第72話 みんなが笑って過ごすことのできるただひとつの道

 嵐は過ぎ去り、突き抜けるような青空が視界いっぱいに広がっている。

 庭園の芝へ寝そべって、麒翔きしょうは大きな欠伸あくびを一つした。両腕を後ろへ回し枕として、仰向けにゆっくりと流れる白雲をその瞳に映している。


 事件が解決してから三日が過ぎた。


 学園長に対しては、公主様の方から今までの長い経緯が語られ、そして仲良く二人揃って長い説教をぶちかまされた。もっとも、彼らの独断専行どくだんせんこうの結果、時計塔を半壊させ、紅蘭こうらんを巻き込み、そして行方不明者まで出したのだから仕方がない。管理者として青蘭せいらんの怒りはもっともであったし、むしろ叱責しっせきだけで済んだのは運が良かった。


 それもこれも、公主様が全部泥をかぶってくれたから、というのもある。彼女が庇ってくれなかったら、確実に麒翔きしょうにまでるいが及んでいただろう。


 行方不明となっていた女子生徒――亜夜あやは、学園から数キロ離れた無人の小屋で、意識不明の状態で発見されたそうである。同様に、教師棟の地下室から風曄ふうかやアリス、そして捕らえられていた紅蘭こうらんが発見された。


 エレシア・イクノーシスの残忍な呪術によって、無慈悲に自我を消去され、植物状態となってしまったのは全部で三名。寝台で寝たきりとなり、二度と目を覚まさないと医者からは宣告された。学園側は彼女たちを殉職じゅんしょくしたものと見なし、処分することを検討したのだが――


 ジャリッ。

 石を踏む音が頭上で鳴った。

 人の気配にあごをグイッと上げて、寝転んだまま世界を逆さに後ろを見ると――


 そこにはエレシア・イクノーシスが立っていた。


 防衛本能から麒翔きしょうは反射的に跳ね起きていた。そして油断なく身構えたところで、驚きに目を丸くしたその人物が視界に入り、己の早とちりに気が付いて照れ臭そうに頬をかく。


「ごめん。まだ慣れなくて」

「いえ、私の方こそ驚かせてしまったみたいでごめんなさい」


 ぺこり、とその人物は頭を下げた。太陽光を反射した金色の髪がその動きに合わせて、まばゆ躍動やくどうする。フリルの付いたドレスは西方人の好む服装だ。


「故郷には帰れそうかい?」

「いえ、天涯孤独てんがいこどくの身となってしまったので」

「え、でも馬車にあった写真には……」

「あの写真は、母が生きていた頃の最後の写真なんです」

「そっか……、だから写真の中の君は今よりも若かったんだね」


 少女の青い瞳が悲しげに揺れた。

 己の失言に気付き、麒翔きしょうは慌てて両手を振り、


「ごめん! 本当にごめん。俺ってデリカシーがないよな」

「そうですよぉ。麒翔きしょうくんは本当にデリカシーのない生徒さんですぅ」

「――なにもない空間から声がした」

「ナレーション風に失礼なことを言うなですぅ!」


 視線をやや落とすと、プンスカと幼女が両腕を使って怒りを露わにしていた。

 吐息といきし、袖口にあるポケットから飴玉を取り出すと、幼女に光速で分捕ぶんどられてしまった。


賄賂わいろを受け取ったんだから水に流してくださいよ」

「仕方ないですねー。今回だけですよぉ」


 カランコロン、と幼女が口の中で飴玉を転がし、ご満悦の表情を浮かべている。


「それにしても恐ろしいのは、性格まで完コピしていたエレシア・イクノーシスの演技力ですかね。こうして本人を前にしても、まったく違いがわからない。実は先生、まだ乗っ取られたままだったりしません?」

「失礼ですねぇ! あのような不覚、二度と取りませんよぉ!」

「で、いつから乗っ取られていたんです」

「はて? 記憶の欠落具合からして五年ほど前になりますかねぇ」


 さらっと幼女は言うが、五年というと長寿である龍人であっても、決して短いとは言えない歳月である。失った時間は二度と戻らない。幼女の頭を撫でてやると、ウガー! と振り払われた。


「先生を子供扱いしないでください!」

「いや、飴玉を転がしながら言われても……カランコロンと音してますし」

「まぁ~、一応感謝はしてるんですよぉ。あなたたちのおかげで、こうして正気を取り戻すことができましたからぁ」

「感謝の言葉は、黒陽に言ってやってください。俺は、加工された魂を元に戻せるなんて考えもしませんでしたから」


 魂転化の術を受けると、魂は器へと加工され、自我を失う。それは死と同義であると麒翔きしょうは考えていた。しかし、公主様の見解は違った。


「私の体を乗っ取ったあと、奴はどうするつもりだったと思う?」


 公主様が言うには、こういうことらしい。

 エレシア・イクノーシスは公主様の体を手に入れたのちに、何食わぬ顔で学園へ復帰し、公主として新しい人生をスタートさせるつもりだった。そこで問題となるのが、風曄ふうか教諭の体の処理だ。同時に操れるのは一体までなので、公主様の体を使用している間は、彼女は意識不明の植物状態となってしまう。


 姫位きい六階級最高位である武姫ぶきが植物状態で発見されれば、まず間違いなく大事件に発展する。それを隠蔽いんぺいしようとして行方不明を演じても、結果は同じ。確実に六妃の干渉を受けることになり、公主様の母である将妃様を含む優秀な調査チームが、学園へ派遣されることになる。そうなってしまっては事件が露見しかねない。


 これは、完全犯罪を企むエレシア・イクノーシスとしては、絶対に避けたい事態だったはずである。


「ならば奴は、回避策を用意していたはずだ。いや、狡猾こうかつな殺人鬼だからこそ確実に用意していなければおかしい。私はその点、奴を信用していた」


 その策というのが要するに、加工した魂を元に戻す方法。自我の復元である。


「私の体を乗っ取り我が物とした後は、風曄ふうか教諭の自我を元に戻し、学園へ復帰させるつもりでいたのだ。記憶の空白は生まれるが、本人は健在なのだから大きな問題には発展しない。行方不明となった女子生徒にしても同様だ。このプランなら入れ替わりを成立させた上で、事後の処理を円滑に進めることができる」


 そして女教師たちの酒場で語られる噂話――五年前、記憶喪失となった下院の従業員がいたこと――も、公主様の推理を裏付ける根拠となった。


「おそらくエレシア・イクノーシスは、学園で作業する従業員の体を奪い、潜伏していた。そして次に風曄ふうか教諭を襲撃し、その体を奪ったのだ。その後、不要となった従業員の魂転化を解除したが、乗っ取られていた期間・数年分の記憶は元に戻らなかった。だから、記憶喪失という奇天烈きてれつな事象が発生したのだろう」


 そして事実、公主様の予想通り、魂転化の術には自我を復元する術式が組み込まれていた。


「そう。俺が対処していたら……先生は今こうして笑っていられなかったかもしれない。黒陽あいつが危険を承知ですべてを背負ってくれたから。最善な選択をしてくれたから、俺たちは今、みんなで笑っていられるんです」


 飴玉をカランコロンとやり、右のほっぺを丸く膨らませながら幼女が神妙な顔つきをした。


「そうですねぇ。公主様にお礼を言わなければなりませんねぇ」

「はい。私も命の恩人にお礼が言いたいです」




 ◇◇◇◇◇


「このような小屋はお姉様に相応しくありません。即刻、建て替えましょう」

「何を言う。ここは麒翔きしょうと桜華の愛の巣なんだぞ。それを後からやってきた私たちが建て替えるなど許されるものではない」

「ちょ、ちょっと陽ちゃん。愛の巣って、ななな、何言い出しちゃってんの!?」


 騒がしい。

 いや、これは賑やかになったというべきなのか?


 学園に入学後、しばらくしてから桜華と出会い、魔術研究棟の敷地の隅にひっそり佇むボロ小屋を発見した。蜘蛛くもの巣が張り巡らされ、ほこりまみれだったその空間を桜華と二人で掃除して、なんとかいこいのスペースという体裁を整えた。

 授業の空き時間に足を向け、暇潰しに利用してきた桜華と二人だけの秘密基地。けれど二人が揃うことはなかなか無くて、どこか物寂しい静かな空間だったと思う。しかし今、その空間は喧騒けんそうに満ちていた。


 ボロ小屋の入口で、扉を開きかけた状態の麒翔きしょうが立ち尽くしていると、その背後から中を覗き込むようにして、アリスが背伸びをした。


「あの、どうかされました?」

「ああ、いや。どうやらタイミングが悪かったみたいだからまた今度にしようか」


 アリスの隣。背伸びでは到底足りない低身長の幼女がぴょんぴょんと跳ねながら、


「いいから早く進んでくださいよぉ」


 などと文句を言う。

 プレッシャーを背に感じつつ、けれど麒翔きしょうは中に入る気になれない。なにせボロ小屋の中では、女子三名がわーわーと言い争っているのである。


「とにかく! わたしは翔くんの群れとは無関係ですから!」

「ちょっとあんた、お姉様に逆らう気?」

紅蘭こうらん、口が過ぎるぞ。桜華は私の恩人だ」

「はい。申し訳ありません、お姉様」

「あー! この人、絶対反省してないよ。目が笑ってないもん」

「すまない、桜華。紅蘭こうらんは昔からこうなのだ。悪気はないので許してやってほしい」


 根本的価値観の異なる人間には、群れという概念の理解はとても難しい。果たしてこの光景は、アリスから見てどのように映るのか。ハーレムを築き上げて、ふんぞり返る軟派なんぱな男だとは思われていないだろうか。気恥ずかしさを感じ、麒翔きしょうは苦笑いするしかない。


 日を改められないだろうか、などと往生際おうじょうぎわの悪いことを麒翔きしょうが考えていると、桜華が聞き捨てならないことを口走った。


「そんなことより例の作戦はどうだったの? 翔くんのこと騙せた?」

「ああ、万事抜かりなく進行することができた」

「えー!? じゃあ、もしかして……」

「ああ、愛を叫んでもらうことができた」

「えええええ!? あの翔くんが、本当に!?」

「誰も傷つけることなく、エレシア・イクノーシスを討滅し、かつ私の夢も叶う。一石三鳥の妙策は見事成功を収めたのだ」

「陽ちゃん、すごく嬉しそう! でも翔くんだけは知らないんだよね。一言一句聞き漏らすまいと、陽ちゃんがかじりつくように聴いていたなんて」

「そうだな。早期の段階で私は目を覚ますことに成功した。だが、せっかくの愛の告白に水を差すわけにはいかない。騙すような形になってしまった事だけが心残りだ」

「ぷぷぷ、きっと事実を知ったら恥ずかしさの余り死んじゃうかも」


 ガタン! とドアが大きく開け放たれた。

 ボロ小屋の内部が一気に視界に展開される。部屋の隅っこで談笑していた三人娘が、大きな音に驚いてこちらへ視線を向けた。

 麒翔きしょうは無言のままツカツカと室内に踏み入り、公主様の正面へ立つ。椅子に座った彼女を見下ろすように、


「おい、まさかとは思うが。愛を叫ぶ必要はなかった、とかそういうオチじゃないだろうな」


 公主様の目がすっと泳いだ。右へ左へ。麒翔きしょうと視線を合わせないように、すーっと黒目が逃げていく。まるで悪戯いたずらが見つかった子供のようなわかりやすい態度に、麒翔きしょうは脱力して吐息といきした。そして逃げられないように彼女の両肩をつかみ立たせると、その目を真っすぐ見据えて、


「正直に言おうか。一体、いつから意識があった?」


 退路を断たれて観念したのか、公主様はふっと吐息といきした。


陳腐ちんぷな言葉かもしれないが聞いてくれ、からだな」

「最初からじゃねえか!?」


 カッと大量の血流が顔面に集まり、この場から消えてしまいたい衝動に麒翔きしょうは駆られた。だが、やぶをつついてでも確認しておかなければならないことがあった。彼はおそるおそる、口を開く。


「まさかとは思うけど、最後も……?」

「一口一口を味わうように交わされた甘美にして濃厚な口づけのことなら、もちろん覚えている。野生の本能がき出しの、オスを感じ取ることができた」

「んがぁ……」


 公主様の唇をむさぼり尽くした瞬間が鮮明に思い起こされる。あれは公主様を目覚めさせようと必死だったという他に、意識がないのだから多少大胆にしてもバレないだろという打算から強気にいけたという側面もあった。それを最初から最後まで余すことなく見聞きしていたとなると、前提条件から全てくつがえされたようなものなわけで。


 桜華の予言通り、麒翔きしょうは恥ずかしさの余り死んでしまうかと思った。それぐらい顔面は灼熱しゃくねつごとく発火していたし、心臓はバクバクと鳴り響き内側から鼓膜こまくを震わせるほどだった。そして尋常ではない量の冷や汗が出ている。


 室内に遠慮がちに入ってきたアリスが「きゃあ」と悲鳴を上げ、百歳を超える見た目幼女の耳をなぜか両手で塞いだ。そのリアクションが麒翔きしょう羞恥心しゅうちしんに火をつけ、更なる火照ほてりを体全体に付与する。


 いつの間にか公主様は余裕を取り戻していて、その漆黒の瞳は挑むように麒翔きしょうへ向けられている。


「だから言ったではないか。あなたを騙すような真似をしてすまなかったと」

「騙すような真似ってそういう意味だったのかよ。俺はてっきり出し抜かれたことを言ったんだとばかり」

「ふふ、だからその罰はもう受けている。それとも追加で罰を与えるか?」


 そう言って、公主様は目を閉じて薄桃色の唇を差し出した。

 ふと、麒翔きしょうは我に返った。今、自分はどんな姿勢でいる?

 公主様の両肩を掴んで向き合っている。それはまるでキスをしようとしているかのようではないか。


 桜華が「ヒューヒュー」と野次を飛ばしてくる。とてもうざい。目障りである。

 アリスが「きゃあ!」と黄色い悲鳴をあげて、なぜか見た目幼女の目を覆った。頼むから幼女ではなく、自分の目を覆ってほしい。

 両目を塞がれた幼女が、「子供扱いしないでくださいよぅ!」と暴れている。正直、ここはどうでもいい。そのまま一生目を閉じていてくれ。

 紅蘭こうらんからは百戦錬磨ひゃくせんれんまの戦士を思わせる殺気が放たれている。面倒な女だが、今この場では彼女が一番大人しい対応に感じるのだから不思議なものだ。


 収拾のつかなくなったカオスな状況に、やけくそになった麒翔きしょうが絶叫した。


「あああああああ! どうしてこうなるんだよ!?」


 そして追い詰められた彼は、焦燥感に尻を叩かれる形で公主様の額にキスをした。唇でなかったのは、やっぱり彼は照れ屋であったから。人前でイチャイチャするのは恥ずかしい――その本質は、公主様の荒療治あらりょうじが済んだあとも変わっていない。

 ボロ小屋には熱狂的な悲鳴が飛び交っている。桜華とアリスは言わずもがな、なぜか成龍おとなのはずの風曄ふうかまで、照れ臭そうに顔を赤らめて腰をくねくねとやっているではないか。一人、死ぬほど殺気を飛ばしてきている場違いな奴もいるが。


「ふむ。この小屋もなかなか賑やかになったようだな。アリスを群れに迎えたいというのなら、今回は反対しないぞ。なにせ悪意のある殺人鬼は滅びたからな」


 キスを終えたばかりの恋人は大真面目な顔でそんなことを言う。さりげなくハーレム計画を進行しようとする婚約者へ、麒翔きしょうは力いっぱい愛を叫んだ。


「だ・か・ら! 俺は黒陽おまえと二人でイチャイチャしたいの! 群れとかハーレムとかそういう不純物はいらないんだよ。黒陽おまえだけがずっとそばに居てくれればそれでいい」


 女子たちの「きゃあ!」という黄色い悲鳴がボロ小屋を震わせた。

 後に桜華から、死ぬほどいじり倒されたのはまた別の話である。




 ―――― 第三章 終 ――――










【第四章 予告】


 当初こそ、麒翔の実力を、その価値を正しく認識していたのは公主様だけだった。けれど、エレシア・イクノーシスの事件を解決した事で、学園の下した評価が誤りであった事に女教師たちは気付き始める。そして彼女たちの下した決断は、


 ――上院への昇格が妥当。


 魅恩、風曄、明火の推薦を受け、麒翔は上院への仮入学を果たすことに。

 しかし、学園長の青蘭はいまだに麒翔の存在を認めていなかった。上院の教師へ命じ、その鼻っ柱をへし折るように指示をだす。


 公主様が見つけてくれたから、麒翔は評価を得るための舞台へ上がることができた。この千載一遇のチャンスを絶対に無駄にはできない。そして力を隠すことをやめた彼の真の実力は……!


 ――そして明かされる、適性属性の謎。




 NEXT

「第四章 公主様との婚約を認めさせるまで」


 お楽しみに!





 第三章はいかがだったでしょうか。楽しんで頂けましたでしょうか。

 もし「面白かったよ!」という方がいれば、画面↓のレビューから+マークをポチポチして★★★をつけて頂けると嬉しいです。執筆のモチベーション向上に繋がりますので、ご協力頂ければ幸いです。




 現在、第四章を執筆中です。

 事前にご連絡差し上げましたとおり、四章の執筆を終えてから連載を再開します。

 また別途、閑話は投稿する予定となっております。

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