閑話 アリス
下院本校舎の一階には購買部がある。
校舎の片隅にあるこじんまりとした小さな店だ。授業で使う筆記用具やノート、それに日用雑貨などが売られている。お昼になるとカウンターには弁当が山のように積まれ、学生たちが長蛇の列を作る。
本校舎の二階には食堂もあって、そちらを利用する生徒たちも多い。しかし、一匹狼
その日も、
さて、今日は何にしようか――というより、何が残っているのか。
「あ、え? アリスさん? どうして君がここに」
西方の給仕服を着こなし、カウンターで売り子をしていたのはアリスだった。彼女は口元を綻ばせて言った。
「
「ああ、そうだったんだ。だけど大丈夫かい? 龍人の食事には毒物が混入しているから、
「あ、それは大丈夫です。食材の説明は全部しっかり受けていますし、自分で食べるものは
「しっかりしてるんだな。アリスさんは」
「そんなことないですよ」
アリスがはにかむような笑顔を見せる。そしてチラリと上目遣いになり、
「私、公主様に誘われましたよ」
「え? 何に?」
「
ぶふぉっと、
「ごめん。
「龍人は群れを作って生活する種族なんですよね」
「ああ、そうだよ。人間には理解の難しい変わった文化だよな」
「
「え?」
なぜか
「いやいや、嫌とかじゃなくてさ。群れって要するにハーレムみたいなものなんだよ。それってなんだか嫌じゃないかい?」
「でも、運命共同体的な組織という意味合いもある、と教わりましたよ」
「いや、まぁ……それはそうなんだけどさ……」
「私、天涯孤独の身になってしまったので行く当てがないんです。
青空のように
――商人の娘アリス。
商人の街ウエスポートで彼女は両親と三人で暮らしていた。
母親は数年前に他界。父親と二人で仕入れの旅に出かけた彼女は、ラクレの街からの
この事件によって父親を失い、自身は殺人鬼の
今はこうして何事もなく生活できているが、その悲しみを
もしかすると、アリスを傷つけてしまったのではないか。そう感じた彼は、その焦りから早口で捲し立てた。
「いや、違うんだよ。アリスさんが嫌だとかそういうんじゃなくて。俺はさ、小さい頃から一人の女性だけを愛しなさいって教わってきたんだ。ほら、人間も一夫一妻制だろ? だから群れを作るのもすごく抵抗があってさ。だからさ、アリスさんを拒絶したいとかそういう意図はないんだよ」
バタバタと両手を振りながら、身振り手振りのジェスチャーを交える
「
「え?」
「ふふ。冗談ですよ。私も公主様みたいに一途に愛されたいです」
「なんだよ。脅かさないでくれよ。寿命が三年は縮んだよ……」
へなへなとその場にしゃがみ込んだ
「さて、お客様。どのお弁当を購入されますか?」
結局、
「私も、
◇◇◇◇◇
龍人族は美男美女揃いだ。
街に一人や二人は評判の美人がいるものだが、龍人族の学園ではすれ違う女子生徒のほとんどがその評判の美人クラスだと言えよう。
それは男子生徒も同様だ。息を呑むほど美しかったり、抱きしめたくなるほど可愛かったり、
けれど彼らの瞳は、いずれも冷たく鋭利だった。
力なき人間に対する嫌悪だろうか。表立って危害を加えられることはないが、すれ違う龍人たちは皆、アリスに冷たい視線を向けて通り過ぎていく。蔑まれているのかというと、それは少し違う。どちらかといえば、無関心――自分に心底興味がないのだろうと、アリスは思う。
食生活からして根本的に異なる、馴染みのない異文化の塊のような学園だ。
それは暗闇の中を手探りで
けれど、そんな真っ暗闇の中、手を差し伸べてくれる人たちがいる。
どこにも行く当てのなかったアリスを助手として雇ってくれた
「私たちはもう仲間だ。ならば助けるのは当然だろう」
アリスにとっては初対面。息を呑むほど美しい女の子が、胸を張ってそう断言してくれたのだ。助けてもらったお礼に伺って、少しだけ話をした。ただそれだけの繋がりだったはずなのに仲間だとまで言ってもらえて、アリスは涙が出るほど嬉しかった。
彼女は言う。力が全てという考え方は時代遅れだ、と。
商人の娘だからこそできる事がある。その才を活かせと。
自分たちにはその力が必要なのだ。だから共に行こうと。
孤独に
彼女はきっと、常識に
その度量にアリスはただただ感服し、だからこそ群れというものに興味を持った。そんな彼女が心底惚れ込み、尽くそうとする
彼は優しい男の子だった。そして懐かしい人間の匂いがした。
この学園の男の子たちとは違って、アリスのことを一人の人間として扱ってくれる。女の子の扱いには慣れていないのか、少し照れながら視線を外して会話をするところなんかは、思春期の男の子って感じでとても可愛い。
そう、彼は可愛い。そして龍人男子の例に漏れず、すごく格好いい男の子だと思う。けれど、ただ格好いいというだけではなくて、その内側にはしっかりとした優しさを内包していて、会うたびに何かとアリスの心配をしてくれる。
初対面の時から、彼に対して好感を抱いていたと思う。
そして、のちに事情がわかるにつれて更に好感度が増していった。
人間社会は一夫一妻制が主だけれど、貴族は一夫多妻制を採用しているし、平民ではあっても裕福な商家では、愛人の一人や二人囲うのは常識だ。
だというのに、美人ばかりの龍人女子たちに囲まれておきながら、他には一切見向きもせずに公主様だけを見つめている。それは凄いことだとアリスは思う。半分人間だからと彼は言うが、同じ状況に置かれた時、彼と同じ行動を取れる人間は果たしてどのぐらいいるのだろう。目移りしてしまうのが欲深き人間というものではないだろうか。
女の子なら、誰だって一途に愛されたい。そう願う。
彼は理想的な男の子なのではないかと、アリスは思うのだ。
けれど、だからこそちょっぴり寂しくもある。一途だからこそ、こちらを振り振り向いてはもらえないからだ。好意を抱くきっかけがその一途な恋心にあったはずなのに、振り返って自分を見てほしいという矛盾。これはワガママなのかもしれない。
もしも彼が、女の子を
未来のことはわからない。
けれど、この矛盾を抱えている限り、この恋心は一生
ならば、とアリスは思う。
どうせ叶わないのなら、二人の恋の行方を見守るのもありなのではないか、と。
龍人社会には群れという概念がある。龍人にとっては当たり前の不思議な概念だ。それは家族のようでもあり、組織のようでもあり、国のようでもある。
公主様は、アリスのことを仲間だと言ってくれた。
だからその当たり前の中に、アリスも加わるだけで良い。
仲間なのだから一緒にいるのが当たり前。そうやって彼の隣で、微笑ましい二人を――その
どうせ寄る辺のない天涯孤独の身だ。
今はただ、流れに身を任せてみるのも面白そうだ。
だって、そうでしょ? と、アリスは思う。女の子が率先してハーレムを作ろうとするだなんて、他のどこへ行っても見られない珍事なのだから。
購買部から去っていく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます