第88話 二学年首席・蒼月

 翠蓮すいれん公主に連れられて向かった先は、上院本校舎二階にある一室だった。


 室内は貴族の執務室といった様相ようそう。教師の私室とよく似ているが、麒翔きしょうの知る教師棟の内装とは、そのきらびやかさが段違いだった。それは配置された家具であったり、インテリアであったり、内装の至るところにらされたたくみ意匠いしょうによるもの。

 特に奥の壁に掛けられている絵画かいがなどは、額縁がくぶちからして高級感が漂っていた。もっとも、麒翔きしょうにその芸術性の良し悪しなどわからないのだが。


「おいおい、こんなの見たら風曄ふうか先生が泣くぜ」


 あわあわと萎縮いしゅくしきりの月乃つきの気遣きづかって、麒翔きしょうはあえて軽口を叩いた。不安がる必要なんてないんだと、暗に伝えるためだ。


「俺らが溜まり場にしているボロ小屋なんかとは、えらい違いだな」

「上院の首席には豪華な私室が丸々一室与えられますのよ」


 太々しい態度でぞんざいに室内を見回す麒翔きしょう

 対して、翠蓮すいれん公主はそんな態度を気にもしていない様子で、中央の客人用ソファーまで麒翔きしょうたちを招き入れると、補足を入れた。

 勧められるがままに麒翔きしょうたちが着席すると、翠蓮すいれん公主が最奥にある執務机に向かって一礼し、


蒼月そうげつ様。二人をお連れしましたよ」


 後ろを向いていた革張りの執務椅子が、くるりと回転する。

 そこに座っていたのは長髪をオールバックにした男子生徒だった。切れ長の目に覗くのは弟と同じ琥珀こはくの瞳。銀縁ぎんぶちのインテリ眼鏡をくいっと押し上げて、知的な顔が頷いた。


「ご苦労だったな。翠蓮すいれん

「いいえ。お安い御用ですわ」


 ギシリ、と革張りの椅子がきしみを上げる。

 立ち上がった男子生徒はすらりとした長身だった。

 柔らかな物腰で進み出る。その姿を一目見ただけで、他の上院生とは違うのだとわかった。絶対の自信。弟にはなかった強者のオーラをまとっている。


 ――強い。直感的にそう感じた。


「君が麒翔きしょうくんかな。私の名は蒼月そうげつ。なんでも弟の蒼雪そうせつがお世話になったそうだね」


 柔和にゅうわな笑みをたずさえて、握手を求められる。

 相手に合わせて麒翔きしょうも立ち上がりはしたものの、握手には応じなかった。なぜなら友好に細められた彼の目がちっとも笑っていなかったからだ。


 応接ソファーの上で、月乃つきのはすっかり萎縮して小さくなってしまっている。まるで借りてきた猫のようだ。ガタガタと震えながらも意志の力で顔を上げ、勇気を振り絞ってこの場にのぞ月乃つきの。そんな彼女の頭をそっと撫でてやり、「あとは任せろ」と小声で呟く。


月乃つきのの件で話があるって聞いたぞ。それとも弟の仇討あだうちでもしたいのか」


 月乃つきのを案じる麒翔きしょうの言葉は、自然ととげを含む。

 翠蓮すいれん公主の言動から出発した疑念の種は、ここへ来て急速に育ちつつあった。

 そんな麒翔きしょう懐疑かいぎ的な眼差しに、蒼月そうげつは肩をすくめた。


「出来損ないの弟の件はどうでもいい。私が興味あるのは、君だよ麒翔きしょうくん」

「へえ。俺への興味が月乃つきのとどう関係あるのか。詳しく知りたいね」

「まぁ掛けたまえよ」


 うながされ、着席した応接テーブルへ円筒形の茶器が三つ置かれた。盆を両手に給仕をしたのは、何と翠蓮すいれん公主である。彼女はそのまま蒼月そうげつの後ろへ控えるように立つ。


「おいおい。公主様を顎で使うってどうなってんだよ……」

翠蓮すいれんは私に心酔しんすいしていてね。何でもしてくれるのさ。なぁ?」


 振り向きざまに蒼月そうげつから問われ、控える翠蓮すいれん公主が頬を赤く染める。


あるじに尽くすが龍人女子のほまれ。これほど幸せなことはございませんわ」


 やはり姉妹だからだろうか。考え方がどことなく公主様と似ている。

 しばらく会えずにいる最愛の人を懐かしく思い、けれど今はそれどころではないとかぶりを振って、麒翔きしょうは本題を切り出す。


「で、用件はなんだ」


 ずずっと音を立てて、蒼月そうげつが茶をすする。


「愚かな弟は、月乃つきのを自由にすると約束したらしいが。私は納得していないと言ったらどうするかね?」


 月乃つきのの顔面が蒼白となり、両肩が気の毒になるほどガクガクと震えだした。

 天真爛漫てんしんらんまんな性格の彼女が、こうまで怯えるからには相応の理由があるはず。この蒼月そうげつという男、とんでもない食わせ者なのかもしれない。

 そして二人の関係を良く知る翠蓮すいれん公主は、月乃つきのがこのような反応を示すところまで予測ができたはずである。わかった上で、あえて同席させた。その悪意ある手腕に麒翔きしょうは強いいきどおりを感じている。


「約束をたがえようってのか」


 月乃つきのをその背に庇うようにして前傾姿勢を取る。犬歯を剥き出しにした麒翔きしょう威嚇いかくに、当の蒼月そうげつは涼しい顔で、値踏みするような視線を投げてくる。


「勘違いしないで貰いたいのだがね。月乃つきのは父の奴隷であって、蒼雪そうせつの奴隷ではないのだよ。つまり、弟に月乃つきのを自由にする権利はない」

「あんたの父親の奴隷であり、今は蒼雪そうせつ付きの奴隷なんだろ。だったらそれこそ、あんたが口を挟む問題じゃないだろ」

「……理屈の上ではそうなるな。だが、私が父に嘆願たんがんすれば話は変わる」


 ギラリ、と麒翔きしょうの瞳の奥底に雷のような光が走った。


月乃つきのは俺の群れに入れるつもりだ。手を出すなら、タダじゃ置かねえぞ」

「ふむ。血気盛んなことだな」

「群れを守るのは龍人男子の務め。当然だろ」


 徹底抗戦の構えを打ち出す麒翔きしょう。対する蒼月そうげつは、口の端を歪めて二本指を立てた。


「二つ。忠告しておこう。まず第一に、父の奴隷に手を出しているのがまずい。そして第二に、私はまだ父の群れに所属している。そんな私に手を出せば、龍王である父を敵に回すことになるかもしれないぞ」


「貴族ってやつは、何かあるとすぐに親がどうだ、爵位がどうだと語りだすから困る。いざという時に親に泣きつくような根性なしが二年の首席? 悪いが、ぶん殴る価値すら見出せないほどに幻滅げんめつだ」


 余裕を崩すことのなかった蒼月そうげつの表情がピクリと揺れた。

 湧きあがる闘争心に高揚すら覚えながら、麒翔きしょうは断言する。


「だが、どちらにせよ月乃つきのを渡すつもりはない。欲しいなら力づくで奪ってみろよ」

「いいのかい? 父を敵に回したら、黒陽公主まで巻き込むことになるよ」

「もしここで月乃つきのを見捨てたら、俺が黒陽に幻滅されちまうんだよ」


 蒼月そうげつの後ろに控える翠蓮すいれん公主は、薄っすらと微笑をたたえたまま微動びどうだにしない。

 妹の安否が争点となっているはずなのに、我関せずという態度はどうにも不自然だ。まさか妹に興味がないのか――と、麒翔きしょう勘繰かんぐる。


「つまり、どうあっても私と敵対すると?」

月乃つきのに手を出すつもりなら、むしろ敵対しない理由がないな」

「奴隷に命を賭けると。そう言いたいのかね、君は」

月乃つきのは奴隷じゃない。俺の仲間だ」


 と、そこで。蒼月そうげつがふっと緊張を崩し、後ろを振り返った。


「どう思う。翠蓮すいれん

「あの子が選んだだけあって、なかなか覇気はきがありますね」

「つまり?」

「合格……でしょうか」


 ふむと蒼月そうげつは頷き、眼鏡のブリッジに中指を添えた。


「勘違いしているようだから訂正しよう。私はあくまで『月乃つきのの件で私が納得していなかったらどうする?』と訊いただけなのだよ。つまり今のは全部、仮定の話だ」

「あん?」


 息巻いていたところに肩透かたすかしを食らい、麒翔きしょうは前のめりにズッコケそうになった。納得がいかず、インテリ眼鏡を睨みつける。


「だったら、龍王を敵に回すとかそういう脅しはいらねえだろ」

「必要だよ。君を試すためにはね」


 その上から目線の物言いに腹立たしく思いつつ、けれど、どこかほっとしている自分に麒翔きしょうは気が付いた。

 が、隣から伝わってくるわずかな振動。怯える月乃つきのにハッとして、緩みかけた気を引きしめ、自らを鼓舞こぶするように姿勢を正す。


「首席様だか龍王の息子様だか知らねえが、だったら月乃つきのまで巻き込んでんじゃねえよ。彼女が今、どれだけ怯えているのか。見りゃわかんだろ」


 百歩譲って、麒翔きしょうを試すだけならばまだいい。その目的が未だ不明ではあるものの、我慢してやれないことはない。が、悪戯いたずら月乃つきのを怯えさせる行為は完全に無意味で、かつ悪質だ。


「黒陽の姉だっていうから、今まで遠慮してきたが。この際だから言わせてもらう。公主だからって何をしても許されると思うなよ」


 それは月乃つきのへの気遣い。あるいは蒼月そうげつへの牽制けんせいだ。

 奴隷への配慮を要求する麒翔きしょうの意見は、上院では異端いたんである。当然、蒼月そうげつからの反発が予想されたが、正面に座る彼はふっと吐息といきしただけだった。


「さきほどの話は仮定の話だが、しかし全くのデタラメというわけでもない。彼女は紛れもなく関係者なのだよ」

「あのな。自分一人だけで納得してないで、わかるように説明してくれ」


 長い足を窮屈きゅうくつそうにたたんで、こちらに合わせて蒼月そうげつが前傾姿勢となる。応接テーブルをへだてて睨み合う形。眼鏡の奥の切れ長の目が、すっと細められた。


「では、単刀直入に言おう。私たちと同盟を結ぼうではないか」

「は?」


 敵対的とも取れる姿勢から一転、同盟という思いもよらぬ単語が飛び出し、対決姿勢を鮮明にしていた麒翔きしょうの思考に空白が生まれる。


「おや? 紅蘭こうらんくんから何も聞いていないのかね。我々貴族は、同盟、中立、敵対を使い分けて孤立しないように群れを運営していくのだよ」

「……俺にも外交ごっこに加われってのか」


 紅蘭こうらんによれば、茶会も外交を兼ねているという話だった。しかし学生の身分である麒翔きしょうには、それがどうにもリアルを伴わないごっこ遊びに思えてならない。同盟の話もその延長線だろうとの認識だ。


「俺は上院に喧嘩を売りにきたんだぜ。はっきり言って、二学年首席のあんたもそのターゲットに入ってる。それを仲良く馴れ合えって言うのか」

「これは馴れ合いでもごっこ遊びでもない。私は真面目な話をしている」


 あるじに同調するように、今まで慎ましく控えていた翠蓮すいれん公主が口を開いた。


「そうですわ。蒼月そうげつ様は卒業後も続く、長い目で見た同盟の話をされているのよ。貴方の実力を認めていればこその決断。光栄に思ってほしいわね」

「実力を認めてって、俺たちはまだ戦ってないだろ」

「戦わずして相手の技量を見抜くのも才能よ。その点、貴方は――」


 豪奢ごうしゃなシャンデリアを指すようにして、蒼月そうげつが片手を上げる。背後に控えた翠蓮すいれん公主がはっと息を呑み、恥じ入るように口をつぐんだ。その先を蒼月そうげつが引き取る。


「あの黒陽公主が見初みそめたというだけで一考の価値はある。加えて、上院に転入して早々の暴れっぷり。しかも群れを守るためには損得勘定そんとくかんじょうを抜きに行動する、生粋きっすい龍人気質バーサーカー。味方にすれば頼もしく、敵に回せば非常に厄介な激情タイプが君だ。だから私は、君と敵対するのは得策ではないと結論付けた」


「敵対っつっても別に殺し合うわけじゃないだろ。二学年の首席にしては少し腰が引けすぎじゃないか」

「さきほど翠蓮すいれんも言ったが、これは卒業後も含めての同盟だ。学生の間だけ有効なごっこ遊びとはわけが違う」


 無性に喉が渇き、出された茶を麒翔きしょうは一気に飲み干した。


「同盟って言われても、俺には何が何やら」

「無論、すぐに結論を出せとは言わない。だが、翠蓮すいれんと黒陽公主は同じ父を持つ姉妹だ。互いに争いたくないというのは感情論的にもわかる話だろう?」


 果たして、ここでいう”同盟”とは人間社会でいうところの”同盟”と同じものなのかどうか。

 奴隷の概念も少しばかり違ったので、完全に同一と考えるのは早計である。

 しかし、龍皇陛下でさえも外交努力をしていることから考えて、同盟を結ぶこと自体にそこまで抵抗感は――


「いや、心理的に抵抗感ありまくりだろ。あんたらの印象最悪だよ」


 最初から同盟を切り出してもらえていれば、麒翔きしょうとて素直に頷けたのだ。だというのに、値踏みされた上に月乃つきのをダシに脅されてはその気も失せようというもの。

 不快感を隠そうともしない麒翔きしょうに対し、蒼月そうげつは満面の笑みを浮かべた。


「もし同盟を結んでくれるのであれば、手土産てみやげとして月乃つきのはそちらに引き渡す」

「交換条件ってわけか」

「私の誠意だと思ってくれ」


 ここに来てようやく、翠蓮すいれん公主が月乃つきのにこだわった理由を悟る。

 同盟に合意しなければ、月乃つきのは自由にならないぞと暗に脅しているのだ。しかも本人を前にして。


「へえ。学生とは思えない大人のからめ手だな」

「勘違いしないでくれたまえ。私は君と事を構えたくないのだよ」

「二学年の首席様にそこまで言ってもらえるなんて光栄だな」

「外交は遊びではないからね。特に、将来の龍王候補と同盟を結べるのなら、それは破格の条件だと言える。多少、汚い手を使うぐらい許してもらいたいものだ。それだけ君を高く買っている、ということなのだからね」

「買いかぶりすぎだ。だが――」


 チラリと隣を見る。

 捨てられた子犬のような目でこちらを見上げる月乃つきの

 その不安を横目に見て、麒翔きしょうは迷うことなく決断した。


「他に選択肢はなさそうだ」

「でも、ご主人様」

「問題ない。それで月乃つきのの安心を買えるなら安いもんさ」


 月乃つきのが大きく目を見開いた。


「では後日、同盟締結書に署名・捺印してもらおう」

「黒陽にも同席してもらうぞ」

「もちろん。そうしてくれたまえ」


 不正の入る余地はないのだと、両手を広げた蒼月そうげつが豪語する。

 そして上機嫌となった彼は、付け加えるようにして言った。


「あるいは君が望むのであれば、他の奴隷への待遇を改善してもいい。どうかな」

「他の奴隷っつーと、あんた付の奴隷のことか」

「私だけではない。上院全体の奴隷への待遇改善だな」

「んなこと、本当にできんのか」

「私と君の力が合わされば可能だ。なにせ上院の勢力図は、これで大きく変わることになるのだからね」


 一学年男子トップ(暫定):麒翔きしょう

 一学年女子トップ:黒陽。

 二学年男子トップ:蒼月そうげつ

 二学年女子トップ:翠蓮すいれん


 この同盟を機に、一気に上院最大派閥はばつが完成することになる。

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