第75話 報酬はキスで許してあげる

 真っ直ぐ伸びた紅葉の並木道。

 背景に上院の豪奢ごうしゃな本校舎を置いて、赤煉瓦あかれんがの道に仁王立ちする少女が一人。真紅の瞳を光らせて、こちらを睥睨へいげいしている。


 後ろで一つに縛った黒髪は、その意志の強さを象徴するかのように一本筋が地面へと伸びている。上質な布地で織られた赤と黒の龍衣は、まごうことなき上院の制服だ。ボワッと燃えるような存在感が、仁王立ちのまま言った。


「弱い者イジメは感心しないわね」

「一応言っとくけど、俺は仕掛けられた側だからな」


 上院生とはいえ、女子相手に意味もなくすごんだと思われては座りが悪い。そんな麒翔きしょうの申し開きに、その少女――紅蘭こうらんわずかに口角を吊り上げた。


「知ってるわ。見ていたから」

「だったら人聞きの悪いこと言うなよ」

「でも、あんたの方が強いのは事実でしょ」

「いいのか? そんなこと言って。上院生こいつらのプライドが傷つくんじゃねえのか」


 ポカンと口を開けて二人のやり取りを見ていた上院生三名を指差して、麒翔きしょうは言った。しかしその指摘に、紅蘭こうらんは腕組みをしたまま「事実を言ったまでよ」とばっさり切り捨てる。歯にきぬせぬ容赦のない断定。そんな不名誉な言葉を浴びせられて、プライドの高そうな上院生たちは、互いに顔を見合わせた。そうして中央にいたリーダー格と思しき女子生徒が、おずおずと口を開く。


「あの、紅蘭こうらんさん。お知り合いなんですか?」


 麒翔きしょうの時とは打って変わって、紅蘭こうらんの機嫌を伺うような丁寧な口調。その短いやり取りだけで、彼女たちの力関係がはっきりとわかる。だが、次に放たれた言葉はさすがに予想外だった。


「知り合いも何も、あたしの婚約者フィアンセよ」

「は?」


 一瞬、麒翔きしょうは自分の頭がおかしくなったのかと思った。エレシア・イクノーシスの事件が解決してから三ヵ月が過ぎている。その間に、実は紅蘭こうらんと親交が深まり、そういう仲にまで発展していたのかもしれない――さも当然と言わんばかりの紅蘭こうらんの態度に、脳が一瞬だけそのように錯覚したのだ。

 だが、いくら入念に脳内をスキャンしてみても、そのような事実は一切見当たらない。バグりかけた頭を小突くと、麒翔きしょうは文句を言おうと口を開きかけた。が、それよりも早く、女子特有の甲高い声が響いた。


「まぁ!? 紅蘭こうらんさんの婚約者でいらしたの!?」


 先程までの敵対的な態度から一変、黄色い歓声を上げて目をキラキラと輝かせ始める上院生たち。彼女たちはペコリと頭を下げた。


「それはそれは大変失礼をいたしました」

「まぁいいわ。許したげる」

「いや、おまえが許すのかよ!?」


 上院生たちの謝罪を勝手に受け入れる紅蘭こうらん麒翔きしょうは思わずツッコミを入れたが、わざわざ話をこじれさせるのもどうかと思い、閉口。代わりに上院生たちがヒソヒソ話を始めた。


「あらあら。早くも紅蘭こうらんさんに手綱たづなを握られてしまっていますわね」

「けれど紅蘭こうらんさんに認められたということは、相応の実力者なのでしょう」

「人は見かけによらないとは申しますが、出自や外見だけで判断するのは危険なようですね。これが荒野ならわたくしたちは死んでいたかもしれません」


 紅蘭こうらんに認められた男――というレッテルは強烈にポジティブな方向へ作用しているようで、上院生たちの評価を根底からくつがえして上書きしてしまったようである。

 その圧倒的なパワーに気後れしつつ、けれど紅蘭こうらんの婚約者という肩書きは不本意なので、麒翔きしょうとしては複雑だ。上院へ来た目的を考えると、評価が上方修正されるのは望ましくもあるが、誤った認識による評価の上乗せを素直に喜べるはずもない。


 即座に情報を訂正するべきか否か。麒翔きしょうは判断を迷った。しかし、それは間違いだった。続く紅蘭こうらんの言葉はこうだ。


「ま、そこそこやれる男よ。お姉様と比べたらまだまだだけどね」


 その上から目線の物言いに、麒翔きしょうは今度こそ全力でツッコんだ。


「自信満々に婚約者かぜかしてんじゃねえよ!?」

「あら、照れてるの? あたしたち婚約してたはずだけど」

「はぁ!? いつから俺たちは婚約者になったんだよ」

「そ、じゃ。ちょっと婚約キスでもしとく?」

「ちょっとお茶でもしとく? みたいに言ってんじゃねえよ!? そんな軽いノリで放っていい球じゃねえからな、それ」

「そうかしら。新婚は、毎朝キスするそうよ」

「だから、いつから俺たちは新婚さんになったんだよ!? どう見ても、俺らの間にイチャイチャラブラブした空気漂ってないだろ」

「冷たい隙間風がビュウビュウと吹いてるわね」

「よくわかってんじゃねえか!」


 頭を抱えて絶叫したくなる気持ちをぐっと抑えて、麒翔きしょうはクールダウンを己に言い聞かせる。そして努めて冷静を装って訊いた。


「一体どういうつもりだ? 龍人は婚約すると女の価値が下がるんだろ。こんな嘘ついて紅蘭おまえにメリットないだろ」

「そんなの決まってるじゃない。既成事実を作るのよ」

「はぁ!? おまえは鬼か!?」

「こういう時は外堀から埋めていくものだってお姉様に教わったわ」

「本気で外堀から埋めていくつもりなら、そこは認めちゃいけないところな!?」


 行動がチグハグなのは、おそらく公主様から教わった戦略を深く考えもせずに愚直に実行しているせいだろう。良くいえば嘘のつけない一本気な性格。悪くいえば小細工の苦手な脳筋。不器用な女は作戦の肝をあっさり吐露とろし、腕組みしたままツンとそっぽを向いている。


 これでデレる素振りを少しでも見せてくれれば、ちょっとは可愛く見えるのかもしれないが、生憎あいにくとその兆しはない。それでいてキスを迫って来るという支離滅裂しりめつれつぶり。龍人族の例に漏れず、紅蘭こうらんもかなりの美少女であるから、ビジュアル的にはそう悪くは映らない。が、字面だけを追えば薄ら寒いものがある。


 と、思考の海に沈んでいた麒翔きしょうは、周囲がざわついている事に気が付き、顔を上げた。何やら上院生たちが、きゃいきゃいと騒ぎだしている。


「まぁ! 仲がよろしいのね」

「あの男嫌いの紅蘭こうらんさんが、とうとう王子様を見つけたなんて」

「一体、どこがお気に召したのかしら」


 ピシリ、と麒翔きしょう蟀谷こめかみに青筋が立つ。


「おい、今のやり取り見てただろ? どこをどう切り取ったら仲が良く見えるんだよ」

「喧嘩するほど仲が良いといいますわ。ご存知ありませんの?」

「その理屈だと、たしかに俺と紅蘭こいつの相性は最高だな……って、そんなわけあるか!! 見たまんま、相性最悪だよ俺ら」


 その怒鳴り声に「きゃっ!」と言って、上院生たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。並木道に紅蘭こうらんと二人だけが残された。


「あんた、まだそんな往生際悪いこと言ってんの? あたしを物にできるなんて幸運、普通の男には一生縁のない話よ。いい加減、観念して受け入れなさいよ」

「百歩譲って、俺に恋してるってならわかるけどな。おまえのそれは違うだろ」


 恋愛感情など1ミリも含まれていません。そう主張してはばからない彼女の態度に、麒翔きしょうの脱力は大きくなる。そんな早くも疲れの見え始めた麒翔きしょうの顔を覗き込むようにして、紅蘭こうらんが不思議そうに首を傾げた。


「あら? あんたしばらく見ないうちに、良い顔するようになったじゃない」

「あ?」

「なるほどね。自信とは日頃の立ち振る舞いに表れるもの。何か心境の変化でもあったのかしら。ま、お姉様を娶るならそのぐらいの覚悟は必要よね」


 すらりと伸びた長身を前屈みにしたまま、紅蘭こうらんが満足げに頷いた。生意気な目元が少しだけ柔らかくほころんだように見えた。

 その女子としては自然な、紅蘭こうらんとしては異質な所作に、麒翔きしょうは一瞬だけ目を奪われた。しかしすぐに、珍しいものを見たとかぶりを振り、


「ちょうどいいや。このまま上院を案内してくれないか」

「嫌よ」

「即答かよ!? 少しは悩めよ」

「どうしてあたしが、そんな面倒なことしなくちゃならないのよ」

「婚約者(自称)なんだろ。だったら、未来の旦那様の案内ぐらいしてくれよ」

「誰も見てなかったら既成事実にならないじゃない」

「さいですか……」


 その清々しいまでのブレない姿勢。お姉様一筋の少女に、麒翔きしょうは脱力して頷いた。「まぁいいか、上院の本校舎は目の前だし」と気分を切り替えて歩きだす。


 そして思い出したように一言付け加えた。


「黒陽には、おまえを頼るように言われてたんだけどな」


 まだ言い終わらぬうちに。上院本校舎へ向かって歩き出したその袖口を、不意にガシッと掴まれた。女の子のよくやる指先で摘まむような控え目なものではない。遠慮のない確実に皺になるであろう怪力で掴まれ、そして進行方向とは逆に思いっきり引っ張られた。その不意打ちに、麒翔きしょうはバランスを崩してたたらを踏む。


「おい、何すんだよ」

「そういうことは早く言いなさいよ」

「あ? なんだって?」

「お姉様の期待を! このあたしが! 裏切るわけないでしょ!」


 そう言って、紅蘭こうらんは堂々と胸を反り返らせた。スレンダーな体型の割には、結構なボリュームが胸元に屹立きつりつしている。ツン、とした態度と胸を反らせた紅蘭こうらんがもう一度、腕を引っ張った。


「さぁ! 早く行くわよ!」


 そう言って、紅葉こうように挟まれた赤煉瓦あかれんがの道を、先導するように歩き出した。引っ張られる形で、麒翔きしょうもその後へ続く。その後ろに揺れる一本の黒髪を眺めながら、思い出したようにぽつりとこぼす。


「そういえば、黒陽が言ってたっけ。自分の名前を出せばスムーズにいくって。こういうことだったのか」

「なんか言った?」

「いや、別に。だんだんと紅蘭おまえの扱い方がわかってきたような気がするよ」

「? なんの話?」

「いや、こっちの話。独り言だよ」


 冷たい風がビュウッと吹き、紅葉の色づいた葉を天空へ巻き上げる。赤煉瓦の上へ黄色の落ち葉が降り積もり、赤と黄のコントラストを地面に引いた。

 ふと、公主様と出会った龍王樹を思い出した。たしかあの樹はここから一本それた道に植えてあったはず。今は初冬だから、青の葉をつけている頃だろう。


「紅葉の中に青ってのは、なんとも違和感のある光景だろうな」


 小声で呟き、運命的な出会いに感謝する。

 先を行く紅蘭こうらんが、前を見据えたまま明瞭めいりょうな声で言った。


「龍人女子は、主人に誠心誠意仕え、そして褒美を要求するのよ」

「ああ、黒陽もよく褒美を寄越よこせと頭を突き出してくるな」

「そ。知ってるなら話が早いわ」

「ん?」


 紅蘭こうらんが振り向き、してやったりという顔をした。それは無邪気な顔だった。


「報酬はキスで許してあげる」

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