第87話 翠蓮公主の誘い

「すごいです! 本当にすごいです、ご主人様!」


 放課後の昇降口。

 下校する生徒たちでごった返す廊下の片隅で、野ウサギのように月乃つきのが、ぴょんぴょんと跳ねまわっている。

 まるで自分のことのように喜ぶ彼女は満面の笑みだ。


「つっても、もう三日前のことだぜ。そろそろ落ち着いてもいい頃合いじゃないか」


 バーリトゥードなんでもあり形式の決闘で、獅子天ししてんに勝利してから三日が過ぎた。

 吐息ブレスの授業では奇想天外きそうてんがいな方法でまとを射抜いてみせ、ショッピングモールでは蒼雪そうせつを完封。そしてバーリトゥードによる獅子天ししてんとの決闘に見事勝利した。


「あの時の李樹りじゅ先生の顔は、傑作けっさくだったよなぁ」


 厳つい教師があんぐり口を開けて呆然とする様は、一見の価値ありである。石像のように固まった彼女はしばらく動くことができず、観客席の生徒たちもまた大番狂わせに言葉を失って沈黙した。そして倒れ伏す獅子天ししてんと、勝者である麒翔きしょうを交互に見やり、時間差で大歓声が巻き起こったのだった。


 そして転属からわずか二日で麒翔きしょうの名は上院中に知れ渡り、「平民風情」とあなどる者はいなくなった。


 女子生徒とすれ違えば、


「あら、麒翔きしょう様。ご機嫌うるわしゅうございますわ」


 などと会釈えしゃくされるのは、何とも慣れぬ感覚でこそばゆい。

 茶会に誘われた時など、公主様や紅蘭こうらんのことを根掘ねほ葉掘はほり聞かれ、女子の好奇心パワーに押されっぱなしだった。何より、公主様の影響力カリスマは凄まじく、彼女の婚約者というだけで、貴族の令嬢たちが目の色を変えるほど。


「最初からお姉様の名前を出しておけば、舐められることもなかったんだけどね」


 と、茶会に辟易へきえきした様子の紅蘭こうらんが言っていた。茶会これも外交の一貫なのだと紅蘭こうらんは言うが、うんざり顔の彼女は少しやつれて見えた。


 麒翔きしょうと一緒にいることの影響か。表立って月乃つきのいじめようとする者はおらず、平穏な日々が続いている。ぴょんぴょんとスキップなんかして、麒翔きしょうの周りを跳ね回っているのも、そんな日々への感謝の表れなのかもしれない。


 無邪気に飛び跳ねる彼女を見ていると、麒翔きしょうの方まで嬉しくなってくる。

 ドンッと胸を叩き、金欠にあえぐ男は散財をちかう。


「よし、クレープでも食べるか」

「はいです!」


 ショッピングモールのフードコートでクレープを二つ購入し、月乃つきのと共に席を探す。だが、生憎あいにくとその日はフードコートの席はどこも埋まっていた。生徒たちで賑わうフードコートから少し離れたベンチを探し、二人連れ立って腰掛ける。


 はむっと月乃つきのがクレープにかじりつく。口元についた生クリームを拭ってやると、月乃つきのが嬉しそうにニコリと微笑む。

 雨天のためか、ショッピングモールの人通りがやたらと多い。生徒だけでなく、多くの学園職員が雨宿りで施設を利用しているようだ。


 教師の龍衣は上院下院共に同じデザインの緑色だが、学園職員の龍衣はその階級に合わせて違うらしい。紫、青、赤、黄、白……などなど。雑踏を行き交うカラフルな光景を眺めながら、麒翔きしょうもクレープを一口かじり、雑踏の更に奥へ視線を向けた。そこには剣を片手にポーズを決める銅像が建てられていた。


「あの銅像って誰か有名な人なのか?」

「はい。六英傑ろくえいけつの銅像です」


 数えてみると、確かに六人分の銅像が台座の上でポーズを取っている。いずれも精悍せいかんな顔つきで歴戦れきせんの勇士を思わせる風貌ふうぼうであった。


六英傑ろくえいけつって言うと……確か、龍人族の上位六人を総称してそう呼ぶんだったか」

「はひ、そうでふっ」


 クレープを口一杯に頬張った月乃つきの首肯しゅこうした。

 以前ボロ小屋で、夢とうつつ狭間はざまでまどろんでいた時に、公主様と桜華がそのような会話をしていた記憶がある。


「あんまり詳しくは覚えてないけど、椅子取りゲームなんだって黒陽が言ってたな」

「はいです。六英傑に勝った者が、次の六英傑になるです」


 六英傑は代々席が決まっていて、席は全部で六席。六英傑に挑戦し、勝利した者がその席を獲得し、六英傑に名を連ねるのである。

 敗北すなわち死と考えれば、一度六英傑となった者は、本人が望もうと望むまいと文字通り死ぬまで六英傑の称号が付きまとうことになる。


「常に挑戦される立場ってのは、何とも面倒臭そうだな」

「ご主人様なら六英傑も夢ではありませんです!」

「いや、俺は御免だな。名誉のためにリスクが増すのはどうにも良くない」

「でも、ご主人様は以前……いえ、何でもないです」


 納得いかないという風に月乃つきのが首を傾げている。その頭をぽむぽむと撫でてやると、月乃つきのはくすぐったそうに身動みじろぎした。にゃふっと縮こまる姿は猫みたいだ。


 と、不意に視界を塞ぐように大きな影がぬっと立った。ベンチに腰掛けたまま見上げると、目つきの悪い三白眼さんぱくがんと目が合う。ライオンのようなたてがみヘアーがトレードマークのその男――獅子天ししてんは、視線の先にある六英傑像を振り仰ぎ、


「六英傑に名を連ねられるのは龍人男子のみだ。ゆえにどんなに優秀で強くとも、黒陽公主は六英傑の称号を得られない。残念なことだ」


 行き交う人の波。雑踏越しに六英傑の像を見上げる。

 そこに並んでいるのは全て屈強な男ばかりだ。


「よぉ。調子はもういいのか」


 麒翔きしょうは軽い調子で声をかけた。

 手加減したとはいえ強烈な《剣気》による打ち込みだ。人間なら即死クラスの斬撃を受けて、一時は意識が戻らなかったらしい。流石にこのままでは寝覚めが悪いと思っていた矢先の当人登場。フランクな挨拶は、麒翔きしょうの安堵の表れでもある。


太刀筋たちすじが見えなかった」


 不愛想にそれだけ言って、獅子天ししてんは押し黙った。

 その不穏な空気に、月乃つきのが「あわわ」と麒翔きしょうの背に隠れる。首筋の辺りに、息を潜める月乃つきの息遣いきづかいを感じる。


「しょうがねえだろ。黒陽だってあの攻撃は防げねえよ。てか、そう睨みつけんなって。月乃つきのが怖がるだろ」

「目つきが悪いのは生まれつきだ。しかしそうか、黒陽公主でも防げなかったのか」


 獅子天ししてん吐息といきし、首をゆるゆると振った。そして改まった態度でこちらへ向き直り、


「貴殿をあなどったことを詫びたい。すまなかった」


 頭こそ下げてはいないものの、次席たる男が謝罪を口にしたことに麒翔きしょうは驚く。紅蘭こうらんの話によれば、龍人男子は簡単に謝罪をしてはいけないという話だったはずだ。

 その誠意を感じ取り、麒翔きしょうの方も態度を改める。


「全力を出される前に勝負を決めにいった。あれは云わば不意打ちみたいなもんだ。だからもう一度戦うことがあれば、どうなるかわからないと思うぞ。同じ手はもう二度と通用しないだろうしな」

「荒野での殺し合いならば、あれで終わりだった。一撃で仕留められてしまえば、二度目はない。負けは負けだ」


 いさぎよく負けを認める獅子天ししてんの顔は、揺れることなく凛々りりしいままだ。

 背中から月乃つきのがひょこっと顔を出した。


「心配すんな、月乃つきの。どうやらリベンジに来たってわけではないらしい」


 心外だとばかりに獅子天ししてんが鼻を鳴らす。


「オレはそのような恥知らずではない」


 三白眼が上から睨みつけてくるので、ビクッと月乃つきのがまた背中に引っ込んでしまった。確かに見た目はかなり怖い。どう見ても悪人面あくにんづらだ。

 そんな凶悪犯を思わせる強面こわもての男は、怯える月乃つきの一瞥いちべつすると、怖がらせないようにとの配慮からか視線を外し、麒翔きしょうと同じように雑踏へ目を向けた。


貴殿きでんの出身はどこなんだ」

「生まれも育ちもアルガントだな」

「アルガント? 変わった名前の群れだな」


 群れ? と疑問符が浮かんだ麒翔きしょうの耳元で、月乃つきのささやいた。


「ご主人様。出身は主人の爵位・名前の順で名乗るものなのです」

「ん? つまり黒陽だったら龍皇・黒煉こくれんって名乗る感じか?」

「はいです。所属も同様です」


 上院の転属届けの欄に『所属』があったことを麒翔きしょうは思い出した。公主様からは空白で良いと教えられたので、何も考えずに無記入のまま提出したのだが。

 そういう事情があったのかと麒翔きしょうは一人納得し、


「すまんな、獅子天ししてん。龍人族の事情にはうといんだ。俺は人間の都市アルガントで生まれ育った半龍人。母ははぐれだから群れを持っていないんだ」


 龍人社会では『半龍人』『はぐれ』『人間社会で生きる』とは全て差別対象となる。その数え役満クラスのカミングアウトに、果たして獅子天ししてんはどのような反応を示すのか。緊張の面持ちで麒翔きしょうが身構えていると、訝しそうに獅子天ししてんが首を捻った。


「人間の都市アルガントと言ったか?」

「ああ、そうさ。下院では馬鹿にされたもんだ」

「ううむ……どこかで聞いた覚えがあるのだが、どこだったか……」

「アルガントは龍人族の国と領土を接してるから、それで有名なんじゃないか?」


 そこで獅子天ししてんがポンッと手を打った。


「ふむ、そうだ。確かにそのような話を父から聞いた覚えがある。西方で領土を隣接するアルガントへは、絶対に手を出すなと」

「へえ。確かにアルガントは平和な都市だけど、龍人にまで恐れられていたんだな」


 言って、麒翔きしょうは内心で首を捻る。

 アルガントは西方の都市の中では最東端に位置する都市で、対龍人族を想定しているためか守備隊も多く駐屯ちゅうとんしており、その防備は極めて厳重だ。いくら最強種とはいえ、簡単には攻め落とせないだろう。


 しかし、では龍人から見てそこまで脅威なのかと言えば、それは疑問が残る。

 昔、酔っ払いの衛兵えいへいに絡まれた時に、幼かった麒翔きしょうはストリートファイトで勝利を収めた。その時の手応えからすれば、この学園の女教師の方が百倍強い。

 そこでふと思い当たるものがあり、麒翔きしょうは言った。


「街を守護する騎士団がいるんだが、もしかすると精鋭揃いなのかもな」

「ほう。興味深い話だな。貴殿の生まれ育った街に興味が湧いてきたぞ」


 大いに興味を引かれた様子の獅子天ししてんが、しきりに何度も頷く。


「もしかして貴殿が只者ただものではないのも、アルガント仕込みの秘術か何かなのか?」

「いや、アルガント仕込みかというと……少し違うんだよな」

「ふむ。では次の機会にでも詳しく聞かせてもらえるか」

「別に今でもいいんだぜ?」


 その申し出に獅子天ししてんは「いや」と残念そうに首を振る。


「それよりも話しておきたい事がある」




 ◇◇◇◇◇


 立てば芍薬しゃくなげ座れば牡丹ぼたん、歩く姿は百合ゆりの花。

 その人物は、絵に描いたようなしとやかな令嬢を思わせた。


 全身から漂う高貴な気品は、上院に在籍する貴族の令嬢たちとは一線をかくす。同じ上院の制服を着ているはずなのに、まとっているオーラが違うのだ。その超然とした姿には、どこか既視きしかんすら覚える。


「少しいいかしら」


 獅子天ししてんと別れて、特別宿舎へ戻ろうとする道すがらだった。薄く紅を引いた黒髪の美人に呼び止められたのは。


「あんたは――」

「あわわ。翠蓮すいれん公主様です」


 隣を歩く月乃つきのに腕を取られ、ぎゅっと抱きしめられた。柔らかな弾力が腕を包むように押し付けられ、麒翔きしょうは一瞬煩悩ぼんのうの海に沈みかけるも、触れ合った布地ぬのじを通して月乃つきのが小刻みに震えていることに気がつく。


「黒陽の腹違いの姉で、二学年首席・蒼月そうげつの婚約者――でしたか?」


 その知識は、さきほど獅子天ししてんからもたらされたものである。

 そして彼はこうも言っていた。


翠蓮すいれん公主と蒼月そうげつには気を付けろ。あの二人は一年を自分たちの派閥はばつに入れようと躍起やっきになっている。そして蒼月そうげつは、貴殿とトラブルになった蒼雪そうせつの兄でもある」


 弟の仇討あだうち。

 それはわかりやすい大義名分だ

 警戒してしかるべき相手。それが翠蓮すいれん公主と蒼月そうげつなのだ。


「ええ。蒼月そうげつ様が正妃・翠蓮すいれんとは、この私のことよ」


 名乗りを上げた翠蓮すいれん公主の口元が、不敵に弧を描いた。


 赤煉瓦あかれんがの並木道。

 隣では、ガタガタと月乃つきのが震え続けている。

 枝から落ちた黄色の葉が、雨上がりの水溜まりにポチャンと落ちた。


蒼雪そうせつさんをズタボロにしてくれたそうね」

「ええ、少しばかり揉めましてね。兄貴としては見過ごせませんか」

「さて? 蒼月そうげつ様の深いお考えを勝手に推し量るほど、私は愚かではないわ」

「だったら何の用ですか」


 つっけんどんな物言いになるのは、月乃つきのが怯えているからだ。

 獅子天ししてんの情報と合わせて麒翔きしょう心証しんしょうは悪い。


蒼月そうげつ様がお呼びなのよ。一緒についてきてもらえるかしら」


 言葉こそやわいが、有無を言わさぬ断定的な物言いだった。

 さぁ参りましょうか、と言わんばかりに翠蓮すいれん公主がきびすを返しかけたので、麒翔きしょうは震える月乃つきのの頭をポンポンと撫でてやりながら言った。


「先に宿舎に戻っていてくれ」

「でも、ご主人様」

「俺は大丈夫だから。な?」

「いいえ、月乃つきのもお供するです」

蒼月そうげつが怖いんだろ?」


 その言葉に月乃つきのがビクリと固まった。

 どうやら図星のようである。


「だったら、無理することはない。あとは俺がうまくやっておく」

蒼月そうげつ様は怖い方です。敵対する者には容赦がないです」

「俺が負けると思うか?」

「でも、でも……弟の蒼雪そうせつ様にさえ、容赦ようしゃがない人なのです」


 そこで翠蓮すいれん公主が優美に振り返った。端正な眉がハの字に曲がっている。


「あら? 人の婚約者を捕まえて、容赦がないとは言ってくれるわね」

「ごめんなさいです。月乃つきのは失言しましたです」


 慌てて頭を下げる月乃つきの。そしてその謝罪を超然と見下ろす翠蓮すいれん公主。


 翡翠ひすいの瞳から放たれる射るような視線を浴びて、涙目となった月乃つきのが何度も頭を下げているのに、一向に許される気配がない。小さな失言一つでここまでされる理不尽に麒翔きしょういきどおり、我慢がならず割って入った。その背に月乃つきのを隠し、


「こっちは呼び出しに応じてあげるんですから、多少の無礼は許してほしいものですね」


 あえて強気の姿勢で軽口を叩き、翠蓮すいれん公主の意識をこちらへ誘導する。俺ならいくらでも相手になってやる。だから月乃つきのを虐めるな――爛爛らんらんと輝く麒翔きしょう双眸そうぼうに宿る挑戦的な光が、翠蓮すいれん公主の鋭い眼光を真っ向から受け止める。


 しばらく睨み合いが続き、翠蓮すいれん公主が小さく吐息といきした。


「まぁいいでしょう。それと月乃つきのには、このまま一緒に来てもらいます」

「今の話、聞いてなかったんですか。月乃つきのは特別宿舎で待機させます」

「駄目よ」

「駄目って……あのさ、月乃つきのが怯えているのが見てわからないんですか?」

月乃つきのの意思などどうでもいいわ」


 言下に放たれた人権無視の言い分に、麒翔きしょう蟀谷こめかみにビキビキと青筋が浮かぶ。


「いい加減にしてくださいよ。いくら公主と言えど、あんたに命令される筋合いはないはずだ」

「本当にその決断でいいのかしら?」


 バカバカしいとばかりに大きくかぶりを振って、翠蓮すいれん公主が溜息をつく。そして彼女は、透き通るような翡翠ひすいの瞳を、背に隠した月乃つきのを射抜くように細めた。


月乃つきのの件で話がある、と言えばわかるかしら」


 明確な月乃つきのへの敵意を感じて、麒翔きしょうの顔が冷たく凍った。

 対決姿勢を鮮明に、両者の間に張りつめた空気が満ちる中、背に庇った月乃つきのに袖口を引かれた。


「やっぱり、月乃つきのも行くです」

「無理すんな。俺が話をつけてやる」

「いいえ、行くです」


 きゅっと唇を引き結び、長い前髪から真っ直ぐな眼差しがこちらを覗く。その意志の強さを感じ取った麒翔きしょうは、ふーっと白い息を吐いた。


「茶ぐらい出してくれるんでしょうね。もちろん、月乃つきのの分もだ」


 その返答に、翠蓮すいれん公主が満足げに微笑した。


「ええ、最高級の茶葉を用意してありますわ」

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