閑話 アリス

 下院本校舎の一階には購買部がある。

 校舎の片隅にあるこじんまりとした小さな店だ。授業で使う筆記用具やノート、それに日用雑貨などが売られている。お昼になるとカウンターには弁当が山のように積まれ、学生たちが長蛇の列を作る。竹筒たけづつ水筒すいとうとセットで販売される弁当は、バリエーション豊かな上、味も良しということでなかなかの好評である。


 本校舎の二階には食堂もあって、そちらを利用する生徒たちも多い。しかし、一匹狼気質きしつが染み込んだ麒翔きしょうには、人混みがどうにも性に合わない。だからもっぱら、彼のお昼ご飯は、購買部の弁当一択である。


 その日も、麒翔きしょうは購買部を訪れた。人混みを避けるため、授業が終わってから十分な時間を空けてからの来場だ。売れ行きは好調なようで、カウンターに積まれた弁当の山は、もう見る影もないほど平地に近づいている。


 さて、今日は何にしようか――というより、何が残っているのか。麒翔きしょうが残り少ないお弁当に視線を落としていると、カウンターを挟んだ対面からクスリと笑い声がした。顔を上げると青い瞳の店員と目が合った。


「あ、え? アリスさん? どうして君がここに」


 西方の給仕服を着こなし、カウンターで売り子をしていたのはアリスだった。彼女は口元を綻ばせて言った。


風曄ふうか先生の紹介で学園に雇ってもらったんです。風曄ふうか先生の助手をしながら、お昼はここで売り子をしています」

「ああ、そうだったんだ。だけど大丈夫かい? 龍人の食事には毒物が混入しているから、迂闊うかつに食べると死んじゃうぜ」

「あ、それは大丈夫です。食材の説明は全部しっかり受けていますし、自分で食べるものは自炊じすいしていますから」

「しっかりしてるんだな。アリスさんは」

「そんなことないですよ」


 アリスがはにかむような笑顔を見せる。そしてチラリと上目遣いになり、


「私、公主様に誘われましたよ」

「え? 何に?」

麒翔きしょうくんの群れに入らないかって」


 ぶふぉっと、麒翔きしょうは盛大にむせた。気管支の変なところに入ったのか、ゴホンゴホンとひどく咳き込む。麒翔きしょうは呼吸を整えてから謝罪した。


「ごめん。黒陽あいつ、変なやつでさ。思い込みが激しいっつーか、たまに暴走するんだよ。だから気にしないでくれ」

「龍人は群れを作って生活する種族なんですよね」

「ああ、そうだよ。人間には理解の難しい変わった文化だよな」

麒翔きしょうくんは、私が群れに入るの嫌なんですか?」

「え?」


 なぜかうるんだ瞳で見つめられ、麒翔きしょうは焦った。


「いやいや、嫌とかじゃなくてさ。群れって要するにハーレムみたいなものなんだよ。それってなんだか嫌じゃないかい?」

「でも、運命共同体的な組織という意味合いもある、と教わりましたよ」

「いや、まぁ……それはそうなんだけどさ……」

「私、天涯孤独の身になってしまったので行く当てがないんです。風曄ふうか先生の助手もいつまでできるかわからないですし」


 青空のようにんだコバルトブルーの瞳が、悲しそうに曇った。


 ――商人の娘アリス。

 商人の街ウエスポートで彼女は両親と三人で暮らしていた。

 母親は数年前に他界。父親と二人で仕入れの旅に出かけた彼女は、ラクレの街からの帰路きろでエレシア・イクノーシスの操る魔獣の群れに襲われた。

 この事件によって父親を失い、自身は殺人鬼の毒牙どくがにかかり自我を失った。


 今はこうして何事もなく生活できているが、その悲しみを麒翔きしょうはかることができなかった。

 もしかすると、アリスを傷つけてしまったのではないか。そう感じた彼は、その焦りから早口で捲し立てた。


「いや、違うんだよ。アリスさんが嫌だとかそういうんじゃなくて。俺はさ、小さい頃から一人の女性だけを愛しなさいって教わってきたんだ。ほら、人間も一夫一妻制だろ? だから群れを作るのもすごく抵抗があってさ。だからさ、アリスさんを拒絶したいとかそういう意図はないんだよ」


 バタバタと両手を振りながら、身振り手振りのジェスチャーを交える麒翔きしょう。そんな切羽詰まった様子を前に、悲しげだったアリスが表情を和らげた。


麒翔きしょうくん、かわいい」

「え?」

「ふふ。冗談ですよ。私も公主様みたいに一途に愛されたいです」

「なんだよ。脅かさないでくれよ。寿命が三年は縮んだよ……」


 へなへなとその場にしゃがみ込んだ麒翔きしょうの前へ、残った三つのお弁当が差し出された。


「さて、お客様。どのお弁当を購入されますか?」


 結局、麒翔きしょうはいつもの焼き魚弁当を購入した。顔の火照りを感じながらその場を後にする。そして残されたアリスがぽつりと呟いた。


「私も、麒翔きしょうくんみたいな彼氏が欲しいです」




 ◇◇◇◇◇


 龍人族は美男美女揃いだ。

 街に一人や二人は評判の美人がいるものだが、龍人族の学園ではすれ違う女子生徒のほとんどがその評判の美人クラスだと言えよう。

 それは男子生徒も同様だ。息を呑むほど美しかったり、抱きしめたくなるほど可愛かったり、精悍せいかんで男らしいワイルドな人もいる。


 けれど彼らの瞳は、いずれも冷たく鋭利だった。


 力なき人間に対する嫌悪だろうか。表立って危害を加えられることはないが、すれ違う龍人たちは皆、アリスに冷たい視線を向けて通り過ぎていく。蔑まれているのかというと、それは少し違う。どちらかといえば、無関心――自分に心底興味がないのだろうと、アリスは思う。


 食生活からして根本的に異なる、馴染みのない異文化の塊のような学園だ。

 それは暗闇の中を手探りで彷徨さまようような、周りが何も見えない不安と孤独をアリスに感じさせる。身寄りのない天涯孤独という境遇も、孤独に拍車をかけた。


 けれど、そんな真っ暗闇の中、手を差し伸べてくれる人たちがいる。

 どこにも行く当てのなかったアリスを助手として雇ってくれた風曄ふうか教諭。そして、そんな風曄ふうか教諭に話をつけてくれたのが、公主様だった。曰く、


「私たちはもう仲間だ。ならば助けるのは当然だろう」


 アリスにとっては初対面。息を呑むほど美しい女の子が、胸を張ってそう断言してくれたのだ。助けてもらったお礼に伺って、少しだけ話をした。ただそれだけの繋がりだったはずなのに仲間だとまで言ってもらえて、アリスは涙が出るほど嬉しかった。


 彼女は言う。力が全てという考え方は時代遅れだ、と。

 商人の娘だからこそできる事がある。その才を活かせと。

 自分たちにはその力が必要なのだ。だから共に行こうと。


 孤独にむしばまれる暗闇の中へ、突如として差し込まれた一筋の光。それはまるで、栄光へと繋がる道標みちしるべであるかのように感じられた。


 彼女はきっと、常識にとらわれない考え方ができる人なのだろう。種族の違いによる差別、身分差による差別、能力の高低による差別、いわば世界中で当たり前のように繰り返される差別的な思考が、この人にはないのだ。ただ一点、「仲間は大切にする」これだけが彼女の揺るぎのない信念であるかのように思われた。


 その度量にアリスはただただ感服し、だからこそ群れというものに興味を持った。そんな彼女が心底惚れ込み、尽くそうとする麒翔きしょうという男の子のことが気になった。


 彼は優しい男の子だった。そして懐かしい人間の匂いがした。

 この学園の男の子たちとは違って、アリスのことを一人の人間として扱ってくれる。女の子の扱いには慣れていないのか、少し照れながら視線を外して会話をするところなんかは、思春期の男の子って感じでとても可愛い。


 そう、彼は可愛い。そして龍人男子の例に漏れず、すごく格好いい男の子だと思う。けれど、ただ格好いいというだけではなくて、その内側にはしっかりとした優しさを内包していて、会うたびに何かとアリスの心配をしてくれる。


 初対面の時から、彼に対して好感を抱いていたと思う。

 そして、のちに事情がわかるにつれて更に好感度が増していった。


 人間社会は一夫一妻制が主だけれど、貴族は一夫多妻制を採用しているし、平民ではあっても裕福な商家では、愛人の一人や二人囲うのは常識だ。

 だというのに、美人ばかりの龍人女子たちに囲まれておきながら、他には一切見向きもせずに公主様だけを見つめている。それは凄いことだとアリスは思う。半分人間だからと彼は言うが、同じ状況に置かれた時、彼と同じ行動を取れる人間は果たしてどのぐらいいるのだろう。目移りしてしまうのが欲深き人間というものではないだろうか。


 女の子なら、誰だって一途に愛されたい。そう願う。

 彼は理想的な男の子なのではないかと、アリスは思うのだ。


 けれど、だからこそちょっぴり寂しくもある。一途だからこそ、こちらを振り振り向いてはもらえないからだ。好意を抱くきっかけがその一途な恋心にあったはずなのに、振り返って自分を見てほしいという矛盾。これはワガママなのかもしれない。


 もしも彼が、女の子をはべらせてえつひたるような人間になったら、幻滅げんめつしてしまうかもしれない。もしも彼が公主様を捨てて自分に移り気してきたら、この気持ちが消えてなくなってしまうかもしれない。


 未来のことはわからない。

 けれど、この矛盾を抱えている限り、この恋心は一生成就じょうじゅしないだろう。


 ならば、とアリスは思う。

 どうせ叶わないのなら、二人の恋の行方を見守るのもありなのではないか、と。


 龍人社会には群れという概念がある。龍人にとっては当たり前の不思議な概念だ。それは家族のようでもあり、組織のようでもあり、国のようでもある。


 公主様は、アリスのことを仲間だと言ってくれた。

 だからその当たり前の中に、アリスも加わるだけで良い。

 仲間なのだから一緒にいるのが当たり前。そうやって彼の隣で、微笑ましい二人を――そのすえを見守っていくのも悪くはない。そんな気がする。


 どうせ寄る辺のない天涯孤独の身だ。

 今はただ、流れに身を任せてみるのも面白そうだ。

 だって、そうでしょ? と、アリスは思う。女の子が率先してハーレムを作ろうとするだなんて、他のどこへ行っても見られない珍事なのだから。


 購買部から去っていく麒翔きしょうの後ろ姿を眺めながら、アリスはそんなことを考えていた。

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