第87話 翠蓮公主の誘い
「すごいです! 本当にすごいです、ご主人様!」
放課後の昇降口。
下校する生徒たちでごった返す廊下の片隅で、野ウサギのように
まるで自分のことのように喜ぶ彼女は満面の笑みだ。
「つっても、もう三日前のことだぜ。そろそろ落ち着いてもいい頃合いじゃないか」
「あの時の
厳つい教師があんぐり口を開けて呆然とする様は、一見の価値ありである。石像のように固まった彼女はしばらく動くことができず、観客席の生徒たちもまた大番狂わせに言葉を失って沈黙した。そして倒れ伏す
そして転属から
女子生徒とすれ違えば、
「あら、
などと
茶会に誘われた時など、公主様や
「最初からお姉様の名前を出しておけば、舐められることもなかったんだけどね」
と、茶会に
無邪気に飛び跳ねる彼女を見ていると、
ドンッと胸を叩き、金欠に
「よし、クレープでも食べるか」
「はいです!」
ショッピングモールのフードコートでクレープを二つ購入し、
はむっと
雨天のためか、ショッピングモールの人通りがやたらと多い。生徒だけでなく、多くの学園職員が雨宿りで施設を利用しているようだ。
教師の龍衣は上院下院共に同じデザインの緑色だが、学園職員の龍衣はその階級に合わせて違うらしい。紫、青、赤、黄、白……などなど。雑踏を行き交うカラフルな光景を眺めながら、
「あの銅像って誰か有名な人なのか?」
「はい。
数えてみると、確かに六人分の銅像が台座の上でポーズを取っている。いずれも
「
「はひ、そうでふっ」
クレープを口一杯に頬張った
以前ボロ小屋で、夢と
「あんまり詳しくは覚えてないけど、椅子取りゲームなんだって黒陽が言ってたな」
「はいです。六英傑に勝った者が、次の六英傑になるです」
六英傑は代々席が決まっていて、席は全部で六席。六英傑に挑戦し、勝利した者がその席を獲得し、六英傑に名を連ねるのである。
敗北すなわち死と考えれば、一度六英傑となった者は、本人が望もうと望むまいと文字通り死ぬまで六英傑の称号が付きまとうことになる。
「常に挑戦される立場ってのは、何とも面倒臭そうだな」
「ご主人様なら六英傑も夢ではありませんです!」
「いや、俺は御免だな。名誉のためにリスクが増すのはどうにも良くない」
「でも、ご主人様は以前……いえ、何でもないです」
納得いかないという風に
と、不意に視界を塞ぐように大きな影がぬっと立った。ベンチに腰掛けたまま見上げると、目つきの悪い
「六英傑に名を連ねられるのは龍人男子のみだ。ゆえにどんなに優秀で強くとも、黒陽公主は六英傑の称号を得られない。残念なことだ」
行き交う人の波。雑踏越しに六英傑の像を見上げる。
そこに並んでいるのは全て屈強な男ばかりだ。
「よぉ。調子はもういいのか」
手加減したとはいえ強烈な《剣気》による打ち込みだ。人間なら即死クラスの斬撃を受けて、一時は意識が戻らなかったらしい。流石にこのままでは寝覚めが悪いと思っていた矢先の当人登場。フランクな挨拶は、
「
不愛想にそれだけ言って、
その不穏な空気に、
「しょうがねえだろ。黒陽だってあの攻撃は防げねえよ。てか、そう睨みつけんなって。
「目つきが悪いのは生まれつきだ。しかしそうか、黒陽公主でも防げなかったのか」
「貴殿を
頭こそ下げてはいないものの、次席たる男が謝罪を口にしたことに
その誠意を感じ取り、
「全力を出される前に勝負を決めにいった。あれは云わば不意打ちみたいなもんだ。だからもう一度戦うことがあれば、どうなるかわからないと思うぞ。同じ手はもう二度と通用しないだろうしな」
「荒野での殺し合いならば、あれで終わりだった。一撃で仕留められてしまえば、二度目はない。負けは負けだ」
背中から
「心配すんな、
心外だとばかりに
「オレはそのような恥知らずではない」
三白眼が上から睨みつけてくるので、ビクッと
そんな凶悪犯を思わせる
「
「生まれも育ちもアルガントだな」
「アルガント? 変わった名前の群れだな」
群れ? と疑問符が浮かんだ
「ご主人様。出身は主人の爵位・名前の順で名乗るものなのです」
「ん? つまり黒陽だったら龍皇・
「はいです。所属も同様です」
上院の転属届けの欄に『所属』があったことを
そういう事情があったのかと
「すまんな、
龍人社会では『半龍人』『はぐれ』『人間社会で生きる』とは全て差別対象となる。その数え役満クラスのカミングアウトに、果たして
「人間の都市アルガントと言ったか?」
「ああ、そうさ。下院では馬鹿にされたもんだ」
「ううむ……どこかで聞いた覚えがあるのだが、どこだったか……」
「アルガントは龍人族の国と領土を接してるから、それで有名なんじゃないか?」
そこで
「ふむ、そうだ。確かにそのような話を父から聞いた覚えがある。西方で領土を隣接するアルガントへは、絶対に手を出すなと」
「へえ。確かにアルガントは平和な都市だけど、龍人にまで恐れられていたんだな」
言って、
アルガントは西方の都市の中では最東端に位置する都市で、対龍人族を想定しているためか守備隊も多く
しかし、では龍人から見てそこまで脅威なのかと言えば、それは疑問が残る。
昔、酔っ払いの
そこでふと思い当たるものがあり、
「街を守護する騎士団がいるんだが、もしかすると精鋭揃いなのかもな」
「ほう。興味深い話だな。貴殿の生まれ育った街に興味が湧いてきたぞ」
大いに興味を引かれた様子の
「もしかして貴殿が
「いや、アルガント仕込みかというと……少し違うんだよな」
「ふむ。では次の機会にでも詳しく聞かせてもらえるか」
「別に今でもいいんだぜ?」
その申し出に
「それよりも話しておきたい事がある」
◇◇◇◇◇
立てば
その人物は、絵に描いたような
全身から漂う高貴な気品は、上院に在籍する貴族の令嬢たちとは一線を
「少しいいかしら」
「あんたは――」
「あわわ。
隣を歩く
「黒陽の腹違いの姉で、二学年首席・
その知識は、さきほど
そして彼はこうも言っていた。
「
弟の
それはわかりやすい大義名分だ
警戒して
「ええ。
名乗りを上げた
隣では、ガタガタと
枝から落ちた黄色の葉が、雨上がりの水溜まりにポチャンと落ちた。
「
「ええ、少しばかり揉めましてね。兄貴としては見過ごせませんか」
「さて?
「だったら何の用ですか」
つっけんどんな物言いになるのは、
「
言葉こそ
さぁ参りましょうか、と言わんばかりに
「先に宿舎に戻っていてくれ」
「でも、ご主人様」
「俺は大丈夫だから。な?」
「いいえ、
「
その言葉に
どうやら図星のようである。
「だったら、無理することはない。あとは俺がうまくやっておく」
「
「俺が負けると思うか?」
「でも、でも……弟の
そこで
「あら? 人の婚約者を捕まえて、容赦がないとは言ってくれるわね」
「ごめんなさいです。
慌てて頭を下げる
「こっちは呼び出しに応じてあげるんですから、多少の無礼は許してほしいものですね」
あえて強気の姿勢で軽口を叩き、
しばらく睨み合いが続き、
「まぁいいでしょう。それと
「今の話、聞いてなかったんですか。
「駄目よ」
「駄目って……あのさ、
「
言下に放たれた人権無視の言い分に、
「いい加減にしてくださいよ。いくら公主と言えど、あんたに命令される筋合いはないはずだ」
「本当にその決断でいいのかしら?」
バカバカしいとばかりに大きくかぶりを振って、
「
明確な
対決姿勢を鮮明に、両者の間に張りつめた空気が満ちる中、背に庇った
「やっぱり、
「無理すんな。俺が話をつけてやる」
「いいえ、行くです」
きゅっと唇を引き結び、長い前髪から真っ直ぐな眼差しがこちらを覗く。その意志の強さを感じ取った
「茶ぐらい出してくれるんでしょうね。もちろん、
その返答に、
「ええ、最高級の茶葉を用意してありますわ」
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