第80話 実力の差

 異様な光景が繰り広げられていた。

 ショッピングモールの一角にあるフードコート。四人席を移動させて作られた開けた空間に、二人の男子生徒が対峙している。その雰囲気は、さながら喧嘩のようであった。


 模擬刀をやたらめったら振り回す男子生徒と、その猛攻を避けるでもなく棒立ちのまま受け入れる男子生徒という構図。一見すると一方的な展開に見えるのだが、よく見れば模擬刀を振るっている男子生徒の方が、息を切らして苦しそうにしている。追い詰められつつあるのは、まさに彼の方だった。


「はぁ……はぁ……、なぜだ……なぜ当たらない」


 肩で息をしながら、坊ちゃん刈りの男子生徒がうめいた。

 その男子生徒――蒼雪そうせつは、切り揃えた前髪の隙間から対峙する少年をにらみ付ける。


 戦いが始まってから相手の少年はその場を一歩も動いていない。ポッケに手を突っ込んだ姿勢でその場にたたずみ、退屈そうに欠伸あくびを嚙み殺している様は、強者の貫禄すらある。が、その余裕が蒼雪そうせつしゃくさわった。


「戦いの最中になんて大胆な奴だ。僕を舐めているのか」

「戦い? 違うだろ。俺はサンドバッグだ。さぁ、好きなだけ打ち込んで来いよ」

「くそっ! 戦いとすら認識していないというのかっ」


 元より、サンドバッグになれと条件を出したのは蒼雪そうせつの方であって、彼はその条件に従っているだけである。ゆえに蒼雪そうせつのセリフは理のないうらぶしでしかないのだが、プライドを傷つけられて冷静さを欠いた彼は、甲高い掛け声と共に全力で突進した。


「いやぁぁぁぁーっ!!!!!」


 気合一閃。

 大上段から放たれた斬撃が、無防備な少年の脳天をカチ割るように振り下ろされる。あと数センチ。確実に命中するであろうタイミング。

 そのインパクトの瞬間――


 ガキンッ!


 見えない何かに阻まれて、模擬刀が上方へ大きく跳ね返された。通常の打ち込みでは感じることのない強い反発力に、蒼雪そうせつはバランスを崩して後方へよろめく。


「チッ! またか。なぜだ、なぜなんだ。なぜ当たらない!!?」


 いつの間にか、彼らの周囲には騒ぎを聞きつけた生徒たちが、少しずつ集まりギャラリーを形成し始めていた。どうやら、騒ぎが大きくなりつつあるようだ。

 このような醜態しゅうたいが広まれば、今後の上院生活において支障が出るのは間違いない。公開処刑のつもりで提案した条件が、まさかこのような形で自分に跳ね返ってくるとは、夢にも思っていなかった蒼雪そうせつの動揺は大きい。


 何か適当に理由をつけてこの場を収めるか――と、そこで蒼雪そうせつはピンと閃いた。


「そうだ。魔術だ。不可視の魔術障壁しょうへきを張っているんだろう!」


 ビシッと指先を突き付けて、ギャラリーたちに自分の劣勢が不正に基づくものだとアピールする。しかしその言い掛かりに対して、少年は特段気にする様子もなく、つまらなそうに応じた。


「あのな。適性属性なしの半龍人の俺に魔術が使えるわけないだろ」

「適性属性なしは自己申告だろうが!」

「だったらあとで教師に確認してもらっていいぞ。なんだったら、学園長に確認してもらったっていい。なぁ、紅蘭こうらん?」

「そうね。この男に適性属性がないのは本当よ。もしあったら、もっと早く上院へ昇格していたかもね」


 両者から距離を置き、成り行きを見守っていた紅蘭こうらん。一見すると中立に見える彼女が同意したことで、ギャラリーの支持はあちら側へと傾き、反対に蒼雪そうせつに対しては疑わしげな目線が向けられる。

 そのアウェイな状況に蒼雪そうせつは焦った。


「だけど、みんなだって見ただろ!? 僕の攻撃が届かないんだよ。こんなの絶対に普通じゃない。何かトリックがあるに決まっているじゃないか!!」

「へえ、トリックか。悪くない発想だ」


 そこまで言って少年が口角を吊り上げた。


「じゃあ、そのトリックを見破ってみろよ。魔術や吐息ブレスの類でないことは、適性属性がないことから証明できるよな」

「ぐっ……きっと仕掛けがあるんだ。魔術式を使った全自動的な仕掛けが、例えばこの床に!」

蒼雪そうせつって言ったか。敵であるおまえに全てを教えてやるほど俺はお人好しじゃないが、一つだけ教えておいてやる。場所を変えても結果は同じだぜ」


 揺るぎのない真っ直ぐな眼差しと、その瞳の最奥に見え隠れする力強い光の輝きが、彼の話が真実であることを蒼雪そうせつに直感させた。


「ぐっ……クソッ!」


 息を整える。


 一撃を打ち込むごとに強烈な反発を受けるので、すでに右腕の疲労は限界に達そうとしていた。つかを握る右腕の感覚がもうほとんどないのだ。攻撃を受けたわけでもないのに満身創痍まんしんそういとなっている――その驚愕きょうがくの事実に、蒼雪そうせつの顔が青ざめる。


 そんな窮地きゅうちにある蒼雪そうせつから一時も視線を外さぬまま、少年が首を傾げた。


「今は……えーと、何発目だったっけ」

「今ので百五十六発目よ」

「ああ、そうそう。まだ半年分にも満たないが、辛いならリタイアしとくか?」


 ギリッと蒼雪そうせつの奥歯が鳴る。

 ――平民風情に舐められてなるものか。

 その一念だけを支えに、蒼雪そうせつは助走をつけて次なる一撃を繰り出した。




 ◇◇◇◇◇


 敗者を見下ろし、麒翔きしょうは言った。


「根性だけは認めてやるよ」


 学園卒業までの残り日数分。蒼雪そうせつの攻撃を耐えきることができれば、奴隷少女への暴行は行わない。その取り決めは、蒼雪そうせつ自身のかせとなってしまったようだった。

 自分で言い出した手前、引くに引けなくなったらしい蒼雪そうせつは、自らの提案を途中で折ることができず、地獄のような千本ノックを気合と根性だけで乗り切ったのだ。最後の方など、剣術とは呼べぬ軟弱なんじゃくな剣筋であったが、それでも彼はやりきった。その労力に対する麒翔きしょうの評が、冒頭のセリフである。


 満身創痍の蒼雪そうせつは地面に膝から崩れ落ち、上半身を満足に支えきれずに大理石の床へ両手をついた。その姿はしくも、奴隷少女にいた格好と同じである。だが、今の彼に体裁を整える余裕はなく、立ち上がる気力もないようだった。周囲に集まったギャラリーたちが、思わぬ大番狂わせに落ち着きなくざわめいている。


 衆人環視しゅうじんかんしの元の大敗。

 蒼雪そうせつの唇は、屈辱にブルブルと震えていた。


 その様子を冷めた目で見下ろす麒翔きしょうの全身には、紫色のオーラが立ち込めている。それは《剣気》と対を成す存在。同じ境地に達した者にしか感じ取れぬ、《闘気》という名の失われた秘術である。


 剣に《気》をまとわせ昇華させたものを《剣気》、肉体に《気》をまとわせ昇華させたものを《闘気》と呼び区別する。両者は似て非なるものであり、《剣気》を扱える公主様でさえも《闘気》を視認することはできない。それは以前、公主様が夜練を訪れた際に確認済みだった。


 つまり、たねを明かせば、蒼雪の《剣気》に対し、不可視の《闘気》で迎え撃った。ただそれだけの話であった。


 全身を包んでいた紫色のオーラがふっと消える。


 《闘気》を解除し、麒翔きしょうは身を屈めて地面に突っ伏す形の蒼雪そうせつと視線を合わせた。横一文字に切り揃えられた前髪の隙間から覗く琥珀こはくの瞳。その黄金の輝きに反射した自身の姿を覗きみながら、麒翔きしょうは問う。


「途中で投げ出されて約束を反故ほごにされなくて良かったよ。これでもう、学生の間は彼女をいじめることはできない。相違そういないな?」


 真っ直ぐに視線を交差し合う両者。ふいに、蒼雪そうせつが視線を外した。


紅蘭こうらんさんや、僕を慕う女子たちの前で交わした約束だ。元より、たがえるつもりなどないよ。何より、そんなことをすれば父上や蒼月そうげつ兄さんの名を汚すことにもなる」

「だったら、いいんだ」


 麒翔きしょうは手を差し伸べた。

 ポカンとした顔で蒼雪そうせつがこちらを見上げてくる。


「龍人社会には龍人社会のルールがある。それはわかっているんだ。だけどどうしても、女の子への乱暴だけは見過ごせなかった」

「よしてくれ。敗者に情けをかけるもんじゃないよ」

「別に情けをかけているわけじゃないぞ。もう敵対する理由がないから、助け起こそうとしているだけだ」


「君は本当に何もわかっていないんだね。これが荒野だったら、君は僕にトドメを刺さなければならない。そして勝利の報酬として女を手に入れ、隷属れいぞくさせることができる。幸い、今は学生だからこの程度で済んでいるけど、本来なら優劣が決したあとに手を差し伸べるなんて有り得ないことなんだよ」


「でも、俺たちは学生だろ」

「だとしても、さ。こうして雌雄しゆうが決した以上、格付けは済んだんだ」


 頑として譲ろうとしない蒼雪そうせつ。お互いに意地を張る平行線。そんな中、麒翔きしょうの脳裏には、背中をバシンッと叩いて元気づけてくれた親友の顔が浮かんでいた。


「俺は下院で最底辺だった。そんな俺に手を差し伸べてくれたのは親友の桜華だけだ。彼女から受けた恩を俺は絶対に忘れないし、あいつのそういう姿勢を見習いたいとも思っている。だから俺は、勝者だとか敗者だとか、そういうくくりで物事を判断するつもりはない」


 それは奴隷制度に対する、麒翔きしょうの答えでもあった。

 ちっ、と舌打ちした蒼雪そうせつが、ふらつく足を叱咤しったして自力で立ち上がる。


月乃つきの!」

「は、はい!」


 蒼雪そうせつの大声に、直立姿勢で反応したのは奴隷少女だった。群衆の最前列で背筋をピンと伸ばす彼女に向かって、蒼雪そうせつが右腕を掲げて命じる。


「今この時より、僕の世話係の任を解く。残りの二年と少し。自由に学生生活を謳歌おうかしろ。以上だ」

「え、でも蒼雪そうせつ様。それだと旦那様のご命令に背くことになるです」

「今の主人は僕だ。おまえに拒否権はない」

「か、かしこまりました」


 月乃つきのと呼ばれた少女が、うやうやしく一礼する。そして、


「きゃああ、蒼雪そうせつ様!? 大丈夫ですか」

「ああ、おいたわしゅうございます」


 取り巻きの女子生徒たちが駆け寄ってきて、あっという間に蒼雪そうせつを取り囲んだ。ふらつく彼に、我先にと体を支えにかかる。取り巻きの女子生徒は三名。両肩を支えられるのは二名まで。熾烈しれつなポジション争いで揉みくちゃにされながら、うんざり顔の蒼雪そうせつが付け加えた。


「行く当てなどないだろうから、面倒はその男に見てもらえ」

「――は?」

「かしこまりました」

「いや、かしこまらないで!?」


 去り際。とんでもない爆弾を落とした優男やさおとこは、彼を慕う女子たちに支えられてその場を後にした。見世物が終わって興味を失ったのか、ギャラリーたちも勝手に散会していく。そしてその場に残された奴隷少女――月乃つきのが、ニコリと笑顔で頭を下げた。


「これからどうぞよろしくお願いします。ご主人様」

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