第82話 月乃
龍を
「同盟、中立、敵対を使い分けなければならない……か」
ちゃぷん、と湯の中で仰け反り返り、
「うーむ。上院生は将来の貴族候補だから、仲良くしておいた方がいいって理屈はわかるんだよな。龍皇陛下でさえ外交努力をしてるんだから、全方位に喧嘩を売るような真似は得策じゃない。当然の理だ。でもなぁ――」
湯けむり越しに高い天井を見上げる。
しかも、ただ勝つだけでは不十分だ。剣一本というハンデを覆すほどの、圧倒的な実力差を見せつけない限り、教師たちからは難癖をつけられ続けるだろう。
「そうすると、各学年の首席を順番に叩きのめすってプランになるわけだが。うーん、流石にこれはまじぃか?」
各学年の首席ともなると、それは云わば将来の貴族候補筆頭なわけで。その全てに敵対するというのは、
が、その勝利なくして実力を証明できないのもまた事実。
あちらを立てればこちらが立たず。
龍の口の下でドバドバと湯を浴びながら、
本日の体験入学を終えて
「明日には剣術の授業がある。是非とも君の実力を見せてくれたまえよ」
「君が我々の期待に応え続けている間は、上院生として扱おう。けれど、もし不適格と判断したら、その時は
現にこうして、貸し切り状態で湯舟に浸かっていられるのも、上院生としての特権だ。寮ではなく、客人用の特別宿舎に
とはいえ、それもこれも
「要するに挑戦者である俺には、外交ごっこをする余裕なんてないんだよな」
瞑想によって導かれた結論は、
思考も幾分クリアとなり、そろそろ出るかと湯舟から立ち上がったところで、
「お背中をお流しさせていただきます。ご主人様」
目の前で、バスタオルに包まれた大きな果実がぷるんと揺れた。
スレンダー巨乳の少女が湯けむりの中に立っている。胸元の膨らみは圧倒的な存在感を放ち、露なのか汗なのかよくわからない
その魅惑的な光景に一瞬だけ視線が釘付けとなるも、時はすぐに動き出し、
「――――は? なんで君がここにいるんだよ!?」
「
「お世話なんてしなくていいよ!?」
「でも、お背中を……」
「背中なんて流さなくていいから出て行ってくれ!」
「かしこまりました」
いくら意中の人がいたとしても思春期の男子心からすれば、半裸の女の子を前にドキドキしないでいる方が、どだい無理な話なのである。
公主様も大きい方だが、
ちゃぷん。
湯に足を踏み入れる音が背後から聞こえて、
「ちょっと!?
「はい。
「全然、かしこまってないじゃん!?」
かしこまるとは、理解するや引き受けるの意ではなかったのか。
混乱する
足元から立ち昇る湯気が、
頭が
ピタリ、と背中に柔らかいものが触れた。
そのまま腰に腕を回されて、抱き着かれたのだと悟る。直立不動のまま、
「
「でも、俺には好きな人がいるんだ。だからこういうのは」
「ご主人様に恋愛感情がないのはわかってるです。優しいご主人様のご温情なのだということも存じております。でも、少しでも恩返しがしたいです。駄目ですか」
「だ、駄目っていうかさ。俺も男だからさ、くっつかれると理性が……」
「し、失礼しました!
ぱしゃぱしゃ、という音がして柔らかい感触が離れていく。
「
「
「でも、
「奴隷だから何だっていうんだ。君はこんなにも魅力的な女の子じゃないか」
「奴隷は卑しいものです。一度堕ちたらずっとそのままなんです」
圧倒的な自己肯定感の低さに、
ああ、そうか。と思う。彼女はかつての自分なのだ。
何か熱いものが込み上げてきて、それを零さないようにとっさに天井を見上げ、
「なぁ、知ってるか。俺ってさ、つい半年前までは下院で最下位の底辺オブ底辺だったんだぜ」
「ご主人様がですか?」
疑問形に混じる疑わしげな響き。
まぁ信じられないよな、と
「ああ、誰もが
「でも、ご主人様は
「そうだ。俺には力がある。だけど、その真価に誰も気付かなかった。生徒も、教師も、学園長も……そしてこの俺自身でさえもな。だから学園の下した無能というレッテルを疑問に思わなかったんだ。今の君と同じだよ」
「だけど、俺の埋もれた才能にいち早く気付いてくれた奴がいた。そいつが見つけてくれたから、今の俺があるんだ。そいつはこう言うんだ。『あなたは龍王の器だ』ってな。笑っちまうだろ。だけど、それは
「あの……その方というのはまさか……」
目をつぶり、愛する恋人の顔を
「大丈夫、俺が保証するよ。あいつならきっと、
見上げていた視線を戻す。なぜかバスタオルを纏った
「そして俺も、君の良さを見つけられるように努力する。だからさ、卑しい奴隷の身なんて悲しいことは、もう言わないでくれよ。君は立派な一人の龍人で、こんなにも素敵な女の子なんだからさ」
奴隷として過ごした過酷な日々を
「これからよろしくな」
そこで
ばしゃん! と大量の湯を揺らして、頭から湯面へダイブ。
ご主人様、という声が遠方で聞こえた気がした。
長湯でのぼせてしまったらしいとわかったのは、湯あたりした
◇◇◇◇◇
貴族の邸宅を思わせる広い屋敷。
特別宿舎に男女が二人――などと知られては、桜華に何を言われるかわからない。ここはひとつ、絶対に黙っておこうと
「そもそも、何も後ろ暗いことなんてしてないし……なっ!」
湯あたりして倒れた全裸の自分。
ダイニングにあたるのだろうか。冗談みたいに長いテーブルの隅っこで、
「
奴隷としての考え方を捨てられないでいるのは悲しかったが、「今は」「まだ」という言葉が、彼女の心境の変化を表しているように感じられた。
「ま、無理にとは言わないよ。これから少しずつ変わっていこうな」
「はい!」
そして給仕の合間に、彼女は自分の生い立ちを話してくれた。
縄張りを巡る争いで龍王・
悲しそうに
「
縄張り争いとは建前で、適当に
「弱い者は
「でもだからこそ、外交は大事です。同盟を結んでいる限り攻撃はされないです」
そして捕らえられた当時五歳だった
「でも、
「乱暴はされなかったのか。こう言ってはなんだけど、ほっとしたよ」
「
「なぁ、龍人族ってのは最初に契りを結んだ相手を正妃として娶るんだろ。だったら、性的な一線を超えたら、その子を娶るのが道理なんじゃないのか」
「はい、その通りです。でも実際には握り潰されてしまうです」
「どこまでも理不尽だな、
「はい。掟に反します。だから騒ぎ立てるような真似をすれば――」
「帰ってこなかった子もいるです……」
「バレなければセーフ理論が成り立つからこその口封じか」
奴隷は、群れの『
「でもこの学園に来て、最初の内は
「途中で何か心境の変化でもあったのか?」
「それはわかりません。でも、
そうして至近距離で
「髪の毛、切ったのか?」
「はい。不揃いでしたので、肩口からバッサリとです」
どこか晴れ晴れとした表情の
彼女もまた、前向きな一歩を踏み出せたのかもしれない。
◇◇◇◇◇
スースーという寝息に合わせて掛け布団が上下している。
疲労を
「朝起きた時に俺がいなかったら、きっと傷つくよなぁ」
かと言って、同じベッドで寝るわけにもいかない。
では
「ま、俺の方はソファーで寝りゃいいか」
気楽に考え、
正面玄関の扉を開けると、冷たい外気が入ってきた。白い息を吐き、身をぶるると震わせながらも、
「さてと。上院探索・夜の部でも始めますか」
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