第44話 終わらない悪夢
「さぁ、キスしなさいよ。それが望みなんでしょ」
ツンとそっぽを向いて、顔を赤らめた
長身の彼女は、
気の強そうな顔は、間違いなく美人の
「
「ごちゃごちゃうるさいわね。あたしの唇を
気恥ずかしげにそっぽを向いたまま、
「人の情けに、盛大にちゃぶ台返し決めてんじゃねえよ!?」
「なによ、不満なわけ?」
「待て待て、もしかして俺の頭がおかしくなっちまったのか? 最初から最後まで不満な要素しかなかったと思うんだが」
「つーか、汚す許可ってなんだよ。そんなに嫌ならやめとけよ」
「安心しなさい。あんたが汚れているんじゃなくて、お姉様以外の全てが等しく汚れているのよ。例えあんたに汚されても、お姉様に浄化してもらうからいいわ」
「あー、もうわけわかんねー! わかったよ、俺の負けだ。これでいいだろ」
「そうね。だったら早くキスを済ませてよ」
「なんでだよ!? 俺が負けを認めたんだから、もういいだろ」
「良くないわよ。キスしないとお姉様と一緒にいられないじゃない」
その人間社会ではありえない狂った愛に
「急募! お姉様大好きっ子(狂人)キャラを黙らせる方法!!」
天高らかに、キャッチコピーに使えそうな現実逃避を叫んでみたが、現実は何一つ変わらなかった。そして、これに横合いから桜華が茶々を入れてくる。
「抱き寄せてキスで黙らせる」
「そうよ。早くしなさい」
「早くしねえよ!? てか、おまえら初対面のはずだろ。息ピッタリだな!?」
「安心しろ。
「
公主様に対する無礼な態度に、
「だいたいその炎はなんだよ。殺意
「これは体の火照りよ。初めてのキスなんだから仕方ないでしょ」
「嘘をつけ、嘘を!? 興奮しただけで黒焦げにされたら堪ったもんじゃねえぞ」
「その程度で死ぬ男に用はないわ」
「そこは嘘でもいいから取り繕っておけな!?」
うがーと身を仰け反らせ、意味もなくブリッジする
「百歩譲って、その狂った本気を認めるとしても、だ。俺はおまえのことが好きじゃねえ。意味はわかるな?」
「同感ね。気が合うじゃない」
「全然合ってねえよ!? 相性最悪だよ、俺ら」
「フンッ。お姉様についていければ、相性なんてどうでもいいわ」
「なんだ? デジャヴュを感じるぞ。この話の通じない一方通行な感じ……」
ふと、
「これから少しずつ、お互いをわかっていけばいいのだ」
◇◇◇◇◇
夕日が室内に差し込む。
生徒たちの
影は窓辺に両肘を乗せて前屈みとなり、視線を本校舎正面の広場へ向けた。
広場では、男子生徒一名と女子生徒三名がワーワーと騒ぎ立てている。
その中の一人。輪の中心にいる人物は、遠目からでもはっきり目立つほどの美貌の持ち主だった。影は
「あらあら、緊張感のないことで。触れた魔術式を読めるなどと言われた時は焦りましたけど、どうやらただのハッタリ。取り越し苦労だったようですわ」
夕日の差し込む薄暗くなった教室内。
足をバタバタさせながら、影は
その邪悪な笑みは
「第二ラウンド開始、と言ったところでしょうか。ゴングはとっくに鳴っているのだけれど、果たして気付いているのかしら」
くっくっく、と愉快そうに体を震わせ、全身で
広場で騒ぎ立てていた生徒たちの
「あら、あれは」
影は黒陽公主の実力をよく知っている。
だが同時に、この学園における一番の実力者は、黒陽公主ではないことも影は知っている。一番の使い手は間違いなく、あの女だろう。
「あれとまともにぶつかれば、無事では済まないでしょうね。慎重に事を運ばなければなりませんわ」
窓の外。
何やら青蘭からガミガミとお説教を食らっている様子の生徒たち。無理もないと影は思う。ピークが過ぎたとはいえ、下校途中の生徒たちが散在する中、真剣片手に大立ち回りを演じたのである。あのような危険行為が、許されるはずもない。
「もっとも、処分するかは学園長の
しばらくお説教は続き、叱責を受けた
「おっと。鉢合わせになるのはごめんですわ」
ぶらんと伸ばした足を大きく振って、影は腕の力だけで体を浮かせるとつま先から静かに着地した。埃のついた袖口をぞんざいに払ってみせ、自身も教室を後にする。
途中、廊下ですれ違った女子生徒たちが、影に向かってぺこりと頭を下げた。影はすっと普段の表情に戻ると、ひらひら手を振ってそれに応じる。
本校舎一階。北側には、魔術研究棟へと続く教師専用の裏口がある。扉を開ければ、すぐ目の前に魔術研究棟の敷地が広がっている。
魔術研究棟は二棟あって、教師専用の施設である教師棟と、魔術実験を行うための実験棟がある。裏口から教師棟までの間には、屋根付きの渡り廊下が通されている。影は迷いのない足取りで渡り廊下を進み、教師棟へ入っていった。
実験棟と比べて、教師棟の建物はさほど大きくない。特に重要な施設というわけではないが、その地下に秘密の空間が広がっているなどと誰が想像できるだろうか。生徒たちはもちろん、教師でさえその存在を知る者はいない。
「もう油断はしませんわ。次は入念に準備の上、じっくり料理して差し上げます」
隠蔽された空間の主たる影は、その顔に不釣り合いな凶暴な笑みを浮かべる。
魔獣など比べものにならないほど
地下室には透明なガラスに覆われたカプセル型の容器が安置されていた。容器は全部で六基あり、内五基は空。残るは一番手前の一基。容器は緑色の液体で満たされており、円形の透明なガラスの向こうには、全裸の少女が入れられているのが見える。
ゴボゴボ、と容器が気泡を吐き出し、緑の液体を循環させている。少女は柔らかく目を閉じ、まるで眠っているかのようだ。
小さな手をガラス越しに少女の顔へ合わせ、愛でるようにして影が呟いた。
「まったく。派手に壊してくれちゃって。お気に入りだったというのに」
黄金に輝く美しき髪をうっとりと眺める影。その閉じられた瞼の裏には、快晴を思わせる澄み切った青が眠っている。その人形のように美しい少女の名は――
「アリス、でしたか。ウエスポートから来た商人の娘」
怯えるアリスを無理矢理押し倒し、
影の魂を受け入れるための器である。
「
影が
瞬間、一斉に地下空間の
◇◇◇◇◇
下院の敷地、北にある魔術研究棟。
中でも教師棟には、普段から生徒たちは近づかない。用向きがないというのも理由の一つだが、全体的に古めかしくかび臭い雰囲気は、学生たちを近づかせない障壁となっていた。
そんな訳で、教師棟は日中であっても人の
そんな中、夕暮れに染まる薄暗い廊下を一人の女子生徒が歩いている。
視界を塞ぐほどに積み上げられた資料を両手で抱え、時折、首を捻っては資料の壁から顔を出し、進路に異常がないか確認しながら進んでいく。
午後の授業が終わり、帰宅の段となったこの時刻、なぜ女子生徒が教師棟へ立ち入ったのかはわからない。教師たちの姿も見えず、教師棟に存在するのは彼女だけのようである。女子生徒は山のような資料を崩さぬよう、ゆっくり慎重に歩みを進めている。
廊下には魔術起動式のランプが置かれ、暗闇検知と同時に火は灯っているが、その炎は頼りなく闇を完全には払えていない。薄暗い。ただひたすらに薄暗く、かび臭い。不気味な雰囲気を感じ取ってか、女子生徒が足を止めて振り返った。
そこには誰もいない。無人の空間が、真っすぐ廊下が伸びている。その先には、果てしない闇が大口を開けているかのようにも見える。
ぶるっと女子生徒が身震いする。
すると、今度は足早に廊下を歩きはじめた。山積みにされた資料が危なっかしく揺れ動く。この不気味な空間から一刻も早く逃れたい。そんな心理が透けて見える。
と、ふいに強い風が吹いた。女子生徒は短く「きゃっ」と叫んで身を屈めた。とっさにつぶった目を開き、辺りをキョロキョロ見回す。そして女子生徒は、訝しげに首を傾げた。彼女の視界から見て窓はすべて閉じられている。
では一体、風はどこから吹いたのか?
しばらくの間、思案していたが女子生徒だったが、気を取り直して「まぁいいか」と呟くと、歩みを再開した。その後ろに自分のモノとは異なる黒い影が張り付いていると気付かぬまま。
その日、女子生徒が一人姿を消した。
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