第50話 女教師たちの酒場2

 一日の疲れは酒で癒す、と明火めいびは決めている。

 無能と蔑んでいた生徒が公主様と婚約し、納得のいかない明火めいびは荒れていた。今日もBARの店主に愚痴を吐き出してスッキリしてやろう――そう思って、いつものBARへと向かう。


 時刻は夜半。

 小雨が降り始めている。


 生憎あいにくの雨ではあるが、教師用宿舎の裏手にあるBARまではドアツードアで二分。ベロンベロンに酔っぱらっても、介助なしで帰宅できる距離にある。和傘を差し、少し小走りに進めばさほど濡れることなく到着することができた。

 上院の商業施設で飲むよりも、隠れ家てきなこじんまりとしたBARで飲む方が乙というもの。本当は派手物好きな明火めいびは、自分にそう言い聞かせ、雨で濡れた龍衣の水滴を払いながら、BARの扉を開けた。


 カウンターには、すでに先客が二人いた。

 三角眼鏡にツンとした美人・魅恩みおん教諭と、椅子に座っていなければ見失うであろう低身長の幼女・風曄ふうか教諭が、指定席に仲良く隣り合って座っている。なにやらコソコソと小さな声で話している二人に、明火めいびは眉をひそめた。


「また二人して内緒話ですの」


 無口で大人の色香漂う魅恩みおん教諭と、おしゃべりで外見幼女の風曄ふうか教諭。まったく正反対の二人だが、意外と仲は良く、二人で連れだって朝まで飲んでいることもある。


 明火めいび吐息といきし、自身の指定席であるカウンター右端の席へ腰を下ろす。そしていつもの毒酒をロックで注文し、男子生徒への愚痴をさかなにぐいっとひっかける。


「まったく、公主様と婚約したことでますます調子に乗っているようですわ。もっとも卑しい出自のものがいくらイキがったところで、社会に出ればたちまちの内に死んでしまうのが世の常。その時が楽しみですわね」


 毎度、愚痴に付き合わされる形のバーテンダーは、きゅっきゅとグラスを磨きながら明火めいびきょうを削がないように適度な相槌あいづちを挟んでいく。聞き上手の接客に気を良くした明火めいびは、一杯目を一気に飲み干し、タンッとグラスをカウンターへ叩きつけると、毒酒を追加で注文した。

 頼んでもいないのに、毒酒と一緒に串焼きの大皿がカウンターへ置かれる。


「けれど、まったくの腑抜ふぬけ……というわけでもないようですけどね。青蘭せいらん様に盾突くなど、恐れ多くてわたくしにだってできないというのに。ふふふ、惚れた女に本気になれない男になど価値はありませんが、学生の内から本気になれる男はなかなかいません。その点に限っていえば、あの男子生徒は見込みがあるのかもしれません」


 炭火で焼かれた串焼きを頬張ほおばり、赤味のブロック肉を咀嚼そしゃくする。口の中に広がった肉汁をくいっとひっかけた毒酒で洗い流し、明火めいびは赤らんだ顔を上機嫌に続ける。


「もっとも、覚悟があっても実力が伴わなければ意味がありませんわ。適性属性なしという身分で公主様を娶るなど、とてもとても」


 苦笑交じりにゆるゆると首を振り、明火めいびはふと左を向いた。魅恩みおん風曄ふうかの二人は、相変わらず身を寄せ合って何事かをヒソヒソと話し合っている。


 あの二人はいつもああだ、と明火めいびは思う。基本的には風曄ふうかが話し役となり、無口な魅恩みおんが聞き役に徹する。彼女たちの馬が合うのは、その歯車がピタリと噛み合っているからなのだろう。そんな二人に明火めいびは肩をすくめ、


「それだけ入念に打合せしているのなら、もうあのような失態を演じることはありませんよね。もう二度とあんな面倒事はごめんですわよ」


 明火めいびとしては冗談のつもりだったが、予想に反して、風曄ふうかの小さな肩がビクリと反応した。その不穏なリアクションに、雨で湿った厚化粧がピシリと音を立てる。


「ちょっと、風曄ふうか先生? そんなあからさまな……まさかあなたたち、また何かやらかしたんじゃないでしょうね」

「そ、そんなことはぁ……」

「ああ、困ったことになった」


 幼女がバタバタと腕を動かし、慌てた様子で言い繕おうとしたところを、その隣でワイングラスを傾けていた魅恩みおんがあっさり認めた。そして、


「はぁ!? 女子生徒が一人行方不明!?」


 告げられた驚天動地きょうてんどうちの内容に明火めいびがヒステリックに叫んだ。


 龍人族という種族は、仲間が傷つけられることを決して許さない。妃が傷つけられれば同族・他種族を問わず戦争にまで発展するし、そうでなくとも、群れの仲間が傷つけられただけで、最高幹部たちが動くほどの大問題になりかねない。

 そしてこの学園は龍皇の群れの一部であり、学生たちもまた、学生の間は龍皇の群れに所属するという体裁が取られている。つまり、学園内で学生が行方不明になれば、その監督責任を学園長である青蘭が取らされることになるし、血の気の多い他の妃たちが、この機に乗じて乗り込んでくる可能性だってある。


「それはまずいですわよ。元々、妃位に就いたばかりの青蘭せいらん様は発言力がそこまで強くなかった。そこに加えてこの前の一件で、青蘭様の発言力は低下してしまっていますわ。更に行方不明などという事態が明るみになれば……」


 ぞわっと全身に悪寒が走り、明火めいびは浅く自身を抱いた。


「就寝前に行われる点呼の際に、一人足りなかったらしいんですよぉ」


 幼女も同じ想像をしているのか不安そうに言葉を紡いだ。明火めいびはすぐさま縦巻ロールを揺らして立ち上がり、


「これは由々しき事態ですわ。今すぐ学園長に報告しましょう」

「それは駄目だ」


 今まで沈黙を守ってきた魅恩みおん教諭に異を唱えられ、明火めいびの厚化粧に一つヒビが入った。


「はぁ!? 貴方、報告義務をおこたるつもり?」

風曄ふうかとも話したが、今はまだ報告すべきではない。毎年、男子寮に忍び込む女子生徒が一人か二人はいるだろう。大事にすれば、退学処分となってしまう」


 学生の身分で群れを作ることは学園規則で禁止されている。そして群れとは、最初の妻と契りを結んだ瞬間に成立する。もし、魅恩みおん教諭の言うとおり、男子寮に忍び込んだのだとすれば、密室で男女が二人きりだったということになる。そうなれば自然な成り行きとして、契りを結んだと解釈され、退学処分となる可能性が高い。


 女子生徒が退学になる分には、まだいい。問題は相手の男子生徒の方だ。男子生徒が学園を卒業できなかった場合、爵位は与えられず無印となる。無印とは犯罪者の烙印と同義であり、一度無印となれば、二度と爵位を与えられることはない。出世の機会は永遠に失われ、それは龍人社会における死を意味する。ゆえに落第の基準は低く設定されており、仮に落第したとしても必ず退学となるわけではない。


 明火めいびは目をつぶり、ぎゅっと唇を噛んだ。


「いいえ、規則は規則ですわ。退学にしてしかるべきなら、退学にすべきです」

「それは乱暴ですよぉ。女子生徒が無理矢理押しかけただけだったら、どうするんですかぁ。男子生徒は被害者みたいなものですよぉ」


 幼女の援護射撃に、魅恩みおんは浅く顎を引いて首肯しゅこうした。


「例えば、明火めいび先生お気に入りの盛館せいかんが、お相手の男子生徒だったとしてもそう言えるか? 奴はモテるからな。十分可能性はあるぞ」


 ぐっと明火めいびは言葉に詰まった。

 明火めいびは優秀な生徒が好きである。盛館せいかんは中でも特に目を掛けている。


「いつもいつも、貴方たちはそうやって二人で示し合わせて協力して……まったく、どちらの差し金か知りませんけれど。獣王の森での一件も、実は裏がある、なんてことはありませんわよね」


 軽く息をつき、明火めいびはカウンター席に座り直した。魅恩みおんは肩をすくめ、風曄ふうかは回転式のカウンター席をぐるぐると遊具にし始める。


「そんなワケないじゃないですかぁ」


 童心に帰って――というより、見た目も心も幼いままの同僚教師に呆れかえり、明火めいびはバーテンダーに酒を注文した。出された毒酒を一口含み、


魅恩みおん先生はだんまりですの? 貴方、嘘はつけませんものね」


 暗にやましいことがあるのではないか、と揶揄やゆしてみたが、魅恩みおんが乗ってくる気配はない。つまみのチーズを一欠けら摘み、口に放り込むと明火めいびは言った。


「まぁいいですわ。下院統括の魅恩みおん先生の顔を立てて、ここは引き下がってあげましょう。ですが、一日だけですわよ。明日、夜の点呼までに見つからなかった場合は、学園長に報告します。いいですね?」


 二人の同意を得て、問題は先送りされることになった。


 手にしたグラスをもてあそび、カランと音を立てた氷を眺めながら明火めいびは記憶を手繰たぐるように天を仰いだ。


「そういえば五年ほど前、下院の従業員が行方不明になる事件がありましたわね」

「あぁー、あの時も大変でしたねぇ。大騒ぎになりましたぁ」

「けれど結局、次の日には見つかったんでしたよね」

「そうそう。すぐに発見されたんですけどぉ、不可解なことに記憶喪失になっていたそうですよぉ。なんでもぉ、数年分の記憶が抜け落ちていたんだとかぁ」


 ホラーの季節は終わったというのに、薄気味悪い話である。明火めいびは手にしたグラスをカウンターへ置くと、ゆるゆると首を振り、吐息といきした。


「今回と少し状況が似ている気がしますわ。記憶喪失は困りますが、無事に見つかってくれるといいのですが」


 夜半から降り始めた小雨はほどなくして止んだが、代わりに強い風が吹き始め、分厚い黒雲を運んできた。


 学園に嵐が到来しようとしていた。

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