第56話 風魔術担当・風曄教諭

 明火めいび教諭の私室を辞し、本丸である魅恩みおん教諭の私室を訪ねたが、ノックに反応はなかった。麒翔きしょうは顎に手をやり、考える仕草を取る。


「分厚い壁の部屋だったからな。隣の準備室にでも居たら、気付かないかもな」

「ちょっと翔くん、変な気を起こさないでよ」


 居留守の可能性はある。例えば、扉の向こうで息を潜めているかもしれないし、拉致した女子生徒を隠している最中かもしれない。

 踏み込むことは物理的に可能だ。いかに頑丈な扉だとしても、麒翔きしょうの《剣気》なら破ることは容易たやすいだろう。だが、


「わかってるよ。証拠が揃っていない段階で強行突破はできない。これ幸いにと退学にされかねないからな」


 ほっと胸を撫でおろした桜華を連れて、教師棟を出ようとしたところで声が掛けられた。


「今は吐息ブレスの授業中のはずですよぉ。またサボりですかぁ?」


 麒翔きしょうが後ろを振り向くと、しかしそこには誰もいなかった。

 おかしいな? と首を傾げたところで、桜華が脇腹を小突いてきた。


「もぉ! 相変わらず失礼ですね、麒翔きしょうくんはぁ!!」


 あごを引いて視線を下ろすと、幼女がプンスカと両腕を振り上げて怒っていた。


「ああ、なんだ。風曄ふうか先生か」

「なんだとは何ですかぁ! ダブルで失礼ですねぇ。わたしとしてはダブルチーズバーガーは好きですけどぉ」

「あいにくハンバーガーはないので、これで許してください」


 龍衣の袖口のポケットからあめを取り出し、手の平の上へ乗せると、それを見た幼女がパッと目を輝かせてふんだくるようにして奪っていった。素早く口の中へ飴玉を放り込み、カランコロンと音を立てて口を動かす。


「それで教師棟こんなところで何をしているんですかぁ?」


 威厳いげんとは最も遠い場所にいる教師へ向けて、麒翔きしょうは苦笑交じりに応じる。


「それが魅恩みおん先生に用があってきたんですけど、ノックをしても反応がなくて」

「ああ、それならぁ。ついさっき本校舎の方へ戻りましたよぉ」


 どうやら明火めいび教諭に捕まっている間に、入れ違いとなってしまったらしい。麒翔きしょうはやれやれと肩をすくめ、吐息といきと同時に幼女の頭を撫でた。


「な、なにをするですかぁー! 先生は子供じゃありませんよぉ。頭を撫でるんじゃありません!」

「飴玉にご満悦の表情を浮かべておいて、その言い草は説得力がありませんよ」

「なにをぅ! 生意気な生徒ですぅ!」


 風曄ふうか教諭は憤慨ふんがいした! という風に、緑の龍衣の袖をバタバタと羽ばたかせ始めた。毎度お馴染なじみの所作なので、麒翔きしょうの方は特段気にする様子もない。その一方で、麒翔きしょうの腕にしがみつくように身を寄せている桜華は、少し居心地が悪そうだ。


「ちょっと翔くん、それはさすがに失礼だって」

「大丈夫だよ。いつもこんなもんだし」

「なにが大丈夫ですかぁ! 姫位きい六階級・最高位の武姫ぶきたるこのわたしに、舐めた口を利いてくるのはあなたぐらいなものですよぉ!」


 うがー! と両腕を上げて、抗議する目の前の幼女を冷めた眼差しで観察する。

 風曄ふうか教諭。もちろん、彼女がエレシア・イクノーシスである可能性はゼロではない。だが、適性属性という観点からみた場合、彼女が呪術を使うことは自然の摂理的に不可能なのだ。これは絶対の法則であり、例えアリバイがなかったとしても、厚化粧の明火めいび教諭やその他の教師たちにも犯行は不可能だった。


 しかるに、犯人は闇魔術担当の魅恩みおん教諭か、属性不明の学園長・青蘭せいらんしかありえない――というのが、麒翔きしょうの推理である。

 だが、同時に麒翔きしょうは得体の知れぬ胸騒ぎを感じていた。何かを見落としている。そう。今まで自分が知り得た情報の中で、致命的な何かを見落としている――そんな気がしてならない。


 胸元に刺さるように引っ掛かった小さなトゲのような何か。不快なそれを振り払うようにかぶりを振り、麒翔きしょうは頭を下げた。


風曄ふうか先生、獣王の森ではありがとうございました」


 風曄ふうかは慌てた様子で人差し指を口元へ持っていき、


「しーっ! 大声で言ったら駄目ですよぉ。それは内緒の話ですぅ」


 しきりに、誰もいない教師棟の廊下をキョロキョロと見回している。

 獣王の森にて、奥地へ踏み入ることを幼女先生は見逃してくれた。その上、公主様重傷の件を巡っては、麒翔きしょうに責任が及ばないように庇ってくれたそうである。


「ああ、そうでした。すみません」


 麒翔きしょうは頭を下げ、素直に謝罪した。


 事を丸く収めるために、公主様の判断で森の奥地へ踏み入った、ということで口裏を合わせてある。この嘘が露見した場合、風曄ふうか教諭もただでは済まないだろう。恩を仇で返すわけにはいかない。


 麒翔きしょうが反省の念からうな垂れていると、幼女が何やらつま先立ちとなり、右手を一生懸命になって伸ばしてきた。どうやら頭を撫でて慰めようとしてくれているらしい。空気を読んでその身を少しばかり屈めると、小さな手が黒髪にふわりと乗った。


「気にしなくて大丈夫ですよぉ。生徒を守るのが教師の務めですからぁ」


 その口元には、幼女にそぐわない大人の笑みが浮かんでいた。




 ◇◇◇◇◇


 魅恩みおん教諭を追って、本校舎へ戻る道中。

 横殴りの雨が吹き付ける中、しばらく渡り廊下を進んで行くと――


「げっ」


 絢爛けんらんな赤と黒の龍衣。上院の制服に身を包んだ、眼光鋭い女子生徒が歩いてくるのが見えた。後ろで髪を一つに縛っており、彼女の歩調に合わせて一筋の黒が左右に揺れている。吹き付ける横殴りの雨が、ジュッと音を立てて蒸発しているのはどういうわけか。あの女の周囲は今、一体どれほどの高温にあるのだろうか。


 麒翔きしょうは反射的に回れ右をしたい衝動に駆られたが、桜華の手前逃げ出すわけにもいかず、何食わぬ顔ですれ違うことにした。


 だが、その太陽のような女はすれ違いざまに、桜華に抱き着かれた腕とは反対側の腕をぐいっと引っ張ってきた。


「ちょっと、顔貸しなさいよ」

「なんの用だよ」


 その女――学園長の娘・紅蘭こうらんは、端正な眉を不快そうに歪めた。勝気の目尻が吊り上がり、真っすぐ睨みつけてくる。高身長ゆえ、目線はほぼ同じ。


「貸すのか貸さないのか、どっちなのよ。時間がないんだから、今すぐに[YES]か[はい]で答えなさい」

「俺が都合よく[YES]なんて言うと思ったか? 答えは当然、その逆の[はい]に決まってんだろって――どっちも同じじゃねえか!?」


 小賢しい小細工にイラッとした麒翔きしょうは、両手で頭を抱えて絶叫した。振りほどかれる形となった桜華が「きゃっ」と言って離れる。


言質げんちは取ったわよ」

「は?」


 不意に、胸元をぐいっと掴まれた。すごい力で引き寄せられ、紅蘭こうらんの顔が近づいてくる。


「ちょっと待て。何すん――」


 頭突きをぶちかまされるんじゃないかって勢いで、迫ってきた暴力的な唇を、とっさに右手を滑り込ませてガードした。猿ぐつわのように塞がれる形となった紅蘭こうらんの口からは、くぐもった声が漏れる。


「むむー!」


 その拘束を力づくでベリッと引き剥がした紅蘭こうらんは、両手を腰に当てて威圧の姿勢を取り、自由になった口で怒りを発した。


「ちょっと、何するのよ!」

「それはこっちのセリフだよ!? いきなり何すんだよ」

「そんなの決まってるじゃない。キスするのよ」

「はあ!? ふざけんな!!」


 その驚天動地きょうてんどうちな言い草に、目が飛び出さんばかりに麒翔きしょうはツッコんだ。紅蘭こうらんは心底呆れましたという風に吐息といきして、


ぜん食わぬは男の恥って知らないの? だいたい了承は取ったでしょ」

「取ってねえだろ、初耳だよ!?」

「顔を貸すって言ったじゃない。顔には唇も含まれるでしょ。知らないの?」

「はぁ!? そういう意味だったのかよ! わからねえよ!?」


 むちゃくちゃな暴論にさすがの麒翔きしょうも面くらい、鼻白む。

 スレンダーな長身から、紅蘭こうらんが超然と言い放つ。


「あんたと婚約キスしないとお姉様に捨てられちゃうのよ。だから早くして」

「早くしねえよ!? だいたい動機が不純なんだよ」

「あんたバカなの? お姉様に捧げる愛のどこが不純なのよ。どこまでも透き通るように清らかでしょ」


 なんだ? 俺の頭がおかしくなっちまったのか――と、麒翔きしょうは一瞬本気で考えた。だが、すぐにかぶりを振って冷静に考え直してみると、純度120%果汁付きで目の前の女の頭がイカれていると結論がでた。麒翔きしょうは混乱しながらもあくまで冷静に、


「群れってのは主人に仕えるもんだろ。おまえの言い分じゃ主人は黒陽じゃねえか。百歩譲って群れを作るとしても、忠誠を誓えない女を受け入れると思うか?」


 渾身の正論をぶちかまし、麒翔きしょうは「どうだ」と言わんばかりに胸を張る。これならば公主様だって反論はできまい。

 だが、狂人に正論は通用しなかった。そもそも正論が通用しないから狂人なのだ。紅蘭こうらんは、動揺を見せることなく、さも当然という態度で言う。


「あんたがお姉様に指示を出す。そしてお姉様があたしに指示を出す。実質、あんたの命令を聞くようなものなんだからいいでしょ」

「なんで伝言ゲームみたいになってんだよ! 不便で仕方ないだろ」

「わかってないわね。あたしはお姉様を除けば、上院の一学年トップよ。当然、お姉様の考える幸せ団欒だんらん計画のメンバーに含まれているわ」

「幸せ団欒計画ってなんだよ!? 初耳な上に、不幸な未来しか見えねえよ!」

「要するに、これ以上の好物件はないってことよ。光栄に思いなさい」

「どう考えても事故物件だろ。しかも、油断したら後ろから刺されるやつな」

「油断しなくても刺すけどね」

「そこは嘘でも従うフリしとけよ!?」


 話が前へ進まねえ! と麒翔きしょうは頭を抱えて座り込んだ。現実逃避である。

 見上げて紅蘭こうらんの顔をよく見てみれば、左耳に校則違反のイヤリングまでしているではないか。


「駄目だこの女。純度120%で狂ってやがる! こんなヒロインありえるか!? 物語の世界にだってこんな狂人いやしねえぞ」

「当たり前でしょ。あたしはお姉様を狂おしいほど愛しているんだから」

「せめて狂人のくだりぐらいは否定しとけな!?」


 厄介な事態にあるというのに面倒くさいやつに絡まれた。強引に先へ進もうとしても、立ち塞がる絵面が目に浮かぶ。ならば、当身で気絶させてその隙に――と、麒翔きしょうが物騒なことを考え始めたところで、救いの手が差し伸べられた。


「あ、陽ちゃん」

「お姉様!!!」


 遠目でもわかる。本校舎の方から圧倒的な美のオーラに包まれた公主様が歩いてくるのが見えた。背を正し、凛とした佇まい。歩幅は規則正しく一定のリズムを刻み、けれど優美でしなやかな所作は、その美貌と合わさって見る者をとりこにする。


「どうしたんだ? そんなところでしゃがみこんで」


 頭を抱えてしゃがみ込んでいる麒翔きしょうを見つけた公主様が、小首を傾げてそう言った。告げ口してやろうと麒翔きしょうは立ち上がったが、紅蘭こうらんの殺気がしゃべったら殺すとばかりにプロミネンスを生成し始めたので、大事をとって閉口へいこうした。が、


「なんでもありません。お姉様の言いつけどおり、親交を深めていたところです」


 などと嘘八百を並び立てたので、麒翔きしょうは我慢がならずツッコんだ。


「嘘をつくな、嘘を! おまえが一方的に意味のわからん理由でキスを迫ってきたんだろうが!!」


 しかし、麒翔きしょうは未だに公主様の思考回路、何を是とするのかをきちんと理解していなかった。もし理解していたなら、そのセリフは出てこなかったはずである。公主様は両手を胸元へ持っていくと、目をキラキラと輝かせて、


「そうか。ならば早く済ませてしまおう」

「済まさねえよ!?」


 なんてことはない。

 厄介な狂人が一人増えただけのことである。

 幸せ団欒だんらん計画は割と本気であるのかもしれない。


「んなことより、魅恩みおん先生を見なかったか。見失っちまったんだ」


 流石に皇族という名の狂人を二人も相手にはしていられないので、一般市民である麒翔きしょうはすかさず話題を変えた。同じ市民陣営の桜華も、若干引いているようだ。

 紅蘭こうらんと違って素直な性格の公主様は、嫌な顔一つせず、神妙に頷くと予想だにしないことを口にした。


「ずっと、あなたを探していた。行方不明だった女子生徒が見つかったぞ」






――――――――――――――――――――

【ご連絡】

 週二更新だと話を忘れちゃって楽しめないと思うので、更新間隔を狭めることにしました。

 具体的には二日に一回ペースの更新とし、終盤のシリアス展開時には毎日更新へ切り替えます。できるだけ楽しんで頂きたいとの思いからの措置ですが、その代わり、三章完結後はしばらく休載期間を取らせて頂く予定です。(閑話はいくつか用意しておきます)


 以下が、今後の予定です。

 57~66話 二日に一回の更新。

 67~72話 毎日更新。

 73話以降 四章を書き終えるまで休載。再開後は週二更新を予定。


 以上です。よろしくお願いしますm(_ _)m

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