第57話 好きな女のために戦い、そして死ぬ

 お城のような外観の本校舎。その脇を通る歩道を図書館の手前で左に折れると、魔術研究棟の敷地へ行くことができる。


 雨の吹きすさぶ渡り廊下で話すのもなんだということで、公主様に連れられて麒翔きしょうたちはボロ小屋へ向かっている。教師棟も魔術研究棟の敷地にあり、他の研究棟と渡り廊下で繋がれてはいるが、ボロ小屋にまでは通されていないため、一旦昇降口を経由して外履きに履き替える必要があった。


 和傘を差した生徒が四名。

 先頭を公主様が歩き、その後ろを従者のように紅蘭こうらんが付き従っている。

 隣を歩く桜華が水溜まりを避けるようにジャンプして、赤い和傘を傾け、笑みを覗かせた。どこか小悪魔じみた笑みだった。


「そっかそっか。やっぱり翔くんも男の子なんだねー」

「なんの話だよ」


 桜華がにんまり笑みを張り付かせている時は、愉快な話ではないと相場が決まっている。警戒に眉をひそめた麒翔きしょうがぶっきらぼうに答えると、大股で二歩ステップを刻み、和傘と一緒に桜華が振り返る。


「翔くんさ、このまま一人で戦おうとしてるでしょ」

「さぁ、それはどうだかな」

「わかるよ。陽ちゃんを傷つけられて怒ってるんでしょ」

「……そりゃ、怒るだろ」

「あー! やっぱり翔くんも男の子なんだね。惚れた女の子のために頑張ろうとしてるんだ」

「そ、そんなんじゃねえよ」

「あー、照れてる照れてる!」


 口元に手を当てて桜華がクスクスと笑う。その横を平静を装いつつ通り過ぎると、歩調を合わせるように桜華も歩みを再開し、


「男の子はね、自分の彼女が傷つけられたら絶対に許したりしちゃいけないの。相手が誰であっても、命を懸けて戦わないと駄目。文字通り、死ぬまでだよ」

「なんだよ。縁起でもないこというなよ」

「だって、そうなんだから仕方ないじゃん」


 和傘を大粒の雨が叩く。雨脚は強く、昨日までの暑さが嘘のように肌寒い。けれどなぜか、麒翔きしょうは暑苦しさを覚えた。そんな彼の顔を、桜華が下から覗き込んでくる。


「龍人男子はね、自分の妃を傷つけられたら絶対に許さないの。相手がどんなに強くても、戦いを挑み、そして死ぬまで戦う。そこに損得勘定は存在しないし、一切の話し合いの余地もない。そういう種族なんだよ、わたしたち」


 気まずげに桜華から視線を外すと、和傘を真っすぐ差して優美に歩く公主様の後ろ姿が目に入った。長く伸ばしたつややかな黒髪が、雨の雫で装飾されて光り輝いているように麒翔きしょうには見えた。桜華の声が、雨と一緒に横から吹き込んでくる。


「翔くんも半分は龍人なんだから、その血が流れてるんだよ。だから今、陽ちゃんを守ろうと決意してる。そうでしょ?」


 麒翔きしょうは否定することなく、最愛の婚約者の後ろ姿を眺めながら静かに頷いた。




 ◇◇◇◇◇


 ボロ小屋に到着すると、公主様が「先に二人だけで話がしたい」と言って、麒翔きしょうの手を引っ張り中へと入った。彼女は前髪を整えると、神妙に切り出した。


「やはり、エレシア・イクノーシスは学園に潜んでいる。教師棟を探っていたということは、あなたも同じ見解なのだろう」

「ああ、十中八九そうだろうと思ってる」


 その名を聞いて気が高ぶったのだろうか。思いの外、大きな声が出てしまったようで、狭い室内に麒翔きしょうの声が反響した。


「犯人は教師の中にいるって話だったよな。参考までに聞くけど、目星はついているのか?」

「怪しい人物はいる。だが、確証はない」

「俺も同じさ。やっぱり現時点で断定はできないんだな」


 真っ直ぐと漆黒の瞳がこちらへ向けられている。公主様は真剣な面差しで、薄桃色の唇をきゅっと噛み締めると、意を決したかのように口を開いた。


「この件は、私に任せてはもらえないだろうか」

「俺じゃ役不足だって言いたいのか」

「そういう訳ではない。私はただ――」

「わかってる」


 公主様の発言を遮るように麒翔きしょうは言った。


「だけど俺は、おまえを危険に晒したくない。無用なリスクは負ってほしくないんだ。もう二度とおまえを傷つけさせない。そう決めたから」

麒翔きしょう……」


 公主様は不安げに瞳を揺らし、頭一つ低い位置から上目に見上げてくる。その真っ直ぐな視線を受け止めきれず、麒翔きしょうは目をそらす。


「群れを守るのは龍人男子の務め。そうだろ?」


 公主様は困ったように端正な眉を寄せた。けれどその口元はほころんでいた。




 ◇◇◇◇◇


「行方不明となった女子生徒は、同じ一年生で下院女子のトップだ。名を亜夜あや。下院の首席である盛館せいかんの婚約者で、適性属性は闇。父親の爵位は龍天りゅうてんで、群れの規模は約百五十名ほど。平民の中では上位の血統であるらしい」


 長机を挟んで四名が着席する形で会議が開かれた。

 いつもと違うのは、学園長の娘・紅蘭こうらんが同席していること。上院の制服を着ている彼女は、異質な存在感をバリバリ放っている。が、公主様の発言に口を挟むつもりはないらしく、口をへの字に曲げて両腕を組んだまま押し黙っていた。


 この中で、会議の趣旨を理解していないのは紅蘭こうらんだけのはずだが、それでも疑問一つ差し挟まないのは見上げた従者ぶりである。


「女子生徒は昨夜の夕頃から行方不明となっていたが捜索は行われなかった。どうやら教師たちは、一日様子を見るべきだと判断したようだ」


 よどみなくスラスラと現状を説明していく公主様。時折、質問はあるかと言いたげに一同を見回し、場を進行していく。


「今日の昼過ぎのことだ。南門にくだんの女子生徒が現れたらしい。無論、学園規則によって学園から出ることは禁じられている。門番に見咎みとがめられ制止されたのだが、振りきるようにして小脇の小門から逃走したそうだ」


 学園を囲む四方の門。下院唯一の出入り口である南門には、大門と小門がある。大門は物資搬入用に使われる大きな門で、こちらは平時は閉ざされている。一方、小門の方は基本的に開かれていて、警備員が数名置かれている。警備員には腕利きが揃えられているので、突破は容易ではない。入学する際に通った南門の厳重な警備を思い出し、麒翔きしょうは「やっぱりな」と頷く。


「学園規則を破って外に出れば最悪退学だ。しかも腕利きの警備員を出し抜いてまで強行突破するメリットがない。女子生徒が正気ならそんな暴挙に出るはずがないんだ。つーことは、もう確定だな」


 ――女子生徒はエレシア・イクノーシスの手に落ちた。

 本当に実在するのか確信の持てなかったその存在。疑念だったものが確信へと変わった瞬間であった。


「でも、女子生徒は手駒として確保したんでしょ。だったらどうして学園から脱出させたのかな? アリスちゃんの時みたいに、陽ちゃんに直接ぶつけて捨て駒にすることだってできたはずだよ」


 と、桜華が疑問を差し挟んだ。答えたのは、場の議長を務める学園一の優等生・公主様である。


「リスクを分散させたのだろう。第一に学園内に女子生徒を隠し置くのは、リスクが高すぎる。見つかった時に言い逃れができないからな。第二に、学園の外にスペアボディを隠して置けば、いざという時の保険にもなる」

「保険つーと、あれか。いつでもケツ捲って逃げられるような状況を作り上げたってわけか」


 エレシア・イクノーシスは魂だけで肉体間の移動が可能である。学園外にスペアボディを潜ませておけば、ターゲットである公主様を仕損じた時に、魂を移し変えるだけで学園から脱出し、逃走することができる。要するに、


「準備万端。仕掛けてくる気満々っつーことだな」


 開戦の気運が高まり、緊張が場に満ちていく。

 麒翔きしょうの優先順位は、まず第一に公主様の身の安全。第二にエレシア・イクノーシスの討伐。その順番に揺るぎはないが、


「一つ、確認しておきたい。大事なことだ。エレシア・イクノーシスを完全に滅することはやっぱり難しいのか?」

「すべてのスペアボディを発見し、破壊するのは難しいと言わざるを得ない」


 困ったように眉をひそめて、公主様は言った。


「だが、魂転移の術式を発動する暇もなく、即死させることができれば……あるいは……とも思うが……」


 珍しく歯切れの悪いその物言いに、麒翔きしょうは心当たりがある。

 彼自身、公主様の身を案じて無理をさせたくないと思っている。だから自分が代わりに前へ出て、決着をつける気でいるのだ。同様に彼女もまた、麒翔きしょうの身を案じて無理をしてほしくないと願っているのだとすれば、麒翔きしょうが一人で対処可能だという情報は出したくないはずだ。


 と、そこで麒翔きしょうは一言も発さずにいる少女へ、あごをしゃくった。


「ところで、紅蘭そいつを同席させて良かったのか」

「問題ない。紅蘭こうらんは余計なことをしゃべったりしない」

「ええ、安心していいわよ。あたしは同席しているけど、あんたたちの会話に興味はないわ。お姉様の美しい横顔に見惚れているだけのオブジェクトだと思いなさい」

「滅茶苦茶な言い分だけど、なぜか説得力があるな……」

「うむ。それと紅蘭こうらんが奴の手に落ちていないことは私が保証しよう」

「まぁ、黒陽おまえがそう言うなら間違いないだろ」


 と、納得しかけ、すぐさま別の疑問が浮かんで首を捻り、


「そういや、体に触れただけで魔術式を解析できるんだったか。なら紅蘭そいつに触れれば白だってわかるわけだな」

「そうだ。紅蘭こうらんは確実に違うと断言できる」

「だったら、片っ端から触れていけば殺人鬼をあぶり出せるんじゃないのか」


 少し考えれば、誰もが思いつくであろう当然の疑問。これに公主様は「それはできない」と残念そうに首を横へ振った。


「奴は、私が触れただけで魔術式を解読できるのだと知っている。無暗に動けば、まず間違いなく、自分が追い詰められつつあることを悟るだろう。そうなってしまっては色々と不都合が生じる。あくまで秘密裏に私たちは行動するべきだ」


 麒翔きしょうも基本的には同じ意見である。

 余裕をかましている殺人鬼の鼻っ面に先制攻撃をぶちかます。不意打ちが有効だとわかった以上、なおさら悟られるわけにはいかない。


 だからその意見自体に異論はないのだが、なぜか麒翔きしょうは違和感を覚えた。もしも自分が公主様と同じ能力を持っていたら、もっと他にやりようがあるんじゃないか、というような類の違和感だ。


 パンッ!

 思考を断ち切るように、公主様が両手を打ち合わせた。


「では、他になければ会議を終えようと思う。どうだろうか」


 に落ちないものはありながらも、麒翔きしょうは結局その疑問を口にしなかった。どちらにせよ、自分がこれからすることに変わりはないからだ。


 そして会議は終わり、弛緩しかんした空気が室内に流れた。脱力して長机へ突っ伏した桜華が、どへーっと女子にあるまじき声をだす。


「難しい話で頭が痛いー」

「途中から一言もしゃべらなかったもんな。まぁ無理もない」

「本当に翔くんはわかってるの?」

「まあ、一応はな。まだ頭の中で整理しきれていない部分もあるけどな」


 むー、と桜華が唸る。どうやら悔しいらしい。

 そして彼女は突っ伏したままクロールするみたいに左右へ体を揺らし、


「でもさ、なんでわざわざ警備員がいるところを正面突破したんだろ」

「そういやそうだな。外壁から脱出すりゃいいのにな」


 腕を組み、憮然ぶぜんとした顔で沈黙を守ってきた紅蘭こうらんが、ハッ、と小馬鹿にするように鼻で笑った。


「あんたバカなの? 学園の外壁には強力な結界が張られているんだから、出られるわけないでしょ。そんなことをすれば異常を察知した警備に、あっという間に囲まれるわよ」


 その高圧的な態度に、公主様の乏しい顔がピクリと反応する。


紅蘭こうらん、未来の夫になんという口の利き方だ」

「申し訳ありません。お姉様」

「おい! 一応ツッコんどくけど、勝手に妻を増やすなよ」


 義務的に麒翔きしょうはツッコんだが、恋する乙女に都合の悪い声は届かない。公主様は大真面目な顔で、紅蘭こうらんに問う。


「そもそも受け入れてもらう努力はしたのか」

「はい。あと少しでキスできるところまでいきました」

「嘘つけ! パワープレイの未遂を惜しいみたいに言うんじゃねえよ!?」


 とんでもない大ウソつきの狂人がいたものだ。つばを飛ばして今度こそ本気のツッコミを麒翔きしょうが入れると、今度は桜華が横槍を入れてくる。


「ハーレム要員二人目ゲット! 翔くんのモテ期がとうとうきたんだね。これで翔くんの群れも本格的に始動するわけかぁ。お姉さん、すごく感慨かんがい深いかも」


 真面目な話は終わりとばかりに、お気楽ワールドが展開され、ホワホワした空気がボロ小屋を包む。その浸食へ抗うように、


「誰がお姉さんだ、同い年だろ。じゃなくて! 大事なのはそこじゃねえ。俺は一人だけを愛したいんだよ。だから二人目なんかいらねえの」

「そうだぞ、桜華。二人目ではなく、三人目だ」

「おい、ちょっと待て。今、桜華をカウントしただろ」

「当たり前だ。そもそも二人目は私の方だからな」

「えー!? 陽ちゃんがまた変なこと言いだしたー」

「大丈夫よ、あたしのことはカウントしなくて。お姉様の付属品だとでも思っておけばいいわ」

「話がややこしくなるから、てめえは黙ってろ」


 桜華の展開したお気楽ワールドは、すべてを飲み込んで束の間の日常を取り戻した。が、それはあくまで一時のこと。その晩、更なる事件が起きる事となる。

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