第86話 圧倒的な実力の示し方

 室内闘技場。

 そこは上院本校舎の北東にある別館。渡り廊下を進んだ先にある施設だった。


 床面から一段高くなった円形舞台とそれを取り囲む観客席。

 それはさながら小さなコロッセオだった。

 白龍石はくりゅうせきづくりの一面の白。観客席に集めた生徒たちを前に、円形舞台に立つ女教師が声を張り上げた。


「もう知っている者もいるだろうが、此度こたび上院へ仮入学することになった男を紹介する。剣術が得意だという話だから、丁度いい機会だ。その腕前を見せて貰おうではないか」


 ドレッドヘアーに浅黒の肌。筋肉質な女教師――李樹りじゅ教諭は、舞台上の麒翔きしょうを指差して野太い声で言った。上院生たちの視線が一点に集まる。円形舞台に沿って弧を描く観客席全体を、当事者である麒翔きしょうはゆっくりと見回した。その群衆の中には紅蘭こうらん月乃つきの、そして四葉よつばの姿もある。

 李樹りじゅ教諭がおどけるような仕草を取った。


「そうだな上院生おまえたち。胸を借りるつもりで稽古けいこをつけてもらってはどうだ」


 どっと上院生たちがいた。

 下院からの転属組に教わることなど何もない。そんな雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。このような扱いに慣れつつある自分に麒翔きしょうは苦笑。アウェイの空気を吹き飛ばすべく、模擬刀を引き抜いた。紫炎の《剣気》がボワッと燃え上がるように走り、木製の剣身を妖しく装飾する。


「先生。無駄な問答は止めましょう。俺は《剣気》を使えます。ここにいるほとんどの生徒は《剣気》を使えないでしょうから、手合わせするだけ時間の無駄です。それは先生が一番よくわかっているはずですよ」


 アウェイの状況を物ともせぬ余裕の態度。観客席からは大量のブーイングが放たれた。その罵声を切り裂くように、横薙よこなぎに振るわれる紫炎の一閃。見る者が見ればわかるその達人の境地に、李樹りじゅ教諭のいかつい眉がピクリと動く。


「ほう。《剣気》を使えるという話は本当のようだな。だがその程度の《剣気》が上院で通用すると思うか?」

「だからそれを証明しにきました」

「ふんっ、そうだったな。いいだろう。それでは――」


 麒翔きしょうの物言いに反発を覚えた上院生たちが、観客席で色めき立っている。ざわざわと騒がしい群衆に向けて、李樹りじゅ教諭が口を開きかけた。その時、二メートルはあろう観客席の最前列から、一人の男子生徒が飛び降りた。

 すとん、と着地し悠然ゆうぜんと舞台へ上がる。


「そういう事なら、オレが相手しますよ」


 三白眼さんぱくがんにライオンのたてがみを思わせるヘアスタイル。体格の良い生徒で、身長も麒翔きしょうより五センチほど高い。


「ほう。貴様がやる気とは珍しいじゃないか、獅子天ししてん


 獅子天ししてんと呼ばれた男子生徒は、脇に差した模擬刀を引き抜き構えた。


「一学年・次席の獅子天ししてんだ」

「紹介に預かったとおり、転属組の麒翔きしょうだ。よろしく頼む」


 差し出した握手を無視する形で、獅子天ししてんが三白眼をギロリと光らせる。


「黒陽公主と婚約したという不愉快な噂を耳にした。本当か?」

「ああ、黒陽は俺の嫁だ」


 ざわり、と獅子天ししてんの周囲にある空気が凍り付くように停止した。

 観客席の生徒たちのざわめきも止まり、室内闘技場にいる全員が二人の会話に耳を傾ける。


「黒陽公主は優秀な人だ。オレも立ち会った事はあるが、まったく歯が立たなかった。それが貴様なぞに熱を入れるとは……一体、彼女に何を吹き込んだ」

「おいおい。人聞きの悪いこと言うなよ」

「答えろ」

「簡単な話だ。挑まれた決闘に勝利した」

「嘘をつけ! 黒陽公主がおまえなぞに負けるはずがないだろう」


 毎度お馴染みのやり取りに辟易へきえきして、麒翔きしょうは大きな溜息をつく。


「だったら試してみるといい」

「そのつもりで舞台へ上がった」


 舞台上で対峙する両雄。闘志をみなぎらせる獅子天ししてん麒翔きしょうは冷めた目を向ける。


「もしかしておまえさ、黒陽の事が好きなのか?」

「な、何を言うか!!」

「うん。すごくよくわかった。顔に出やすいタイプなのな」

「無礼な奴め! 今にその減らず口を叩けなくしてやるからな」


 白龍石はくりゅうせきを踏み抜く勢いでいきり立つ獅子天ししてんは、どうやら本気で公主様のことが好きなようである。ならばこの勝負、一切の手加減はできない。


「なぁ、悔いは残したくないだろ? だったら互いに全力で勝負しないか?」

「元より、そのつもりだ」

「違う。俺が言っているのは、剣術勝負じゃなくて真剣勝負のことだ。要は吐息ブレスも魔術も解禁した上で、決着をつけるんだ」

「なんだと? そんな事、できるわけがないだろう」


 バーリトゥードなんでもありの提案に、面食らったのは獅子天ししてんだけではなかった。両者の間に立つ李樹りじゅ教諭までもが、目を丸くして絶句している。


「俺がしなければならないのは、剣一本で黒陽を守れるという証明だ。剣術で勝利を収めてもまるで意味がない。そうでしょう? 李樹りじゅ先生」

「うむ。それはそうだが、吐息ブレスや魔術の解禁には学園長の許可が必要だ」

「責任問題を恐れているんですか。では、こうしましょう。バーリトゥード形式で、もし俺が負けたならその時はいさぎよく身を引きます。この条件なら、必ず学園長は許可を出すはずですよ。どうです」


 豪傑ごうけつを思わせる李樹りじゅ教諭が目を白黒させて逡巡しゅんじゅんする。その迷いに麒翔きしょうは握り込んだ模擬刀を胸元に掲げ、最後の一押しを加える。


「俺が使うのは模擬刀一本だけ。魔術をその身に受けるのは俺だけなんですよ。もしそれで命を落とすようなら恨み言はいいません。死体は荒野に捨ておいてください」


 すべては麒翔きしょうの行く手を阻む学園側に都合の良い条件。そこまで言って、ようやく李樹りじゅ教諭が首を縦に振った。それを見届けた麒翔きしょうは、改めて獅子天ししてんと向き合う。


「そういうわけだ、獅子天ししてん。もしおまえが勝ったら俺はいさぎよく身を引く。どうだ? やる気が出たろ」

「黒陽公主を賭けて勝負しろというわけか」


 その誤解に麒翔きしょうは「違う」と首を横へ振る。


「俺は潔く身を引くが、黒陽がおまえを選ぶとは限らない。それは全く別の問題だ。これはあくまで俺のケジメ。もしここで負けるようなら、俺に黒陽を娶る資格はない。ただそれだけの話だ」


 卒業後に待っている厳しい現実。戦い打ち勝っていかなければならないのは、同世代の幼龍こどもだけではなく、百戦錬磨の成龍おとなも含まれる。それは学園で行われるような公平な勝負ではありえない。理不尽であっても、いかなるハンデを抱えていようとも、同じ土俵で戦い、そして力でねじ伏せる必要がある。


 言い訳の余地はなく、ただただ実力だけが支配する世界。

 それが龍人社会なのである。


「俺はこれから先、絶対に負けないと誓った。もしここで負けるようなら、それは黒陽を死なせてしまったも同然。学生という身分に甘えて、ヘラヘラしてていい問題じゃないんだ」


 それは今ある麒翔きしょうの思いのたけの全て。

 その本気の宣言を受けて、獅子天ししてんの目の色が変わった。

 彼の中にあった油断、あるいは慢心の色がその風貌ふうぼうから消えている。彼は静かに模擬刀を構え直した。


「すまぬ、貴殿きでんを平民風情だと思って舐めていた。そこまで強い意志と覚悟があるのならば、オレも全力で相手をするのが礼儀。殺すつもりでいかせてもらう」

「ああ、それで構わない。お互い恨みっこなしでいこうぜ」


 互いに距離を取って対峙する両雄。学園創設以来、初のバーリトゥードによる決闘が始まろうとしていた。




 ◇◇◇◇◇


「それで麒翔きしょうくんは勝てるのでしょうか」


 応接テーブルへ三つのティーカップを置いたアリスが、トレイを胸元に押し付けるようにして訊いた。

 ここは教師棟にある風曄ふうかの私室。応接ソファーには三人の女教師が座っている。


「遅かれ早かれ、バーリトゥード形式の決闘が行われるのは確実でしょうねぇ」


 チョコレートケーキを摘み、のほほんとそう言ったのは風曄ふうかだ。

 その隣で不機嫌そうに腕を組み、縦巻きドリルの先をいじり回しているのは明火めいびである。


魅恩みおん先生と対等に渡り合える時点で、あのクソガキが剣術で負けるはずがありませんわ。すると必然、バーリトゥードを解禁せざるを得ないでしょうね」


 ティーカップの茶をすすり、対面に座る魅恩みおんが頷く。


麒翔きしょうの本気の《剣気》を目にすれば、李樹りじゅの奴もすぐに悟るはずだ。これはまずい、とな」

「あの筋肉ダルマが、悔しがる顔を見れないのは残念ですわ」

「大丈夫ですよぉ。あとでどんな気持ち? って聞いてあげればいいですぅ」


 下院の女教師は、上院の女教師と犬猿けんえんの仲である。

 麒翔きしょうを下院代表として擁立ようりつすることで、下院vs上院の図式を引き、代理戦争に発展させてやろうと目論もくろむ悪い大人が三名。雁首がんくびそろえて、悪い笑みを浮かべている。


「それで麒翔きしょうくんは大丈夫なんですか!」


 なかなか本題に入ろうとしない教師たちにれたアリスが催促さいそくするように言った。

 その問いに三人の女教師が三者三様に答える。


「距離を置いて戦われたら苦戦するでしょうねぇ」

「そうだな。私が李樹りじゅに勝てないのも、剣以外のすべてにおいて負けているからに他ならない。剣一本というハンデはそれほどまでに重いのだ」

「しかし、だからと言って負けるとは思っていないのでしょう。でなければ、推薦状を書いてまで送り出す意味がありませんわ」


 炭をいた室内は温かい。手持無沙汰になったアリスは火鉢ひばちに炭を追加した。

 ティーカップをソーサーに置いた魅恩みおんが、三角眼鏡を中指で押し上げる。


「まともに戦えば苦戦はする。だが――」

「工夫をすればその限りではありませんですぅ」

風曄ふうかの言う通りだ。まずシミュレーションしてみよう。仮想敵はそうだな。一年生・次席の獅子天ししてんとしようか。奴は一年男子のトップ。黒陽公主がいなければ首席だったわけだから、仮想敵としては適当だ」


 魅恩みおんは語る。


「まず、距離を取って戦われた場合だが、これは厳しい。麒翔きしょうの《剣気》なら吐息ブレスも魔術も容易たやすく打ち破れるだろうが、その都度立ち止まっていては距離を詰めることができない。ましてや獅子天ししてんは首席相当の男だから、その辺りの対応は甘くないだろう。要するに両者共に決め手に欠けて、決着がなかなかつかないはずだ」


「五分の戦いと言えば聞こえはいいですけどぉ、麒翔きしょうくんがすべきは圧倒的な実力の証明ですぅ。だとすれば、これは少々頂けませんよねぇ。遠距離攻撃手段がないから苦戦しているとぉ、難癖なんくせをつけられかねません」


 魅恩みおんが問題提起ていきし、風曄ふうかがそれに答える。二人の掛け合いが続く。


「その通りだ。ならばどうするべきか」

「距離を取らせないように立ち回るですぅ」

「うむ。私が麒翔きしょうだったら、開幕と同時に全力で突進する」

「当然、獅子天ししてんくんは起動の早い吐息ブレスで対応するでしょうねぇ」

「その圧力に怯むことなく突進できるかが勝負のカギだ。少しでも怯めばすぐに二の矢、三の矢が飛んでくる」

「猪突猛進。獅子天ししてんくんは、ほくそ笑むでしょうねぇ。なにせ自分から吐息ブレスに当たりにいくようなものですからぁ」

「だが、麒翔きしょうの《剣気》は黒陽公主の武装吐息ブレスを弾くほどだ。獅子天ししてん吐息ブレスなぞ、軽くなせるだろう」

「まさか吐息ブレスを弾かれるなんて思っていないでしょうからぁ、獅子天ししてんくんは動揺するはずですぅ」

「その隙に一気に距離を詰めて――」

「剣の間合いに持っていければ必勝ですぅ」

獅子天ししてんは剣術の腕も一流だ。当然、受けて立つ。だが、麒翔きしょうの桁外れの《剣気》なら獅子天ししてんの模擬刀をあっさり両断するだろう」

「まさに瞬殺ですねぇ」

「首席相当に何もさせずに勝利するわけだ。これでは李樹りじゅも難癖のつけようがない」

「はい。これこそがぁ、圧倒的な実力の示し方なんですねぇ」


 炭火をいじっていたアリスが「わぁ、すごいです!」と歓声を上げる一方で、ドリルの毛先をもてあそんでいた明火めいびが、「ちょっとお待ちなさいな」と異を唱えた。


「あのクソガキの《剣気》は黒龍石を両断するほどなのでしょう。そんな凄まじい斬撃を浴びせたら獅子天ししてんが即死してしまいますわよ。流石に貴族の令息に死人を出したらまずいのではなくて」


 その至極しごく真っ当な懸念けねんに、魅恩みおんが愛想のない顔に笑みを貼り付けた。


「この三ヵ月間、麒翔きしょうには剣術のイロハをみっちり叩き込んだ。逃げ出そうとする奴の首根っこを捕まえてな。今の麒翔きしょうなら、きちんと手加減ができるはずだ。だから心配はいらない」


 ほっと胸を撫でおろし、アリスは使い終わった食器をトレイに乗せて、奥の部屋へと下がっていった。

 甘くなった口内を紅茶ですすぎ、風曄ふうかがのほほんと呟く。


「さてさて、今頃はどうなっているのでしょうねぇ」




 ◇◇◇◇◇


 それは詰将棋のようだった。

 あるいは初見殺しとも言える。

 吐息ブレスを放った時点で、獅子天ししてんの敗北は決定してしまった。

 一気に距離を詰められ、放たれた上段からの打ち下ろしの斬撃。とっさに《剣気》をまとわせた模擬刀で受けたはずなのだが、そこから先の記憶が彼にはない。


 次に目を覚ました時に見たのは、医務室の白い天井だった。

 その非常識な戦闘術に笑いが込み上げてくる。そして実感した、自分は負けたのだと。獅子天ししてんは静かに一人悟った。


「黒陽公主が惚れた男か……どうやら彼は本物らしい」

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