閑話 風曄の一日
「ふぁあああ」
キングサイズの寝台の上で、ミニマムな幼女が大きな伸びをした。
窓からは西日が差し込んでいる。
時刻は正午を過ぎているようだ。昨夜は飲みすぎてしまった。ガンガンと痛む頭をさすりながら幼女は身を起こした。
幼女の睡眠時間は一日十時間。
しっかりがっつり取らないと、おねむになってしまうお年頃。齢百歳を超える
深夜二時まで飲んでいたら、目覚めるのはお昼過ぎだ。
だから
「授業中に居眠りしてしまったら大変ですからねぇ」
誰に言うでもなくそう呟くと、
「とか言いながら、この前も居眠りしていたじゃないですか。
「うー、それはそうですけど……そんなことより、どうして人の部屋に勝手に入っているのですぅ?」
「一人じゃ起きれないから手伝ってくれと言ったのは、
西方の給仕服に身を包んだ金髪の少女が、両手に持った緑の龍衣を差し出してくる。助手に雇った少女だ。名をアリスという。まだ寝ぼけたままの頭を捻り、
「そういえば、そうでしたぁ」
いそいそと支度を始めるとアリスが着付けを手伝ってくれた。
よくできた助手である。
◇◇◇◇◇
退屈そうに窓の外を眺める生徒や、居眠りしてしまう生徒、あるいは隠れて早弁を始めてしまう生徒がいたとしても、
窓枠は、
「だから俺と桜華はそんな関係じゃないって言ってんだろ!」
「そうだよ、陽ちゃん。わたしたちはただの友達だよ」
「大丈夫だ、安心しろ。私にはちゃんとわかっている」
「なにを安心するんだよ!?」
「絶対に安心しちゃいけないやつだよね、それ」
「二人の息は、長年連れ添った夫婦のようにピッタリだな」
青春の甘酸っぱい香りに
自分にもあのような時代が確かにあった。付き従うと決めた主がいて、気の合う仲間たちと共に栄光へ向かって
しかし、それは昔の話。かつての主人や仲間たちは、もういない。
龍人の生存競争は激しく、残酷だ。一度抗争が
栄華を極められるのはほんの一握り。
その他大勢は敗者となって表舞台から消えてゆく。
そして
群れという寄る辺を失って、一人で生きていけるほど龍人社会は甘くない。
「きっと、
ぶらんと伸ばした足を大きく振って、
「だからこそ、自分は強いのだと証明する必要がありますぅ。
まだわいわいと騒ぎ立てている三人組の声を背に受けながら、トコトコと幼女はその場をあとにした。
◇◇◇◇◇
「うーん、うーん……」
本棚が視界を覆うように
つま先立ちとなり、指を伸ばしてみるも目標物には全然届かなかった。
踏み台はもうとっくに使っている。なんだったら二台を縦に積んで、アンバランスな状態で挑んですらある。が、悲しきかな幼女の手は、虚空を切るばかりだった。
雑に積み上げたのが災いしたのか、あるいは無茶な体勢が災いしたのか、積み木のように積まれた踏み台がぐらりと揺れた。
「わわっ……」
幼女はそのままズデン! と顔面から床へダイブし、その鼻っ面を強打した。恨みがましい目で鼻先をさすり、立ち上がる。天空に輝く目標物を見上げ、
「むー。困りましたねえ」
ここは下院にある図書館。
天井は高く、そのぎりぎりまで本棚がピタリと嵌め込まれている。
万策尽きた
本棚に囲まれた通路が左右に真っ直ぐ伸びている。しかし、教師や生徒の姿は見当たらなかった。そこで幼女はトコトコと図書館中を探し回り始めた。
五分が過ぎた頃だろうか。見知った顔を発見した彼女は、意気揚々とその男子生徒を呼び止めた。
「ちょっとそこの
「――
幼女のお団子頭は
「ナレーション風に失礼なこと言うなですぅ!!」
「すみません。これあげるから許してください」
風を切り裂くようにして飴玉を
「仕方ないですねぇ。今回だけですよぉ」
などと、先生風を吹かせて念を押す
「それじゃ、俺はこれで」
「ちょっと待つですぅ!」
そそくさと退散しようとする
「あの本を取るのを手伝ってください!」
ビシッ! と指し示した斜め上空。
「ああ、懐かしいですね。アルガントで暮らしていた頃にもよくやりましたよ。風船片手に走り回っていると、転んじゃう子が結構いるんです。そうするとあのぐらいの高さの木に引っ掛かることが多くて。泣き出した幼女のためによく取ってあげたものです」
「先生は泣いてません!」
「否定するの、幼女の方じゃないんですね……」
彼は崩れた踏み台の山に視線を向けると「なるほど」と呟いた。
「ジャンプすれば取れるんじゃないですか?」
「天井ぎりぎりだからジャンプしたら頭をぶつけちゃいますぅ」
実はすでに一度トライして、頭をぶつけているのは内緒である。
「なるほど。これは先生じゃ無理ですね。ちょっと待っててください」
そう言うとつま先立ちとなり、更に高さを追加。一気に射程距離にまでその背表紙を捉える。そうして呆気ないほど簡単に目標物をゲットすると、
「わぁ、ありがとですぅ」
ご満悦の表情でいると、なぜか頭を撫でられた。
普段なら子供ではないことを必死にアピールするところだが、今は秘伝の書を手に入れられた高揚の方が勝っていた。感動に打ち震える
「牛乳を飲んで身長を伸ばす方法?」
◇◇◇◇◇
労働の疲れはお酒で癒すのが
女教師
「相変わらず、一番乗りですかぁ」
カウンター席に一人座り、ハイペースで一杯やっていたのは縦巻ロールで厚化粧が特徴の
「あら? 何もない空間から幼女の声が」
「だーかーら!
腕をパタパタとさせながら
「ビール。毒抜きで」
バーテンダーへ注文を通す。
入口から見て、カウンター最奥の席に座る
「龍衣はアリスちゃんが洗濯してくれますからぁ。万が一、毒酒をこぼしでもしたら、誤って彼女が触れてしまうかもしれません~」
「人間にそこまで気を遣う必要がありますの?」
「他種族であっても受け入れるのが陛下の意向ですからぁ」
カウンターに置かれたビールを一気に呷る。毒がない分だけ少し物足りなかった。
ドリルの先を摘みながら、
「わたくしの分も毒を抜いてくださいな」
「やっぱり
「幼女が生意気言ってないで黙って飲みなさい」
「素直ではないところも好きですよぉ」
下院のBARでは、バーテンダーが勝手にツマミを見繕ってくれるシステムが採用されている。
小皿に盛られた唐揚げを口に放り込むと、ややマイルドな味わいが口内に広がった。食べた時の刺激が少ないのは、毒が抜かれているからだ。
「流石、プロですねぇ。言われるまでもなく、サービスで抜いてくれるとはぁ」
バーテンダーが無言のまま会釈した。
「互いに助け合い、そして思いやり合いながら生活を営む。これこそ群れの本来あるべき姿なんですよねぇ」
「なにをしみじみと一人で言ってますの。酔いが回るにはまだ早いですわよ」
「
「はぁ!? そんな恥ずかしい思い出、とうの昔に忘れましたわ」
「そうですかぁ? わたしはですねぇ。同級生に大きな男の子がいて――」
そうして夜は更けてゆき、結局
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