第47話 公主様、ここ男子寮ですよ?
全身の汗をタオルでぬぐい替えの
男子用の青と白の龍衣。装飾には銀糸が使われているので、女子のものと比べると少し地味な感は否めない。
夏の季節は終わりを迎えたとはいえ、それは
龍人は汗をかきにくい種族であるが、半龍人の
「翔くん、ちょっと臭いよ」
と、桜華に鼻をつままれて嫌な顔をされる始末。
仕方がないので、他の生徒が寝静まった深夜、汚れた龍衣を一人でコソコソと洗濯するのが日課となっている。
下院男子寮にある自室のベッドに要洗濯の龍衣を放り投げ、寝衣に着替えた
「結局、なんの用だったんだろうな」
公主様は来訪理由を話してはくれなかった。その思わせぶりな態度が若干気になりはしたが、
大きな
正直、もう眠りたいところだが、洗濯物がたまってしまうのは面倒だ。先延ばしにしたくないという意識と、睡眠を欲する本能との間に
誘惑に逆らえず、ベッドに寝転んでゴロゴロと転がってみる。すると唐突に本格的な
(こんな時間に誰だ?)
時刻は深夜。日付はとっくに変わっている。
男子寮に教師はいない。とすれば学生になるのだろうが、こんな時間に訪問してくる仲の良い男子生徒はいない。そもそも普通はもう寝ている時間だ。
無視しようかとも思ったが、控え目だったノックの音が、だんだんと
右手にドアノブを掴み、そっと開けると――
黒髪の美人幽霊が立っていた。
と思ったら、公主様だった。彼女はうつむき加減で顔にかかっていた前髪をすくいあげ、白い顔を近づけてきて言った。
「入れてくれ」
「いや、こえーよ」
一瞬ではあったが、かなり本気でぎょっとした。下院の龍衣は白の割合が多く、ぱっと見で白装束に見えるので、なおさら心臓に悪い。感情の乏しい顔は、無念の内に死んだ女のように真っ白だ。
公主様がぐいぐいと身を寄せて、ドアの隙間から入って来ようとする。
その侵入をとっさに体でブロックすると、公主様は不満そうな顔をした。
「なぜ入れてくれない」
「いやいや、なんで当たり前のように入ろうとしてんだよ!?」
「こんなところで立ち話もなんだろう」
「一応ツッコんどくけど、それおまえが言うセリフじゃないからな」
勝手にドアの隙間を広げ、さらなる侵入を試みる公主様。ぐいぐいと華奢な体を押しつけてくる。
「ちょっと待て、落ち着けって。胸があたってんだよ」
「
「悪いの俺かよ!?」
男子寮は女子禁制である。
まさか夜這いに来たわけでもあるまい。ならば公主様は、一体いかなる理由でここにいるのか。そのことを伝えると、
「いいから早く入れてくれ。人に見られるとまずい」
「ああ。一応、校則違反だって認識はあるんだな……」
堂々と校則違反してんじゃねえよ――と
「だったら入れるわけにいかないことぐらいわかるだろ。バレる前に戻れよ」
「校則違反を心配しているのか」
「それも心配だけど……それよりも、密室で二人きりになるのはまずいだろ」
「なぜだ」
心底不思議そうに首を傾げる公主様を前に、
とはいえ、たしかにこんなところで問答を続けるのはまずい。深夜のこの時間、男と逢引きしていたと取られかねない状況にある。もし見つかった場合、一番困るのは間違いなく彼女だ。名節が汚れるなんてレベルでは済まない。
「わかった。早く入れ」
仕方なく部屋へ通す。狭い室内の中央まで進んだ公主様は、スンスンと鼻を動かした。大きく息を吸って、吐いて。能天気に深呼吸なんかしている。無防備で隙だらけの小さな背中。自由すぎるその姿勢に
「おまえ本当に
公主様が振り返る。
「無頓着? なんの話だ」
大真面目な顔でこう言うのだから、本気でわかっていないのだろう。箱入り娘ならぬ箱入り公主様である。
「男の部屋に入る意味。わかってないだろ」
「わかっているぞ。だからこうして緊張している」
ポーカーフェイスというか、表情の乏しい公主様は普段どおりで、緊張しているようには見えない。余裕のある凛とした佇まいは健在だ。
どう
「あのな。校則違反を抜きにしても、深夜のこの時間、男女が一緒にいるというのは相当まずいだろ」
「なぜだ。私は構わないぞ」
薄桃色の唇が誘惑するようにうごめいた。挑むように漆黒の瞳が上目遣いに向けられる。瞬間、理性のタガが一瞬で外れかけた。手を伸ばせば届く距離。学園一の美少女を前に、押し倒したい衝動に駆られるのは自然な成り行きだった。
「っんとうに、わかってねえな!」
公主様の腕を引っ張り、強引にベッドへ押し倒す――シーンを想像して、かつて公主様の腕を取り、同じように脅したことを
「好きな女を前にいつまでも我慢できると思うなよ。力比べとなったらさすがのおまえも分が悪い。こういう場合、身の危険を感じるべきだ」
実際その気になれば、公主様をベッドに押し倒すことは可能だろう。その先だって
「俺のことを信用してくれるのは嬉しい。だけど、おまえはあまりにも無防備すぎだ。俺だって一応は男なんだぞ。いつまでも安全だとは限らない」
事実、理性はもう限界を迎えつつある。
公主様はきょとんとした顔になって固まった。
そして少考したのち、彼女は胸に手を当てると首を傾げた。真顔のまま、
「契りたいのか?」
とんでもない爆弾を落としてきた。
「ばっ……」
ただでさえ熱くなっていた顔の表面温度が、臨界点を突破して更に上昇するのを
言葉を絞りだせずに絶句する
「契るとは、人間の言葉で言えばセッ――」
「言わなくていいよ!? わかってるよ!」
金縛りから解けた
「おいおいおいおい! ちょっと待て! なんで脱いでるんだよ!?」
「? こうしなければ契れないだろう」
「可愛らしく小首傾げてんじゃねえよ!?」
薄い衣一枚の格好となった公主様。はだけた胸元に落ちた一筋の黒髪が、白い肌をより一層際立たせる。胸は生意気にもツンと張り、辛うじて衣で隠れた腰の辺りからは白い太ももが艶めかしく伸びている。その隠れた足の付け根がどうなっているのか、男なら想像せずにはいられない。そんな状況。
「一応言っておくけどな、黒陽。そういう冗談は笑えないぞ」
「冗談ではない。私が身を捧げるのはあなただけと決めている」
――接吻を交わして婚約とし、契りを結んで婚姻とする。
契りを結べば婚約の先。次のステージへ進むことになる。
胸に手をあてた公主様の顔は少しだけ上気していた。覚悟を決めたかのように、きゅっと薄桃色の唇が結ばれる。
「遅かれ早かれ捧げるつもりなのだから、今でも別に構わない」
学園一の――否、世界一の美少女にここまで言われて何もしないとしたら、そいつは男ではない。断じて、男を名乗ってはいけない。
だが、
「契りを結べば退学処分だ。そうなったらもうおまえを
学生の身分で婚姻を結ぶことは固く禁じられている。破れば即刻退学処分となり、そうなれば爵位を授与される機会は永遠に失われる。
「重罪人は爵位を剥奪され、無印となる。そして二度と爵位を賜ることはできない。そうだろ?」
そしてそれは、学園を卒業できなかった場合も同様で、無印として扱われる。そうなれば本当に駆け落ちするしかなくなるだろう。あるいは、
「それとも、龍皇陛下の力ならなんとかできるのか?」
この問いに、公主様はゆるゆると首を振った。そしてすごく残念そうにしょんぼりした顔になった。
「無理だ。さすがの父上でもそれはできない。この国の法――古くから伝わる龍人族の
いそいそと帯紐を締め直す公主様。
ふと、
時折、公主様からふわりと漂う良い匂い。密着して一つになったら、もっとはっきり感じとることができるだろうか。
目の前の無防備な少女を前に、誘惑を絶ち切るのは相当な精神力が必要だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます