第63話 死の概念

 死とは何か?

 それは、魂が肉体から離れて戻れなくなった状態と定義される。


 人の身体は生命活動を停止すると、身体に魂を繋ぎ止めておくことができなくなり、強制的に魂が体外へと放出される。この魂が抜けて戻れなくなった状態を"死"と定義する。この"死"の状態にある時、高級回復薬や回復魔法は効果を発揮しない。つまり、魂が肉体に宿っている状態でのみ、肉体の再生は可能となる。


 エレシア・イクノーシスの使う魂転化の術は、魂を加工してエレシアの魂を受け入れるための器を作るという邪法である。


 器となった魂は、魂とは似て非なるものへと加工され肉体へ固定されるので、生命活動を停止しても体外へ放出されることはない。しかしその一方で、肉体から見た時に器は正規の魂であると認識される。つまり、肉体的に死んではいても魂が存在するため、定義上は"生きている"ことになる。


 この矛盾した状態を"不死"とエレシアは定義した。


 そして肉体が"不死"の状態にある時、すべての回復手段は常に有効となり、何度でも肉体を再生・復活させる事が可能となる。例えば、右肩から胴まで一刀の元に斬り捨てられ、絶命したかのように見えたとしても、肉体の再生は叶うのだ。エレシアは素体とした者を何度でも蘇らせることができるのだった。


 教師棟の地下に設置された六基の生命維持装置。現在稼働しているのは、その内の一基のみで、中には金髪の少女アリスが格納されている。液体で満たされた容器内では、ゴボゴボと気泡が立ち昇り、緑の液体が眠れる少女の周囲を循環じゅんかんしている。


「ああ、やっぱり持ち帰って正解でしたわ」


 ガラス越しに金髪の少女を眺めながら、エレシア・イクノーシスが陶然とうぜんと瞳を輝かせた。冷たい透明の容器に指先をわせながら、エレシアは「ほう」と吐息といきする。


「昔のわたくしにそっくり。あのまま捨ておいても良かったのですけれど、気に入ってしまったのですから仕方がありませんわ。それに――」


 エレシアが冷然と見つめる先には、赤と黒の龍衣――上院の制服に身を包んだ少女が、手足にかせめられた状態で硬い石の地面へ転がされている。気を失っているのか、無様な姿勢のまま微動びどうだにしない。


「ふふ、自由に動けないこのメインボディと違って、アリスなら制約なく学園を動き回れますからね。それにしても思わぬ収穫でしたわ。この娘を使って教師棟ここへ黒陽公主を呼び出せば、わたくしの勝利は確実というもの」


 黒陽公主は、冷静に合理的な判断を下せる人物であるかのように思われるが、その実、心を許した者に対しては寛大かんだいであり、甘くなる。実の姉妹のように育ったこの娘を、彼女はきっと見捨てられないだろう。


 そしてこの教師棟には、獣王の森から帰還してから今日こんにちに至るまで、長い時間をかけて呪術式を張り巡らせた。言うなれば、教師棟全体が呪物であるとも言える状態にある。この場へおびき寄せることに成功すれば、いかに黒陽公主といえど、万に一つも勝ち目はない。エレシアは、気高き公主様が泣き叫び許しを乞う姿を想像し、エクスタシーに全身を震わせた。


「ああ……今度こそ、わたくしのものにして差し上げますわ」




 ◇◇◇◇◇


 希代の魔術師エレシア・イクノーシスは殺人鬼である。


 まだ人間だった頃は侯爵令嬢という高い身分にありながら、魔術の実験と称し、領民をさらって来ては残虐な行為に明け暮れていた。


 エレシアにとって自分以外は全て等しく無価値であった。人を殺めて罪悪感を覚えたことなど一度としてない。高い身分を利用した殺戮さつりくの日々はしばらく続いた。

 しかし、侯爵家の力をもってしてもその悪行を隠し切れなくなると、彼女はあっさり尊い身分を捨てて出奔しゅっぽん。流浪の身となる。


 残虐ざんぎゃくの限りを尽くすエレシアの目的はただ一つ。己の美貌を維持すること。つまり不老不死の実現である。その目的の為なら、身分を捨て去ることぐらい造作もなかった。


 放浪の身となったエレシアの訪れる街々では、行方不明者が続出した。言わずもがな彼女の仕業である。しかし、狡猾こうかつなエレシアはうまく立ち回り、事が露見することは一度としてなかった。

 エレシアはこの時点で、不老不死の実現には魂を加工する必要があると仮説を立てており、その実験のために多くの犠牲者が出たのである。


 二十代半ばに差し掛かる頃、エレシアは焦っていた。肌の潤いにかげりが見え始めていたからである。不老不死を実現しても、このままではみにくい容姿で固定されてしまう。その焦りが、彼女を更なる狂気へと走らせた。

 ある村を全滅させた時のことである。燃え盛る炎の中、その男は現れた。


「君は比類なき魔術の才を持っているようだね。よし、決めた。僕の弟子にしてあげよう」


 勝手なことを言う男の喉元へエレシアは躊躇ちゅうちょなく、ナイフを突き立てた。しかし、男は笑っていた。その病的なまでに白い首筋には、血の一滴すらも流れていない。生まれて初めて恐怖を感じたエレシアは魔術による攻撃を試みたが、あらゆる魔術は無効化され、男に届くことはなかった。

 そしてエレシアは強制的に、その男――大魔術師アルキス・ファウストの弟子にさせられた。


 アルキスはすでに不老不死を実現していたが、その方法をエレシアに教えてはくれなかった。当然、エレシアは強い不満を表したが、


「僕は何も教えない。だから勝手に盗みなさい」


 それが彼の教育方針であった。

 そして月日は流れ、十年が過ぎた頃。

 師であるアルキスから多くの魔術を盗みものにしてきたエレシアではあったが、不老不死の秘術だけはどうしても解明することができなかった。エレシアはすでに三十四歳。美貌はあからさまに衰えを見せており、もはや不老不死への興味は薄れつつあった。

 そんなある日、長旅から帰ってきた師が言った。


「僕はこれから死ぬことになる。だから最後にこれを見せてあげよう。大魔術師アルキス・ファウストが生涯最後に作り上げた大魔術。絶壁幻想空間ぜっぺきげんそうくうかんを!」


 それは仮想的に不老不死を実現する空間であった。最後の大魔術を披露し、一人盛り上がる師をよそに、しかし、エレシアは懐疑的かいぎてきだった。すでに不老不死を実現している師アルキスが、今更、特定の空間内のみという限定的な不老不死を実現させた所でなんの意味があるというのか。


 エレシアのリアクションが虚無であったことが余程ショックだったのか、アルキスは己のポリシーを曲げてまで、術式を詳細に説明してくれた。それは大魔術師アルキス・ファウストが生涯最後と銘打つだけあって、恐ろしく複雑怪奇な術式で構築されており、エレシアはそのほとんどを理解できなかった。


 が、エレシアには閃くものがあった。


 それは膨大な術式の極一部。魂の加工に関する術式が記された部分。

 その情報はのちに、エレシア・イクノーシス最大の大呪術「魂転化」を発明するための大きなヒントとなる。


「不老不死なんてもういらない。若返る必要だってない。だって、わたくしは好きな体を選び放題なんですもの!」


 魂転化は他者の肉体を精神面から乗っ取る呪術である。

 魔術学の分類上は精神操作系に分類されるが、しかし実情は少し違う。精神を乗っ取るというよりかは、魂を乗っ取るという表現の方が適切であるからだ。それは憑依などという不安定なものではなく、その人物そのものに転生することを意味する。


 他者の肉体へ自らの魂を移植し、その肉体を乗っ取る。これを繰り返し、エレシアは悠久ゆうきゅうの時を生きてきた。すでによわい1000を超えている。


 手順としてはこうである。

 まず、乗っ取りたい肉体を手に入れる。これをエレシアは素体と呼んでいる。

 次に素体の丹田たんでんへ魂転化の術式を施した上で、口づけを介してエレシアの魂を素体へ送り込む。そして素体の精神世界にて、魂転化の術式を起動。素体の魂を呪力によって際限なく押しつぶし、"器"と呼ばれる状態に加工する。この器は、エレシアの魂を受け入れ、素体に定着させるための役割を担う。


 そして魂転化が真に恐ろしいのは、一度乗っ取った肉体を自由に出入りできるという点にある。つまり、A・Bという二つの素体があった場合、エレシアはAとBを自由に行き来することができるし、Aの肉体が滅ぼされても、Bの肉体へ乗り移って難を逃れられるのである。


 唯一の欠点は、同時に二つ以上の素体を操作できないこと。


「その代わり、完璧な乗っ取りが可能ですけれどね」


 エレシアは現在使用している素体をメイン、予備としてキープしてある素体をスペアと呼び分けている。


 特に龍人の素体はエレシアのお気に入りだった。体は強靭で各耐性が高く、上級魔術の負荷にも耐えることが可能。そして何より嬉しいのは誰を選んでも美しいという点。それは着せ替え人形を楽しむ感覚に近い。


 とはいえ、ここ数年においてはスペアをただの一つも作成していなかった。というのも龍人族は、群れの結束意識が非常に強く、一人でも行方不明者が出れば血眼ちまなこになって探すような種族であったから。スペアの作成は保険になるが、入念な捜査によってその存在を気取られれば、エレシアの正体も露見しかねない。スペアを作成しなかったのは、享受きょうじゅできる恩恵よりも危険リスクの方が上回っていたため。


 しかし、そのリスクを冒してでも手に入れたい素体を見つけてしまった。千年に一人の才女とうたわれる龍人族の公主・黒陽がすぐ目の前に現れたからである。同性のエレシアでさえ見惚れる美しさ、そして高い魔術適性。理想の素体であった。どんな手を使ってでも手に入れたかった。




 ◇◇◇◇◇


 さて、とエレシアは台座から飛び降りた。

 ゴボゴボと気泡を吐き出す生命維持装置に踵を返し、もう一度、地下室の片隅に転がる紅蘭こうらんへ冷たい視線を向ける。ニヤリ、とエレシアは哄笑こうしょうを覗かせた。


「そろそろ頃合いでしょうね。授業の終わった放課後のこの時間、教師棟は無人となりますわ。こんな辛気臭い場所、長々と居たくありませんからね。かと言って、あまり遅くなれば夜の点呼の時間を過ぎて、大騒ぎとなってしまいます。一介の女子生徒でそうだったのだから、公主ともなればなおさらですわね」


 いつものように無邪気を装って、黒陽公主を言葉巧みに教師棟ここへ誘い込むことはさほど難しくないはずだ。ましてや、こちらには紅蘭こうらんという切り札がある。いざとなれば、彼女の名前を出せばいい。


「なぁに、倒れたからわたくしの私室で休ませている、とでも言っておけば心配してノコノコとついてくるでしょう。実際、紅蘭こうらんはわたくしの手中にあるわけですし」


 地下室の階段を上がる。

 軽い足音が石煉瓦いしれんがに囲まれた閉塞へいそく空間に反響する。

 秘密の地下空間から抜け出ると、エレシアは準備室の明かりをつけた。そして隠しレバーを操作して、地下への入口を静かに閉じる。


「ふふふ。[永眠の監獄]の準備はとどこおりなく整いましたわ。ここを墓標ぼひょうにして差し上げますわ、龍人族の公主様。覚悟なさいませ」


 獣王の森で大敗をきっしたエレシアが、一月以上の長い時をかけて入念に準備した邪悪なる陣は、教師棟全体を包むように張り巡らされている。もし発動すれば、闇のフィールドが展開され、教師棟内からは光が失われ、完全なる闇に包まれる。


「そう。闇100%ということは、わたくしの[深淵の霧]の効果が十全に発揮され、あらゆる攻撃を完璧に無効化できるということ。獣王の森の時のように、チマチマとダメージを蓄積させるなんて真似はできませんわよ」


 陣さえ発動させてしまえば、確実な勝利をつかめる。

 そしてその発動は、隣の私室にある執務机の引き出しに忍ばせた呪術球による操作で行う。まずは呪術球を手に入れ、ふところに隠しもった状態で黒陽公主をおびき寄せれば、作戦の成功は約束されたも同然だった。


 はやる気持ちを抑えきれず、エレシアは邪悪な笑みを隠すことができない。だが、このような顔をしていては勘の鋭い黒陽公主に警戒されてしまうので、煩悩を振り払うようにしてかぶりを振り、仮初かりそめの無邪気な顔を取りつくろった。


 私室へと繋がる扉へ手をかける。

 あとは扉を開け放ち、執務机の上段にしまった呪術球を手に入れるだけ。

 そのはずだった――


 扉の開閉と同時に人の気配を感じた。嫌な予感がした。そして低身長のエレシアの目に飛び込んできたのは、執務机に我が物顔で座る黒陽公主だった。彼女はランプを掲げてみせ、闇を払うようにエレシアへ向けた。


「やはり、あなただったか。風曄ふうか教諭」

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