第75話 報酬はキスで許してあげる
真っ直ぐ伸びた紅葉の並木道。
背景に上院の
後ろで一つに縛った黒髪は、その意志の強さを象徴するかのように一本筋が地面へと伸びている。上質な布地で織られた赤と黒の龍衣は、
「弱い者イジメは感心しないわね」
「一応言っとくけど、俺は仕掛けられた側だからな」
上院生とはいえ、女子相手に意味もなく
「知ってるわ。見ていたから」
「だったら人聞きの悪いこと言うなよ」
「でも、あんたの方が強いのは事実でしょ」
「いいのか? そんなこと言って。
ポカンと口を開けて二人のやり取りを見ていた上院生三名を指差して、
「あの、
「知り合いも何も、あたしの
「は?」
一瞬、
だが、いくら入念に脳内をスキャンしてみても、そのような事実は一切見当たらない。バグりかけた頭を小突くと、
「まぁ!?
先程までの敵対的な態度から一変、黄色い歓声を上げて目をキラキラと輝かせ始める上院生たち。彼女たちはペコリと頭を下げた。
「それはそれは大変失礼をいたしました」
「まぁいいわ。許したげる」
「いや、おまえが許すのかよ!?」
上院生たちの謝罪を勝手に受け入れる
「あらあら。早くも
「けれど
「人は見かけによらないとは申しますが、出自や外見だけで判断するのは危険なようですね。これが荒野ならわたくしたちは死んでいたかもしれません」
その圧倒的なパワーに気後れしつつ、けれど
即座に情報を訂正するべきか否か。
「ま、そこそこやれる男よ。お姉様と比べたらまだまだだけどね」
その上から目線の物言いに、
「自信満々に婚約者
「あら、照れてるの? あたしたち婚約してたはずだけど」
「はぁ!? いつから俺たちは婚約者になったんだよ」
「そ、じゃ。ちょっと
「ちょっとお茶でもしとく? みたいに言ってんじゃねえよ!? そんな軽いノリで放っていい球じゃねえからな、それ」
「そうかしら。新婚は、毎朝キスするそうよ」
「だから、いつから俺たちは新婚さんになったんだよ!? どう見ても、俺らの間にイチャイチャラブラブした空気漂ってないだろ」
「冷たい隙間風がビュウビュウと吹いてるわね」
「よくわかってんじゃねえか!」
頭を抱えて絶叫したくなる気持ちをぐっと抑えて、
「一体どういうつもりだ? 龍人は婚約すると女の価値が下がるんだろ。こんな嘘ついて
「そんなの決まってるじゃない。既成事実を作るのよ」
「はぁ!? おまえは鬼か!?」
「こういう時は外堀から埋めていくものだってお姉様に教わったわ」
「本気で外堀から埋めていくつもりなら、そこは認めちゃいけないところな!?」
行動がチグハグなのは、おそらく公主様から教わった戦略を深く考えもせずに愚直に実行しているせいだろう。良くいえば嘘のつけない一本気な性格。悪くいえば小細工の苦手な脳筋。不器用な女は作戦の肝をあっさり
これでデレる素振りを少しでも見せてくれれば、ちょっとは可愛く見えるのかもしれないが、
と、思考の海に沈んでいた
「まぁ! 仲がよろしいのね」
「あの男嫌いの
「一体、どこがお気に召したのかしら」
ピシリ、と
「おい、今のやり取り見てただろ? どこをどう切り取ったら仲が良く見えるんだよ」
「喧嘩するほど仲が良いといいますわ。ご存知ありませんの?」
「その理屈だと、たしかに俺と
その怒鳴り声に「きゃっ!」と言って、上院生たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。並木道に
「あんた、まだそんな往生際悪いこと言ってんの? あたしを物にできるなんて幸運、普通の男には一生縁のない話よ。いい加減、観念して受け入れなさいよ」
「百歩譲って、俺に恋してるってならわかるけどな。おまえのそれは違うだろ」
恋愛感情など1ミリも含まれていません。そう主張して
「あら? あんたしばらく見ないうちに、良い顔するようになったじゃない」
「あ?」
「なるほどね。自信とは日頃の立ち振る舞いに表れるもの。何か心境の変化でもあったのかしら。ま、お姉様を娶るならそのぐらいの覚悟は必要よね」
すらりと伸びた長身を前屈みにしたまま、
その女子としては自然な、
「ちょうどいいや。このまま上院を案内してくれないか」
「嫌よ」
「即答かよ!? 少しは悩めよ」
「どうしてあたしが、そんな面倒なことしなくちゃならないのよ」
「婚約者(自称)なんだろ。だったら、未来の旦那様の案内ぐらいしてくれよ」
「誰も見てなかったら既成事実にならないじゃない」
「さいですか……」
その清々しいまでのブレない姿勢。お姉様一筋の少女に、
そして思い出したように一言付け加えた。
「黒陽には、おまえを頼るように言われてたんだけどな」
まだ言い終わらぬうちに。上院本校舎へ向かって歩き出したその袖口を、不意にガシッと掴まれた。女の子のよくやる指先で摘まむような控え目なものではない。遠慮のない確実に皺になるであろう怪力で掴まれ、そして進行方向とは逆に思いっきり引っ張られた。その不意打ちに、
「おい、何すんだよ」
「そういうことは早く言いなさいよ」
「あ? なんだって?」
「お姉様の期待を! このあたしが! 裏切るわけないでしょ!」
そう言って、
「さぁ! 早く行くわよ!」
そう言って、
「そういえば、黒陽が言ってたっけ。自分の名前を出せばスムーズにいくって。こういうことだったのか」
「なんか言った?」
「いや、別に。だんだんと
「? なんの話?」
「いや、こっちの話。独り言だよ」
冷たい風がビュウッと吹き、紅葉の色づいた葉を天空へ巻き上げる。赤煉瓦の上へ黄色の落ち葉が降り積もり、赤と黄のコントラストを地面に引いた。
ふと、公主様と出会った龍王樹を思い出した。たしかあの樹はここから一本それた道に植えてあったはず。今は初冬だから、青の葉をつけている頃だろう。
「紅葉の中に青ってのは、なんとも違和感のある光景だろうな」
小声で呟き、運命的な出会いに感謝する。
先を行く
「龍人女子は、主人に誠心誠意仕え、そして褒美を要求するのよ」
「ああ、黒陽もよく褒美を
「そ。知ってるなら話が早いわ」
「ん?」
「報酬はキスで許してあげる」
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