第52話 鬼畜の所業

「エレシア・イクノーシスは生きている」


 全身を包帯で覆われた重傷の公主様が、簡易ベッドに横たわったまま、の張られた天井を見つめて言った。


 獣王の森から脱出を果たし、本陣へ向けて帆馬車を走らせていた時のこと。

 突き抜けるような青空の下、石畳いしだたみの街道が真っすぐ地平線まで伸びている。左右にはのどかな平原が広がりを見せ、獣王の森からの距離も遠のいた。脅威が去り、日常への帰還に安堵していた麒翔きしょうは、馬車を引く足を止めることなく能天気に応じる。


「生きてるって、さすがにあれは助からないと思うぞ」


 商人の娘・アリスを称するエレシア・イクノーシスは、麒翔きしょうがこの手で一刀の元に叩き斬った。瀕死ひんしの重傷を負った公主様の手当てを行うため、その生死を確認する暇はなかったが、即死を確信する手応えはあった。


「うんうん、わたしも翔くんに賛成。龍人でもあれは助からないよー。脆弱ぜいじゃくな人間ならなおさらだと思うな」


 帆馬車内で、公主様に羽織はおらせる替えの龍衣りゅういいながら、桜華おうかが同意した。生地きじは荷にあったきぬを少しばかり拝借はいしゃくしている。

 太陽光が顔に当たり、ポカポカと温かい。疲れを感じさせない軽い足取りで麒翔きしょうは馬車を引く。


「あれで生きてたら、もはや生き物じゃない。亡霊だってんならわかるけどな」

「亡霊。そう、的を射た響きだ」


 冗談のつもりで口を突いて出た言葉に、間髪かんぱつ入れず同意されたことで、麒翔きしょうの顔が怪訝けげんに曇った。内心では一笑に付したい気分だったが、公主様の話をきちんと聞かなかった愚を思い出し、考えを改める。獣王の森における先の事件において、アリスの正体を見破り、適切に行動できていたのは彼女だけだったではないか。


「どういうことだ」


 自然、口調は硬いものとなった。

 少し間が空いた。ガラガラと石畳を踏む車輪の音だけが周囲に響く。


「私は体に触れた魔術式を解析することができる」

「ええー!?」


 さも当然とばかりの公主様の言に、桜華が驚きの声を上げた。

 が、そもそも魔術適性のない麒翔きしょうには、それがどれ程の離れ業に当たるのか想像が及ばない。馬車を引きながら空を見上げ、軽い調子で訊く。


「そんなに驚くことなのか?」

「当たり前じゃん。点字ブロックを指でなぞるのとはわけが違うんだよ!」


 リアクションの薄い麒翔きしょうを責めるように、帆馬車内から桜華の声が飛んできた。とにかく非常識な芸当なのだということだけは理解して、麒翔きしょうは先を促す。


「それで、それがエレシア・イクノーシスとどう繋がるんだ」

あの女アリスの体には魔術式が張り巡らされていた。触れ合った肌を通して、逆探知・解析してわかったのは――」


 そして公主様は単刀直入に結論を述べる。


「あれはエレシア・イクノーシスの本体ではない」


 思わず、帆馬車を引く足を止めそうになる。急に減速したことにより、ガクンと帆馬車が大きく揺れた。短い悲鳴があがる。


「ちょっと翔くん。針が指に刺さったんですけどー」

「すまん。いや、そんなことよりも。本体じゃないってどういうことだ」


 縫物ぬいものをしていた桜華が文句を言ったが、麒翔きしょうはそれどころではなかった。首の裏側がチリチリする。なんだか嫌な予感がした。

 公主様の落ち着いたよく通る声が、言う。


「アリスに施されていた魔術式は二つ。一つは、闇と同化する術式。これは麒翔きしょうも知っているだろう。斬撃が効かなかったのは闇と同化していたからだ」

「闇と同化って……そうか、黒い霧が漂ってたアレか」

「そうだ。そしてもう一つ、精神操作系の呪術が施されていた。そのすべてを解析できたわけではないが、おそらく術者の魂を無理矢理移植する類のものだろう」


 ――呪術じゅじゅつ

 それは闇属性魔術の系譜けいふの中で、邪道とされるものを総称してそう呼ぶ。龍人族の国では、あまりに卑劣ひれつきわまりないその性質から、呪術は禁呪きんじゅとされており、習得及び使用を硬く禁じられている。龍人社会のルールに暗い麒翔きしょうでさえも、流石にそのぐらいは知っていた。だが、今問題なのはエレシア・イクノーシスの生死ではない。焦る気持ちから早口になった。


「つまり、アリスは操られていただけってことか」

「そうだ。彼女は、エレシア・イクノーシスの操り人形として使われた哀れな女子だったというわけだ。おそらく状況から考えて、商人の娘という肩書きは本当だったのだろう。獣王の森に迷い込んだところを奴の手にかかった」


 車輪が軋みをあげて止まった。帆馬車は完全に停止し、麒翔きしょうは棒立ちのまま胸元を強く握りしめる。


「じゃあ、俺は無実の少女を殺したってことか」

「それは違う。呪術を施された時点でアリスの魂は加工され、もはや自我は消滅していた可能性が高い。あれはエレシア・イクノーシスの数あるボディの一つだった。ゆえにすでに死んでいたという表現が正しい」


 公主様の気遣いに、麒翔きしょうは棒立ちのままかぶりを振った。

 仮に自我が消滅していたのだとしても、無実の少女にトドメを刺したのは麒翔きしょう自身なのである。公主様を守るためとはいえ、それは罪深いことのように思えた。

 だが、後悔があるかと言えばそれは違う。仮に同じ局面が訪れたとしても、やはり麒翔きしょうは少女を叩き斬るだろう。それが罪深いことだと知りつつも。


 そうして生まれた葛藤の狭間に、怒りがふつふつと湧いてきた。他人の体を乗っ取り我が物とする。その悪魔の如き所業に全身が熱くなる。まさに禁呪。邪道とされるだけの理由がそこにはあった。絶対に許してはならない。


「エレシア・イクノーシスの本体はどこにあるんだ」


 腹を据えて話を聞くため荷台へ上がり、公主様の横たわる簡易ベッドの脇へ腰を下ろす。そのはすかい。公主様の枕元に座り、裁縫に精を出していた桜華が手を止めることなく困り顔でこちらに視線を投げてきた。

 公主様は目の端で憤然ふんぜんとする麒翔きしょうの姿を認めると、天井を見上げたまま言った。


「おそらく学園の関係者だ」


 予想だにしなかった返答に、麒翔きしょうは顔面をぶん殴られたような衝撃を受けた。

 絹に針を通していた桜華の手もピタリと止まる。


「ま、待て待て。話が飛躍しすぎだ。どうしてそうなった」

「そうだよ、陽ちゃん。学園にエレシア・イクノーシスなんて人いないよ」

「桜華の言うとおりだぞ。龍人の命名規則にも合致しない。あれは西方人によくある名前だ。それに龍人は群れを作って生活する種族だから、家名は存在しないだろ」


 矢継ぎ早に繰り出される反論に、公主様はフフッと不敵に微笑んだ。


「奴が普段使っているボディは龍人だ。これは間違いない。思い出してみてくれ、どうして奴はトロピカルテングタケをおいしいと言ったのか」


 獣王の森。四日目の夜。

 夕飯の食材を調達してきたアリスは、カゴに入ったたくさんのキノコを自慢げに見せてきた。そして横合いから覗き込んだ桜華が、トロピカルテングタケに喜んでみせると、そのお気楽なテンションに乗せられたのか彼女は「おいしいですよ」と口走ってしまった。


 毒キノコをおいしいなどと口走った矛盾。それが決定打となり、公主様は強行策きょうこうさくにでた。逆を言えば、あの失言さえなければ騙し通せていたのかもしれない。


 では、なぜ失言してしまったのか?

 公主様の発言を勘案かんあんした上で、考えられる一番高い可能性は――


「…………まさか、食べ慣れているからだとでも」

「そうだ。毒を食べて当たり前。その認識があったからこそ、あなたは失言に気付くのが遅れた。そして同様の認識がエレシア・イクノーシスにもあったからこそ、奴はうっかり『おいしい』などと口走ってしまったのだ」


 公主様に指摘されるまで、アリスはその失言に気付いていなかった。その狼狽うろたえ方は、今まで巧妙こうみょうにその正体を隠してきた殺人鬼としては不自然だった。それは想定していない無意識による失態だったからこその不意打ち、動揺だったのではないか。


 腑に落ちるものがあり、麒翔きしょうは頷く。


「なるほど。龍人だと考えるのが一番自然だな。だが、学園関係者だと決め付けるのは早計じゃないか。あそこは龍聖りゅうせい羅呉らくれの縄張りだったろ」


「奴の目的は私だった」


 揺るぎのない絶対の自信をもって公主様は言った。


「自分で言うのもなんだが、千年に一人の才女と呼ばれるほどに私は優秀だ。容姿、能力、身分どれをとっても私より優れた者は存在しない。身体を乗っ取り手駒として使うとしたら、これ以上の逸材いつざいはないと思わないか」


 簡易ベッドに横たわる公主様は、漆黒の瞳だけをこちらに向けて、どうだ異論はあるかと問うている。胸元の膨らみが、薄い毛布もうふ越しに苦しそうに上下するのを見て、麒翔きしょうの心はどうしようもなくざわついた。


「一歩間違えれば、黒陽おまえの身体は乗っ取られ、自我が失われていたかもしれない。そう言いたいのか」

「そうだ」


 短い、けれど力強い答え。

 公主様が失われる。その喪失感と絶望から動揺を隠せない麒翔きしょうと違い、当事者である彼女の表情に変化はない。いつもの乏しい顔からは何色も読み取れなかった。


「公主である私が獣王の森へ赴く。この情報を事前に知り得ない限り、あのタイミングで仕掛けるてくることはまず不可能だ」


 だんだんと麒翔きしょうにも状況が飲み込めてきた。

 龍人の群れは独立性が高く、国家並みの情報管理体制が敷かれている。国の重臣たちが、他国へ国家機密を漏らすことがないように、群れに所属する龍人女子たちもまた、他の群れへ情報を流すような真似はしない。また、生徒が学園から出られないのも、情報規制という観点からの措置である。学園の行事とはいえ、外部からその詳細を知ることは極めて難しいだろう。


「その情報を知り得たのは、学園関係者しかありえなかったってわけか」


 しかし、納得するのと同時に疑問も浮かんだ。学園関係者だというのなら、学園で生活する日々の中で、チャンスはいくらでもあったはずである。どうしてわざわざ獣王の森で凶行に及ぶ必要があったのか。この疑問に公主様はこう答えた。


「公主である私に表立って危害を加えれば、父上と母上が黙っていない。ゆえに学園で襲うのはリスクが高すぎる。その点、人間を使って攻撃を加えるのなら、失敗しても知らぬ存ぜぬで通すことができる。奴にとって、今回の夏季特別実習は千載一遇の好機だったというわけだ」


 用済みとなったら、すべての罪をアリスに着せ、闇へ葬る。本体は別にあり、エレシア・イクノーシスは痛くも痒くもない。


 確かに、理にかなっている。だが、人道に反している。

 その鬼畜の所業を麒翔きしょうは断じて認めるわけにはいかなかった。


「絶対に生かしておけねえ。見つけだしてぶっ殺してやる」


 必ず、果たさねばならない。エレシア・イクノーシスの完全なる討滅を。

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