第59話 公主様の陰謀

 シングルベッドに枕が二つ。

 狭いベッドから落ちないように身を寄せ合っている。


「ん-、なんだかエッチな気分になっちゃうね」


 ベッドへ視線を投げた桜華が、顔を赤らめてそんな感想を口にした。寝間着となる白の寝衣に袖を通しながら、黒陽は不思議そうに首を傾げる。


「なぜだ?」

「だって、女の子同士で普通は一緒に寝ないでしょ。だったら想像しちゃわない? 男の子が隣に寝ている姿を」


 寝台に並んだ二つの枕を指差して、小悪魔っぽく桜華が笑ってみせた。昨夜のことを思い出し、黒陽は顔を赤らめる。思えば、随分と大胆なことをしてしまった。


「あー、陽ちゃん何を想像したのかなー?」


 一見しただけではわからない乏しい表情の変化を覗き見て、ニヤニヤ笑みを浮かべた桜華がからかってきた。はしたない想像を見透かされて、顔だけでなく耳まで真っ赤に熱くなる。黒陽は気恥ずかしげにうつむき、素直に答えた。


「昨夜のことを思い出してしまった」

「え? 昨夜のこと?」


 もちろん、桜華は昨夜のことを知らない。まさか男子寮に押し掛けたなどとは夢にも思っていないはずだ。


「そうだ。昨夜、麒翔きしょうの部屋で――」


 と、そこで黒陽はあることを思い出し、小さな衣装箪笥いしょうだんすから一着の汚れた龍衣を取り出した。青と白の龍衣。男子生徒用の制服である。それを愛おしそうに抱えながら、


麒翔きしょうの龍衣だ。少しばかり拝借はいしゃくした」


 顔を赤らめそう告げると、すぐにその意図を察した桜華がにんまり笑んだ。


「で、どうだったの?」

「雄の臭いがした」

「え? それはどっち?」

「すごくドキドキした」

「えー!? それってつまり――」


 心なしか桜華の顔も赤らんでいるようだ。発熱具合からして自分の顔も相当に赤いだろう。そんなことを考えながら黒陽は自信を持って首肯しゅこうする。


「間違いない。やはり私の主には麒翔きしょうこそが相応しい」


 以前、桜華から聞いたことがある。

 相性のいい異性の体臭は良い匂いに感じる、と。


 そんな話を聞かされてしまったら、確認したくなるのが女心というものだ。本当に二人は相性がいいのか、ずっと気になっていた。そして昨夜、麒翔きしょうの部屋を訪れた際にそのチャンスに巡り合えたのだ。ベッドの上へ無防備に置かれた龍衣それを前に、迷うことはなかった。


麒翔きしょうの部屋を辞す際に、さりげなく持ち帰った」

「うわっ、陽ちゃんって思ってたより大胆なんだね」

「本当は直に嗅ぎたかったのだが、断られてしまったからな」

「え? 直にってどゆこと!? そもそもそういえば、どうして男子寮に入ってるの!? 昨夜って……ええええええ?」


 お気楽モードで話していた桜華であったが、ようやく事の真相に気が付いたようで、目を目一杯に見開いて驚いている。その熱狂的な悲鳴とは対照的に、さも当然、という冷めた態度で黒陽は言う。


「この身を捧げてしまえば、まどろっこしい真似をする必要はないだろう」


 契りを結べば、好きなだけ嗅ぐことができる。その刺激的な内容に、今度こそ桜華は仰天して一歩二歩と後ずさり、ベッドの段差に足を取られてそのまま後ろへ倒れ込んでしまった。そして硬いベッドシーツの上へ身を起こした彼女は、非難がましい口調で、


「婚姻前に一緒に寝るのはおかしいよ」

「いいや、そんなことはない。上院では常識だ。至るところで営まれている」


 きっぱりと胸を張って断言する黒陽。

 感受性かんじゅせい豊かな桜華の顔色が、驚きと羞恥しゅうちの色に染まる。


「ええー? そんな破廉恥はれんちな……って、陽ちゃんはその現場見たの?」

「いいや、私は見ていない」

「えー? じゃあ誰から聞いた話なの」

紅蘭こうらんだ」

紅蘭こうらんさん? 陽ちゃんを巡って翔くんと対立してた人?」

「そうだ。上院の男子は猿のようにさかっているから近づくな、と言っていた」


 桜華の目がすっと半目になる。


「えー、なんだか一気に信憑性しんぴょうせいがなくなったような……」


 ガックリ肩を落とす桜華は、とても残念そうに見えた。悪意に対してはすこぶる勘の働く黒陽だが、この手の感情の機微きびにはうとい。年頃の女の子の持つ知的好奇心に理解が及ばず、困ったように首を傾げる。


 と、そこでピコンと頭の上へ天啓てんけいが舞い降りた。それは天才的な閃きだった。


「すまない。独り占めしてしまった」


 そう言って、献上けんじょうするように手に持っていた龍衣を差し出す。ベッドの上で女の子座りしていた桜華は、意味がわからないという風に両手をバタバタさせた。


「え? なんでわたしにパスしようとしてるの?」

「桜華も、麒翔きしょうとの相性を知りたいだろう」

「え? え? そんなことないよ」

「大丈夫だ。わかっている。照れているだけだろう」


 嫌よ嫌よも好きのうち、と桜華に教わったことがある。口では嫌だと言ってはいても、その実、内心ではそうは思っていないという意味だ。桜華のことはので、黒陽はその教えを


「桜華にからかわれた時、私も同じように照れてしまう。だからわかる」


 ずいっと汚れた龍衣を差し出す。桜華はすごく嫌そうに身を引いた。


「わわっ!? ストップ! ストーーーーーップ!!」

「照れなくてもいい。さぁ、遠慮なく手に取って嗅いでくれ」


 ベッドの上をズザザザザッとお尻をつけたまま後退していく桜華。それを追うようにして黒陽自身もベッドに片膝をついて身を乗り出す。そのまま壁際まで追い詰められた桜華が涙目で抗議した。


「翔くんが汗っかきなの知らないの!?」

「? だからこそ濃厚なんじゃないか」

「可愛らしく小首傾げないで! 汗でベトベトなんだから臭いに決まってるでしょ」

「不安がることはない。きっと桜華も相性がいいはずだ」

「話が通じない!? うー、翔くんの気持ちが少しわかったかも……」

「遠慮するな。さぁ」

「どうして陽ちゃんは変なところでポンコツなの!?」


 ポンコツという言葉に黒陽は少し傷ついた。しゅんと肩を落とし、追撃の手が緩む。その隙を突いて壁沿いに距離を取りながら、桜華が言う。


「それに翔くんの体臭なら知ってるよ。今日だって――」

「今日だって?」


 意味深な言葉に黒陽はオウム返しに問うた。が、桜華は慌ててバタバタと手を振ると、


「な、なんでもない!」


 茹でたタコのように真っ赤になって、貝のように口を閉ざしてしまった。

 その態度を黒陽は不思議に思ったが、不審に思うことはなかった。以降も、桜華が絶対拒否の姿勢を崩そうとしなかったので、黒陽は不承不承ふしょうぶしょうといったていで汚れた龍衣を衣装箪笥へ戻すことにした。


「そういえばさ」


 明かりを消し、二人して同じベッドへ潜り込んだところで、桜華が天井を見上げながら言った。


「やっぱり翔くんは、寒空の下で見張ってるのかな」


 現在、麒翔きしょうはエレシア・イクノーシスの正体を探るべく、教師の宿舎に張り込みをしている。教師の中にあの殺人鬼が潜んでいることは、ほぼ確実であると黒陽も睨んでいるが、犯人の正体についてはまだ断定できていない。


麒翔きしょうは《気》のスペシャリストだ。何か動きがあればきっと気が付くだろう」

「でも、動きがあるかどうかもわからないのに、よくやるよね。毎日やる気でいるみたいだよ、翔くん」


 トクン、と胸が高鳴る。黒陽は仰向けに寝転んだ胸に手を置いた。


「私たちが安心して眠れるように見張ってくれているのだ」


 桜華がこちらへ寝返りを打った。暗闇に浮かぶ黒陽の端正な顔の輪郭を眺めながら、彼女は言う。


「陽ちゃん、すごく嬉しそう」

「ああ、すごく男らしい」


 桜華に習って黒陽も寝返りを打つと、夜目を利かせて彼女と目を合わせる。


「群れを守るのは龍人男子の務め。群れを脅かす者は誰であっても、徹底的に排除する。やはり、龍人男子たるものこうでなくてはな」


 黒陽は興奮を抑えきれずに、握り拳を作って力説した。

 その熱意が伝わったのか、とろんとした目で桜華が言う。


「いいなぁ。好きな人に守ってもらえるなんて陽ちゃんは幸せだね」

「何を言う。麒翔きしょうが守ろうとしているのは私だけではないぞ」

「えー、わたしは関係…………あるかも」


 何かに思い当たったのか、暗闇の中で桜華が身じろぎした。黒陽は隣に横たわる親友の頬を両手で挟み込むと、額をコチンと突き合わせた。彼女の温もりが冷たい額に伝わってくる。


「それにこの策は、桜華も守ることができるという点が絶妙だ」

「ええ? わたしは陽ちゃんを守るつもりで一緒にいるんだけど」


 ふふ、と黒陽は笑う。


「桜華は本当にできた龍人だ。正妃を譲ってくれた借りは必ず返すからな」

「だから、わたしはそんなつもりじゃ……」


 そんなことはない、と黒陽は言う。


「正妃の序列は常に一番高くなる。他の妃は降格人事もありえるが、正妃だけは別格だ。例え死別したとしてもその地位に他の妃を据えることはできない」


 絶対不動の地位。それが正妃という称号なのである。

 誰を正妃とするかは主人が決めることなので、厳密には譲るという表現はおかしい。だが、群れの調和を大切にするよう育てられてきた黒陽からすれば、後からやってきて強引に正妃の座へ収まるというのは、心理的に抵抗があった。だからこそ、譲ってくれと頼んだわけだが、正妃という称号の性質から考えて、快諾するのは極めて難しいだろう。なればこそ、


麒翔きしょうが好意を寄せるのも納得がいく」

「だから、わたしと翔くんはそんなんじゃないってば!」


 暗闇の中で、顔を赤くして照れているのが薄っすら見える。

 それが照れ隠しであることを黒陽は知っている。


「私は桜華を尊敬している。私の理想そのものだ」

「そんな風に言われたら……恥ずかしいよ。陽ちゃんはいつも大袈裟だね」

「素直だと言ってくれ」


 クスッと桜華が笑った。黒陽もつられて表情を和らげ、


「だが、一つだけ現状に不満がある」


 それは婚約してから今日こんにちに至るまでの麒翔きしょうの態度。


「あの人は男らしく前に出てはくれるが、愛情表現をしてくれない」

「あー、わかるわかる! 翔くんは素直じゃないからねー……」


 と、そこで。おそらく麒翔きしょうが見ていたら絶句したであろう極悪な笑みを黒陽は浮かべた。


「だから私は策を講じた。とっておきの策だ」

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