第62話 剣術担当・魅恩教諭

「本当に手加減しなくていいんですね」

「大した自信だな。いいから、さっさとかかってこい」


 だだっ広い白龍石の床面。

 下院の生徒百五十名が見守る中、距離を取って対峙した魅恩みおん教諭が模擬刀の切っ先を突きつけ、高らかに宣言した。

 ほとばしる緑銀の力強い《剣気》がたけるようにその炎を上げる。


「緑色の《剣気》には見覚えがある……やっぱり、あんたが犯人だったんだな」




 ◇◇◇◇◇


 実験棟。


 魔術研究棟の敷地には二棟の建物がある。一棟は本校舎の北に位置する教師棟。そしてもう一棟は、本校舎の北東に位置する実験棟である。


 実験棟は巨大な建築物だ。

 三階建ての各フロアには魔術用の実験室と、小さな研究室がいくつも並んでいる。三年生になると卒業までの一年間、仮想群れ単位で研究室を与えられ、上級魔術の研究を行うことになるそうだ。


 そして実験棟には、第一実験室と呼ばれる最も大きな実験スペースがある。天井は三階までが吹き抜けとなっており、攻城魔術兵器を運び入れることも可能。対魔術加工を施された分厚い白龍石の壁は、あらゆる魔術的負荷に耐えうる構造となっている。


 が、大掛かりな魔術実験用に建設された第一実験室だが、出番はそう多くない。そのため雨天時には、他の授業の代替施設へ早変わりする。

 攻城魔術兵器を格納可能なその巨大な空間には、一年生百五十名を収容しても十分すぎる余裕があった。


 生徒たちは各々がペアを組み、互いに打ち合う形で剣術の稽古をしている。整然と等間隔に並び、模擬刀を片手に真剣な面差しで切り結ぶ。方々から気合の声が上がり、木と木がぶつかり合う音が実験室に響き渡る。

 その中で、一際レベルの高い打ち合いをみせる二人がいた。


「ふむ。それで魅恩みおん教諭はなんと」


 模擬刀がぐぉんと大気を唸らせて、麒翔きしょうの鼻先をかすめていった。


「それがわからねーんだ。授業に出ろとだけ」


 下から上へ跳ね上げられた切っ先が、公主様の踏み込みと同時に鋭利に返され、頭上から降ってくる。手首の返しだけで実現される重量を感じさせない不自然な軌道。それを可能とするのは龍人の並外れた腕力である。


 振り下ろされた鋭い斬撃。これを麒翔きしょうは自身の模擬刀で受け、防御した。以前、夜闇の決闘で勝利した時とは真逆の構図だ。


 ギリギリ、と木製の鍔迫つばぜり合いが起こる。


「妙ではあるな」

「ああ、何がしたいんだろうな」


 不利な体勢から力任せに押し返すと、ふわりと羽のように公主様が舞った。後方へ着地。優美に構えた切っ先を下ろし、乏しい顔が斜めになる。


「もう体は大丈夫なのか?」


 龍人の驚異的な回復力の例に漏れず、麒翔きしょうの体は正午を回る頃にはすっかり回復していた。それは龍人にとって風邪とも呼べぬ代物だったが、一晩中雨に打たれた体を労わるその気遣いが、麒翔きしょうは嬉しかった。照れ臭そうに頬をかき、


「おう。心配してくれてサンキューな。でも、なんかいいなこういうの。仕事で疲れた夫を支える妻って感じでさ」


 その何気ない言葉で、公主様の顔が薄っすら赤らみ、鼓動を確認するように胸へ手が置かれた。が、家庭に入った未来の妻を想像し、勝手に一人盛り上がる麒翔きしょうはそのことに気付かない。重要な情報を見落とした男は、俄然がぜんやる気だけをみなぎらせ、


「安心しろ。二徹ぐらいなんてことないさ」


 二人一組で行う試合稽古。ペアを組んだ公主様との打ち合いを止めて、サムズアップで堂々と宣言した。そのとある方面への挑戦とも受け取れる態度に、


「ほう。いい度胸だな、麒翔きしょう。劣等生の口にしていいセリフとは思えんが」


 身も凍るような冷たく鋭利な声が背後からかけられ、麒翔きしょうは背筋をぞわっと泡立てた。見なくてもわかる、そこに誰が立っているのか。なにせ今は剣術の授業中で、担当教員は――


「よし、黒陽。もう一本いっとくか」


 後ろを振り向くことができず、現実逃避がてらそんなことを言う。

 ガシッと襟首を掴まれた。


「その太々しい態度もどうにかしろ。明火めいび先生が毎晩うるさくてわん」

「知りませんよ、そんなこと。放してください。苦しいですって」

「では、真面目に話を聞くか」

「俺はいつだって真面目ですよ、って苦し……わかった、わかりました。聞きますから。ちゃんと話を聞きますから、放して……!」


 ようやく解放され、麒翔きしょうは振り向きつつバックステップで距離を取った。その大袈裟な――麒翔きしょうとしては至極真っ当な――リアクションに、魅恩みおん教諭は不快そうに眉を吊り上げた。が、ゆるゆると首を振るとため息をつき、


「まぁいい。それよりも、だ」


 教師用の絢爛けんらんな緑の龍衣。金の刺繍ししゅうの施されたはかまから模擬刀が引き抜かれ、その切っ先が麒翔きしょうの鼻先へ突き付けられる。


「貴様とはまだ手合わせしたことがなかったな。丁度いい機会だ。その実力、黒陽公主に相応しいかどうか私が測ってやろう」


 騒ぎを聞きつけた周囲の生徒たちがざわめいた。

 床へ踏み込む足音と打ち合う模擬刀の音が、麒翔きしょうたちを中心に伝播でんぱするように止んでいき、棒立ちとなった男女の視線が一点に注がれる。好奇の色が強い。蔑まれ続けてきた麒翔きしょうとしては慣れない感覚だ。


 チラリ、と白壁に掛けられた時計を見る。五時二十八分。


「あと二分で授業も終わりじゃないですか。やめておきましょうよ」

「剣一本で黒陽公主を娶るというのなら、相応の実力が必要となる。学園長は元より、将妃しょうひ様や陛下を納得させる実力がな。ならばこの場で、好きな女の前で逃げ出すような腰抜けを誰が認めると思う?」


 三角眼鏡がギラリと光る。有無を言わさぬその強い断定口調に、麒翔きしょうは反発しかけたが、敵前逃亡を許さぬ龍人の本能が、湧きあがる反発心の首根っこを押さえつけ、戦えとささやいた。瞬時にして高ぶった戦意をそのまま教師へぶつける。


魅恩みおん先生に勝てたら、実力を証明できると?」

「少なくとも、私は認めてやろう」

「本気を出していいんですね?」

「愚問だな。私を誰だと思っている」


 ――武姫ぶき

 それは六妃に次ぐ実力者に与えられる称号。


「いいんですか。生徒に負けたら格好がつきませんよ」


 模擬刀を正眼せいがんに構える。

 剣身に宿った《気》は一瞬にして《剣気》へと昇華され、紫炎に猛る炎をまき散らす。魅恩みおん教諭は眼鏡の向こうで目を細め、不敵に口角を吊り上げた。


「剣の腕に限れば、一流だということは認めてやろう」


 長身の魅恩みおん教諭が模擬刀を両手で握り、大きく振りかぶるように突きの姿勢を取った。両足を大きく広げ、腰を落とした前傾姿勢。水平に構えたその剣身から緑銀の《剣気》が溢れるようにほとばしる。その緑色の《剣気》には見覚えがあった。


 獣王の森。四日目。正体を現した殺人鬼の扱っていた《剣気》も緑色だった。

 小声でボソリと呟く。


「やっぱり、あんたが犯人だったんだな」


 怒りの感情が全身を包んだ。模擬刀の柄を握る両手に力が入る。


「本当に手加減しなくていいんですね」

「大した自信だな。いいから、さっさとかかってこい」


 瞬間、一気に《剣気》を解放した。津波のような強大な《剣気》と共に、麒翔きしょうは一気に間合いを詰めた。大上段から叩きつけるように振り下ろされた斬撃。殺すつもりで放ったその一撃を、魅恩みおん教諭は体の軸をずらして斬撃軌道上から身を引き、水平へ構えた模擬刀を斜めにして撫でるように受けた。力点がずらされ、大振りの一撃は斜面を滑るが如く脇へと往なされる。同時、カウンターの突きが鋭く放たれた。


「――――!?」


 肩口を狙ったその突きを、麒翔きしょうは身を捻ってかわし、崩れたバランスを無理矢理整えて次の一撃を繰り出す。が、今度はひらりと後方へかわされた。


「ほう。これは想像以上だ。黒陽公主が惚れこむのも頷ける」


 再び、水平に突きの姿勢が取られる。猛るような緑銀の《剣気》が模擬刀の尖端に揺らめいている。


「嘘……だろ。今のをさばけるもんなのか」


 黒龍石を両断する一撃だ。

 防御が不可能であることは公主様だって認めている。ならば、それを防いだ彼女の実力は公主様よりも上ということにならないか。獣王の森での戦闘を思い出し、


「そういや、黒陽も押されてたっけ」


 ニヤリ、と魅恩みおん教諭が笑う。


「私も剣術特化型でな。剣の腕に限れば、六妃にも負けない自信がある」


 六妃と同等。それがはったりとは思えなかった。瞬間、麒翔きしょうの全身に震えが走った。それは武者震いだった。強敵を前にした龍人の本能が、戦闘モードへと切り替わったのだ。


「心のどこかであんたのことを舐めてたのかもな。女教師なんて年だけ食った偉そうなやつだってさ」

「男勝りな女というのは存在するが、私もその手合いだ」

「六妃レベルだとか、男勝りだとか……そんなものは正直どうだっていい。あんたが何を考えているのかも今は置いておこう。重要なのは、俺たちの婚姻にケチをつける奴は許さねえってこと。人の恋路を邪魔するっつーなら、全力でぶっ潰す」


 雑念を振り払う。

 研ぎ澄ますように《剣気》を高める。

 ただそれだけに集中する。


 下院の生徒たちが見守っている。だがその視線は、麒翔きしょうの意識から完全に切り離された。今はただ、目の前に立ちはだかる強敵しか見えていない。

 雑音のある中で行われる集中と、静寂の中で行われる集中ではその質に大きな差が生まれる。殺人鬼かもしれないという雑念もまた同様に、質を低下させる要因となる。だからその疑惑は一時保留とし、一旦脇へと置いた。今はただ、目の前の敵を打ち倒す。そのことだけに集中する。


 ドクン、と《剣気》が脈動した。

 立ち上がった紫炎の《剣気》を従えて、再び麒翔きしょうは踏み込んだ。

 魅恩みおん教諭は突きの体勢を取ったまま、迎え撃つつもりのようだ。


 次に両者がぶつかった時、本来は視認できぬはずの《剣気》が生徒たちにも見えたのだという。




 ◇◇◇◇◇


 実際に打ち合っていたのは数分という短い時間だったと思う。

 しかし、その濃密な時間は一瞬のようでもあったし、永遠のようでもあった。


「ふむ、見事だ。私の負けだな」


 魅恩みおん教諭の身にまとう緑の龍衣は、傷跡どころか乱れてすらいない。それは一太刀たりとも受け違えていない証左であるが、彼女はあっさりと負けを認めた。


「ようやく体が温まってきたのに終わりですか」


 しのぎを削る戦いでテンションの上がっていた麒翔きしょうは納得がいかず、不満を述べた。が、魅恩みおん教諭は首をゆるゆる振ると、自身の右手を模擬刀から引き剥がし、ブルブルと震える手の平をこちらに見せた。真っ赤になっていた。


「腕がしびれて使い物にならん。これ以上続ければ、貴様の《剣気》を受け止めきれず、私は死ぬだろう。そうなったら、貴様もタダでは済まんぞ」

「タダでは済まんって勝負を持ちかけたのはそっちでしょう」

「うむ。だが、いくら授業の一貫だったとしても、六妃候補である武姫が死ねば大問題となる。良くて退学、過失が認められれば死罪だってありえる」

「ちょっと待ってくださいよ! 先生が受け違えていたら退学だったんですか!?」

「まぁそういうことになるな」


 うぉい! と麒翔きしょうは全力でツッコんだ。


「安心しろ。見ての通り、剣の技巧は私の方が遥かに上だ。受け違えることはまずありえん」

「そりゃそうですけど……」


 に落ちないものを感じ、麒翔きしょうは首を捻る。

 それは理不尽な学園システムに対してだけではない。

 戦闘の余熱が引き、冷静になった頭が違和を発しているのだ。記憶にあるエレシア・イクノーシスの《剣気》は、確かに緑色だった。だが、今しがた見た魅恩みおん教諭の《剣気》は同じ緑の系統ではあっても、少しばかり色合いが違うような――


 と、思考を掘り下げる形でその場に立ち尽くした麒翔きしょうの元へ、栗毛を揺らした桜華が駆け寄ってくるのが見えた。


「すごいね、翔くん。魅恩みおん先生にも勝っちゃうんだ」

「んなこた……ああ、いや。まぁそうかもな」


 普段なら謙遜けんそんしているところだが、実力を示さなければならないという言葉を思い出し、しかし気恥ずかしさはあったので、麒翔きしょうはぶっきらぼうに応じた。


「ほら、他の子たちも翔くんに興味が出てきたみたいだよ」


 周囲を見渡せば、女子生徒たちから熱い視線が注がれているではないか。潤んだ瞳が何かを期待するようにまたたいている。


「実力差がありすぎるとモテないんじゃなかったのかよ」

「うーん、でもやっぱり? 強い男の子は好きっていうか?」


 桜華が無責任なことを言ってクスクス笑う。


 公主様を娶るためには実力を示し、周囲を納得させる必要があると魅恩みおん教諭は言う。だが、実力を示せば公主様の推進するハーレム計画もまた一歩前進するような――そんな危機感を麒翔きしょうは覚えた。


「そういえば、陽ちゃんが六時に時計塔で待ってるって言ってたよ」


 桜華に言われ、もう一度周囲を見回す。公主様の姿はなかった。

 チラリ、と白壁に掛けられた時計を見る。


 ――五時四十分。


 実験棟を打ちつける雨脚は、更に激しさを増している。

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