閑話 アルガントの魔女

 その酒場は裏路地にある。

 アルガントの街の外れにある場末の酒場。こじんまりとした店内には、禿頭とくとうの店主が一人。炭火にせっせと串を置き、ひたいに汗しながら切り盛りしている。小汚いテーブルに、ガタのきた椅子。調理の際に出る煙を浴びた店内は黒くくすんでおり、お世辞にも快適とは言い難い。


 メニューは串焼きだけで、酒はエールしか置いていない。

 もくもくと炭火の煙が充満する劣悪な環境。それでも客はそれなりに入っていて、評判もそこそこ良い。


 そんな隠れ家的な酒場に、名物となっている老人がいる。名をオルド。現役時代はアルガントの城門を守護していた彼は、酒が進むと上機嫌になり、赤ら顔で武勇伝を語りだす。毎日同じ話をするものだから、常連客はみな苦笑い。何も知らずにやって来た一見さんを捕まえては、同じ話を繰り返す。


 だが中には、その話を興味津々に聞く者もいる。

 その始まりは、いつだって同じ。


「アルガントの郊外には魔女が住んでおるんじゃ」




 ◇◇◇◇◇


 アルガントの郊外には魔女が住んでおるんじゃ。

 わしが彼女と出会ったのは、今から三十年以上前になるか。まだぎりぎり青年で通る時分じゃったわい。


 アルガントの街というのは知っての通り、中心部に貴族街、その外側に平民街が広がっておるじゃろ。そして城壁を挟んで、郊外には田畑やら牧場やらが広がっておる。ここは魔物が出没する危険地帯でもあって、警備に冒険者を雇うのが普通じゃ。まぁ要するに、素人が何の対策もなしにうろついていい場所じゃないっちゅーこっちゃな。


 とはいえ、魔物の駆除を冒険者だけに任せておくわけにはいかない。わしの仕事は城門の警備じゃったから、魔物が出るたびにその駆除に駆り出されておったよ。

 その日も増援を要請されてな。慌ただしく詰め所を出たのを覚えとる。そして出会ったんじゃ。アルガントの魔女にな。


 それはもう美しい娘だった。

 ウェーブがかったフワリとした髪。おっとりと垂れ下がった目尻。柔和に結ばれた口元。可憐な色白の顔は、見る者をとりこにする魔性を秘めておった。


 じゃがな。一目でこの世の者ではないとわかったよ。

 あれは人間じゃないとな。なにせ目が普通じゃない。


 何? 目が悪魔的に吊り上がっているのかって?


 いいや、そうじゃない。そういう外見的な特徴じゃなくてじゃな。目力とでも言おうか。瞳の奥底にギラリと光る何かがあるんじゃよ。まるで爬虫類はちゅうるいのような、冷酷で無慈悲な瞳じゃった。


 その娘は討伐依頼のあった魔物を引きずっておってな。聞けばこれから解体して、夕飯にすると言うではないか。「あなたも食べる?」などと聞かれた時には、絶句したものよ。なにせ猛毒を持つ大蛇の魔物じゃったからな。あれを食べようなんて命知らず、わしの知る限り他におらん。

 じゃが、魔物を自ら仕留め、食べてしまおうというその豪胆ごうたんな発想に、わしは興味を引かれた。お言葉に甘えることにしたんじゃ。もちろん、大蛇料理は辞退したんじゃけどな。


 その家はアルガント郊外にある小高い丘の上にあってな。

 手作りなのか、いびつな小屋じゃったよ。


 年の頃は、二十代前半ぐらいじゃった。若い娘が初対面の男を家へ招く。普通に考えたらあんた、世間知らずのお嬢様だってしないような暴挙じゃ。だけどな、不思議と手を出そうなんて気にはならんかった。今にして思えば、命知らずな真似をしなくて良かったと心底思うよ。


 居間に通されて、茶を頂いた。


 話を聞いてみれば、なんと既婚者だというじゃないか。旦那に愛想を尽かし、家を飛び出してきたんだと。なんでも浮気者の男じゃったようで、何人も女をはべらせてはえつひたっているような奴だったらしい。ロクでもない男じゃな。


 その日は世間話もそこそこに、茶を頂いてそのまま辞した。まぁわしも仕事中に寄り道した身じゃったからの。ゆっくりはできんかったんじゃ。


 以降も、街で会えば挨拶を交わす程度の仲にはなったよ。


 そして月日は流れた。

 しかし、五年が過ぎても十年が過ぎても、娘の容姿は若々しいまま変わらなかった。わし一人がただただ老いていく……そんな錯覚を抱いたほどじゃ。まぁ、これこそが魔女と呼ばれる所以ゆえんじゃな。


 若々しく美しいままの彼女は、所帯を持った。それはもう、なよなよした優男やさおとこじゃったが、心の優しい青年でな。「非力な人だけど、ワタシだけを一途に愛してくれるのよ」なんて彼女は笑っておった。浮気者の元亭主に愛想を尽かしたわけだから、一途な愛に心を打たれたんじゃろうな。


 美しい娘じゃったからのう。残念な気持ちが無かったと言えば嘘になる。じゃが、わしは祝福したよ。十年以上の付き合いじゃったしな。


 さっきわしは、変な気を起こさなくて良かった、と言ったな。そう思わせる出来事がその後に起きたんじゃ。あれは確か、今から十五年……いや十六年前じゃったかな。


 何の前触れもなく、龍人族の王が街へ攻めて来たんじゃ。


 龍人族と言ったらアレじゃ。最強種との呼び声高い戦闘民族じゃな。

 身体能力は軒並み高く、体は頑健がんけん。各種耐性も高い。唯一の欠点は単一属性しか扱えないことじゃが、群れで行動する奴らに単一属性の弱点を突くことはできない。


 不意打ちによる侵攻というのもあってな。またたく間に国境警備は全滅、あっという間にアルガントまでその軍勢が迫った。わしも城門を守るために戦ったがな。しかし、数ではこちらが勝っているにも関わらず、城門は一時間も持たんかった。


 龍人族といえば女ばかりの種族なんじゃが、女だてらに力はその辺の男よりよっぽど強い。鍔迫つばぜり合いが起これば、そのまま腕力だけで押し切られるのだからやってられん。根本的な体の造りが違うと思い知らされたよ。


 城門が突破されてからは阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図じゃった。街へ侵入した龍人たちは、女子供であっても容赦なし。虐殺ぎゃくさつを開始したんじゃな。アルガント守備隊は全滅。残るは領主を守護する騎士団と、名のある冒険者たちが頼みの綱じゃったが、戦闘民族たる龍人族の猛攻にあらがえる者はおらんかった。


 そんな時に颯爽さっそうと現れたのがアルガントの魔女じゃ。

 どんな魔法を使ったのかはわからん。彼女が触れるだけで龍人たちは白目を剥いてバタバタと死んでいった。アレには心底驚いたのう。


 そして、わしの応急処置を終えると彼女は言った。


「大丈夫。みんなの仇はワタシが取りますから」


 言葉こそは柔らかかったが、わしは震えが止まらなかった。彼女の目がな、その奥底に宿る光がギラギラと殺意にみなぎっていたからじゃ。龍人なんかより、よっぽど恐ろしかった。

 そして彼女は燃え盛る街へと消え、ほどなくして終戦の運びとなった。あんなに血気盛んに暴れていた龍人たちはあっけなく撤退し、街は平和を取り戻したんじゃ。


 何があったのかはわからない。じゃが、アルガントの魔女が終戦に一役買ったのは間違いないじゃろう。


 双方、死人も多数出た。アルガントの街は壊滅的な打撃を受け、瓦礫がれきの山となった地区もある。親を亡くし、孤児となる子供もたくさん出てな。救済のための孤児院が設立されたんじゃが、なんでも噂によればアルガントの魔女が多額の寄付をしたんだとか。裕福そうには見えなかったんじゃがのう。どこから資金を調達したのか……今でも謎のままじゃな。


 それから五年ほどは復興作業に大忙しじゃった。

 わしも時を忘れて、額に汗して復興作業に従事したよ。


 なんとか街の体裁ていさいを整えられるようになった辺りじゃったろうか。五年ぶりにアルガントの魔女と再会した。彼女は小さな男の子を連れていたんじゃが、一目見てすぐに息子だとわかった。なぜかって? それは目じゃ。目の奥底に宿る光が、彼女そっくりだったからじゃ。


 旦那はあの戦争で亡くなったらしい。残念なことじゃよ。誰にでも分け隔てなく接することのできる好青年じゃったからな。じゃが、これほどの美人を捕まえて一粒種の息子を残すことができたのだから、男としては本望じゃろう。


 その後も何度か、街で顔を合わせる機会があった。

 彼女は相も変わらず美しいままで、わしはこの通り老いぼれてしまったがの。


 最後に会ったのは一年近く前じゃったかのう。彼女は言った。


「息子が遠方にある学園へ行きたいって言うの。ワタシは反対なんだけど、腕力に物を言わせて防止するべきかしら?」

「アルガントの魔女は相も変わらず、物騒な物言いをするのう。じゃが、子はいつか巣立つもの。本人の意思を尊重そんちょうしてやるべきだと思うがのう」

「そう……やっぱり、そう思うのね。息子のためを思うなら、まだワタシの元で修練を続けた方が良いと思うのだけれど……」

「なぁに、その学園でだって修練はできるじゃろ。心配しなさんな。おまえさんの息子じゃぞ。上手くやるじゃろうて」

「……それもそうね。実は、学園に古くからの友人が務めているのよ。だから、息子をよろしくって紹介状を書こうと思うわ」

「ほう。だったら話は早い。そうしてやりなさい」


 アルガントの魔女はどこか困ったように笑っておった。息子を送り出す母の心境というのは、男にはわからぬものなのじゃろうな。


 と、おや?

 酒が尽きてしまったようじゃ。夜も更けてきたことだし、今日はこの辺にしておこうか。


 ん? 息子はどんな男の子に成長したのかって?

 そうじゃな……


 前に一度会った時は、父親に似たんじゃろうて、礼儀正しい大人しい男の子に育っておった。じゃが、何せ龍人を瞬殺するような魔女の息子じゃからな。きっと負けん気は人一倍強いんじゃなかろうか。何かキッカケがあれば、母親のように勇敢な男子に育つかもしれん。もっともこれは、「アルガントの魔女」の息子は強くあって欲しい、というわしの願いも入っとるがな。


 さて、お勘定をして……退散するかの。

 って、なんじゃ? お代はいい? ご馳走してくれるのか?

 何? 面白い話を聞かせてくれたお礼?

 最近の若いもんは礼儀知らずだなんていう輩もいるが、なかなかどうしてわかっておるじゃないか。おまえさんのような若者がいる内は、アルガントも安泰じゃよ。


 また話が聞きたくなったら、いつでも来なさい。わしは毎日ここで飲んでおるでな。


 それじゃあ、お互い夜道に気を付けて帰るとしよう。

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