閑話 公主様の勧誘活動

 公主様はとても有能なひとだ。

 どのぐらい有能かというと、彼女一人に任せておけば万事が上手くいく――誰もがそう思うほどに有能だ。むしろ、余計な口出しをするとかえって状況が悪化しかねない。これは獣王の森の事件や、エレシア・イクノーシスの事件でもそうだった。

 だから公主様の思うがままに行動させてあげたいと麒翔きしょうは思う。だがその一方で、彼女を自由にさせてはおけない理由があった。なにせ、


「いいか。麒翔きしょうは優秀な男だ。将来は必ず、大物になる。東から登った太陽が西へ沈むように、麒翔の大成もまた世界によって決定づけられている。ならば、誰に付き従うべきなのかは明白だろう」


 などと、下院の女子生徒たちを集めて演説し始めるのだから困ってしまう。


 百歩譲って(譲りたくなどないが)ハーレムを許容するにしても、下院の女子生徒を片っ端から勧誘していくのはやりすぎだ。このまま放っておいたらまず間違いなく、巨大なハーレムが形成されるに違いない。


 朝起きたら、見知らぬ女性たちに囲まれていた。

 なんて事が、夢ではなく現実に起こり得るのである。美味しいシチュエーションかと思うかもしれないが、それを望まぬ当人にしてみれば軽いホラーだ。

 けれども、そんな事はお構いなしに公主様は言う。


「下院の成績最下位。おまえたちは、麒翔きしょうでは自分に釣り合わないと思っているのだろうが、逆だ。おまえたちでは麒翔きしょうと釣り合わない」


 公主様が集めようとしているのは、六妃ではない。妃たちの部下となる武姫を下院の女子生徒から集めようとしているのである。学生の内から武姫を選出するのは異例中の異例で、上院の生徒でさえそんな無茶はしないそうである。

 だが、彼女は意気揚々と告げる。


「私は、麒翔きしょうに誠心誠意仕え、そしてゆくゆくは世界一の群れに育てあげるつもりだ。凡百ぼんぴゃくの正妃に収まるよりも、覇者に仕える武姫の方がよほど価値がある。ならば、誰に付き従うべきだ? あとになって後悔したってもう遅いぞ」


 昇降口前の広場。空き教室。剣術訓練用の舞台上。隙あらばあらゆる場所で、公主様は演説を始めてしまう。

 そんな時は、集まった群衆へ散会を命じて、公主様の手を引いてその場から離脱するのだが、


「まるで駆け落ちみたいだな」


 などと、嬉しそうな顔をして言うのだから怒るに怒れない。そしてそんな彼女が可愛く思えてしまうのも、対応が中途半端になってしまう原因だろう。


 隙あらばハーレム拡張運動。

 その矛先は下院の生徒――龍人だけにとどまらない。


 これは、先日のボロ小屋での出来事である。


「身よりがないというのは本当か?」

「はい。天涯孤独の身となってしまいました」

「ウエスポート出身だそうだが、故郷に帰りたいと思うか?」

「……いいえ。一応、家はありますけど財はすべて持ち出しての旅路だったので、食べていく当てはありません」

「ふむ。商人の娘だったということは、商業の知識はあるのだな?」

「算術や交渉は得意です。帳簿もつけられますし、目利きには自信があります。これでも小さい頃から世界中を旅して回っていましたので」


 羊皮紙ようひしにメモを取っていた手を止めて、公主様は大仰に頷いた。


「ほう、それはなかなか役立ちそうな特技ではないか」

「そうですかね。でも、元手となる資金がなければ何もできません」

「安心しろ。それはこちらで用意する」

「え?」


 狭いボロ小屋。長机を挟んだ公主様の正面に、給仕服に身を包んだアリスが背筋を伸ばして座っている。面接さながらの様相に、困惑顔のアリスが首を傾げた。

 そんな困惑などどこ吹く風、空気を読まずに公主様が自信満々に言う。


麒翔きしょうの群れに入るのなら私たちは仲間だ。無論、援助はする」

「あの、群れって……私も麒翔きしょうくんのハーレムに入れということですか?」

「ハーレムではない! 群れだ。低俗なハーレムなどと一緒にするな」


 公主様の強い断定口調に、気の弱いアリスがビクリと肩を震わせた。


「あの、でも、龍人の方たちって妃を複数娶るんですよね。それってハーレムなんじゃ……」

「違う!」

「あの……その……ごめんなさい」


 なぜかアリスが頭を下げた。


麒翔きしょうは将来大物になる。その補佐ができる人材が必要だ」

「あの、龍人族って力こそ正義の種族なんですよね。私、力ないですよ」

「適材適所という言葉がある。力が全てという考え方は時代遅れだ」


 そう言い切った公主様の顔は、興奮からか薄く上気していた。


「群れがまだ小さい内は経済基盤の確立が難しい。そこで重要となってくるのが家計のやり繰りだ。われわれ龍人にとって、家計とは群れ全体の収支を指す。商人の娘としての経験は、きっと役に立つはずだ」


 このような形で、群れという文化に馴染みのないアリスにまで、勧誘活動が行われる。麒翔きしょうが止めに入らなければ、「うん」と言うまで勧誘を続けかねない勢いだ。


 けれどそれは、公主様の愛であると麒翔きしょうも理解しつつある。彼女は完全に善意で、自分たちの将来のために行動している。だからこそ麒翔きしょうは悩む。自分が妥協さえすれば、彼女は幸せになれるんじゃないかと考えてしまうからだ。


 しかし、麒翔きしょうは幼少の頃から、一人の女性だけを愛しなさいと教わってきた。その刷り込まれた価値観が、ハーレムという妥協を許さない。他の女性を愛することは罪であるような気がして、どうしても踏ん切りがつかないのだ。


「半龍人というのもぉ、なかなか面倒なものですねぇ」


 回想に沈んでいた麒翔きしょうを現実に引き戻したのは、幼女先生の呆れ声だった。


「公主様にぃ、全部任せておけば左うちわなのですよぉ。だというのに、変なこだわりがあるのは人間の血が混ざっているせいなのでしょうねぇ」


 バクバクと。お団子頭の風曄ふうかが、白いお饅頭をがっつきながら言った。

 公主様が上院の商業施設から取り寄せた高級饅頭セット(6個入り)の箱が、年季の入った長机の上へ置かれている。幼女先生が最後の一つに手を伸ばした。


「先生、それは俺の分です」

「えー、ケチケチしなくてもいいじゃないですかぁ」

「一人一個なんだから、ちゃんと守ってくださいよ」

「大人は二個、子供は一個なのですぅ」

「その理屈だと、俺の分がゼロ個なんですけど?」


 ぶー、と不貞腐れる幼女を冷めた目で見つめ、麒翔きしょうはため息をついた。


「だいたい、なんで先生がボロ小屋ここに居るんですか」

「先生の部屋はぁ、エクレアさんと公主様が壊したので改装中なのですぅ」

「そういえば忘れてましたけど、先生も被害者だったんですよね。あまりにも能天気すぎて悲壮感がないから忘れてました」

「むー! 失礼な生徒さんですねぇ! 姫位六階級の最高位たるこのわたしに何という無礼な――」

「あ、そのセリフ。偽物の方がもう言ってましたんで、既出きしゅつです」

「既出だからなんだと言うんですかぁ! 本物のわたしをまるで偽物みたいに言うなですぅ!!」


 憤慨した! という風に両腕をバタバタと動かして駄々をこねる幼女は、エレシア・イクノーシスが演じていた風曄ふうかと瓜二つだ。麒翔きしょうは肩をすくめて見せる。


「これじゃあ、本当に見分けがつきませんね。どうりで、誰にも気づかれることなく、五年間も演じ通せたわけです」

「そんなに似てるですかぁ?」

「ええ、本物と偽物の見分けが今でもつきません」


 餡子あんこのついた指をぺろぺろ舐める幼女が、さりげなく高級饅頭セット(6個入り)の箱をチラ見している事に気がつき、麒翔きしょうは箱を自分の方へ寄せた。幼女が恨みがましい目を向けてきたが、その視線を無視して麒翔きしょうは話を戻した。


「やっぱり、俺って変ですかね」

「お饅頭を強奪する麒翔きしょうくんは意地悪な子ですぅ」

「いや、だからこれは俺の分……って、そうじゃなくて、群れの話ですよ」

「そりゃ、変ですよぉ。女なんて適当にはべらせておけばいいんですぅ」

「とは言いますけどね。俺の身にもなって考えてくださいよ。この前なんて、一人紹介したら2ポイント、紹介した子が別の子を連れてきたら1ポイント授ける、とか言い出したんですよ。完全に詐欺師の手口じゃないですか」

「ポイントってなんですかぁ?」

「いや、大事なのはそこじゃなくてですね。勧誘方法がだんだんと強引になってるって話なんですよ」


 公主様が募集しているのは妻となる六妃ではなく、部下となる武姫だ。多才な人材が集まれば集まるほど群れは安定するので、彼女は一生懸命になって、勧誘活動に精を出しているわけである。だが、


「六妃待遇ならまだしもぉ、武姫待遇では簡単には人は集まらないでしょうねぇ」

「その無理を通すために、だんだん過激になってきてるんですよ。放っておいても誰も食いつかないとは思いますけど、不安が拭いきれません」

「そうですねぇ。先生も勧誘されましたからねぇ」

「先生まで!? 手あたり次第にもほどがあるだろ!?」

「とはいえ、制度的には可能なんですよぉ。嫁入りの際にわたしが従者として同行すること自体は。けれど、武姫を従者とした前例はなく、見境がないのはその通りかもしれませんねぇ」

「先生、頼むからあいつを止めてやってください。俺が言っても聞かないんです」

「それは無理でしょうねぇ。……ああ、そういえば。さきほども昇降口の辺りで演説していましたよぉ。なんでも、友達を誘って十名まとめて入会するなら、抽選で一名様に麒翔きしょうくんの妃の座をプレゼントとか言ってましたぁ」

「!?」


 ガタン! と椅子を蹴って立ち上がる。麒翔きしょうは絶望に絶叫した。


「抱き合わせ商法みたいなことやってんじゃねえよ!?」

魅恩みおん先生に勝利したことで、麒翔きしょうくんの下院での評価は上がってますからぁ……もしかすると志願者が現れるかもしれませんねぇ」


 サァ……と、麒翔きしょうの顔が青くなる。よく知りもしない女を勝手に妃に据えられては堪らない。ドアを蹴破るようにして、麒翔きしょうはボロ小屋を後にした。


せわしないものですねぇ。龍王の器だと公主様は言いますが、わたしに言わせればまだまだ子供なんですよねぇ」


 ボロ小屋に一人残された幼女は、しみじみとそう呟くと高級饅頭セット(6個入り)の箱を引き寄せて、最後の饅頭を口に放り込んだ。

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