第78話 あたしの財布はお姉様の物。そしてお姉様の財布はあんたの物

 中央龍皇学園は、平野のど真ん中にドンッと構えてある。

 全校生徒は九百名。教師や学園職員が三百名ほど。約千二百名が学園の敷地で暮らしている。


 そんな彼らの生活基盤を支えているのは都から輸送されてくる物資だ。

 首都・黒帝城こくていじょうから学園までは二日の距離。途中、物資中継用の基地がいくつか設けられており、複数の輸送経路から様々な物資が毎日搬入されてくる。


 そうして搬入された物資は学園内の各店舗に並ぶわけだが、下院では食料や日用品がせいぜいだった。しかし上院では、その品揃えが違うそうである。


「要は、贅沢品と呼ばれるようなものが並んでいるわけ。アクセサリーだったり、私服の龍衣だったり、家具であったり……ま、本当に色々よ」


 淡々とした調子で、隣を歩く紅蘭こうらんが説明してくれた。いつもより大人しいのは、公主様への告げ口を恐れているせいだろうか。何となしに居心地の悪さを感じた麒翔きしょうは、ガリガリと頭を掻きながら、


「安心しろ。別に告げ口したりしねえよ」

「本当?」

「ああ。だけど、もう少しでいいから仲良くしようぜ」


 立ち止まり、長身の紅蘭こうらんがわずかに首を捻った。


「……わかったわ。少しだけならいいわよ」


 それは小さな歩み寄りだった。けれど、お姉様至上主義者で男嫌いの彼女にとっては、大きな歩み寄りだったはずである。麒翔きしょうは苦笑した。


「それでこれはどこへ向かってるんだ?」


 麒翔きしょうは現在、紅蘭こうらんに案内される形で、ショッピングモール内を散策している。中央には大理石の通路が真っすぐ伸び、十メートルはあろうかという幅広の通路の両サイドには、各テナントがひしめいている。各店舗から漏れ出てくる白色光が、大理石の白をより一層際立きわだたせていた。


 天井は三階までが吹き抜けとなっており、頭上を見上げれば各階層を繋げるように空中回廊くうちゅうかいろうが張り巡らされていた。そして、一階、二階、三階の各階層を垂直に移動する円盤状の乗り物がある。魔術式まじゅつしき動力どうりょくで動く円形のエレベーターだ。


「こっちよ」


 紅蘭こうらんに手を引かれる形で、麒翔きしょうは円形エレベーターに乗せられた。

 手すりのついた直径二メートルほどの円盤だ。中央の支柱には操作盤が取り付けてあって、紅蘭こうらんが何事かを操作すると円盤がすーっと上昇を始めた。


 二階で停止。エレベーターを降りて、すぐ目の前の店が目的地だった。

 看板には『文房具』とある。

 店内はさほど広くないが、品揃えは豊富だった。そして何より、


「たっか。高すぎるだろなんだこの値段は」

「そりゃ、商売相手は貴族の令息・令嬢たちだからね。値も張るわよ」


 棚に積まれたルーズリーフノートには、無駄に金箔きんぱくが散らしてあるようで、下院で売られているノートの五十倍の値が付けられていた。麒翔きしょうは思わず、ふところを確認する。


 袖口から取り出した財布には、54銀の銀塊ぎんかいが入っていた。ノートの値段は20銀だから買えないこともないが、学園から支給される月の生活費が100銀なので、その内、実に20%もの大金を一冊のノートにつぎ込むことになる。


「いやいや、無理だろ」


 即断即決で麒翔きしょうはかぶりを振った。

 ちなみに、意匠いしょうらされた万年筆は最低金額なんと100銀からである。


「なによあんた。お金ないの?」

「金はあるけど、無理だ買えねえよ」

「なによそれ。まぁいいわ。あたしが買ったげる」

「は? いやいいよ。こんな大金おごってもらう訳にはいかないだろ」

「だったらどうするのよ。買えないじゃない」

「下院の寮に戻って筆記用具を取ってくるよ。何もここで買う必要なんてないだろ」

「あんたね。お姉様の婚約者が、そんなみすぼらしい文房具を使ってていいわけないでしょ」

「みすぼらしいって……黒陽だって下院では同じものを使ってるんだぞ」

「上院の高級な文房具を見せびらかすような真似を、調和を大切にするお姉様がするわけないでしょ。嫌味にならないように周りに合わせてあるのよ。だからあんたも上院に来たならこっちに合わせなさい」


 ぐうの音もでないほどの正論をぶちかまされて、麒翔きしょうは閉口した。

 しかし、このような金額を女の子からおごってもらうというのは、麒翔きしょうの男心的にかなり抵抗があるのも事実。素直に「うん」とは言えない。

 そんな麒翔きしょうを見かねて、紅蘭こうらんが大きな溜息をついた。


「あたしの財布はお姉様の物。そしてお姉様の財布はあんたの物なんでしょ? だったら別にいいじゃない」

「どこの逆ガキ大将理論だよ!? だいたい、黒陽の財布が俺の物っていう前提からして間違ってるぞ」


 そこで紅蘭こうらんは両腕を組んで、挑戦的な目でこちらを見た。


「もしも、お姉様を娶らない可能性が1%でもあるならそうね。でも、100%娶るつもりでいるなら、その覚悟があるのなら、お姉様の財布はあんたのものよ。群れってのはね、コミュニティ内部においては共産的な考え方をするのよ」


 そういうもんなのか、と納得した麒翔きしょうは重要な部分を見落としていた。


「それでどうするの? 娶るの? 娶らないの?」


 そう聞かれれば、YESと答えるしかない。


「そ。じゃ、論文発表用の羊皮紙ようひしも買っておくわね」


 適当な文房具を取りつくろった紅蘭こうらんが、上機嫌で会計を済ませに行く。

 その軽いフットワークを呆然と見つめる麒翔きしょう。この時、そのお金の出所は、公主様のふところから出ているものだと彼は錯覚していた。しかし実際は、紅蘭こうらんの懐から出されており、財産の共有は彼女と行われたのだった。




 ◇◇◇◇◇


「いや、ここ絶対高いだろ」


 嫌がる麒翔きしょうを無理矢理引っ張って、紅蘭こうらんが店内へ入ろうとする。

 看板には『西方フレンチ料理』と書かれている。ちなみに外観は高級レストランのそれである。


「無理無理無理! こんなの絶対払えないって!」

「だから遠慮しないでいいって言ってんでしょ」

「人間社会ではな。男が女におごるもんなんだよ」

「知らないわよそんなの。ここは龍人社会なんだからこっちに合わせなさい」

「うぐっ、絶妙に反論しにくい正論を突き付けてきやがって」

「わかったなら観念しなさい」

「いーやーだー」


 高級感漂うレストランの前で押し問答を続ける二人。


「だったら、お昼ご飯はどうするのよ。食べないわけにもいかないでしょ」

「もっと安い店があるだろ。そこにしてくれ」

「ないわ」

「ないのかよ!?」

「だいたいどこも似たようなものよ」

「最低ラインが高級レストランって、上院生の食生活はどうなってんだよ!? それとも月々の支給額が下院よりも多いのか?」

「月々の支給額? ああ、下院はそういう制度なのね。上院にはないわよ」

「じゃあどうやって生活するんだよ!?」

「上院生はほとんどが貴族なんだから、親からたんまり持たされてるに決まってるでしょ」

「これが格差社会ってやつか……」


 別の角度から襲い掛かってきた思いも寄らぬ洗礼せんれいに、早くも麒翔きしょうの心はポッキリ折れ、膝から崩れ落ちた。これから先、上院で生活する上でこうもお金が掛かっていては、やっていける自信がない。しかも月々の支給がストップされるなんて話は聞いていない。初耳だ。


 なんという兵糧ひょうろう攻めなのか。これが庶民の限界なのかと打ちひしがれていると、すっと目の前に手が差し伸べられた。


「ほら、しゃがんでないでシャンとする。財力なんて後からどうとでもなるようなものに、負い目を感じてどうするのよ。さっさと立ちなさい」

「お、おう」


 財力など後からどうとでもなる――その豪胆な発想に麒翔きしょうは苦笑。たしかに公主様の手腕なら、あっという間に資産が倍々ゲームで増えていきそうではある。


「お金を稼ぐのは女の仕事よ。そして主人の仕事は力を誇示し、体を張って群れを守ることにあるの。自分がどういう立場で、何をさなければならないのか。そしてそれをすためにはどうするべきなのか。大事なのはこの二つ。他の一切は、考える価値もない些事さじに過ぎないわ」


 その言葉は強い説得力を伴って、麒翔きしょうの中に入ってきた。


「何をすべきか……か」

「そうよ。今あんたがすべきことは何?」

「黒陽を娶るために実力を示すことだな」

「そのために必要なことは?」

「障害となるものすべてを叩き潰す。もちろん龍人族の流儀――力でな」

「なら、お金は?」

「実力とは無関係だな」

「そうね。わかったなら、そろそろ入りましょうか」

「おう。そうだな――」


 と、そこで麒翔きしょうはハッと我に返った。


「いやいや、それとこれとはまた話が別だろ」

「あんたも頑固ね」

「お互いにな」

「だいたいお姉様だって、金銭面も含めてあたしを頼れって言ったんだと思うわよ。あんたの懐具合をお姉様が配慮しなかったと思う? 箱入り娘だから、そういう細かいところにまで気が回らなかった? あんたの惚れた女はそんなに浅慮せんりょなのかしら」


 それは、と言いかけて麒翔きしょうは口をつぐんだ。紅蘭こうらんに頼り、金銭的な援助を受けることが公主様の意思なのだろうか。麒翔きしょうにはわからない。しかし事実、こうして金銭的な障害が発生している以上、意地を張ったところでいずれは彼女たちを頼らざるを得ない状況がやってくるだろう。

 ……だけど、と麒翔きしょうはかぶりを振り、姿勢を正した。


「色々と助言サンキューな。でもさ、やっぱりこれは俺の戦いだから。できるだけ自分の力で足掻あがかないと駄目だと思うんだ。だけど紅蘭おまえの言う通り、それで黒陽を娶れなくなったら本末転倒ってもんだ。だからさ、もしどうしようもないと感じたら、迷わず力を借りたいと思う」


 そこで麒翔きしょうは深々と頭を下げた。


「だからどうか、その時は力を貸してほしい」


 直立姿勢から大きく下げられた頭。

 その人間としては当たり前の誠意に対して、紅蘭こうらんの目が大きく見開かれた。彼女はすっと視線を外して、そっぽを向いた。その頬は心なしか赤らんでいる。


「あ、当たり前じゃない。わざわざ頼まれなくても手伝ってやるわよ」

「そうか」


 そこで麒翔きしょうは顔を上げるとニッと笑う。


「ありがとな」

「か、勘違いしないでよねっ! お姉様に頼まれたから仕方なくなんだからね」


 しばらくの間、紅蘭こうらんは目を合わせてくれなかった。




 ◇◇◇◇◇


 紅蘭こうらんの提案で、ショッピングモール一階にある屋台で軽食を食べることになった。

 フードコートにある四人席へ腰を下ろした二人は、ホットドッグにかぶりつく。


「ちゃんと庶民でも買える食事があるじゃねえか」

「これはおやつでしょ。お昼ご飯とは言えないわ」


 周囲を見渡せば、席についているのは麒翔きしょう紅蘭こうらんだけで、フードコートはがらんと静まり返っていた。確かに彼女の言う通り、ここで昼食を済ませようという生徒はいないようである。


「だいたいどうして無理してあたしの分まであんたが出すのよ」

おごってもらってばかりじゃ悪いだろ。だから今度は俺の番。ただそれだけの話だよ」

「変なの。人間って変わってるのね」


 マスタード山盛りのソーセージを噛み千切りながら、紅蘭こうらんが不思議そうに言った。そして指についたケチャップを舐めとりながら、思い出したように付け加える。


「ああ、そうだ。さっきみたいに簡単に頭を下げない方がいいわよ」

「なんでだよ」

「あんたが主人だからよ。群れのトップが簡単に頭を下げてしまったら、腰の低いやつだと見くびられちゃうでしょ」

「要するに、舐められるってことか」

「そ。あたしたちの社会はね、舐められたら終わりの弱肉強食が基本なの。あんたが頭を下げたことによって、群れが危険に晒されることもあるってわけ」

「謝罪はもちろん、感謝すらも駄目なのかよ。面倒臭いな」

「駄目とまでは言わないけど、頭を下げてまで感謝するのは余程のことよ。例えば、群れを救った英雄クラスに、とかならわかるけど」

「ああ、それでさっきは頭を下げられて照れてたのか」

「照れてないわよっ!」


 ケチャップとマスタードを口の周りにたっぷりつけた紅蘭こうらんが、心外だとばかりに立ち上がる。それを手で制して、麒翔きしょうはナプキンを渡してやった。


「わーってるよ。冗談だって。それにしても――」


 巨大なショッピングモール。その広大な敷地に収まる各テナントを眺めながら、麒翔きしょうもホットドッグにかじりついた。


「学費無料なのは、こっちで採算を取っていたからなのか」


 各テナントの品揃えは豊富だが、いずれも高級品ばかりで、その一つ一つの値が張るのは間違いない。下院の学費が無料な上、月々の生活費が支給されるのは、上院側で十分な利益をあげられているから――と考えれば辻褄つじつまが合う。

 しかし紅蘭こうらんは、呆れたように吐息といきした。


「あんたって本当に何も知らないのね。ここでの売り上げはあくまでおまけ。学園の運営費用に充てるためのね。学園の運営目的は別にあるのよ」


 別の運営目的? と首を傾げたところで、麒翔きしょうの視点は前方の一点で固定された。


「――ん? あれは……?」


 いつの間にかフードコートにはちらほらと人が増え始めていた。食後のデザート感覚なのだろうか。クレープ片手に談笑する女子生徒たちがチラホラと散見される。そんな中、異質な光景が目の前に広がっていた。


 男子一名と女子三名のグループだ。

 この学園では日常的に目にするなんの変哲もない組み合わせである。


 しかしよく見れば、談笑する四名の足元にもう一名の姿がある。しかもなぜか床に四つんいになっているようなのだ。紅蘭こうらんの影になっていてよく見えないが、テーブルについていないのはどうにも不自然に見えた。嫌な予感がして麒翔きしょうは席を立った。


 高さが加わって一気に視界が開ける。そこには地面に四つん這いとなり恥辱ちじょくに顔を赤らめる少女と、その上に我が物顔でふんぞり返る男子生徒の姿があった。なんと男子生徒は椅子に座っていたのではなく、四つん這いにさせた女子生徒の上へ腰を下ろしていたのである。


 ――女の子を椅子にしている。


 周囲には他の生徒たちの姿もあるのに、その異様な光景を訝しむ者は誰一人としていない。その不快な光景に、麒翔きしょうは顔を曇らせた。


「――は? あいつら何やってんだ」


 力を信奉しんぽうする龍人族の事である。下院でも、力が劣る者がいじめられることはよくあった。麒翔きしょうも腕っぷしが弱ければ、同じような目に遭っていただろう。しかし、男が女を足蹴あしげにするという暴挙は下院でも見たことがない。なぜなら男の方が強くて当たり前だからだ。下院にはガサツで教養のない男がたくさんいるが、女の子に手を上げるような恥知らずは一人としていなかった。


 流石に見て見ぬフリはできず、席を離れようとしたところ、紅蘭こうらんにその腕を掴まれた。ぐいっと強く引き寄せられる。


「やめておきなさい。まだ説明してなかったけど、上院には貴族社会のルールが適用されているの。下院とは取り巻く環境が全然違うのよ」

「弱き者がしいたげられるのが貴族社会だっつーなら、より強い力でぶっ壊すのも龍人社会の流儀だろうがよ」

「そうじゃないの。あの子は奴隷なのよ。だから仕方がないの」

「奴隷だと? 俺たちは龍皇陛下の群れに所属する学生だろ。だったら身分はみんな同じ学生。違うのか」


 その疑問に対し、紅蘭こうらんも悔しそうに歯を食いしばる。


「理屈の上では、あんたの言ってることは正しいわ。でもね、龍皇陛下の群れに所属するっていうのはあくまで建前で、生徒たちはまだ親の群れに所属した状態でもあるの。つまり、二重所属の状態にあるわけ」

「二重所属の状態にあるからなんだってんだよ」

「要するに陛下の庇護下にあると同時に、現在所属している群れの支配下にも置かれてる状態なのよ。だから彼女は、学生でありながら奴隷という身分も引き継いでしまっている。これは教師でさえ口を挟めないデリケートな問題なのよ」

「教師でさえ口を挟めない? だったら、なおさら見過ごせねえよ」


 一歩を踏み出す麒翔きしょう。今度は紅蘭こうらんが強く引っ張られる形となり、彼女はその場でたたらを踏んだ。


「待ちなさいったら」


 バランスを崩しながらも、必死に止めようとする紅蘭こうらん。その緩まない力に行く手を阻まれ、麒翔きしょうは白けた顔で振り返る。


「待つ? おまえの姉は、こういう時に見て見ぬフリをすると思うか?」

「――――っ」


 雷に打たれたように硬直する紅蘭こうらん

 彼女はそれ以上、何も言わなかった。

 麒翔きしょうくだんのテーブルへ真っ直ぐ突き進むと、躊躇ちゅうちょすることなく談話の中へ割って入った。


「おい、やめろ。女の子を足蹴あしげにするっつーのは、どういう了見りょうけんだ」

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