第60話 予想外の奇襲
夜闇に
お城のような外観の下院本校舎。その三角屋根に隠れ潜む者を、暗闇に走る一筋の光が
三角屋根へうつ伏せに寝そべって、三角の
「大きく動いた以上、必ず数日以内に仕掛けてくるはずだ」
静かなる闘志を燃やすその人物――
眼下には手前に女子寮、その奥に教師用の宿舎がある。この高い位置からなら、その二つを視界に収め、監視することができる。
昼頃から始まった激しい雷雨は、夜半になってもその勢いが衰えることはなかった。ではなぜ、
雷雨により大気の《気》が乱されるので、平時よりも集中力は必要だが、生徒が行き交う昼間と比べれば、幾分マシではある。
六人の女教師たちが教師用宿舎に入ったのは確認している。あれから誰一人として、宿舎からでた者はいない。つまり、教師の中にエレシア・イクノーシスが潜んでいるのだとすれば、公主様の身は安全ということになる。唯一の例外は学園長の
一晩中雨に打たれる程度、なんてことはない。戦闘民族としての血が、意識を覚醒させ眠気を吹き飛ばす。
「
壊れたマリオネットのように地面へ横たわる公主様の姿が脳裏に浮かぶ。
ギリッと奥歯が鳴った。
「獣王の森での借りは必ず返す。必ずな」
憎悪に心が満たされ、雨に濡れた拳をぎゅっと握り込む。
「一つ確かなことは、黒陽に刃を突き立てようとするのなら、俺は
彼の決意は本物で、そして取った行動にもミスはなかった。
ただ一つだけ誤算があった。
◇◇◇◇◇
上院の敷地には多くの商業施設が併設されている。
ショッピングモールもその内の一つで、数多くのテナントが入った巨大施設は、夜半ということもあり現在は完全に営業を停止し、門戸は硬く閉ざされている。
職員さえも帰宅したショッピングモール内。
消灯し、明かりの落ちた大理石の床をカツコツと足音を響かせて、歩く影がある。赤と黒の龍衣。髪を後ろで一つに縛り、左耳には銀のイヤリングを付けている。気の強そうな眉尻と、眼光鋭い真紅の瞳はただ真っ直ぐ前だけを見つめている。
ショッピングモール内は、光沢の浮かぶ大理石の道が真っすぐ続いていて、その左右には四角く切られたテナントがひしめいている。モールは三階建てで、頭上を見上げれば、迷路のように空中回廊が張り巡らされていた。
モールの一角にある
そっと、冷たい銅像に触れる。
「…………」
自分が生まれる前の人物に思いを
「わかっていたわ。お姉様の選んだ人が優秀だってことぐらい」
適性属性なしの半龍人。
もし評判通りの男なら、黒陽公主が惚れるはずがないのだ。
だが、いくら優秀であったとしても――例え姉の言うように、龍王の器なのだとしても――
目をつぶり、昔のことを思い出す。
黒陽公主と出会ったのは五歳の頃だった。
◇◇◇◇◇
物心ついた頃から、
母は「はぐれ」と呼ばれる群れを持たない龍人だった。はぐれは縄張りを持たないので、各地を放浪し続けるしかない。一箇所に留まれば、縄張りを主張する他の群れと衝突してしまうからである。
ほぼ歩き詰めの生活は五歳児には辛かった。
柔らかな砂に足を取られ、ズデンと転んでしまう。その都度、母は優しく抱き起し、頭を撫でてくれた。過酷な旅が続き、泣きたくなることも幾度となくあったが、
砂漠という不毛の大地で、最も重要なのは水だ。
だが幸い、その確保に
豊かな土地ほど縄張り争いは
そうすると何の得もない砂漠のような場所であっても、縄張りを主張する群れ同士がぶつかることになる。
例え、母にその気がなくとも、縄張りを侵犯したと相手が判断すれば、否も応もなく戦闘は始まってしまう。幸い、母の
そんな中、救いの手を差し伸べてくれたのは、反逆者の残党を追って砂漠まで遠征してきた龍皇の
彼女は言った。
「私の部下になりなさい。群れに所属しないのは訳があるのでしょうけれど、娘を連れての放浪生活は無理があるわ」
母は悩んだ末に、この提案を受け入れた。
これは後になってわかったことだが、主人を失った龍人女子の
そしてはぐれは、龍人にとって
奴隷はその働き
だが将妃・
そして母が正式に盟妃の称号を与えられた晩、
「黒陽だ。よろしく頼む」
乏しい顔のまま、五歳児とは思えない堅苦しい挨拶で握手を求められた。
その美は当時にして相当の高みにあった。そして
黒陽公主には、同年代はもちろん年上の男子でさえ勝てる者はいなかった。五歳にして学園で修了予定の魔術は学び終えており、長い龍人族の歴史を見てみても、彼女ほどの逸材は、千年に一人生まれるかどうかと言われるほどである。
龍人女子は強い男を好きになる。だが、
「
「はい! お姉様!」
ひな鳥のように黒陽公主の後を付いて回り、元気良く返事をした。
「
「はい! お姉様!」
姉の美しい顔に見惚れ、話は頭に入ってこなかった。
「
「はい! お姉様!」
黒陽公主は、
彼女が嫁ぐことを決めたなら、
◇◇◇◇◇
回想に沈んでいた
人気のなくなったモール内。暗闇に沈む空間に気配を感じる。
「誰かいるの?」
無人の空間に甲高い
応答は返らなかった。だが、やはり気配を感じる。
毎日行っている故人への拝礼。今まで一度としてこのような気配を感じたことはない。それだけに暗闇に漂う人の気配は不気味だった。
現在は日付の変わった夜半過ぎ。学生は外出禁止時間であるし、モールの職員にしても、とっくに帰宅している。モールは現在、厳重に
つまり、もしも何者かが潜んでいるのだとしたら、それは学園規則を
ふと、行方不明となった女子生徒の話を思い出した。だが、学園は
圧縮された空気のようなものが腹部へ叩きつけられ、痛烈な痛みと共に衝撃で体が浮いた。そのまま後方へ吹き飛び、柱へ叩きつけられる。
「ぐっ……何者だ」
よろめきながらも
警鐘が脳内に鳴り響く。大きなダメージを受けている。
瞬時に、戦闘民族としての血が紅蘭を戦闘モードへと切り替えた。
銀のイヤリングを千切るように取り、握り込んだ拳を通して《気》を込める。
――
縦に長い八面体のイヤリングは、轟っ! と音を立て、燃え盛る紅蓮の槍へとその姿を変えた。長槍をブンブンと振り回し、切っ先を突き付けるように構えを取る。
そこでようやく相手を視認。
「人間? なぜ人間がここにいるのよ」
暗闇に溶け込むように金髪の少女が佇んでいる。西方人と思しきドレスに身を包んだその少女は、青い瞳を月光のように妖しく光らせた。
「こんな時間に夜遊びとはいけませんわ。悪い子にはお仕置きが必要かしらね」
「何者だ」
悠然と歩み寄る金髪の少女へ向けて、火輪槍を一分の隙もなく構えたまま、
「ふふふ、就寝前の点呼は終わっている。つまり、あなたが姿を消しても明日いっぱいは騒ぎにならない、ということですわ」
邪悪な
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます