閑話 風曄の一日

「ふぁあああ」


 キングサイズの寝台の上で、ミニマムな幼女が大きな伸びをした。

 窓からは西日が差し込んでいる。

 時刻は正午を過ぎているようだ。昨夜は飲みすぎてしまった。ガンガンと痛む頭をさすりながら幼女は身を起こした。


 幼女の睡眠時間は一日十時間。

 しっかりがっつり取らないと、おねむになってしまうお年頃。齢百歳を超える成龍おとなのレディなのである。


 深夜二時まで飲んでいたら、目覚めるのはお昼過ぎだ。

 だから風曄ふうかの授業は全部午後に入っている。姫位六階級最高位ともなれば、そのぐらいのワガママは通せるのだった。


「授業中に居眠りしてしまったら大変ですからねぇ」


 誰に言うでもなくそう呟くと、衣装箪笥いしょうだんすの辺りから応答があった。


「とか言いながら、この前も居眠りしていたじゃないですか。魅恩みおん先生からクレームがきていましたよ」

「うー、それはそうですけど……そんなことより、どうして人の部屋に勝手に入っているのですぅ?」

「一人じゃ起きれないから手伝ってくれと言ったのは、風曄ふうか先生じゃないですか。はい、これ。着替えです。もう時間がないのでテキパキお願いしますね」


 西方の給仕服に身を包んだ金髪の少女が、両手に持った緑の龍衣を差し出してくる。助手に雇った少女だ。名をアリスという。まだ寝ぼけたままの頭を捻り、


「そういえば、そうでしたぁ」


 いそいそと支度を始めるとアリスが着付けを手伝ってくれた。

 よくできた助手である。




 ◇◇◇◇◇


 風曄ふうかは授業が嫌いだ。退屈だからである。

 退屈そうに窓の外を眺める生徒や、居眠りしてしまう生徒、あるいは隠れて早弁を始めてしまう生徒がいたとしても、風曄ふうかは注意したりしない。なんだったら一緒になってサボりたい所存である。いや、本当に一緒になって寝たこともある。当然、あとで怒られた。魅恩みおん教諭に。


 風曄ふうかの担当は、風魔術と座学の授業がいくつか。この日も座学の授業を終えて廊下を歩いていると、窓の外から賑やかな声が聞こえてきた。

 窓枠は、風曄ふうかの頭と同じぐらいの高さにある。外を見ようとしても、そのままでは見られない。だからぴょんと軽くジャンプして、窓枠に飛びついた。ひじに全体重を乗せるようにしてしがみつき、窓の外へ視線を向ける。そこには馴染みの顔があった。


「だから俺と桜華はそんな関係じゃないって言ってんだろ!」

「そうだよ、陽ちゃん。わたしたちはただの友達だよ」

「大丈夫だ、安心しろ。私にはちゃんとわかっている」

「なにを安心するんだよ!?」

「絶対に安心しちゃいけないやつだよね、それ」

「二人の息は、長年連れ添った夫婦のようにピッタリだな」


 青春の甘酸っぱい香りに風曄ふうかはぶるると身を震わせた。

 自分にもあのような時代が確かにあった。付き従うと決めた主がいて、気の合う仲間たちと共に栄光へ向かって邁進まいしんしていた。そんな輝かしい日々が。


 しかし、それは昔の話。かつての主人や仲間たちは、もういない。


 龍人の生存競争は激しく、残酷だ。一度抗争が勃発ぼっぱつすれば、どちらかの群れが滅びるまで争いは終わらない。そうして争いは日々繰り返され、龍人社会という器の中でまるで蟲毒こどくのように殺し合い、生き残った者だけが覇者として君臨する。


 栄華を極められるのはほんの一握り。

 その他大勢は敗者となって表舞台から消えてゆく。

 そして風曄ふうかもそんな敗者の一人だった。


 群れという寄る辺を失って、一人で生きていけるほど龍人社会は甘くない。

 風曄ふうかとて、龍皇陛下に拾ってもらうことができねば、孤独に命を落としていただろう。そしてそれは、他の教師たちも同じ。だからこそ、彼女たちは自分の無力を憎んでいる。主人や仲間たちを守れなかった無力を、誰よりも深く憎んでいるのだ。弱き者は、まるで自分自身を映し出す鏡のようではないか。


「きっと、明火めいび先生が麒翔きしょうくんを毛嫌いするのも、その辺りの事情が絡んでいるのでしょうねぇ」


 ぶらんと伸ばした足を大きく振って、風曄ふうかは腕の力だけで体を浮かせるとつま先から静かに着地した。埃のついた袖口をぞんざいに払ってみせ、


「だからこそ、自分は強いのだと証明する必要がありますぅ。麒翔きしょうくんには頑張ってもらいたいものですねぇ」


 まだわいわいと騒ぎ立てている三人組の声を背に受けながら、トコトコと幼女はその場をあとにした。




 ◇◇◇◇◇


「うーん、うーん……」


 本棚が視界を覆うようにそびえ立っている。

 つま先立ちとなり、指を伸ばしてみるも目標物には全然届かなかった。

 踏み台はもうとっくに使っている。なんだったら二台を縦に積んで、アンバランスな状態で挑んですらある。が、悲しきかな幼女の手は、虚空を切るばかりだった。


 雑に積み上げたのが災いしたのか、あるいは無茶な体勢が災いしたのか、積み木のように積まれた踏み台がぐらりと揺れた。


「わわっ……」


 幼女はそのままズデン! と顔面から床へダイブし、その鼻っ面を強打した。恨みがましい目で鼻先をさすり、立ち上がる。天空に輝く目標物を見上げ、風曄ふうかは溜息をつく。


「むー。困りましたねえ」


 ここは下院にある図書館。

 天井は高く、そのぎりぎりまで本棚がピタリと嵌め込まれている。

 万策尽きた風曄ふうかは、助けを求めるべくキョロキョロと辺りを見回した。

 本棚に囲まれた通路が左右に真っ直ぐ伸びている。しかし、教師や生徒の姿は見当たらなかった。そこで幼女はトコトコと図書館中を探し回り始めた。


 五分が過ぎた頃だろうか。見知った顔を発見した彼女は、意気揚々とその男子生徒を呼び止めた。


「ちょっとそこの麒翔きしょうくん、待つのですぅ」

「――麒翔きしょうは振り返ったが、そこには誰もいなかった」


 幼女のお団子頭は麒翔きしょうの腰の辺りにあるので、そのまま振り返れば確かに死角となるのかもしれない。けれど、彼は意図的に視線を前方で固定しているようだった。


「ナレーション風に失礼なこと言うなですぅ!!」


 風曄ふうか憤慨ふんがいして両腕をウガーっと振り上げると、彼はそれがわかっていたかのように袖口から飴玉を取り出した。子供に人気の高いミルクセーキ味だった。


「すみません。これあげるから許してください」


 風を切り裂くようにして飴玉を分捕ぶんどった幼女は、目にも止まらないスピードで口へと放り込み、カランコロンとやりだす。とても甘い。ご満悦である。


「仕方ないですねぇ。今回だけですよぉ」


 などと、先生風を吹かせて念を押す風曄ふうか。しかし、とろけるような笑顔を見せる幼女に威厳はなかった。


「それじゃ、俺はこれで」

「ちょっと待つですぅ!」


 そそくさと退散しようとする麒翔きしょうを引っ張って、幼女はくだんの本棚の前へやって来た。最上段にある本を指差して告げる。


「あの本を取るのを手伝ってください!」


 ビシッ! と指し示した斜め上空。金色こんじきに輝く(ように風曄ふうかには見える)その背表紙を見上げながら麒翔きしょうが言った。


「ああ、懐かしいですね。アルガントで暮らしていた頃にもよくやりましたよ。風船片手に走り回っていると、転んじゃう子が結構いるんです。そうするとあのぐらいの高さの木に引っ掛かることが多くて。泣き出した幼女のためによく取ってあげたものです」

「先生は泣いてません!」

「否定するの、幼女の方じゃないんですね……」


 彼は崩れた踏み台の山に視線を向けると「なるほど」と呟いた。


「ジャンプすれば取れるんじゃないですか?」

「天井ぎりぎりだからジャンプしたら頭をぶつけちゃいますぅ」


 実はすでに一度トライして、頭をぶつけているのは内緒である。

 麒翔きしょうは踏み台を持ってくると、ひょいとその上へ乗って手を伸ばした。目標まであと五センチというところで、指先が空を切る。


「なるほど。これは先生じゃ無理ですね。ちょっと待っててください」


 そう言うとつま先立ちとなり、更に高さを追加。一気に射程距離にまでその背表紙を捉える。そうして呆気ないほど簡単に目標物をゲットすると、風曄ふうかの前にそれを差し出してくれた。


「わぁ、ありがとですぅ」


 ご満悦の表情でいると、なぜか頭を撫でられた。

 普段なら子供ではないことを必死にアピールするところだが、今は秘伝の書を手に入れられた高揚の方が勝っていた。感動に打ち震える風曄ふうかが訝しかったのか、麒翔きしょうが不思議そうに首を傾げて表紙を覗き込んでくる。そしてその表題を目にした彼は、ぽつりと言った。


「牛乳を飲んで身長を伸ばす方法?」




 ◇◇◇◇◇


 労働の疲れはお酒で癒すのが成龍おとなの流儀である。

 女教師御用達ごようたしのBARへ赴くと、先客が一人いた。風曄ふうかと同じく酒豪の彼女は、まだ夜も更けていない早い時間からボトルを三本も空けていた。


「相変わらず、一番乗りですかぁ」


 カウンター席に一人座り、ハイペースで一杯やっていたのは縦巻ロールで厚化粧が特徴の明火めいび教諭だった。彼女は、お団子頭の上空数十センチ辺りへ視線を向ける。


「あら? 何もない空間から幼女の声が」

「だーかーら! 麒翔きしょうくんみたいなことを言うなですぅ!」


 腕をパタパタとさせながら風曄ふうかは猛烈に抗議した。そしてそのままカウンター席へよじ登り、


「ビール。毒抜きで」


 バーテンダーへ注文を通す。

 入口から見て、カウンター最奥の席に座る明火めいびが怪訝そうにこちらを見た。その疑問に風曄ふうかは先手を打つ。


「龍衣はアリスちゃんが洗濯してくれますからぁ。万が一、毒酒をこぼしでもしたら、誤って彼女が触れてしまうかもしれません~」

「人間にそこまで気を遣う必要がありますの?」

「他種族であっても受け入れるのが陛下の意向ですからぁ」


 カウンターに置かれたビールを一気に呷る。毒がない分だけ少し物足りなかった。

 ドリルの先を摘みながら、明火めいびが苛立たしげに言った。


「わたくしの分も毒を抜いてくださいな」

「やっぱり明火めいび先生は優しいですねぇ」

「幼女が生意気言ってないで黙って飲みなさい」

「素直ではないところも好きですよぉ」


 下院のBARでは、バーテンダーが勝手にツマミを見繕ってくれるシステムが採用されている。風曄ふうかの目の前に、酒のさかなが次から次へと置かれていく。


 小皿に盛られた唐揚げを口に放り込むと、ややマイルドな味わいが口内に広がった。食べた時の刺激が少ないのは、毒が抜かれているからだ。


「流石、プロですねぇ。言われるまでもなく、サービスで抜いてくれるとはぁ」


 バーテンダーが無言のまま会釈した。


「互いに助け合い、そして思いやり合いながら生活を営む。これこそ群れの本来あるべき姿なんですよねぇ」

「なにをしみじみと一人で言ってますの。酔いが回るにはまだ早いですわよ」

明火めいび先生の青春時代の話を聞きたいと思いましてぇ」

「はぁ!? そんな恥ずかしい思い出、とうの昔に忘れましたわ」

「そうですかぁ? わたしはですねぇ。同級生に大きな男の子がいて――」


 そうして夜は更けてゆき、結局風曄ふうかはぐでんぐでんに酔っ払い、心配して様子を見に来たアリスに介助してもらいながら、帰宅の途に就いたのだった。

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剣一本で覇を握る! 無能と呼ばれた少年は公主様の献身によって成り上がる ~ところで、公主様? 勝手にハーレム作ろうとするのやめてもらっていいですか?~ 火乃玉 @hinotama

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