第71話 二人だけの世界
すっかり様変わりしてしまった時計塔の内部。
強力な
風通しの良くなった大穴から、激しい雨音が入ってくる。時折、空がピカッと光り、落雷による
赤と白の龍衣。公主様の
濡れた衣に体温を奪われたのか、公主様の華奢な体はひやりと冷たい。意識を失ってしまった彼女を力一杯に抱きしめながら、
「目を覚ましてくれよ。頼むからさ」
戦いの
次に目覚めた時、やはり彼女は失われたままで、エレシア・イクノーシスが目を覚ますことだって十分ありえるのだ。目覚めないままの彼女を見ていると、その不安がどんどん大きくなっていく。膨らんだ不吉な想像を振り払うように
「意識を失ったってことはきっと戦ってるんだよな。体の支配権を賭けてエレシア・イクノーシスと二人きりで」
答えは返らない。
だけど、それでもいいと
「わかってる。
前方の空間から、何かが崩れるような大きな音がした。驚いて顔を上げると、戦闘で
「見ろよ。時計塔がめちゃくちゃだ。だけど人的な被害は出ちゃいない。あの殺人鬼を相手に、被害がこれだけ少なく済んだのは、
優秀な婚約者が誇らしかった。
だけど、それが最善な道なのだとしても、それでも無茶はしてほしくなかった。
「なんで相談してくれなかったんだよ、とは言わない。仮に相談されていたとしても、やっぱり俺は反対したし、自分の手で殺人鬼を討とうとしただろうから。だからここは、相談しない、が正解だったんだろうな」
群れを守るのは龍人男子の務め。
そして
「これが夫の覇道を支える妻の
――力ある龍人の義務。
ふと、以前に彼女が言っていた言葉を思い出した。
「そういうことか。
力なく横たわる公主様をぎゅっと強く抱きしめる。
頭の重みをその胸に感じ、雨に湿った黒髪を優しく撫でる。
「本当に頭が下がるよ。そして誇らしい気持ちでもある。俺の婚約者はこんなにすげえ奴なんだぞってな。アルガントに帰ったら母さんにだって胸を張って紹介できる」
「ならば今度、挨拶に伺おう」
「ん?」
一人、
「良かった。無事だったんだな。心配かけやがって」
涙声になってしまったが、決して泣いているわけではない。少し鼻が詰まっているだけだ。などと、
「すまない。あなたを騙すような真似をしてしまった」
公主様がしおらしく弱々しい声で言った。
力なくうな垂れる恋人に、
(見方によっては、俺は出し抜かれたのかもしれない。相談なしの
文字通り全てを守るため、公主様は最善の選択をした。ただそれだけで、責められるようなことは何一つしちゃいない。なにより、こうして無事に戻ってきてくれた事が、
「どうしても必要な
「ああ、そのとおりだ」
「だったら気にすんな」
「そういう訳にもいかない。私は
一向に晴れる様子のない美しい顔に、
主に対する忠誠心が、罪悪感を植え付けているのだろうか。
もちろん、気にする必要などない。けれど、彼女の中にある罪悪感はどうしても消せないようで、その顔は曇ったままだ。そんなことで気に病むぐらいなら――
「よし、わかった。罰を与えてやるよ」
抱きしめていた力を緩め、クイッと顎を持ち上げる。そうして
合わさっていたのはほんの数秒。薄桃色の唇から口を離すと、驚きに目を丸くした公主様へ向き合って、
「勝手に唇を奪うなんて悪い男だろ? つーわけで、これで貸し借りなしな」
「ならば、その悪い男は次に何をしてくれるんだ?」
公主様の黒い瞳が
周りには誰もいない。二人だけの世界がしばらく続き、そうして二人の仲は、少しだけ進展したのだった。
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