

 妃たちに任せられないおきてすれすれの荒事を主な任務としている。


 上級貴族との戦争になれば、その急先鋒きゅうせんぽうを務め、場合によっては暗殺などのあらゆる手段を用いて敵対者をほふり去る。先の戦争で龍公と事を構えた際は、単独で敵の居城きょじょうへ忍び込み、敵の総大将を見事討ち取った。


 ダーティにてっする暗殺部隊。それが龍皇直轄の精鋭部隊である禁軍きんぐんの裏の顔だ。


 そんな泣く子も黙る禁軍をたばねるのは、統領とうりょうという職位にある長髪の美男子・雲嵐うんらんだ。美形揃いの龍人族の中にあって、特に際立った美貌びぼうを持つ。

 龍皇領の住民からは、そのクールで知的な容貌ようぼうから『氷の貴公子』の異名で親しまれ、密かに隠れファンクラブなんてものまで存在するらしい。


 現在は、強制隷属化きょうせいれいぞくか――なりふり構わず他の群れを襲って奴隷を量産する行為――を取り締まる任務についている。


「これで六つ目か」


 森の中にひっそり立てた野営キャンプ。

 一仕事を終えた雲嵐うんらんは、焚火の中へ薪を放り込み、辟易へきえきしながら吐息といきした。


「統領。そんな辛気臭い顔をしていたら幸運が逃げますぜ」

「そうですよ。ただでさえ統領は陰気なたちなんだ。戦闘が終わったっていうのに不愛想にしてたら、部下が委縮いしゅくしちまいますよ」


 禁軍のナンバー2とナンバー3。同席した副統領の二人が、からかい交じりに冗談を飛ばしてくる。禁軍が結成されて数十年。創設メンバーで生き残っているのは、彼らと雲嵐うんらんの三人だけだ。勝手知ったる気安さで、不愛想な雲嵐うんらんにも物怖ものおじせずに話しかけられるのは、この二人だけだった。


憂鬱ゆううつにもなる。いくら掃除しても次から次へとウジ虫のようにいてくるのだからな」


 徳利とっくりに入れた黒酒をぐいっとあおる。

 黒衣の男たちは、闇に溶け込むように焚火を囲んでいる。


「他の群れを襲って奴隷にしようってやからは、貴族によくいる手合いなんですがね」

「昨今では、平民風情まで貴族の真似事をするようになっちまった。時代の流れといやぁ聞こえはいいが、ただ単に迷走しているだけに俺ぁ感じますね」


 男たちは手酌てじゃくで酒を引っ掛けて、赤ら顔で愚痴ぐちをこぼした。

 男ばかりの禁軍にしゃくをしてくれる美女はいない。


 禁軍に所属する男たちは、龍皇の推進すいしんする先進的な試みを支持する者が多い。奴隷を持たないという龍皇の姿勢もその一つだ。特に雲嵐うんらんは、強制隷属化に強い嫌悪感を持っていた。


「随分と俗物ぞくぶつ的な流行だな。この風潮が広まれば、弱小の群れが生き残ることはより困難になる。若い群れが淘汰とうたされれば、龍人族は近い将来衰退すいたいの一途をたどるだろう。自明じめいだ。それがわからぬとは、何とさもしい者どもか」


 ぐいっと酒をあおる。カァと体中に熱が染み渡った。

 冷たい夜風が吹き、雲嵐うんらんは心地よさげに目を閉じる。


「捕らえた女たちはどうしている」


 雲嵐うんらんの問いに、副統領の一人が幕舎ばくしゃの方へ視線を向けた。

 ちょうど、夜闇の中を松明を持った禁軍が巡回しているところだった。その最奥にある大きな幕舎をあごで指し、副統領は言った。


「大テントに押し込んでますぜ。入口に警備はつけてますが、拘束はしないでおきやした。問題があるようなら、ふん縛りましょうか」


 その提案を受け、雲嵐うんらんあごに手をあて思案する。


 主人を失った龍人女子たちは大別すると三つに分けられる。1:主人に殉じてあくまで抗う者。2:主人を失った時点で抵抗を諦める者。3:従順に従うフリをして復讐ふくしゅうくわだてる者。


 1と3は六妃に多く、その他の姫位きいや奴隷はほとんどが2だ。

 捕らえた女たちの身分を勘案し、雲嵐うんらんは首を横へ振った。


「いや、不要だ。逃げたいのなら逃げればいい。我々の目的は支配ではないからな。はぐれを希望するのならば、好きにさせてやれ」


 と、慈悲じひの心を見せる一方で、てつく冷たい声で雲嵐うんらんは付け加える。


「ただし、敵対行動を取るようなら殺せ。こちらに人的被害が出るのは許容できん」


 必要とあらば、冷酷な決断を下すこともいとわない。

 それが『氷の貴公子』と呼ばれる所以ゆえんであり、雲嵐うんらんという男のさがだった。


 了解、と副統領が応じたところで、バサバサと鳥の羽ばたく音が頭上から降ってきた。雲嵐うんらんが右腕を持ち上げると、その先に黒鳩がちょこんと舞い降りる。


「陛下からの伝令ですか?」

「しかし、黒鳩とは緊急のようですな」


 足にくくりつけられた小筒こづつを取ると、中にはふみが入っていた。

 その短い文章に視線を落とした雲嵐うんらんの顔が曇る。


烙陽らくよう様から特別任務があるそうだ」




 ◇◇◇◇◇


禁軍統領きんぐんとうりょう?」

「そうよ。陛下直轄の精鋭部隊が禁軍。統領はそのトップよ」


 寂れた森の遊歩道。待ち合わせ場所から少し進んだ先にある、小川を挟んだ小さな橋。その欄干らんかんにもたれかかりながら紅蘭こうらんが言った。その隣。小川のちょろちょろとしたせせらぎを眺めながら、麒翔きしょうは口を尖らせる。


「なんで俺が、そのトップと戦わなきゃならないんだよ」

「あんたが強すぎたせいよ」

「強すぎたって……そりゃないだろ。いくらなんでも理不尽すぎる」

「三段跳びで駆け抜けてしまった弊害へいがいね。あんたの実力をお母様や将妃様が認める前に、上院で地位を確立してしまった。もはやあんたに挑もうとする生徒はいないわ。教師たちも手駒を失ってお手上げ状態。だから外部の人材を投入するしかないのよ」


 麒翔きしょうは天をあおいだ。屹立きつりつする森の木々が、青空に向かって伸びている。


「強いのか?」

「ええ、間違いなく。単独で龍公りゅうこうほふった実績を持つ、龍公クラスの男よ」


 龍公クラスという言葉に、麒翔きしょうはハッと息を呑んだ。

 龍公クラスとは、爵位上は龍公に届かないが、実力は龍公に比肩ひけんしうるという意味で使われる呼称こしょうである。


「黒陽に言われたことがある。あなたの剣術の腕は龍公クラスだって」

「そう……お姉様の見立てだったのね。だから雲嵐うんらん白羽しらはの矢が立った……」


 いつもの強気がりをひそめ、紅蘭こうらんの物言いはどこか物憂ものうげだ。

 森の陰気な雰囲気がそう思わせるのだろうか。その鬱屈うっくつした心情を吹き飛ばすべく、麒翔きしょうはあえて軽口を叩く。


「ま、決まっちまったもんはしゃーねえさ。誰が相手であっても、勝たなきゃならないのは卒業後だって同じだからな」


 拳を振り上げて高らかに宣言する麒翔きしょう。が、紅蘭こうらんのリアクションは無。うつろな瞳が、ぼんやりとさわこけむした岩を眺めている。


「って、おい。リアクションしてくれないと空元気からげんきむなしくなるだろ」


 ふと、紅蘭こうらんが顔を上げた。


成龍おとな幼龍こどもの間には、如何いかんともしがたい実力の壁があるわ。なぜなら、十五歳から百歳までの八十五年間は成長期にあたり、そこを経た成龍おとなは一つの例外もなく百戦錬磨ひゃくせんれんま猛者もさとなる。その中でも特に優秀なのが、龍聖りゅうせいであり龍公なわけ。特に雲嵐うんらんは、龍公クラスの中でも別格。異次元の強さを持った龍皇陛下の懐刀ふところがたななのよ」


 その実力は、単独で龍公の居城きょじょうに忍び込み、暗殺を成功させてしまう程なのだと紅蘭こうらんは付け加えた。そのような真似は、将妃・烙陽らくようでさえできないのだと。


「ここであんたが命を落とすのは、あたしもお姉様も望んでいないわ。だから死なないで。今、あたしに言えるのはそれだけよ」


 そこで紅蘭こうらん逡巡しゅんじゅんするように首を振り、


「あたしは……この提案を断っても良いとさえ思ってる。臆病おくびょうだと笑う奴なんて誰もいないわ。それぐらい無謀むぼうなのよ。氷の貴公子・雲嵐うんらん相対あいたいするのは」


 普段は向こう見ずな勝ち気な少女なだけに、その言葉は重く胸に響いた。

 しかしそれでもやはり、麒翔きしょうの意見は変わらない。口調こそ神妙に変われど、その内容自体は変わらなかった。


「前に言ってくれたよな。自分がどういう立場で、何をさなければならないのか。そしてそれを成すためにはどうするべきなのか。大事なのはこの二つ。他の一切は、考える価値もない些事さじに過ぎない――ってさ」


 ショッピングモールにて。お金を稼ぐのは女の仕事だと。財力など後からどうとでもなると。金欠にあえ麒翔きしょうに対して、彼女がくれた助言だ。つまらない些事さじに捉われていないで、公主様を娶ることだけに集中しろ。ひるがえって、大事を成すためにはつまらないこだわりを捨てろ――というのが、麒翔きしょう解釈かいしゃくだ。


「俺がさなければならないのは黒陽を娶ること。そしてそれを成すために必要なのは実力の証明だ。だったらこの局面、受けて立つしかねえよな」


 力強くうなずき、麒翔きしょうは続ける。


「確かに理不尽だとは感じる。反発してノーを叩きつけたい気持ちもある。だけど、黒陽を娶るためには我慢しなくちゃならねえ。卒業後の過酷かこくな環境を考えれば、己の命を賭けることさえ些事さじなんだ。そこまでしてようやく、優秀な黒陽あいつと釣り合いが取れる。身分差を乗り越えることができるんだ」


 欄干らんかんに寄り掛かり、握りしめた拳がミシミシと音を立てる。

 その覇気はきに、紅蘭こうらんが目を見張る。けれどすぐにかぶりを振って、


「それはそうだけど、相手が……あまりにも悪いのよ」

「らしくない。紅蘭おまえらしくないな。ガツンとかましてやれ、ぐらい言ってくれよ。そっちの方が元気が出るからさ」

「あたしだって、時と場合ぐらい考えるわ」


 ぷいっとそっぽを向いて、うつむく紅蘭こうらん

 勝気な少女の知られざる一面を見た気がして、麒翔きしょうはくっくと笑った。

 その態度が面白くなかったらしく、紅蘭こうらんが横目ににらみつけてくる。欄干らんかんに寄り掛かり、いつもより低くなった彼女の頭をポンポンと叩き、


「おまえの助言があったから、俺一人でも同盟の決断ができたんだぜ。月乃つきのを守るためには同盟に応じるしかなかった。値踏ねぶみされたのは不愉快だったが、これで月乃つきのを助けられるのなら些事さじに過ぎないと思えた。あの時、迷わなかったのは紅蘭おまえのおかげだ。ありがとな」


 うつむき加減の紅蘭こうらんが何事かをボソボソとしゃべった。

 それは麒翔きしょうの耳には届かなかった。


「――なによ。結構、いい男じゃない」

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