第64話 その正体とは

 牢獄のような閉鎖空間。

 落雷がとどろき落ちるたびに、鉄格子のついた小窓から一瞬だけ雷光が差す。

 執務机に置かれたランプを掲げてみせ、この部屋の主を黒陽は妖艶ようえんな微笑みと共に睨みつけた。


「やはり、あなただったか。風曄ふうか教諭」


 お団子頭の幼女が「はわわっ」という感じで狼狽うろたえてみせた。


「どぉして公主様がぁ、わたしの部屋にいるんですかぁ?」


 白々しいと吐き捨て、黒陽は執務椅子から立ち上がる。そうして今度は執務机をひょいっと飛び越え、部屋の中央へと歩み寄る。


「では、風曄ふうか教諭。私の独り言を聞いてもらえるだろうか。何、意味がわからないのであればそれで構わない。ただ聞くだけでいい。どうだろうか」

「うーん、よくわかりませんけどぉ。公主様がそうしろと言うのなら従いますぅ」


 幼女は顔を曇らせて、不承不承ふしょうぶしょうのていで頷いた。

 黒陽は中央にある応接用のソファーへ腰を下ろすよう、風曄ふうか教諭を促した。彼女は浮かない顔をしながらも、素直に従い着席する。


「容疑者は最初から二人だった。龍人族の領土に転移門は存在しないゆえ、遠く離れた地へアリバイのある者がおもむくことはできない」


 状況が飲み込めないという顔で首を傾げる風曄ふうか。もの言いたげな幼女の視線を受け流し、「あるいは」と黒陽は続ける。


「もし仮に、肉体間における瞬時の魂移動が可能だったとする」

「魂? 幽体離脱ですかぁ?」

「そうだ。幽体離脱が一瞬で終わり、肉体Aから肉体Bへ一瞬で乗り替えられるものと仮定する。そしてそうだな……物のついでだ、明火教諭が犯人だと仮定しよう」

「はぁ……明火先生が犯人ですかぁ?」


 黒陽も対面のソファーへ腰を下ろす。

 小柄で華奢な体が自重でソファーに沈んだ。


「その場合、何かしらの方法を使って獣王の森にあらかじめ別のボディAを用意しておけば、魂を移し変えるだけで距離の問題はクリアされ、アリバイに関係なく犯行は可能となるだろう。ボディAを使ってアリスを襲い、以降はアリスとして活動するというシナリオだ。

 だがこのシナリオは成り立たない。なぜなら、アリスを操作している間、明火教諭のボディは魂の抜けた状態となってしまうからだ。そうなれば必然、実習の指導はできないだろう。つまり、アリスとして活動していた三日目から四日目にかけて、別の地で夏季特別実習を担当していた明火めいび教諭には、やはり犯行は不可能なのだ」


 そしてこれは他の女教師も同様である。


「そして青蘭せいらん殿の適性属性は水。加えて《剣気》は見えていない。彼女はエレシア・イクノーシスではない」

「エクレア? お菓子ですかぁ?」


 幼女が呑気なことを言ったが、黒陽は無視した。


「ゆえに最初から容疑者は二人だった。しかし、流石はエレシア・イクノーシスというべきか。最後の二者択一。ここの断定はなかなか難しかった」

「あらぁ? エレシアさんという方はぁ、すごい人なのですねぇ」


 相変わらずの幼女の戯言に黒陽は取り合わない。


「だが、どちらが怪しいのかは一目瞭然だった。風曄ふうか教諭、断然あなたが怪しい」


 両指をツンツンと合わせて一人遊びをしていた幼女が、ふとその手を止めた。


「どうしてわたしが怪しいのですかぁ?」

「容疑のすべてが魅恩みおん教諭に向くように仕向けられていたからだ」


 ピカッと鉄格子の小窓から雷光が差した。

 室内の闇は一瞬だけフラッシュに暴かれ、そして元の薄闇に包まれる。

 遅れてやってきた轟音ごうおんが収まってから、黒陽は静かに切り出す。


「最後の二者択一は、自分へ疑いが向かないように仕掛けられた最後の保険。そして、エレシア・イクノーシスは完全犯罪を遂行してきた殺人鬼だ。果たしてそのような狡猾こうかつな人物が、保険として仕掛けたアリバイ工作で、自分自身が疑われるようなヘマをするだろうか? いいや、ありえない。つまり、一見すると怪しい点のないあなたこそが、最も疑わなければならない容疑者というわけだ」


 幼女が龍衣の袖から包み紙のようなものを取り出した。いそいそと取り出した何かを口へと含み、カランコロンとやりだす。


「わたしの何をぉ、疑っているのですかぁ?」

「すべてが疑わしい」


 言って黒陽は、ランプの明かりを消した。室内が暗闇に沈む。


風曄ふうか教諭、一つ聞きたい。夏季特別実習の初日に幕舎で麒翔きしょうと会ったそうだな」

「ええ。会いましたよぉ」

「そして、あなたは森の奥地へ踏み入ろうとする麒翔きしょうから今後の予定を聞き、その上で見逃した。間違いないな?」

「はい。公主様も同行とのことでしたので、問題ないと判断しましたぁ」

「更にあなたは麒翔きしょうに条件までつけたそうだな。一週間以内に戻るように、と」

「はい、言いましたよぉ。安否確認も含め、その辺りが落としどころかとぉ」


 夜目を利かせて困惑顔の幼女を睨みつけ、黒陽は核心部分へ触れる。


「つまり、あなたはわけだ。私たちがということを。そして一週間という期限を設けたことにより、についても、おおよその見当がついていた」


 エレシア・イクノーシスは事前に入念な準備を終えていた。

 夏季特別実習の二日目。本陣へ暴風タートルを突っ込ませ、散々引っ掻き回した挙句、自身は敗北を装って同僚の教師と共に崖から転落。二人揃って失踪することによって、最後の二者択一の保険を作る。さらにその上で、黒陽たちの先回りをして商人たちを森へと誘い込み殺害。更には、商人の娘であるアリスの体を乗っ取った。以降は、意識を失った魅恩みおん教諭と共に、魂の抜けた風曄ふうかの体を安全な場所に隠しておく。


 そして準備を終えた殺人鬼は、横転した帆馬車にその身を潜ませた。


「この犯行を可能とするには、ターゲットの足取りを事前に掴んでおく必要がある。しかもあなたは、この事実を上へ報告しなかった」

「犯行の意味がわかりませんけどぉ、上へ報告しなかったのは麒翔きしょうくんのためを思ってのことですよぉ。彼の独断で公主様を巻き込んだと知られたら、大問題に発展してしまいます。最悪、退学ですよぉ」

「ほう。たしかに六妃会談で麒翔きしょうの名を出すのはよくないな。そこは同意しよう」

「わかって頂けましたかぁ」

「ではなぜ、魅恩みおん教諭にまで黙っていた?」

「ちゃんと相談しましたよぉ!」

「六妃会談の議事録ぎじろくを読ませてもらったぞ」

「え?」

「実習初日に、魅恩みおん教諭は姿の見えない私を探すため、そうだ。だが、きちんとのなら、私の捜索を本陣付近で行うはずがない」

「それはぁ……」


 幼女はしばし黙り込み、もごもごと口を動かした。


「言い出しずらかったんですよぉ。大事になるかと思ってぇ……」

「大した役者だな」


 冷たく突き放すように言って、黒陽は鋭い視線を風曄ふうかへ向ける。


「あの時点で、私を本陣へ連れ戻されては何かと不都合だったんだろう。だから魅恩みおん教諭へ情報を渡さなかった。違うか?」

「違いますよぉ!」

「ほう? だが、どちらにせよ私たちの足取りを知る者は、他にいなかった」


 森の北側へ進路を取るとわかっていればこそ、先回りして罠を仕掛けることも可能だった。逆を言えば、進路を知らなければ先回りすることは不可能だった。


「では、次だ」

「次だ、じゃないですよぉ! 一体なんなんですかぁ。きちんと説明してください」

「往生際の悪いやつだ。まぁいい。いちいちとぼけられては話が進まないからな。説明してやろう」


 そして黒陽は獣王の森での一件を説明した。

 商人の娘アリスに襲われたこと。そしてその娘は呪術によって体を乗っ取られていたこと。更に、毒キノコを「おいしい」と評したことから、体を乗っ取った犯人は普段から龍人の体を使用しており、この学園に潜んでいるであろうことまで。


「ちょっと待ってくださいよぉ!? わたしがその殺人鬼だって言うんですかぁ?」

「残念ながらすべての証拠がそうだと示している」

「滅茶苦茶ですよぉ!? だいたいわたしの適性属性は風なんですよ。どうやって呪術を使うんですかぁ。公主様の推理が正しいとするなら、疑われるべきは闇魔術担当の魅恩みおん先生だと思いますけどぉ。だいたい、獣王の森を実習地に選んだのも、武器を携帯しないように学園長へ進言したのも、魅恩みおん先生なんですからねぇ」


 予想通りの反論に、黒陽は笑みが浮かぶのを我慢できなかった。


「これは明火めいび教諭から聞いた話だが、あなたと魅恩みおん教諭は仲が良いそうだな。いつも二人でコソコソ話しているんだとか」

「人聞きの悪いことを言わないでくださいよぉ。同じ一学年担当として方針を話し合っているんですぅ」

「それだ」


 黒陽がビシッと指先を突き付けると、幼女が「はわわっ」と狼狽うろたえる。


魅恩みおん教諭は寡黙かもくな人だ。そうすると必然的に、口数の多い風曄あなた主導で話が進んでいくことになる。ならば、相談に乗るフリをして密かに話を誘導することもできたはずだ。そして表立って発言したのが魅恩みおん教諭だったのをいいことに、あなたはその容疑と責任を彼女に押し付けたのだ」


「いくら公主様といえど、言い掛かりにもほどがありますよぉ。だいたいわたしが誘導したという証拠はあるんですかぁ?」

「ないな。仮に魅恩みおん教諭に問い質したところで、質実剛健しつじつごうけんな彼女は自分の責だというだろう。あなたに責任転嫁したりはしない。だが――」


 言って黒陽は、大きく息を吸った。


 最後の二者択一、最大の謎。

 ――龍人は適性のない属性魔術を使うことができない。


風曄ふうか教諭。あなたは多彩な学問を修める優秀な方だ。中でも特に、属性因子の継承については、多くの論文を発表し、父上からも表彰されている。現に、麒翔きしょうの適性属性がなしと判定された際に、それが有り得ないことをあなただけが主張したそうだな。適性属性なしなんて因子継承の観点からみてもありえない、と」


 風曄ふうかのお団子頭がピクリと動いた。だが、その顔に動揺は見られない。


「よくご存知ですねぇ。でもぉ、それが何だと言うのです?」

「私は麒翔きしょうの適性属性の問題を解決するため、関連資料を読み漁った。そしてまとめていて気付いたのだ」


 黒陽は頷きを一つ返すと、おもむろに龍衣の袖口から一枚の紙を取り出した。

 机の上へ置く。明かりのない薄闇では夜目を利かせてもその文字は判然としない。

 首を傾げる幼女へ向けて、暗記しているそれを黒陽はそらんじた。


「龍人は必ず六種類――火水土風光闇――の属性因子と呼ばれる遺伝情報を持っている。属性因子は親から子へ継承され、その中で、最も多くの割合を占める属性因子が適性属性となる。他の属性は因子として存在するが発現はしない」


 麒翔きしょうのために、分厚い文献を何十冊と読み漁った。何度もメモを取り、検討に検討を重ねた。その結果、知識は山脈のように積み重なり、今では専門家レベルの知識を有するまでになった。だから自信を持って、黒陽は断言することができる。


「ここで重要なのは、適性属性以外の属性因子も継承しているという部分だ。つまり、適性属性が闇である私の中にも、火や水といった属性因子は存在しているということになる。そして体内に存在する六つの属性因子の中で、最も多くの割合を占める属性因子が適性属性として現れるわけだが――ではここで問おう。最多を占める属性因子が二つあった場合、その者の適性属性はどうなると思う?」


 幼女の顔から無邪気な笑みが消えた。

 黒陽は続ける。


「答えは簡単だ。適性属性を二つ持つようになる。これは相当稀なケースだが、文献にもいくつかの実例が紹介されていた。つまり、あなたは風と闇の属性因子割合が同じなのだ。だから適性属性は、風と闇。そうなのだろう?」


「違いますよぉ!」


「ならばなぜ、自分の属性は風だから違うなどと心にもないことを言った? あなたにはわかっていたはずだ。複数属性の可能性がある限り、風属性持ちであることは免罪符めんざいふにならない、と」


 すぐに反論は返ってこなかった。

 背の低い応接テーブルを挟んで睨み合う。やがて風曄ふうかは口を開いた。


「それはぁ、いらぬ疑いを避けるためですよぉ。現に今もこうして疑われているじゃありませんかぁ。それともわたしの属性が闇だという証拠でもあるのですかぁ?」

「ないな。あなたは学園生活の中で闇魔術を使ったことがない」

「だったらぁ、それがただの言い掛かりであることは、聡明な公主様にならわかると思うんですけどぉ」


 証拠がない、との言葉に風曄ふうかの顔が一瞬だけ安堵したのを黒陽は見逃さなかった。


「ああ、その通りだ。これは龍人なら誰でも犯人になりえる、という証明にしかならない。ゆえに、この一事をもってあなたがエレシア・イクノーシスであると断定はできない」


 幼女は今度こそはっきりと安堵の表情を浮かべる。


「だったらぁ、心臓に悪いことを言わないでくださいよぉ!」


 黒陽は秘かに重心を前傾へ移した。


「喜ぶにはまだ早いぞ。最初に言っただろう。なかなか断定できなかったと。つまり、今はもうあなたがエレシア・イクノーシスであると特定が済んでいる」

「だーかーらぁ! 違いますってばぁ! 公主様もわからない人ですねぇ」


 プンスコ! と白々しい演技を続ける幼女を冷めた目で見つめながら、黒陽は言う。


「エレシア・イクノーシスの《剣気》は未熟なものだった」

「え?」

「私はエレシア・イクノーシスと剣を打ち合い押されていたが、それはあくまで模擬刀と真剣という大きなハンデがあったからだ。真剣という下駄を履いていただけで、奴の《剣気》自体は未熟なものだった」


 斬撃の威力は[《気》の練度×武器の品質]で決まる。《剣気》の練度自体は黒陽の方が数段上だった。


「さきほど、魅恩みおん教諭の《剣気》をこの目で見たが、あれは私のものより練度が上だった。つまり、彼女はエレシア・イクノーシスではない」


「手加減していただけかもしれませんよぉ。正体を隠すために演技をしていたんですぅ。狡猾な殺人鬼ならそのぐらいはするんじゃないですかぁ?」


「手加減? いいや、ありえない。魅恩教諭ほどの《剣気》の使い手であれば、真剣片手に私たちに遅れを取ることはまずない。ならば、あの奇襲は十分に勝算のある絶好の機会だったはずだ。勝てる勝負を捨ててまで、手加減する意味がない」


 幼女の顔色がさっと変わり、早口でまくし立てる。


「ちょっと待って、待ってくださいよぉ。百歩譲ってそうだったとして、青蘭せいらん様だって水属性の他に闇属性を持っているかもしれないじゃないですかぁ。《剣気》が見えないというのも演技かもしれないですぅ」

「いいや、それはない。紅蘭こうらんが騒ぎを起こした時だ。騒ぎを聞きつけやって来た青蘭せいらん殿に、私は抱きしめられている。つまり、私は青蘭せいらん殿に

「…………」


 風曄ふうかのおしゃべりな口が沈黙した。柱時計のコチコチという音だけが室内に鳴り響く。耳を澄ませば、分厚い石壁の向こうから雨音もかすかに聴こえた。


 黒陽は尻を浮かせる。


「だが、それもこれも全ての疑惑はあなたに触れればはっきりする。私は魔術式に直接触れれば、その術式を逆探知・解析することができるからな」


 両者が動き出すのはほぼ同時だった。

 黒陽は立ち上がるのと同時に右腕を突き出し、ブレないよう左手を添えて、照準を風曄ふうかの胸元へ合わせる。対する風曄ふうかは立ち上がることなく、座ったままの姿勢でパカッと大口を開けた。


 ――ノータイムの吐息ブレス


 口からの吐息ブレスに限り、集中力を高めるワードを口にしなくとも、即座に吐息ブレスを放つことができる。両者の明暗は、口か掌かの差によって大きく分かたれた。

 小さな口をいっぱいに広げて放たれた風の吐息ブレスは、真空のかまいたちを伴って、黒陽に迫り、そして――


 鋭利なそれはその細首をねた。




 ――――――――――――――――――

 前回の終わり方だとモヤモヤすると思ったので、毎日更新を前倒しで実行します。

 ここから三章の終わり(第72話)までは一日一話、ノンストップでいきます。

 お付き合い頂ければ幸いですm(_ _)m

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