第49話 属性因子継承論

 遠い昔のこと。


 龍人族の領土は狭く、人口は数千人程度の少数民族だった。

 現在では、国の下に群れが所属するという形が取られているが、当時は部族の下に群れが所属するという形が取られていた。


 部族は全部で六つあった。

 その当時、各部族の力は拮抗していたため、上下関係はなく、各部族の族長たちは自分のことをそれぞれ王と称していた。


 また各部族は、同系統の属性を持つ龍人だけで編成されていた。火なら火属性だけの男女で群れを作り、部族の中で暮らしていく。そして他属性の龍人は徹底的に排除はいじょし、異なる属性間の婚姻は絶対の禁忌きんきとされていた。


 しかし、同系統の者のみで構成されるということは、一点特化で能力を磨き尖らせていくことができる一方で、部族全体で同じ弱点を共有することにもなる。そしてこの弱点――属性の多様性たようせいに乏しかったこと――がこの後の命運を大きく分ける。


 ある時、龍人族の治める土地は、他種族の連合軍による大規模な侵攻を受けた。六つの部族は、日ごろから反目し合い縄張り争いに明け暮れていたため仲が悪く、協力して戦おうなどという流れにはならなかった。


 必然、対応は各部族ごとに行われたのだが、この隙を連合軍に突かれることになる。


 龍人族は最強種の一角だったが、当時はまだ領土も狭く、少数民族だった。ゆえに各部族の結束は今よりもずっと固かったが、単一属性という弱点をたくみに突かれ、総崩れとなる。領土は奪われ、多くの龍人が淘汰とうたされ死んでいった。


 そんな地獄の渦中。


 一族存亡の危機にひんした時、王の中の一人が言った。


「今までの禍根かこんをすべて捨て去り、共に戦おう」


 日夜いがみ合っていた彼らではあったが、領土はもうほとんど残されておらず、もはや縄張りを争う意味すらない。こうなってしまっては生き残るために協力するしか道はなく、泥をもすすろうという覚悟で、彼らは一致団結することを決めた。


 元々、最強種と呼ばれた龍人族のことである。属性のかたよりさえなくなれば、地力じりきでは他種族を圧倒する。一族をまとめあげた一人の王は、他の王たちの協力の元、龍人族の全軍を指揮して戦いに挑み、そして見事に勝利を収めた。


 のちに人々は、その功績を称えて偉大なる王たちを六英傑ろくえいけつと呼ぶようになる。


 以来、長らく彼らを縛っていた禍根は消え、各部族はお互いに交流を始めるようになった。やがて各系統の血は混ざりあい、部族という概念が消滅する頃には、すべての龍人は各系統の血筋――全属性の遺伝情報を持つようになっていた。


「つまり、私たちの体の中にはすべての属性ぞくせい因子いんしが混在している」


 長い昔話むかしばなしの終わりを、公主様はそう結んだ。


 属性因子とは、龍人の適性属性を決める遺伝情報のことである。部族として暮らしていた頃は、単一の属性因子しか持ち合わせていなかったが、血が混ざりあったことで、すべての属性因子が混在するようになったのだそうだ。


「初めて聞く話なのに、なぜか懐かしい感じがするな」


 それは遠い昔の記憶。龍人の本能が伝えるのだろうか。麒翔きしょうはノスタルジーを感じた。公主様もどこか感傷かんしょう的な口調で言う。


「この体を構成する血肉――遺伝情報が覚えているのかもしれないな」


 公主様の聞かせてくれた話は、歴史の授業でも触れないような大昔の話だった。おそらく数万年。下手をすれば数十万年という歳月を経ていると思われる。一体、どうやって彼女は調べたのだろう――哀愁あいしゅうの中でふとそんな疑問がよぎった。


「私は何も昔話がしたかったわけじゃない。適性属性と属性因子には深い相関関係がある。適性属性の問題を紐解くには、属性因子のなんたるかを知る必要があるのだ」


 そこで麒翔きしょうは思い出す。獣王の森へ向かう道中、馬車内で公主様が一生懸命に本を読んでいたことを。その表題は――


「属性因子継承論。おまえ、まさかあの頃からすでに調べて……」


 適性属性と属性因子は深い相関関係にあるという。ならば調べていた理由は一つしかない。


「俺の抱えてる問題を解決するため……だよな。だけどあの時は、まだ婚約はおろか突き放した直後だったはずだぞ。それなのに……」


 信じられなかった。受け入れてもらえるかどうかもわからない内に、ずっと献身を捧げてくれていたというのか。麒翔きしょうは胸がいっぱいになり言葉に詰まった。


「夫の覇道を支えるのは妻の役目。そして私は、あなたの妻になると決めていた」


 言って、公主様は袖口からゴソゴソと一枚の羊皮紙ようひしを取り出す。

 冒頭にはこうあった。


 ――――――――――――――――

 ●属性の発現はつげん継承けいしょう


 〇龍人は必ず六種類――火水土風光闇――の属性因子と呼ばれる遺伝情報を持っている。属性因子は親から子へ継承され、その中で、最も多くの割合を占める属性因子が適性属性となる。他の属性は因子として存在するが発現はしない。

 ――――――――――――――――


 その下にはびっしりと文字が並び、属性因子に関する継承規則が書き込まれている。眩暈めまいがするほどの文章量である。一体、これだけの文量をまとめるのにどれだけ時間を費やしたのだろうか。


 公主様の献身に胸が熱くなりながらも、麒翔きしょうは重要そうな箇所を今一度、頭の中で整理した。


「俺たちの体の中には、属性因子と呼ばれる遺伝情報が継承されているんだな」

「そうだ。太古の昔から属性因子は継承されてきた」

「んで、受け継いだ属性因子の内、最も多くの割合を占めるものが適性属性となるってことか……なんだか難しいな」

「実際に、数字に置き換えてみればわかりやすいぞ。例えば、継承した属性因子の割合が[火10%、水5%、土15%、風30%、光20%、闇20%]なら、適性属性は風という具合に決まる」

「風の属性因子が30%で最多だから、発現する属性は風になるってことか」

「そうだ。そしてその他の属性は遺伝情報として持ってはいるが、発現はしない。龍人は適性属性以外の属性を使用できないからな」


 ならば、と麒翔は思ったままを口にした。


「つまり、適性属性がないのは属性因子が存在しないからなのか?」


 最多を占める属性因子が「適性属性」として発現する。それは割合の問題であって、総量の問題ではない。つまり理屈の上では、一欠片でも属性因子が存在すれば、適性属性は必ず「あり」と出るはずである。それが果たされなかったのは、属性因子が存在しないから――という至ってシンプルな思考。


 が、麒翔のこの疑問に対して、公主様はすごく、すごーく不満そうに頬を膨らませた。


「違う」


 今まで一度も見たことのない彼女の幼い仕草に、ドキリと胸が跳ねる。口を尖らせた公主様が言う。


「理屈の上では、龍人は必ず属性因子を持っている。もしも持っていないとしたら、それは龍人ではなく別の何かだ。そしてあなたは立派な龍人だ」


 最後の「立派な龍人だ」の部分にすごく力が入っていた。


「? だったら何で俺には適性属性がないんだ?」


 その問いに、公主様は羊皮紙ようひしの一番下を指で差した。

 そこには注釈でこう書かれていた。


 ――――――――――――――――

 ※1稀に属性因子の継承規則を無視して、世代を超えて隔世継承することがある。

 ※2属性因子は龍人の親からのみ継承する。例えば父親が他種族の場合、属性因子は全て母親から継承する。反対に母親が他種族の場合は、属性因子は全て父親から継承する。

 ――――――――――――――――


 一瞬、思考に空白が生まれた。


「え?」


 もう一度、該当箇所を目で追う。


 ――属性因子は龍人の親からのみ継承する。例えば父親が他種族の場合、属性因子は全て母親から継承する。


「理解してもらえたようだな」


 公主様の声に、麒翔きしょう羊皮紙ようひしから顔を上げる。


「これは一体どういうことだ?」


 公主様は薄っすら笑んでいた。


「属性因子は龍人の親からのみ受け継ぐ。つまり、あなたの母上とあなたの属性因子の割合は全く同じであり、それはすなわち適性属性が同じだということを意味する。では問うが、母上の適性属性はなんだ?」


「え……それは……」


 麒翔きしょうの母・麒麟きりんは、はぐれと呼ばれる群れに属さない龍人だ。性格は温厚で、アルガントの住民ともうまくやっている。麒翔きしょうに《気》の扱い方を教えてくれた師でもあり、息子に対しては容赦なく鞭を振るう一面もある。そのため、麒翔きしょうは母親に対して苦手意識を持っている。


 だが、改めて思い返してみると、母が魔術や吐息ブレスを使っているところを見たことがない。アルガントは平和だったから使う機会がなかったとも考えられるが、ではどうして《気》の使い方は教えてくれたのに、魔術や吐息ブレスは教えてくれなかったのか。そこから導き出される結論は――


「母さんにも……適性属性がないってことか……?」

「違う!」


 麒翔きしょうがあえて間違った結論を口にすると、またしても頬を膨らませた公主様が不満そうに否定した。そんな小動物じみた彼女の所作が新鮮で、もっと見たいと思ってしまう。今頭を撫でたら、怒るだろうか。


「すまん、冗談だ。龍人は属性因子を必ず持っているんだったな。そうすると母さんにも適性属性はあり、そして俺も同じ適性属性を受け継いでいるということになる。しかしだったらなぜ、適性属性なしと出たんだ。まさか検査に使った大鏡の誤作動なんてことはないだろうし、悪意ある何者かの仕業か?」


 事前に想定されていた質問なのか、公主様がよどみなく応答する。


「適性検査に使われた大鏡は私の方で調べておいたが、異常はなかった」

「さすが仕事が早いな……でも、だったらなぜ?」

「合理的な仮説はある。だが」

「だが?」


 何か逡巡しゅんじゅんするような間が挟まる。公主様が思案するようにゆっくり瞬きをした。長く端正なまつ毛がスローモーションで開閉する。


「最も有力なのは第七の属性を持っていた場合だ」

「第七の属性?」


 思わず、麒翔きしょう頓狂とんきょうな声をだした。龍人の扱える属性は六つしかない。それが常識であり、学園の授業でもそう習った。七つ目の属性があるなんて話は初耳だ。


「思い出してみてくれ。適性検査の時、大鏡がどのように反応したのかを」


 ――適性属性なし。

 公主様に問われ、記憶の片隅へ追いやられていた辛い記憶がフラッシュバックする。六人の女教師から向けられる侮蔑の視線。なじるような言葉の数々。


「――――っ」


 違う。重要なのはそこではない。麒翔きしょうはかぶりを振り、判定がでた瞬間に意識を持っていく。

 手をかざした者の適性属性を映し出す大鏡。その鏡面には、何色も映し出されていない。それは絶望の無であった。ゆえに適性属性なし。


「無色透明。何色も映し出されなかった。だから適性属性がないと言われたんだ」

「やはりそうか。大鏡は、遺伝情報の中から最多を占める属性因子を解析し、対応する色のいずれかを映し出す。例えば、火属性なら赤という具合にな。しかしここで、第七の属性が存在していたとしたら、どうなると思う?」


 問われ、麒翔きしょうは口元を手で押さえ考え込む。


「大鏡には六属性に対応する色、つまり六色しか用意されていない。そうすると、映し出す色がないってことになるよな」

「そうだ。大鏡内部の魔術処理はエラーとなり、何も映し出されない。無だ」

「まじかよ……適性属性がない場合と第七の属性を持っていた場合で、結果が同じになるってことか。たしかに理屈の上では成り立ちそうだな。でも、第七の属性なんて聞いたことがないし、本当に存在するのか?」

「第七属性に関しては機密情報扱いだから知らないのも無理はない。かつての剣聖・閃道せんどう陛下も第七属性だったという話だが、これを知る者は極一部の限られた者だけだ。おそらく青蘭せいらん殿でさえ知らないだろう。それと――」


 そこで一旦、公主様は言葉を切った。そしてふいにベッドに浅く腰かけた姿勢のまま身を乗り出して、白く細い腕を伸ばしてきた。意味がわからず困惑する麒翔きしょうの頬に冷たい手が差し込まれ、包み込むようにして固定される。


 思わず「え?」と漏らしたその正面から、公主様の瞳が闇の淵からこちらの心を覗き込む。一度目が合うと、その魔性ゆえか簡単には離せない。


「その目だ。初めて会った時から、気になっていた。初対面ではない気がしていたんだ。だけど、いくら思い返してみてもあなたと出会った記憶はない」


 公主様の吐息といきが鼻先に当たる。唇と唇が触れ合える距離。顔は両手で固定されていて、動かせない。麒翔きしょうはドギマギしながら、瞳だけを動かして目をそらした。


「俺だって会った覚えはねえよ。一度でも会ったことがあれば絶対覚えてると思う」

「ああ、私もそう思う。だが実際、私はあなたの目に親近感を覚えた。好意を抱いたと言ってもいい。当時は理由がわからず不思議な気分だったが、今にして思えば、おそらく――」

「おそらく?」


 そこで公主様は意味深に笑い、ふいに唇を――


「――――っ」


 数秒、時が止まった。

 大きく見開かれた目。呼吸の止まった口は、濃厚に重ねられている。間近に迫った女の匂いが鼻腔から侵入し、これが現実であることを麒翔きしょうに知らしめる。


 呼吸も忘れてお互いの唇は逢瀬おうせを重ねた。

 その時間は永遠のようにも感じられ、また一瞬に過ぎ去ったようにも感じられた。


 甘い感触が離れると、公主様は薄桃色の唇を名残惜しそうに指先でぬぐい、艶めかしく笑んだ。


「やはり運命だったのだ」

「な、ななな……なにを」


 突然の強行に麒翔きしょうは面食らって固まった。

 石化し、放心する姿が可笑しかったのか、公主様がクスリと笑う。


「これだけ色々と調べるのは大変だったんだぞ。だから今のは、その手間賃だ」


 そこにあるのは普段の乏しい顔ではなく、年頃の女の子に相応しい感情豊かな顔だった。そして彼女は、とろんとした目を潤ませて結論を述べた。


「私の考えが正しければ、あなたの母上に会えばすべてがはっきりするはずだ。適性属性の問題も含めて、すべてがな」




 ◇◇◇◇◇


 大きく息を吸い込めば、女の残り香が鼻をくすぐるように甘く匂う。

 公主様が部屋を辞して、どのぐらいの時間が経ったのだろう。室内には彼女の残した甘い香りが未だに漂っているような気がする。


「いい匂いだったな」


 彼女の去ったドアを名残惜しく見つめ、夢心地のまま麒翔きしょうは独りごちた。

 問題の渦中にある本人でさえ適性属性の問題はとっくに諦めていた。だというのに、公主様は諦めることなく一人で文献ぶんけんを漁り調べてくれていた。その文献があの一冊だけだったとは思えない。きっと多くの文献を参考にしたはずである。

 その労力が、そこまでして自分に尽くそうとしてくれる彼女の気持ちが、麒翔きしょうはどうしようもなく嬉しかった。そしてその対価として要求されたのが、


「キスって、そんなのもう可愛すぎだろ……」

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