第48話 公主様はものすごく一途

 ベッドに公主様と二人、隣り合って座っている。


 ビシッと背筋を立てて緊張した面持ちの麒翔きしょうは、正面右手に見える勉強机へ意識を向けたまま、左隣に座る公主様へ視線を持っていくことができずにいた。


 調度品も最低限しかない殺風景な空間に漂う女の芳香ほうこう。住み慣れたはずの自室は、異世界に迷い込んでしまったんじゃないかってぐらい、よそよそしく感じられる。


 気まずい沈黙がおりていた。

 冷静になって考えてみると、覚悟を決めた女の子を拒絶した形になってしまっている。これは男としてどうなんだ、という気もしてくる。沈黙に堪えかね、チラリと公主様の方を見るのと、彼女が口を開くのはほぼ同時だった。


麒翔きしょうがそこまで真剣に考えてくれているとは思わなかったんだ。そうだな。学生のうちに契りを結ぶのは、フェアではない。それに万が一発覚すれば、私たちの婚姻の障害となってしまう。すまなかった」


 眉尻まゆじりがやや下がり、普段のりんとした姿が見る影もないぐらいしゅんとしてしまっている。感情の乏しい表情にほとんど変わりはないが、どこか寂しげだ。

 気まずげに鼻頭をボリボリとかき、麒翔きしょうは冷たい板張りの床へ視線を落とす。


「俺だって、黒陽おまえとそういう……ことをしたくない訳じゃないんだ。でもまだお互い学生だろ。だからさ、もう少しだけ……せめて学園を卒業するまでは我慢するべきだと思うんだ。堂々と胸を張って娶りたいしな」


 公主様は可愛らしくコクリと頷くと、しなだれかかるように身を寄せてきた。彼女の小さな手が、ベッドに置かれた麒翔きしょうの左手へ重ねられる。熱い吐息といきが耳元で囁いた。


「だけど、あなたは一つだけ勘違いをしている」


 ぞわっと背筋に甘いしびれが走り、麒翔きしょうは背をピンと仰け反らせた。

 その隙に手を取られ、抵抗する間もなく公主様の胸元へ押し付けられる。すると柔らかい弾力と共に、押し返されるような力強い鼓動が手の平に伝わってきた。


「平然としているように見えるかもしれないが、私はこんなにも緊張している」


 麒翔きしょうは確認のため、空いている右手を自身の胸へ置いてみた。その鼓動は公主様を前にいつになく高鳴ってはいるが、


「全然違う。おまえ、こんなにドキドキしてたのか」

「ああ、そうだ。この部屋に足を踏み入れてからずっと止まらない」


 そう言う公主様の顔には、薄っすら赤味が差してあるように見えた。もしかすると、勇気を振り絞って臨んだのかもしれない。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。麒翔きしょうはそっと右手を離すと、気まずそうに視線を落とした。


「学生のうちにこっそり婚姻を結ぶカップルっているのか?」

「ああ、いるぞ。上院では常識だ」

「常識なのかよ!?」


 他愛たあいのない質問のつもりだった。がしかし、返ってきた答えは「常識」という予想を超える大暴投だいぼうとう

 驚きに顔を上げ、麒翔きしょうが目を丸くしていると、そのリアクションが面白かったのか公主様が胸に手を当てたままクスリと笑う。


「貴族階級同士、親公認で婚約しているケースが多いからな。無論、発覚すればまずいのだろうが、教師もそこは暗黙の了解で深くは追求してこない」


 頭の中にあった高貴な上院のイメージが、音を立ててガラガラと崩壊した。

 なんとそこは、風紀の乱れた淫靡いんび堕落だらくした空間だったのだ。俄然がぜん、興味を引かれ、身を乗りだして麒翔きしょうは訊く。


「やっぱり学生寮で逢引あいびきするのか?」

「そうだな。女教師は男子寮には立ち入らないからな」

「やりたい放題かよ!?」


 驚きの百面相ひゃくめんそう麒翔きしょうが驚くたびに、意気消沈いきしょうちんしていた公主様の顔色もだんだんと明るくなっていく。そうして彼女は嬉しそうに笑むと、人差し指を立てて得意げに言った。


「他にも、上院にしかない施設が多数あってな。敷地面積は下院の四倍、それに付随する施設も多肢に渡り、人口密度はかなり低い。あとはもうわかるだろう」


 上院の各所で、当たり前のように営まれている。そう聞くと、我慢をするのもアホらしい。やらなきゃ損だという気にさえなってくる。


 と、そこで麒翔きしょうはハッとした。


「まてまて。龍人は名節を重んじるんだろ。そんな節操せっそうのない真似していいのかよ」


 名節が汚れれば女の価値は下がる。婚約するだけでも大きくその価値が目減りするのだから、婚姻を結べば無価値に等しくなるだろう。にも関わらず、上院でそのような行為が横行しているというのはに落ちない。と、


「それだけ本気だということだ」


 絶対に嫁ぐという意思があるのなら、名節など関係ないと公主様は言った。

 龍人女子は、主人となるただ一人の龍人男子にのみ忠誠を誓う。名節とは、この忠誠心を示すための指標の一つに過ぎない。つまり、公主様の名節がいかに汚れようと、麒翔きしょうさえその忠誠心を理解していれば問題がないということ。


「群れに入るということは、己の命を託すということ。この命をあなたへ託し、全身全霊をもって支えていく覚悟はとっくにできている」


「――――――っ」


(ああ、そうだ。黒陽はどこまでも一途で真っ直ぐだ。その真心に心を打たれたからこそ、大衆監視の場で婚約を結んだ)


 彼女の言葉に嘘偽りが無い事を、その本気を、麒翔きしょうは誰よりも深く理解している。だからこそ、胸が熱くなる。


「私はあなたのためなら何だってする。卑怯だと罵られようと、冷酷だと批判されようと、常にあなたにとっての最善を選択していくつもりだ」


 そこまで言って、公主様は覚悟を決めるようにきゅっと薄桃色の唇を噛んだ。そして曇りのない真っ直ぐなまなこを向けてくる。


「これから先、あなたと共に群れを大きくしていく過程で、納得のいかない選択があるかと思う。それは一見すると不合理で、反発したくなるような理不尽を内包しているかもしれない。けれど、どうか疑わないでほしい。必ず、あなたにとっての最善を選択してみせるから、私を信じてほしいんだ」


 これほどの好意を向けられて、嬉しくない男などいるはずもない。 胸が焦げ付くようなどうしようもない愛おしさに包まれて、公主様の華奢な体に手が伸びかけた。が、公主様に苦言をていした手前、その筋を曲げる訳にはいかない。本能の発する強い衝動に身を焦がしながら、


「おまえは一体、どんだけ一途なんだよ」


 ぶっきらぼうにそう言うことしかできなかった。


 と、その内心にある動揺を見透みすかしたかのように、公主様が小悪魔的な笑みを浮かべた。どこか桜華を彷彿ほうふつとさせるような邪悪な笑みを。


「本当に抱かなくていいのか? 私を抱きたい男はごまんといるぞ」


 ベッドの上で、美少女が上目遣いに挑発してくる。甘えるように目がとろんと閉じ、悩ましげな吐息といきが挟まれる。胸元の膨らみは十五とは思えないほど育っていて――


(本当に悪魔か。色っぽい分だけ桜華よりたちわりぃ)


 などと、桜華が聞いたら間違いなく機嫌を損ねるようなことを考えつつ、その一方で、俯瞰ふかんした意識の上空から麒翔きしょうは別のことを考えていた。


「今のは本気じゃないだろ。試したな」

「どうしてそう思う」

「目が小悪魔的に光ってた。それは桜華の得意技だ」

「バレたか」


 桜華がやるみたいに公主様はチロリと舌を出して笑む。

 その顔に桜華の顔が重なって、なぜだか罪悪感のようなものを覚える。冷水を浴びせられたかのように、急速に体から熱が引いていくのを麒翔きしょうは感じた。


「桜華から悪いことばかり学びやがって……」

「そんなことはない。あなたは桜華と一緒にいる時、幸せそうな顔をしている。私も少しでいいから桜華と同じようになりたい。だから参考にしている」

「ちがっ……」


 予想外の不意打ちに、麒翔きしょうは挙動不審に両手をばたつかせた。


「だ、だから。桜華とはそういう仲じゃないって言ってるだろ」


 これまた桜華を真似たのか、公主様が半目となる。


麒翔きしょうがそう言う時は、照れ隠しだと桜華が言っていた」

「あの野郎……また余計なことを……しかも自分の首まで絞めてるじゃねえか」

「余計なことではない。桜華はできた龍人だ。尊敬に値する」

「そういや、おまえ。桜華の評価がやけに高いよな」


 そこで、公主様の顔がかげった。ただそれは気のせいかと思うぐらい一瞬の出来事で、瞬きを挟んだら元の乏しい顔に戻っていた。


「正妃を譲るなんて真似、普通はできない。器が大きい証拠だ」


 いや、だから桜華とはそういう関係じゃない――と言おうとして、麒翔きしょうはため息とともにその言葉を飲み込んだ。反論は無駄だと判断したためだ。


 と、そこで。

 ある一つの疑問にたどり着く。

 それは根本的な疑問。本来なら開口一番に問うべき質問。


「そういや、おまえさ。何しにきたんだ?」


 公主様がわざわざ男子寮を訪れた理由。


 契りを結ぶため?

 いいや、それは違う。契りを結ぶなどという過激な発言は、あくまで麒翔きしょうの言動――俺だって一応は男なんだぞ――に対して公主様が反応した結果にすぎない。


 いくら上院の各所で営まれているとは言っても、そんな無節操むせっそうな真似をするような人ではないはずだ。情動じょうどうあおるような淫猥いんわいな姿は、高潔に咲き誇る高嶺たかねの花たる公主様に似つかわしくない。きっと別の理由があるはずだ、と麒翔きしょうは願う。


「夜練の時も、上の空で答えてくれなかったろ」


 言って、頓着とんちゃくせずに服を脱ごうとした公主様を思い出し、躊躇ちゅうちょのなかったその行動に麒翔きしょうは少しだけ不安になった。すると、公主様が見たこともないぐらい目を見開いて、ポンッと手を打った。


「そうだった。すっかり忘れていた」


 どこか抜けたところのある公主様は、乏しい顔に微かな笑みを浮かべて続ける。


「適性属性の問題。解決するかもしれないぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る