第四章 公主様との婚約を認めさせるまで

前編:上院編

第73話 推薦状

 暗がりの空き教室。

 絢爛けんらんな緑の龍衣りゅういに身を包んだ教師が二人。密談している。


「それで風曄ふうかはどう思う」

麒翔きしょうくんと公主様には借りがありますからねぇ」


 長身の女教師の言葉に、低身長の幼女教師がコクリと頷いて応じた。


「では、賛成ということで良いんだな」

「はい、いいですよぉ。でもぉ魅恩みおん先生こそ、それでいいんですかぁ?」

「奴の剣術の腕は確認した。あれなら超一流と銘打ってもいいだろう。どうりで黒陽公主が惚れこむわけだ」

「つまり、上院でも通用するとぉ?」

「ああ、十分いけるはずだ」


 二人の女教師は同時にニヤリと口角こうかくを吊り上げた。




 ◇◇◇◇◇


 エレシア・イクノーシスの事件から三ヶ月が過ぎ、季節は初冬に入っていた。


 分厚い石壁造りの監獄かんごくのような部屋。大破した私室の修復がようやく終わり、腰を落ち着けることのできた風曄ふうかは、応接ソファーの上で白い息を吐いた。


 寒々しい灰色の室内には冷気が満ちている。


「失礼します」


 と声がかかり、準備室の鉄扉が開かれた。

 姿を現したのは金髪に青眼の少女。西方の給仕服である黒のメイド服に身を包み、トレイに乗せたティーカップを三つ運んでくる。慣れた手付きで応接テーブルへティーカップを三つ置くと、銀のトレイを胸元に当てて彼女はうやうやしく一礼した。


「ここはもういいですから、休んでいいですよぉ」

「はい。あの麒翔きしょうくんのところに行ってきてもいいですか?」

「またですか? 仕方ないですねぇ」


 風曄ふうかの許しを得ると、金髪の少女――アリスは嬉しそうに部屋を辞した。

 助手として雇った少女を見送り、風曄ふうかは低い視線を前方へ向ける。すると縦巻きロールの厚化粧が目に入った。あごをしゃくるようにして明火めいびが言う。


「それで? わざわざ呼び出して要件はなんですの」


 幼女体型の風曄ふうかは、ソファーに深々と腰掛けると足が床まで届かない。そのまま足をブラブラさせ、右隣りに座る魅恩みおんへ視線を向ける。魅恩みおんはアリスの用意したティーカップを手に取ると、紅茶を一口すすりながら言った。


「推薦状を出そうと思う」


 単刀直入な、けれど説明不足なその言葉に、明火めいび怪訝けげんそうに眉をひそめた。


盛館せいかんは上院への転属は望んでいないようですわ」

盛館せいかんではない。麒翔きしょうの推薦状だ」

「はぁ!?」


 明火めいび憤然ふんぜんと立ち上がり、冷たい空気を切り裂くように叫ぶ。


「どうしてあの生徒の推薦状の件で、わたくしを呼ぶ必要がありますの!?」

「上院への推薦状は、教師三名の同意が必要だ」


 三角眼鏡を人差し指で持ち上げて、しれっと魅恩みおんがそう言った。が、その飾らぬ簡素な言葉で明火めいびが納得するはずもない。


「そんなことは百も承知ですわ! わたくしが言っているのは、なぜこのわたくしがあの憎たらしいガキのために協力しなければならないのか、ということです」

「他の教師では駄目だ。頭が固すぎる」

「あの生徒を一番毛嫌いしているのは、わたくしだと知っているでしょう」

「だが、なんだかんだ言っても明火めいびは公平だろう」

「公平? どこをどう判断したら上院への昇格が妥当だという結論になりますの」


 応接テーブルを挟んで対峙する二人。明火めいびの噛みつくような視線と、魅恩みおんの冷たく鋭利な視線が真っ向からぶつかり合い火花が散る。一触即発のその状況に「ふぁぁ」と大きな欠伸あくびをした風曄ふうかが口を挟む。


「でもぉ明火めいび先生はぁ、いつの間にか彼のことを無能と蔑まなくなりましたよねぇ。今だってそうですよぉ。無能と呼ばずに憎たらしいガキとだけ呼びました。それはなぜなのです?」


 エレシア・イクノーシスの事件は学園へ大きな爪痕つめあとを残した。

 魂転化の解呪に成功したため、最終的に人的被害はゼロだったものの現役の教師が被害にい、そしてその事実が長らく判明しなかったことに学園は震撼しんかんした。

 なにせ、六妃に次ぐ実力者「武姫ぶき」が被害に遭ったのだ。それほどの強敵が長らく縄張りを侵犯し、何食わぬ顔で仲間を装っていた。真っ向勝負を好む龍人たちは、このようなからには慣れておらず、大きな衝撃を受けたのだ。


 しかも仲間の窮地きゅうちを救えないというのは、龍人にとって大変不名誉なことであり、屈辱でもあった。


「その汚名をそそいでくれたのが麒翔きしょうくんと公主様ですからねぇ。実力を認めざるを得ないと、明火めいび先生も本当は認めているんじゃありませんかぁ?」


 明火めいびが悔しそうに下唇を噛んだ。

 ティーカップをカチャリと置いた魅恩みおんが悲しげに息をつく。沈んだ二人の顔を眺め、風曄ふうかは緑のそでを払うようにして腕を組む。


「無能だと思っていた生徒が実は誰よりも有能だった、なんて認めたくないですよねぇ」

「わたくしの目が節穴だったと?」

「いいえ、わたしたち教師全員の目が節穴だったのですよぉ」


 認めねばなるまい、と魅恩みおんも続いた。


「適性属性なしという情報に踊らされて、適切な評価を行えなかった。それは教師全員の責任であり、明火めいびだけの責ではない」

「あの生徒がそこまでの逸材いつざいだと言いますの?」

「黒陽公主の武装吐息ブレスを模擬刀で弾いたそうだ」

「はぁ……?」


 厚化粧を歪ませて、明火めいびが思いっきり眉をひそめた。


「模擬刀で防げるわけがないでしょう。馬鹿にしていますの?」

「信じられないのも無理はない。だが事実だ」

「公主様の吐息ブレスは、成龍おとな吐息ブレスと比べても遜色そんしょくない威力ですのよ。ましてや、専用の装身具を使った武装吐息ブレスを防ぐなど……笑えない冗談ですわね」

「エレシア・イクノーシスに操られていた黒陽公主を無力化したのが麒翔きしょうだ。その際、黒陽公主は武装していた。これは公式記録にも残っている」


 風曄ふうかが後を引き取る形で続く。


「抜け目のない公主様はぁ、映像記録用の装身具もつけていたのですぅ。だから、公主様の武装吐息ブレスを弾くところが、しっかりはっきりくっきり映っているのですよぉ」

「…………」


 牢獄のような部屋に重い沈黙が降りる。

 風曄ふうかはティーカップを手に取り、ふーふーと息を吹きかけると一口すすった。


「学園のシステムにも問題がありましたぁ。各科目が100点満点だとしたら、麒翔きしょうくんは剣術で1000点を出せるんですよぉ。でも、学園のシステム上、1000点は100点としかカウントされなかった」

「うむ。風曄ふうかの言うとおりだ」

「仮にそうだとして――」


 視線を落としていた明火めいびが、顔を上げて魅恩みおんをギロリと睨む。


「百歩譲って学園の評価システムに欠陥があったとしましょう。けれど、1000点の剣術が、各教科100点満点に相当するとは限りませんわ」

「わかっている。剣術が得意なだけでは通用しない。だからこそ私は、下院の教師に甘んじているわけだからな」

「ならば、言うまでもないでしょう。上院の生徒は、魅恩みおん先生の言うところの100点満点以上の点数を叩き出す、規格外のバケモノ揃いですのよ」

「ああ、そうだ。だが、そのバケモノの一人が黒陽公主だということを忘れるな」


 明火めいびの奥歯がギリッと鳴った。茶をすすりながら風曄ふうかがのほほんと言う。


「公主様は一学年の首席ですからねぇ。全学年通して最強との呼び声も高いですぅ。そんな最強格を無力化したのだから、実績としては十分ではありませんかぁ」


 悔しそうに歯噛みしていた明火めいびの肩が、大きな吐息といきと共に脱力する。彼女は力なくかぶりを振り、ソファーに腰を下ろした。


「…………わかりましたわ。ひとまずその件は良しとしましょう。ですが」


 居住いすまいを正し、明火めいびが改まった。


青蘭せいらん様の意向を知らないとは言わせませんわよ」

「無論、知っている」

「だったら――」

「私たちは公平でなければならない」


 ピシャリ、と魅恩みおんが言い放ち、明火めいびの反論を阻んだ。


「無論、学園を運営する上で多少の忖度そんたくは必要だろう。だが、この件については学園の評価システムに不備があると言わざるを得ない」

「ですが、青蘭せいらん様は――」

「わかっている。将妃しょうひ様の手前、認めるわけにはいかないのだろう。しかしだからこそ、私たちがしっかりしなければならない。青蘭せいらん様の代わりに我々が正しい判断を下すのだ」


 明火めいびの顔に迷いが生じたのを風曄ふうかは見逃さなかった。ここぞとばかりに用意しておいた切り札を切る。


「この件については、学園長も納得されると思いますよぉ。なにせこのままでは、らちかない宙ぶらりんの状態が続いてしまいますからねぇ」

風曄ふうかの言うとおりだ。青蘭せいらん様としては、将妃しょうひ様からの圧力がある手前、龍閃りゅうせん不適当という結論を早急に叩きつけたいはずだ。だが、下院の生徒を麒翔きしょうにぶつけたくとも、そのトップである盛館せいかんが乗り気ではない」

「とするとぉ、残る手駒は上院の生徒しかいませんよねぇ。この話は、青蘭せいらん様にとっても渡りに船なのですぅ」


 そして風曄ふうかはガサゴソと袖口から飴玉を取り出すと、放るようにして口に含みカランコロンとやりだす。そして幼女にそぐわないすごく悪い顔をした。


「それにこの件についてはぁ、わたしたちにもメリットがあるのですよぉ」




 ――――――――――――――――――

 第四章の開幕となりますが、皆様へお知らせです。


 第四章は当初想定していたよりも大分長くなってしまいました。ですので、休載期間を長引かせないためにも、前編と後編に分ける措置を取りました。

 現在、前編のみ執筆が完了している状況であり、前編だけで約13万文字あります。また前編と後編の概要は以下のとおりです。


 前編:上院編

 後編:アルガント帰省編


 麒翔の適性属性などの謎は、後編のアルガント帰省編で明らかとなります。引っ張るような形になってしまい申し訳ありません。


 ひとまず、前編をお楽しみください。

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