第69話 公主様に愛を叫ぶ

 体を捻るようにしてかわしたその脇腹を、呪力の込められた闇の波動が「ごう!」と音を立てて通過した。かすった龍衣ごと消し飛ばし、背後の空間が激しくぜた。大小に砕かれたブロックレンガの破片と爆風を背に受け、額に浮かんだ冷や汗を拭うと麒翔きしょうは悪態をついた。


「まったく、俺の嫁は本当に優秀すぎて参っちまうぜ」


 ほんの数センチ先をかすめただけだというのに、千切れ飛んだ龍衣の隙間から覗く脇腹には、あざのような赤味が差してある。背後の壁をチラリと見れば、魔術加工が施された頑丈なブロックレンガが破砕はさいされ、大穴が空いていた。


「よく考えてみりゃ、アダマンタイト製のまとを根本から吹き飛ばすんだから、そりゃ時計塔の壁ぐらいわけなく砕けるわな」


 軽口を叩き、それでいて油断なく腰を落として身構える麒翔きしょうとは対照的に、エレシア・イクノーシスはその美しい顔に嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべて、両手を広げると天を仰いだ。それはまるで、ランプの灯だけが頼りの薄暗い塔内に、天使が降臨したかのような神秘的な光景であった。


「素晴らしいですわ。十五の幼龍こどもの身体でこの威力。このまま研鑽けんさんを積み重ね、成龍おとなになったら一体どれほどの出力がでるのか。わたくし、想像しただけでワクワクしてしまいますわ」


 広げていた両手でそのまま自身の体を包むように抱き、エレシアがぶるぶるっと身震いしてみせた。我が物顔で恋人の身体を占拠する厚かましき略奪者に、麒翔きしょうは苛立ちを隠すようにかぶりを振った。


「残念だったな。てめぇがその身体を好き勝手できるのもここまでだ」

「あら? 魔術も使えない出来損ないのあなたに何ができるというのかしら?」

「ああ。こんな出来損ないの俺でも、どうやらできることがあるらしい」

「だったらその悪あがき、見せてもらいましょうか!」


 再び、エレシアの掌が照準を定めるように前方へ突き出される。


呪蝕ジュショク!」


 轟! と唸りをあげて、呪力を伴った闇の波動が射出された。が、十分な準備を終えていた麒翔きしょうは、腰から模擬刀を引き抜き、炎のように猛る《剣気》で迎え撃った。

 高出力の呪力波へそれ以上の強いエネルギーをぶつけて相殺する。接近戦――剣の間合いにおいて、《剣気》は無類の強さを発揮する。


 漆黒の呪力波から断末魔を思わせる怨嗟えんさの声があがった。

 キィィーン、と耳障りな音を残して、塔内に静寂が戻る。

 エレシアの放った吐息ブレスを遥かに上回る津波のような《剣気》が、勝どきをあげるようにボワッと一瞬だけ燃え上がって消えた。その圧倒的なエネルギー量を前にしても、エレシアはいささかも怯むことなく邪悪に口角を吊り上げている。


「あの時のように肩口からバッサリとやりますか? ふふふ、それは無理でしょうね。他人と愛する者とではまるで別。命の価値が違いますからね」

「命の価値が違う、か……言い方は悪いが、まぁ間違っちゃいない。俺は黒陽の命を守るためなら、教師だって叩き斬る覚悟でいたからな」


 軽口を叩きながら麒翔きしょうは考える。現実問題として、公主様の身体を叩き斬ることはもちろん、傷一つつけるわけにもいかない。必然、彼にできるのは公主様が目覚めることを祈って愛を叫び続けることのみ。


 と、地面に投影された麒翔きしょうの影が、突如としてにゅっと立体的に浮き上がった。瞬間、鋭利な二等辺三角形の切っ先が喉元めがけて突き上げられる。これを麒翔きしょうは上体を捻ってかわし、同時に模擬刀を振るって、その黒く沈む陰影いんえいへ刃を合わせていた。


 紫炎の《剣気》が躍動やくどうし、魔術によって息を吹き込まれた影をあっさり両断する。二つに分かたれた影は、蒸発するように大気へ溶けて消えた。


「あはははは! 無詠唱をこんなにも簡単に! なんという使い勝手の良い体なのでしょう! 素晴らしい、素晴らしいですわ」


 高笑いをあげたエレシアが、今度は右の拳を握るような仕草を見せた。

 麒翔きしょうは危険を察して速やかに跳躍ちょうやく、その後を追うように黒い鎖が地面から射出された。波打ちうねるようにして不規則な軌道が追ってくる。螺旋らせん階段の手すりを足場にもう一段高く跳躍すると、黒い鎖の群れは大挙して螺旋階段へと殺到した。


 激しい破砕音はさいおん

 方向転換の間に合わなかった黒い鎖の群れは、目標をロストして螺旋階段の手すりを破壊。粉塵ふんじんほこりを巻き上げた。

 地上数十メートルを滞空しながら麒翔きしょうはポリポリと頬をかき、


「あー、どこまで話したんだったかな。ああ、そうそう。一目惚れだったって話までだったか。黒陽おまえは知らないだろうけど、下院で再会した時は、どうしようもなく胸が高鳴ったんだぜ。運命を感じたりもした」


 と、その告白を邪魔するように中空へ巨大なギロチンの刃が出現。これを最大出力の《剣気》で合わせ、力任せに押し返しながら、


「夜闇の決闘で勝利した時は、鎌を掛けるつもりで『俺のモノになれ』なんて言ったけど、あれは半分本気だった。メチャクチャにしたい衝動を抑えるのにどれだけ苦労したか。知らなかったろ?」


 魔術増幅用の装身具込みで放たれた闇魔術は、獣王の森で目にした時よりも出力が上がっていて、麒翔きしょうの本気をもってしてもギロチンの軌道を変えるのが精一杯だった。刃の落下と同時に地面へ穿たれる穴、そして大きな振動。時計塔が根底からぐらつき揺れる。ほぼ着地が同時だった麒翔きしょうは、大きくバランスを崩した。


「って、やべえ!?」

「ふふふっ! この性能を相手によくもった方……と褒めてあげましょうか」


 大きくたたらを踏んで顔を上げた正面には、エレシアが準備万端という体勢で待ち構えていた。凛と正した佇まい、漆黒の黒髪が全身にみなぎった《気》の動きに合わせて静かに波打っている。白く細い腕先を優美に前方へかざす。ただそれだけでかくも美しく映るものなのか。


 だがその掌は、一切の慈悲なくこちらへ真っ直ぐ向けられている。それは吐息ブレスの銃口を突き付けられているも同じ。かすっただけであの威力。まともに食らえばタダでは済まない。焦りから地面を踏む草履が水滴で滑る。


 十分な《剣気》は練れておらず、またバランスを崩したことで回避へ繋げる初動を逃し、隙だらけとなった麒翔きしょうは絶体絶命かに思われた。が、吐息ブレス発射の瞬間、エレシアの掌はその反動に耐えられなかったのか上方へ大きくブレた。大出力の闇の波動が、轟! と、斜め上空へと射出される。


 唸りをあげた強力な呪力波が、螺旋階段と壁面を大きく削り、雨の降りしきる庭園の上空へと抜けていく。いかに高出力の吐息ブレスといえど、その反動はどうにも不自然で、人為的な意思が介在しているように麒翔きしょうには見えた。


「クソッ、なぜ狙いがれたの。こんなこと今まで一度も」

「そうか。そういうことか」


 片眉を吊り上げ、悔しそうに歯噛みするエレシアを視界に収め、麒翔きしょうはその直感を確信へと変えた。


 エレシアの苛立ちに呼応するように、彼女の影からビー玉サイズの黒い泡がボコボコと浮き上がり、無数の黒点となり空中へ固定されていく。エレシアの姿が見えなくなるほどに黒い弾丸のようなそれがひしめき合う様子を見て、次に放たれる攻撃をイメージした麒翔きしょうは、ブロックレンガで構成された地面を思いっきり蹴り飛ばした。


黒陽おまえはいつだって俺のために尽くしてくれるよな。適性属性の問題だってそうだ。まだ黒陽おまえを受け入れるかどうかもわからない内から、遠征先にまで分厚い本を持参して調べてくれていたんだろ」


 黒い弾丸が、一瞬前に麒翔きしょうがいた場所へ突き刺さった。続いて、エレシアの周囲に浮く黒い弾丸は、動き回る麒翔きしょうを狙って次から次へと鋭く放たれ続ける。高速で塔内を走り回り、その追撃を回避していく。横の動きだけではない。縦の動きも混ぜ合わせ、照準を絞りにくくする。


「群れを作るのだってそうだ。俺と考え方も価値観も違うけど、根底にあるのは俺への忠誠心なんだろ。正直、有難ありがた迷惑って気持ちもないわけじゃないが、黒陽おまえ真心まごころ自体は疑っちゃいない。まぁ俺としちゃ、もっと二人でゆっくりしたいんだけどな」


 腕の振りを大きく取り、小回りを利かせて一歩は控え目に取る。とにかく足を死に物狂いで動かしまくる。高速で回転する両足は、円柱状の塔内の壁を水平に走れるほどに速かった。


 エレシアが美しい狂騒きょうそうを浮かべ、目を血走らせて指揮者のように腕を振るう。

 その合図を受けて何百という弾丸が一塊となって、ダース単位で射出される。


 ズドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!


 辺り一面に、機銃掃射きじゅうそうしゃのような弾丸の雨が降り注ぐ。

 壁面へめり込むように無数の弾丸がスタンプされ、360度全方位に回避運動を続ける麒翔きしょうの背を捕まえようと、背後僅か三十センチの位置にその照準が迫っている。

 円筒状の塔内をハムスターのごとく駆け回る。少しでも足を止めれば蜂の巣にされる状況。酸欠に悲鳴をあげる肺を叱咤しったするようにして、その着弾音に負けないように麒翔きしょうは叫ぶ。


「口下手の黒陽おまえはいつも一人で戦おうとするよな。獣王の森の時だってそうだ。だけどそれは最善の選択で、誰一人欠けることなく戻ってこれたのは、黒陽おまえのおかげだった。そして今回もそうなんだろ。この選択こそが、みんなが笑って過ごすことのできるただひとつの道だった。だから黒陽おまえは迷うことなく選び取ったんだ」


 ズドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!

 銃弾の雨をい潜り、麒翔きしょうは少しずつ公主様との距離を詰めていく。


 ズドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!

 塔を構成するブロックレンガに弾丸が突き刺さり、粉塵ふんじんを上げる。


 ズドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!

 次第に粉塵は、薄暗い塔内をさらに不明瞭なものへと変えていく。


 蜂の巣となったブロックレンガから立ち昇る煙幕のような粉塵。視界が悪化したその一瞬の隙を突いて、麒翔きしょうは一気に方向転換した。


「だったら早く、みんなで笑うために戻ってこいよ!」


 真っ直ぐ公主様へ向けて、全速力で駆け抜けてゆく。

 最短距離を全力で、二人の距離を縮めるために疾走する。


「さっきからこの男は、何をピーピーとさえずって――――!?」


 ボッと煙幕を突き破るようにエレシアの視界に麒翔きしょうが出現。


 煙幕を利用して敢行かんこうされたその奇襲に対し、エレシアは驚愕きょうがくしながらも周囲に浮かべた残りの弾丸をすべて投入して迎え撃った。


 剣に宿す《気》を昇華させると《剣気》へと変わる。同様に肉体に宿す《気》を昇華させると《闘気》へと変わる。麒翔きしょうが真に得意とするのは、剣術にあらず。《気》だ。《気》の理解を深め、極めることこそが彼の最終目標である。

 そして失われた秘術である《闘気》は、肉体を守る鎧の役目も果たす。身を小さく縮めて跳躍、被弾面積を抑えた上で両腕で顔面をガード。さらに《闘気》で全身をコーティング。殺到する黒の弾丸を真っ向から迎え入れた。


 それは金属音に近かった。

 キンッ! とか、ギンッ! とか、そんなような甲高い音が弾丸の数だけ打ち鳴らされる。


 分厚い弾幕を押しのけて、公主様の前へ立つ。

 エレシアが次の行動を起こす前に、その腕を取って力任せに押し倒した。


「婚約した時だってそうだ。俺の意図をんだ上で、俺のプライドを傷つけないようにうかがいを立てるような形で、どこまでも俺を立てたままリードしてくれた。こんなにいい女、他にどこを探したっていねえよな」


 いかに公主様がハイスペックな性能だと言っても、本気になった麒翔きしょうの腕力には敵わない。細い両腕を取り、股の間に足を差し込み、全身を使って抑え込むように体の自由を奪う。


「だけど今度は、リードされてじゃねえ。俺の方から、俺の意志で率先してやってやるよ」

「何をわけのわからないことを言っていますの! 放しなさい。目障りですわ」


 組み敷かれ、自由を奪われたエレシアは大口を開けた。


 ――ノータイムの闇の吐息ブレス


 桜華の妄言が頭を過る。


「愛する王子様のキスで目覚めるんだよ。知らないの?」


 反射的に、その大口を塞ぐように麒翔きしょうは唇を合わせていた。


 そのまま吐息ブレスが放たれれば、口内から頭を吹き飛ばされかねない。その危険を承知で、公主様の唇に吸い付く。


 ソフトなやつではない。本気ディープなやつだ。

 ずっとこうしてみたかった。毎夜の妄想を再現するように舌を絡ませ、貪るように公主様の唇を愛撫あいぶする。温かい唾液が二人の口内を行き交うたびに、脳髄のうずい甘美かんびしびれ、武者震いするほどの興奮を運んでくる。公主様の唇はとろけそうなほどに甘かった。


 これは公主様を目覚めさせるための儀式なのだという免罪符が、麒翔きしょうの行動を大胆にさせていた。一心不乱にその作業へ専念し、頭を空っぽにして没頭する。


 初めは激しい抵抗のあった公主様の体は、行為が激しく熱を帯びるに従って、次第に力を失い脱力していった。麒翔きしょうを受け入れるようにどこかほうけるような表情へと変わっていったようにさえ思える。そうして結局、長い間口づけは交わされたが、吐息ブレスが放たれることはなかった。


 最後に名残惜しそうに口を離すと、公主様は気を失うように目を閉じた。

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