第55話 火魔術担当・明火教諭

 こちらがをエレシア・イクノーシスに


 狡猾に立ち回る殺人鬼に一泡吹かせるためには、自分は優位にあるのだと、風上に立っているのだと錯覚させておかなければならない。


 そしてその慢心を利用し、一気に叩く。


 現在麒翔きしょうたちは、学園に隠れ潜む殺人鬼から、いつ奇襲を受けてもおかしくない危機的状況に追い込まれている。だがその一方で、犯人の特定さえ可能なら、逆に奇襲を仕掛けられるという千載一遇せんざいいちぐうの好機にもあった。


 風下に立たされたフリをして道化を演じ、その隙にこっそり風上から回り込んで、殺人鬼の鼻っ面に強烈な一撃を叩き込む。この作戦ミッションを成功させるためには、普段通りの自然体でいることが望ましい。


 そう。相手が誰であったとしても。

 油断することなく慎重に事を運ばなければならない。




 ◇◇◇◇◇


 縦長の室内。

 引き戸となっている黒塗りの鉄扉の先は、牢獄のような圧迫された閉鎖空間だった。分厚い石壁に囲まれた牢獄のようなそこには、簡素な応接テーブルとソファーが置かれている。その奥には、執務机と革張りの椅子が一脚。入口から見て最奥部の壁には明り取り用の小窓があるが、鉄格子が嵌められ出られないようになっていた。


 龍人族の建物には、特殊な魔術加工が施されていて、力の強い龍人が暴れても簡単には壊れないように設計されている。これほど堅牢な造りとなると、いかに力の強い龍人であろうとも破壊するのは難しいだろう。


 赤いカーペットを進み、促されるまま応接用ソファーに腰を下ろした麒翔きしょうは、隣に座る桜華をチラリと見た。そして正面のソファーへ視線を向け、


「思ったよりもかび臭い場所なんですね」

「元々は懲罰房ちょうばつぼうだったものを改装したのだから当然ですわ」


 腕組みしたまま連れない態度で明火めいび教諭が応じた。顎をツンと上げ、不快そうに眉をひそめている。六人の女教師の中で、麒翔きしょうを一番毛嫌いしているのが彼女だった。


「随分と圧迫感のある部屋だけど、相変わらず先生の圧もすごい」


 麒翔きしょうが軽口を叩くと、ギロリと明火めいび教諭に睨みつけられた。その鋭利な視線に怯むことなく、麒翔きしょう飄々ひょうひょうとした態度を崩さない。


「こんなに圧迫感があったんじゃくつろげないでしょう。それとも明火めいび先生だけ罰でも受けているんですか? 他の先生の部屋はもっと広いとか」

「貴方こそ相変わらず失礼な生徒ですわ。教師は皆対等。待遇たいぐうに差があるはずないでしょう。まったく能力だけでなく、頭の方も足りていないようね」


 ――間取りは同じ。貴重な情報を脳内にメモする。

 もう一度、麒翔きしょうは素早く室内を見回した。右手。分厚い石壁には切れ目があり、もう一つ鉄扉が存在している。あの先にも部屋があるのだとすれば、魅恩教諭の私室にも同じ部屋があるということになる。


 麒翔きしょうは軽く肩をすくめて見せた。


「隣は寝室ですか? 埃臭くて仮眠には向かないと思いますが」

「貴方、もしかして本当に頭が足りてませんの?」


 吐き捨てるように明火めいび教諭が言った。言われるまでもなく寝室でないことぐらい百も承知だが、すべてわかった上で、あえて挑発する。


「へえ、やけに辛辣しんらつですね。ああ、もしかして何か後ろ暗いことでもあるんですか? 例えば、男を連れ込んでる、とか」


 ダンッ! と応接テーブルに拳が打ち付けられた。

 見れば、縦巻ロールのドリルの先が、怒りの《気》によって逆立ち天を突いている。悪鬼の如き形相に厚化粧がひび割れているが、流石にそれを指摘するのははばかられた。


 自尊心の高い明火めいび教諭のことである。間違いなく挑発に乗ってくるだろうとは思っていたが、想像以上に怒り心頭の様子に麒翔きしょうは内心で鼻白はなじろむ。隣に座る桜華が、ひじで脇腹を小突いてきた。


「ちょっと翔くん、それはまずいって」


 龍人女子は名節を重んじる。群れに入ってからは、群れの主人にのみ忠誠を尽くし、他の男になびくことはない。己の忠誠心を踏みにじるような言動に、明火めいび教諭が怒りをあらわにするのは当然であるし、そのことは麒翔きしょうも重々承知しているが、


明火めいび先生は、優秀な男子生徒が好きですもんね。俺なんか相手にもされない」


 内心の動揺を表に出さないよう不敵に笑い、あえての憎まれ口を叩く。


 アリバイがあるとはいえ、明火めいび教諭が完全に白と決まったわけではない。ならば彼女がエレシア・イクノーシスであることも想定して、動くべきなのである。

 あるいは、丁寧な態度で接した方が情報を引き出しやすいのかもしれないが、それは普段の麒翔きしょうを知る明火めいび教諭からしたらに映るだろう。


 だから普段通り。

 教師に反発する生徒を演じながら必要な情報を集める必要がある。


「大丈夫ですよ、隠さなくても。俺、口は堅いんで」


 自尊心の高い明火めいび教諭が、無能と蔑む生徒に挑発されて黙っているはずがない。まずは己の潔白けっぱくを証明するだろうと、散々バチバチとやり合ってきた経験上、容易に想像がついた。そして実際、その通りになった。


 隣室へ続く鉄扉が乱暴に開け放たれる。


「見なさい! どこにベッドがあると言うのか。さぁ!」


 仕方ないな、確認してあげますよ――というていで、麒翔きしょうは隣室を覗いた。そこは倉庫のようだった。魔道具の類が乱雑に置かれている。本棚も二台あり、統一感のない不揃いな大きさの本が並べられている。


「なぜ本があるんです? 資料室はあるのに」

「いちいち取りに行くのは面倒でしょう。少しは無い頭で考えなさい」


 授業でよく使う本はここに置いているということらしい。

 もっとよく確認したかったが、ピシャリと鉄扉が閉められてしまったので、麒翔きしょうは肩をすくめて吐息といきする。


「すみません、訂正しますね。明火めいび先生は男を連れ込めるほどモテない、というのを忘れていました」


 クワッと殺気がほとばしり、明火めいび教諭の周囲で陽炎かげろうが発生した。揺らめく蜃気楼しんきろうは、光を屈折させ像を曖昧にする。犬歯を剥き出しにして噛みつくように明火めいび教諭が言う。


「毎度毎度、憎たらしい生徒ガキですわ。生徒でなければ八つ裂きにしているところよ」

「それはお互い様でしょう。何も言い返さなかったら好き勝手にののしってくれるじゃないですか」


 平身低頭へいしんていとう。頭を下げてやり過ごそうとすれば、その頭を踏みつけられるのが龍人社会である。人間社会での処世術しょせいじゅつは、ここでは通用しない。


 それに強気でぶつかっていけば、存外、舐められることはない。


「それで一体何の用です。こっちもそんなに暇じゃないんですよ」


 麒翔きしょうはソファーにふんぞり返るように座ると、太々しくも言ってのけた。桜華がオロオロと居心地悪そうにしている。明火めいび教諭も席に戻ると、ひじ掛けに頬杖をついて大仰に口を開く。


「もう授業は始まっているはずだけれど、貴方たちは何をやっていたのかしら。一年生の次の授業は必修科目の吐息ブレスでしょう」

「サボりです」

「ちょっと翔くん」


 即答した麒翔きしょうの脇腹を、桜華が少し強めに小突いてきた。


「というのは冗談で。実は、朝から知り合いの女子生徒の姿が見えなくて。心配なので魅恩先生に相談しようかと思いまして」


 これは魅恩教諭の私室を訪れるための方便で、元から用意しておいた建前である。

 明火めいび教諭の顔色が変わった。


「何かご存知なんですか?」

「貴方が知る必要はありませんわ」


 一瞬だけ目が泳いだのを麒翔きしょうは見逃さなかった。しかし次の一手を打つ前に、明火めいび教諭が聞き捨てならないことを口走った。


「そんなことより貴方。黒陽公主と婚約して随分と調子に乗っているそうじゃない」

「俺が調子に乗ってる? 冗談でしょう。態度が太々しいのは認めますが、それはあんたたちが力で押さえつけようとしてくるからだ」


 公主様と婚約したのは、あくまで彼女のことを愛おしいと思ったから。一生を添い遂げるつもりで受け入れた。権力を手にするとか、利益を享受きょうじゅできるとか、そういう俗人的で不純な動機では断じてない。不名誉な言い掛かりに、麒翔きしょうは頭がカッと熱くなるのを抑えきれなかった。


「公主様を後ろ盾に好き勝手やっている、なんて言われるのは心外ですね」


 内心の動揺を読まれてしまったのか、明火めいび教諭は余裕を取り戻している。


「事実、学園長に盾突いたそうではありませんか。あの方に噛みつくなんて恐れ多いこと、わたくしにだってできないというのに。黒陽公主の威光がなければ、タダでは済まないところですわよ?」


 ぐっ、と麒翔きしょうは奥歯を噛んだ。すぐに反論がでてこない。一理あることを認めてしまったからだ。ギシリとソファーをきしませて、前屈みに明火めいび教諭を睨む。と、その熱の篭もった視線を涼しい顔で受け流し、明火めいび教諭は人差し指を立てた。


「一つ。貴方は思っていたよりも優秀なようだから忠告してあげますわ。黒陽公主の母君である将妃様も、結婚には反対なのよ。これがどういう意味かおわかり?」


 視線を明火めいび教諭から外し、握り込んだ両の拳へ落とす。


「わかってますよ。難しいことぐらい。だけど俺は、黒陽を娶るって決めたんだ。誰に反対されたってそれは変わらない。例え、黒陽の母親だったとしても」


 反対するか罵るか、あるいは笑い飛ばすか――確実に来るであろう衝撃に身構えていた麒翔きしょうであったが、なぜだか明火めいび教諭はその答えを聞いて満足げに頷いた。


「そうですわ。龍人男子たるもの惚れた女のために気概きがいを見せるべし。この程度のことで諦めていては話になりません。ですが学園長を敵に回した以上、近い将来試練が訪れるでしょう」


「試練?」

「そう、試練ですわ。貴方が黒陽公主に相応しいかどうか、試されるはずです。その時こそ、このわたくしの出番となるでしょう。直々に、叩き潰して差し上げますわ」


 そう言って、明火めいび教諭は自信満々に意地の悪い笑みを浮かべたのだった。




 ◇◇◇◇◇


 教師棟に用意された私室は、待機室と準備室に分かれている。

 準備室は文字通り、授業で使う資料や教材を置いておくための部屋である。

 普段、教師たちは授業の合間に待機室で休むし、来客があった場合はそちらで対応する。教科書などの使用頻度の高い教材は、待機室の執務机に積まれているので、実は準備室に入ることはほとんどない。


 つまり、には打って付けなのである。


「でも、それだけじゃ不十分ですわ」


 重い鉄扉をスライドさせて、エレシア・イクノーシスは準備室に侵入した。ツカツカと本棚へ歩み寄り、本棚の裏に設置された隠しスイッチを慣れた手付きで押し込む。すると、カチッと音がして石の床が可動を開始した。


「ふふっ、疑われた時のためにこのぐらいはしておかないとね」


 可変した床下には階段が隠されており、ぽっかり空いた闇が階下へと続いていた。

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