第45話 黒陽公主と釣り合うと、本気で娶れると思っているの?

 龍人族は群れ単位で独立した生活を送る。

 彼らを知らない他種族からはよく混同されるが、群れという概念と家族という概念はイコールではない。正しくは、群れという概念の中に家族という概念が含まれているという表現が適切となる。


 群れとは、家であり、組織であり、国である。群れが小さいうちは一夫多妻制の家庭とそう変わりないが、群れが大きくなるにつれて組織と呼べる構図に変わり、最終的に都市を形成するに至ると都市国家のように振る舞いだす。


 しかし都市国家といっても、実際に国の体裁を取っているわけではなく、あくまでそのように振る舞うだけである。なぜなら群れとは、国に属する運命共同体的な組織という位置付けだから。ゆえに大きな群れには、都市国家レベルの経済的・軍事的な独立性はあるが、国に属すという性質上、群れのルールよりも国の法が優先される。


 このように、一風変わった文化を持つ龍人族の国ではあるが、国号はない。人々は単に「龍人族の国」とだけ呼ぶ。この一事をとっても、龍人族の国が一般的な国のていを取っていないことがわかるだろう。


 ではそんな龍人族の国において、龍皇はどのような立場にあるのか。イメージとしては、都市国家が乱立しており、その中で一番力を持った都市国家が龍皇の群れ、という構図を想像してもらえるとわかりやすいだろう。

 そして有力貴族の群れが都市国家レベルで独立性を保っているため、いかに龍皇といえど、貴族たちに命令をだして意のままに動かすことはできない。例えば、他種族と戦争になり援軍が必要な場合は、要請をだすという形になる。


 そしてこの独立性は、群れがまだ小規模なうちにも適用される。一般的な若い龍人の群れは平均六人構成となるが、他の群れの治める街や都市で暮らすことは基本的に許されない。このため、たった六人で生活基盤を固める必要があり、荒野や森などの人里離れた過酷な環境で暮らしていくことになる。


 加えてここに縄張り争いが勃発ぼっぱつするので、必然、龍人の平均寿命は短くなる。一般的に若い群れは、旗揚げから十年以内に九割が淘汰とうたされるといわれている。


 つまり、学園卒業時に同級生の男についていくというのは、それだけで大きなギャンブルだということ。無難に安定した生活を送りたいのなら、大きな群れ――それこそ龍皇の群れに入った方がよっぽど長生きできるだろう。

 しかしそれでも、ギャンブルに挑むだけの価値はある。なぜなら群れ旗揚げ時の初期メンバーは六妃の称号を与えられ、将来群れが大きくなった暁には、最高幹部の一人として栄華えいがを極めることができるからである。


 だからこそ、龍人女子たちは優秀な男を必死に探す。それこそわき脇目も振らず貪欲どんよくに。だというのに――


「よりにもよって、このような男を好きになるとは……」


 上院本校舎。学園長室。

 青蘭せいらんは執務机に両肘をつき、頭を抱えるようにして吐息といきした。


 室内には青蘭せいらんの他に四名。

 娘である紅蘭こうらん将妃しょうひの娘である黒陽公主。下院の生徒である桜華。そして適性属性なしの無能な男子生徒。


 紅蘭こうらんが起こした騒動を理由に、帰路にこうとした四名をここまで引っ張ってきた。目的は、黒陽公主の婚約を白紙に戻すため。


 弁舌べんぜつ達者な黒陽公主をやり込めるのは容易ではない。必然、狙いは無能と呼ばれた男子生徒となる。彼の心を折り、婚約自体をなかったことにする。それが青蘭せいらんの役目であり、大恩ある将妃様から与えられた任務だった。


厚顔無恥こうがんむちにもほどがあります。あなた、黒陽公主と釣り合うと、本気で娶れると思っているの?」


 静かなる殺気を隠そうともせずに、青蘭せいらんは罵声を浴びせた。

 が、憎たらしいことに少年はいささかもひるむことなく、太々しい態度で応じる。


「思っていますよ」


 適性属性検査の後、学園長室で一度だけ少年と顔を合わせる機会があった。あの時は、弱々しく震えながらも学園を去るつもりはないと吠えてみせた。あれから半年、こうまで変わるものなのかと青蘭せいらんは内心で驚きを隠せない。が、その動揺を億尾おくびにも出さず、青蘭せいらん口撃こうげきの手を緩めない。


「たしかに剣術の才能はあるのでしょう。それは認めます。ですが、魔術も吐息ブレスもロクに使えない者が、どうやって大所帯の群れを守っていくというのです」


 これに男子生徒は、少し困ったような顔をした。当然だ。剣術だけでは攻めと守りを両立させることはできない。正面切っての一騎討ちでは無類の強さを発揮できても、対集団が相手では間違いなく遅れをとる。

 群れを守るという役目。それは群れが大きくなってからは妃の仕事となるが、群れがまだ小さいうちは主人が請け負うべき仕事である。


「その責任が、あなたに取れて?」


 数瞬、沈黙が流れる。男子生徒はうつむき何事かを思案している。代わりに黒陽公主が口を開きかけ、それを少年が手で制すように止めた。


「その点に関しては俺も思うところがあります」


 そして隣に立つ黒陽公主の方をチラリと窺い、彼は続ける。


「黒陽一人だけならこの手で守る自信がある。だけど、群れを大きくするとなるとそうはいかない。その点に関しては、黒陽と相談して決めていきたい」


 公主の名を無礼にも呼び捨てたことに、青蘭せいらんは苛立ちを覚えた。だがそれ以上に青蘭せいらんを苛立たせたのは、その曖昧な態度だった。


「相談して? 恥を知りなさい!」


 学園長室全体を雷のような怒声が一喝いっかつした。

 ビリビリと空気が振動し、険悪な雰囲気が室内に満ちる。


「たしかに、群れが大きくなってからは妃と相談して共に統治するのが常道です。しかし! 群れがまだ小さいうちは、あくまで主人の裁量ですべてが決まる。リーダーシップを発揮できないオスになど価値はない!!!」


 大気を震わせるほどの大声に、けれど少年は少しも怯むことなく青蘭せいらんを真っすぐ見つめている。そして彼は静かに口を開く。


「授業で習いましたよ。群れにはそれぞれ〇〇型思考と呼ばれる考え方がある。俺のそれは精鋭型思考に近いですが、ちょっと違う。いうなれば、超少数精鋭型思考とでも呼びましょうか。俺は黒陽以外、娶るつもりはないんですよ」


「なっ…………」


 予想外の返答に青蘭せいらんは大きく息を呑んだ。

 そしてそれは黒陽公主も同じだったようで、彼女は不満そうに少年へ顔を向ける。場に同席した紅蘭こうらんにしても同様で眉をひそめた。唯一、桜華だけがあちゃーという顔をしている。


 不満そうな黒陽公主の頭を、少年は無礼にも軽くポンポンと叩いた。


「だけどそれは俺の考えであって黒陽の考えじゃありません。彼女は群れ拡張型思考の持ち主ですからね。学園長の言うとおり、俺一人では多くは守れない。だからこそ、二人で相談して決めていかなければならないんです」


 ガツンと頭を殴られたような衝撃が青蘭せいらんを襲った。


「非常識にもほどがあるわ! それではあまりにも甲斐性が無さすぎる! たしかに力のない龍人は妻を一人しか娶ることができません。けれど、公主を娶っておいてその理屈は通用しないわよ」


 さきほどよりも大きく、室内が振動した。そのヒステリックな叫びにも男子生徒は顔色一つ変えない。好きに言ってくれと言わんばかりの態度である。


 それまで沈黙を保ってきた黒陽公主が口を開く。


「適材適所という言葉がある。足りない部分は私が補えばいい。それが夫の覇道を支える妻の覚悟というものではないだろうか、青蘭せいらん殿」

「このような不甲斐ない男に嫁ぐつもりだと知ったら、将妃様はどう思われるでしょうか。今一度、ご再考を」

青蘭せいらん殿。これは母上の教えなのだ。きっと喜んで頂けるだろう」


 黒陽公主は幼少の頃より、帝王学を叩き込まれて育ってきた。それは将来、高い地位に就くことを見越しての指導。夫の覇道を支えるための妃の心得。


 ――夫に尽くし捧げる献身こそが妻の美徳である。

 これは将妃・烙陽らくようが常日頃から口にしている言葉でもある。


 青蘭せいらん眩暈めまいがして、天をあおいだ。


(将妃様。あなたの教えが裏目にでてしまっています)


 まさか将妃・烙陽らくようも、娘がどこの馬の骨とも知れない輩に嫁ぐなどと、夢にも思っていなかっただろう。だが皮肉なことに、その教えが完璧であればあるほど、不完全な夫を支えようという意識がより強く働いてしまう。


(まさか強く反対するのは逆効果だとでもいうの? 不甲斐ふがいない男のリアクションを見れば、気も変わるだろうと思っていたのに)


 室内は相変わらず、重苦しい雰囲気に満ちている。


 六妃である青蘭せいらんの威圧は凄まじく、女教師でさえ震えあがらせるほどの圧がある。現に娘の紅蘭こうらんでさえ、浅く抱いた腕を小刻みに震わせている。今この場で、青蘭せいらんの圧力に屈していないのは二名。ターゲットの少年と黒陽公主だけである。


 威風堂々いふうどうどうと夫婦のように並んだ二人を見て、青蘭せいらんはついお似合いなのかもしれないと思ってしまった。しかし、すぐに自らの愚を反省し、かぶりを振る。


(蔑まれ、バカにされる生活だったはず。それなのに――いいえ、それだからこそ、ここまで肝が据わってしまったのかもしれない)


 青蘭せいらんはあの時、退学処分としなかった己の甘さを激しく後悔した。多少強引ではあっても、適性属性なしを理由に、退学処分とするべきだったと今更ながらに思う。しかし、それはできなかった。それもこれも、


「だいたいあなた! どうやって陛下の推薦状を手に入れたんですか!」


 気が付くと、苛立ちをぶつけるように叫んでいた。

 今更それがわかったところで詮無せんなきこと。意味のない話、ただの八つ当たりである。太々しく返されて終わりだろうと思っていた。が、予想は裏切られる。


「え? 陛下からの推薦状? なんのことですか」


 困惑気味に少年は問い返してきたのだ。

 後のない青蘭せいらんは余裕を失っていた。だから深く考えずに条件反射で返す。


「あなたが持参した陛下からの推薦状ですよ。よもや忘れたとは言わせませんよ」


 青蘭せいらんの揺さぶりに微塵みじんも揺るがなかった少年の顔が、ここにきて初めて動揺の色に揺れている。


「知りません。たしかに紹介状は持参しましたけど、あれは母から託されたものです。旧友がいるから渡せばなんとかなるって言われて」


 推薦状にはたしかに、が押されていた。あれをのは龍皇陛下だけである。それはすなわち、龍皇陛下の推薦状だということ。

 青蘭せいらんは苛立った。隠し立てする理由が思い浮かばなかったからである。


「とぼけるのはおやめなさい。今更、隠したって意味がないことぐらいわかるでしょう。偽造だというのならまだしも」


 ギクリ、と少年の顔が青くなる。引きつった顔からは余裕の笑みが消えている。


 が、これを青蘭せいらんは演技と判断した。

 最高権力者の印は一介の平民風情ふぜいが偽造できるようなものではない。あれは間違いなく本物だった。ならば少年は嘘をついている。至ってシンプルなロジック。


「あなたが陛下のお気に入りだというのはわかっています。強力な後ろ盾を得て、さぞかし気分も良いことでしょう。それを今更、隠す意味がどこにあるのです。六妃である私を馬鹿にするなんて、普通なら許されませんよ」


 目を丸くした少年が、隣の黒陽公主と顔を見合わせた。そしてもの言いたげな黒陽公主の視線に「知らない」と白々しくも首を振る。


 大きな吐息を一つ。青蘭せいらんは目をつぶり、思考をまとめると覚悟を決めた。


「わかりました。そうまで挑発するのならこちらにも考えがあります。後日、その実力を証明してもらいましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る