第54話 教師棟

 下院には、火水土風光闇の六属性に対応して六人の女教師たちが在籍している。彼女たちはそれぞれが得意とする属性の授業を受け持っており、例えば火の魔術なら縦巻きロールで厚化粧が特徴の明火めいび教諭の担当となる。


「桜華なら、てかこの学園の生徒なら誰だって知ってるよな。龍人は己の得意とする属性を磨いて強くなっていく種族だって」


 ――適性属性なし。


 龍人は己の適性ある魔術しか習得することができない。ゆえに麒翔きしょうは、学園の授業を受けても意味がないものとみなされ、退学を要求された。


「つまり、女教師でさえ己の適性属性以外の魔術は扱えないってことだ」

「でもさ」


 屋根だけの渡り廊下。

 雨風が強く吹きすさび、桜華がぶるっと身を震わせ言った。


「エレシア・イクノーシスは元々は西方人――人間だったんでしょ。人間は全属性に適性があるんだから呪術も使えるんじゃないのかな」


 天候の急変。その寒さからか桜華が腕にしがみつくようにして身を寄せてきた。その体温を左半身に感じて麒翔きしょうはドギマギしながら、ゆるやかに首を振る。


「元は全属性に適性のある人間だったとしても、現在使っている肉体が龍人のものであるなら、この原則からは逃れられない。というか俺なんて半分人間なのに、この原則に縛られてるぐらいだからな」


 そして呪術が闇属性である以上、必然的に犯人の適性属性は闇だと確定する。


魅恩みおん先生が闇属性担当で風曄ふうか先生が風属性担当。どちらが怪しいかは一目瞭然だ」

「そっか。風属性の龍人に呪術は使えないもんね」

「ああ、もしも適性属性以外の属性を扱えるのだとしたら、俺だって魔術を習得できるという理屈になる。だが、言うまでもなくこれは不可能だ」

「だから犯人は魅恩みおん先生なんだね」


 素直な反応を見せる桜華に対して、麒翔きしょうはあくまで慎重だった。


「学園長の属性がわからない以上、確定とまでは言わない。一番怪しいのが魅恩みおん先生で、その次が学園長だ。二者択一って話だったけど、適性属性の問題から俺は風曄ふうか先生を疑っていない」


 渡り廊下を進んでいた魅恩みおん教諭の後ろ姿が、教師棟の中へ消えていく。

 見失わないよう足を早めながら、雨で濡れた顔を麒翔きしょうは拭った。


「それに魅恩みおん先生が怪しい点は他にもある。エレシア・イクノーシスは《剣気》を扱えていた」


 そこで麒翔きしょうは、横を歩く少女が不思議そうに首を傾げているのを見て、言葉足らずに思い至り補足する。


「《剣気》ってのは、まぁ要するに達人の境地に至った剣豪のみが習得できる《気》の上位互換みたいなもんだ。ちなみに、同じ境地に達した者にしか見ることはできないし、感じることもできない。そして魅恩みおん先生は剣術の達人だ」


 桜華の「ほへー」と間の抜けた相槌あいづちが挟まれる。お気楽ワールドに引きずり込まれないように麒翔きしょうはかぶりを振り、


「武器の携帯を禁じたのも魅恩みおん先生だったし、遠征地を獣王の森と定めたのも魅恩みおん先生だった。すべての状況が魅恩みおん先生を犯人だと示している」


 話している間に、教師棟の入口にたどり着いていた。

 本校舎と比べれば、さほど大きくない建物だ。石壁にはつたが絡みついており、森に佇む洋館のような外観となっている。厚みのあるドッシリとした扉に手を掛ける。一気に引き開けようとしたところで、桜華の小さな両手が、握ったドアノブごと包み込むように重ねられた。


「それで翔くんは、これからどうするつもりなの」

「犯人を特定してエレシア・イクノーシスを殺す」


 倒す、ではなく殺すと宣言したのは、麒翔きしょうの決意の表れである。

 今でも時折、獣王の森でボロボロになった公主様の夢を見ることがある。両腕がへし折れ、壊れた人形のように地面へ横たわる姿が、血まみれの痛々しい姿が、悪夢として映し出されるたびに、飛び起きるようにして目を覚ます。


 もしも公主様が失われてしまっていたら。そう考えるだけで身も凍るような恐怖を覚える。身悶みもだえするような焦燥しょうそうが全身を締め付けてくるのだ。婚約を経た頃より、一層強く彼女を意識するようになった。本気で一途なその想いを、捧げられる献身を肌に感じて、愛おしさが日に日に増していく。


 ――こんなにいい女、他にどこを探したっていやしない。


 自我を消され、公主様が公主様でなくなった時。果たして自分は耐えられるのだろうか。否、絶対に耐えられないだろう。


 だからこそ、同じ過ちを繰り返さないためにも、この不安を消し去るためにも、エレシア・イクノーシスを討たねばならない。いかなる犠牲を払おうとも。


 だが同時に、現実的に考えてそれが難しいことも麒翔きしょうは理解していた。


「わかってる。不安なんだろ。俺にできるのかって」

「不安とまでは言わないけど……陽ちゃんに相談した方がいいよ」

「それはできない」

「なんで!」

「狙われているのが黒陽あいつだからだ」


 今から突入するのは敵の本丸。罠が仕掛けられていてもおかしくない。そんなところへ公主様を連れて行くのは危険すぎる。


「飛んで火に入るなんとやら、カモネギだ。ましてやあいつは、自分の身をかえりみずに仲間を守るような奴なんだぞ」


 獣王の森での一件が頭を過ったのか、桜華がハッと顔を強張らせた。


「でも、だったら翔くんだって危ないじゃん」

「龍人男子には群れを守る義務がある。そうだろ?」

「うー、それはそうだけど」

「それに俺にはこれがある。丸腰じゃない」


 腰にぶら下げた模擬刀に手をかける。《剣気》をまとえば、並みの真剣など及びもしないほど殺傷力が高まる。手加減なしの殺し合いとなれば、麒翔きしょうは教師にだって負けない自信があった。


「だけど確かに危険だな。桜華おまえは戻った方がいい」

「やだ。わたしも行く」


 ドアノブを掴んだ右手がぎゅっと強く握られた。桜華の胸元へチラリと目をやり、龍衣の内側に隠されたそれを想像する。


 ――破邪はじゃのタリスマン。


 それは【城塞じょうさい】と呼ばれる最上級の装身具で、対呪術に関しては鉄壁の防御力を誇る。公主様が用意した名工の一品で、これ一つで豪奢ごうしゃな屋敷が建つそうだ。


(どうする。おそらくタリスマンに守られている桜華は安全だ。それにトラップが仕掛けられていた場合、タリスマンの加護が働いて術式をあぶり出せるかもしれない。だが、万が一を考えると……)


 桜華を連れてきたのは失敗だったかもしれない、と麒翔きしょう逡巡しゅんじゅんしていると、教師棟の扉が外側にギィと開いた。反対側のドアノブを桜華が引いたのだ。


「グズグズしてないで早くいこ」


 そう言って、躊躇することなく教師棟へ入っていく。それはさながら大口を開けたバケモノの体内へ入っていくかのよう。麒翔きしょうは慌ててその後を追った。


 扉を潜ると、かび臭さが鼻を突いた。そして酷く薄暗い。

 耳を澄ます。足音は聞こえない。


 教師棟には魅恩みおん教諭の命令で、荷物運び役として何度か入ったことがある。本校舎から続く渡り廊下から入ったこちら側は、裏口のようなものであり、玄関を挟まず直接館内へと繋がっている。右手には階段があり、左手にはL字に続く廊下がある。


「たしか魅恩みおん先生は一階を使っていたはずだ」


 記憶を頼りにL字通路へ向かう。

 途中、人の気配に反応した魔術起動式のランプに火が灯された。長い廊下の先まで等間隔に置かれたランプが一斉に灯り、煌々こうこうと橙の光が続いている。

 左手に並ぶ小さな明り取りの窓は、悪天候も合わさってほとんど機能していない。冷たいガラスの先には黒雲が渦巻いている。


「夜みたいに真っ暗だね」


 小窓にぶつかる雨粒を眺めながら桜華が言った。


「まぁ、教師棟ここはいつも薄暗いけどな」


 忍び足で慎重に歩を進める。ひやりとした冷気が床から草履を伝わり、足裏が冷える感覚に麒翔きしょうはぶるっと身を震わせた。冷え固まった体が緊張に強張っている。


 日常に潜む魔が物陰に潜み、今もこちらを窺っている。そんな錯覚を感じ、麒翔きしょうはゴクリと生唾なまつばを飲み込んだ。もしかすると本当に、エレシア・イクノーシスに見られているのかもしれない。


(いいや、それはない。魅恩みおん先生の後をつけてきたんだ。今、彼女は自室にいる)


 疑念を振り払うように首を振ると、唐突に脇腹を桜華に小突かれた。


「痛っ! なにすんだよ」

「警戒しすぎ。自然体でいなきゃダメでしょ」


 ぐいっと腕を取られ、カップルがそうするように密着してきた桜華が耳元で囁くように言った。無いはずの胸の感触が彼女の体温と共に、少しだけ二の腕に伝わってくる。麒翔きしょうの体温は二度ほど上昇したが、桜華は意に介さないまま息を吐く。


「それでこの後の段取りはどうなってるの」


 犯人に確信が持てない以上、迂闊うかつに仕掛けるわけにもいかない。無実の教師を襲った場合、龍皇への反逆とみなされる可能性が高い。


「まずは犯人を特定する」

「どうやって?」

「行方不明になった女子生徒を探す。おそらく予備スペアに加工された女子生徒は、魂の抜けた人形のような状態で横たわっているはずだ。そして万が一の時のために、手近に置いておこうと考えるのが人間心理ってもんだろ。なら、近場で誰にも見つかることなく隠しておける場所って言ったらどこだと思う」


 桜華が目をまん丸にして頷く。


「そっか。教師の自由にできるプライベート空間は教師棟ここか宿舎ぐらいだもんね」


 下院の女教師は上院の敷地に滅多なことでは踏み入らない。このことから、上院の敷地に女子生徒を隠しているという可能性は極端に低くなる。そうすると残された選択肢は、教師棟か宿舎となるが、


「宿舎はハウスキーパーの清掃が入るだろ。だから一番怪しいのはこっちだ」


 教師棟には、授業準備用に教師ごとの専用スペースが割り振られている。壁は分厚い石壁で、外部に音が漏れる心配もない。女子生徒を隠しておくには最適な条件といえるだろう。


 教師棟は二階建てで、一階には資料室と教師たちの私室が三部屋並んでいる。一番手前が風曄ふうか教諭の私室、その隣が明火めいび教諭の私室、そして最後に魅恩みおん教諭の私室がある。資料室はその更に奥だ。


「でも、だったら魅恩みおん先生がいない頃を見計らって侵入した方がいいんじゃない?」


 明火めいび教諭の私室を通り過ぎた辺りで、桜華が小声で言った。腕を取られ密着する形になっているので、息が耳たぶにかかった。


「侵入がバレたら退学処分になりかねないからな。まずは様子見。不意打ちで部屋を訪ねて動揺するかどうか見る」


 動揺を少しでも見せるようなら次は強硬策きょうこうさく――不在時の侵入を試みる。出たとこ勝負の側面が強く、とても作戦などと呼べる代物ではない。しかし、迂闊うかつに動けない現状、麒翔きしょうが取れる選択肢も限られていた。


 魅恩みおん教諭の私室の前へたどり着く。

 分厚い石壁の隙間にくぼみができていて、黒塗りの鉄扉がめ込まれている。どこか牢獄ろうごくを思わせるその分厚い扉に、麒翔きしょうは拳をえながら確認するように言う。


「いいか? 俺たちが奴の存在に気付いていると気取られるなよ」

「う、うん」


 桜華が自信なさげに頷く。

 大きく息を吸いこみ、手首のスナップを利かせてノックを――


「あなたたち、そこで何をしているんですの」


 とがめるような声に、腕に抱き着いた桜華がビクッと肩を震わせた。麒翔きしょうも背筋に電気が走り、反射的に声のした方を振り向いていた。そこにいたのは、両の腰に手を当てた姿勢で、不審げにこちらを睨みつける縦巻ロールの厚化粧――明火めいび教諭だった。

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