第86話 圧倒的な実力の示し方
室内闘技場。
そこは上院本校舎の北東にある別館。渡り廊下を進んだ先にある施設だった。
床面から一段高くなった円形舞台とそれを取り囲む観客席。
それはさながら小さなコロッセオだった。
「もう知っている者もいるだろうが、
ドレッドヘアーに浅黒の肌。筋肉質な女教師――
「そうだな
どっと上院生たちが
下院からの転属組に教わることなど何もない。そんな雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。このような扱いに慣れつつある自分に
「先生。無駄な問答は止めましょう。俺は《剣気》を使えます。ここにいるほとんどの生徒は《剣気》を使えないでしょうから、手合わせするだけ時間の無駄です。それは先生が一番よくわかっているはずですよ」
アウェイの状況を物ともせぬ余裕の態度。観客席からは大量のブーイングが放たれた。その罵声を切り裂くように、
「ほう。《剣気》を使えるという話は本当のようだな。だがその程度の《剣気》が上院で通用すると思うか?」
「だからそれを証明しにきました」
「ふんっ、そうだったな。いいだろう。それでは――」
すとん、と着地し
「そういう事なら、オレが相手しますよ」
「ほう。貴様がやる気とは珍しいじゃないか、
「一学年・次席の
「紹介に預かったとおり、転属組の
差し出した握手を無視する形で、
「黒陽公主と婚約したという不愉快な噂を耳にした。本当か?」
「ああ、黒陽は俺の嫁だ」
ざわり、と
観客席の生徒たちのざわめきも止まり、室内闘技場にいる全員が二人の会話に耳を傾ける。
「黒陽公主は優秀な人だ。オレも立ち会った事はあるが、まったく歯が立たなかった。それが貴様なぞに熱を入れるとは……一体、彼女に何を吹き込んだ」
「おいおい。人聞きの悪いこと言うなよ」
「答えろ」
「簡単な話だ。挑まれた決闘に勝利した」
「嘘をつけ! 黒陽公主がおまえなぞに負けるはずがないだろう」
毎度お馴染みのやり取りに
「だったら試してみるといい」
「そのつもりで舞台へ上がった」
舞台上で対峙する両雄。闘志を
「もしかしておまえさ、黒陽の事が好きなのか?」
「な、何を言うか!!」
「うん。すごくよくわかった。顔に出やすいタイプなのな」
「無礼な奴め! 今にその減らず口を叩けなくしてやるからな」
「なぁ、悔いは残したくないだろ? だったら互いに全力で勝負しないか?」
「元より、そのつもりだ」
「違う。俺が言っているのは、剣術勝負じゃなくて真剣勝負のことだ。要は
「なんだと? そんな事、できるわけがないだろう」
「俺がしなければならないのは、剣一本で黒陽を守れるという証明だ。剣術で勝利を収めてもまるで意味がない。そうでしょう?
「うむ。それはそうだが、
「責任問題を恐れているんですか。では、こうしましょう。バーリトゥード形式で、もし俺が負けたならその時は
「俺が使うのは模擬刀一本だけ。魔術をその身に受けるのは俺だけなんですよ。もしそれで命を落とすようなら恨み言はいいません。死体は荒野に捨ておいてください」
すべては
「そういうわけだ、
「黒陽公主を賭けて勝負しろというわけか」
その誤解に
「俺は潔く身を引くが、黒陽がおまえを選ぶとは限らない。それは全く別の問題だ。これはあくまで俺のケジメ。もしここで負けるようなら、俺に黒陽を娶る資格はない。ただそれだけの話だ」
卒業後に待っている厳しい現実。戦い打ち勝っていかなければならないのは、同世代の
言い訳の余地はなく、ただただ実力だけが支配する世界。
それが龍人社会なのである。
「俺はこれから先、絶対に負けないと誓った。もしここで負けるようなら、それは黒陽を死なせてしまったも同然。学生という身分に甘えて、ヘラヘラしてていい問題じゃないんだ」
それは今ある
その本気の宣言を受けて、
彼の中にあった油断、あるいは慢心の色がその
「すまぬ、
「ああ、それで構わない。お互い恨みっこなしでいこうぜ」
互いに距離を取って対峙する両雄。学園創設以来、初のバーリトゥードによる決闘が始まろうとしていた。
◇◇◇◇◇
「それで
応接テーブルへ三つのティーカップを置いたアリスが、トレイを胸元に押し付けるようにして訊いた。
ここは教師棟にある
「遅かれ早かれ、バーリトゥード形式の決闘が行われるのは確実でしょうねぇ」
チョコレートケーキを摘み、のほほんとそう言ったのは
その隣で不機嫌そうに腕を組み、縦巻きドリルの先を
「
ティーカップの茶を
「
「あの筋肉ダルマが、悔しがる顔を見れないのは残念ですわ」
「大丈夫ですよぉ。あとでどんな気持ち? って聞いてあげればいいですぅ」
下院の女教師は、上院の女教師と
「それで
なかなか本題に入ろうとしない教師たちに
その問いに三人の女教師が三者三様に答える。
「距離を置いて戦われたら苦戦するでしょうねぇ」
「そうだな。私が
「しかし、だからと言って負けるとは思っていないのでしょう。でなければ、推薦状を書いてまで送り出す意味がありませんわ」
炭を
ティーカップをソーサーに置いた
「まともに戦えば苦戦はする。だが――」
「工夫をすればその限りではありませんですぅ」
「
「まず、距離を取って戦われた場合だが、これは厳しい。
「五分の戦いと言えば聞こえはいいですけどぉ、
「その通りだ。ならばどうするべきか」
「距離を取らせないように立ち回るですぅ」
「うむ。私が
「当然、
「その圧力に怯むことなく突進できるかが勝負のカギだ。少しでも怯めばすぐに二の矢、三の矢が飛んでくる」
「猪突猛進。
「だが、
「まさか
「その隙に一気に距離を詰めて――」
「剣の間合いに持っていければ必勝ですぅ」
「
「まさに瞬殺ですねぇ」
「首席相当に何もさせずに勝利するわけだ。これでは
「はい。これこそがぁ、圧倒的な実力の示し方なんですねぇ」
炭火をいじっていたアリスが「わぁ、すごいです!」と歓声を上げる一方で、ドリルの毛先を
「あのクソガキの《剣気》は黒龍石を両断するほどなのでしょう。そんな凄まじい斬撃を浴びせたら
その
「この三ヵ月間、
ほっと胸を撫でおろし、アリスは使い終わった食器をトレイに乗せて、奥の部屋へと下がっていった。
甘くなった口内を紅茶で
「さてさて、今頃はどうなっているのでしょうねぇ」
◇◇◇◇◇
それは詰将棋のようだった。
あるいは初見殺しとも言える。
一気に距離を詰められ、放たれた上段からの打ち下ろしの斬撃。とっさに《剣気》を
次に目を覚ました時に見たのは、医務室の白い天井だった。
その非常識な戦闘術に笑いが込み上げてくる。そして実感した、自分は負けたのだと。
「黒陽公主が惚れた男か……どうやら彼は本物らしい」
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