第43話 紅蘭の誤算

「あたしは幼少の頃より、お姉様についていくと決めていました。とすれば、お姉様の嫁ぐ相手は、あたしの嫁ぐ相手でもあります。ならば、己の主人として適格なのか、その実力を試さずにおれましょうか!」


 その言葉を境に、場の空気が一変した。


 氷解した、というのが正しい表現になるだろうか。張りつめ、緊張感の漂うはりむしろのような気まずい雰囲気が場から四散し、雪解けを思わせる春風が吹いたことを、成り行きを見守っていた麒翔きしょうでさえ感じとることができた。しかしその空気には、どこか白々しいものが混じっている。


 注意をして見なければわからないだろうが、公主様の乏しい顔から険がなくなっている。次の瞬間、その美しく可憐な顔にパッと花が咲いた。

 紅蘭こうらんを拘束し、地にい合わせてあった黒い鎖が音もなく外れて、地面に吸い込まれるようにして消えてゆく。


「そういうことは早く言ってくれ。勘違いをしてすまなかった」


 危うく焼却されかけた身の麒翔きしょうとしては、どの辺が勘違いなのかてんでわからなかったが、公主様の目が節穴ふしあなだということだけはわかった。


 あれは主人としての実力を見極めるとか、そういうレベルの攻撃では断じてなかった。殺意の灯った炎。近接戦闘だったから対応は容易だったものの、あれを火球にでもされて飛ばされていたら、対処に困っていただろう。


 とはいえ、思い返してみれば無茶な要求を突き付けられたのは、今日が初めてではない。そうだ。公主様に認められたきっかけは、あの夜に行われた決闘にあった。あの時も真剣を渡され、問答無用で命懸けの戦いが始まったが――


 それは恋を知るため。自分の嫁ぐ相手を探していたからこそ。

 公主様の本気がそうさせた。


(そういうことか、あの女!)


 自分もあなたと同じ気持ちなのだと。だから悪気はなかったのだと。公主様の共感を逆手にとって、この場をやり過ごそうという腹積もりのようだ。


 したり顔で紅蘭こうらんが、いけしゃあしゃあと言ってのける。


「申し訳ありません、お姉様。剣を交えねばわからぬこともあるので」

「ああ、わかるぞ。己が命運を託すのだ。そのぐらいは確認しておかないとな」


 まるで強敵を前に共闘をしたかのような通じ合った顔で、手を握り合う二人。公主様に助け起こされる形で、紅蘭こうらんが長身を立てる。


 公主様の美しい顔が満足げに笑んでいる。まるで、上等なワインを片手に「この味がわかるとはおまえもなかなかやるな」とでも言いだしそうな雰囲気だ。


 そして案の定、公主様が誇らしげに胸を張り、口を開いた。


「義理の妹の紅蘭こうらんだ。そういうわけだから、よろしく頼む」

「どういうわけだよ!?」


 さすがに我慢がならず麒翔きしょうはツッコミを入れた。だが、付き合いも長くなってきたので、公主様の言いたいことはなんとなくわかる。要するに群れに入れるつもりだから「よろしく」と言っているのだ。


 そんな麒翔きしょうの思考をなぞるように公主様が律儀に答える。


「群れに編入するという意味だ」

「やっぱりこの流れになるのか……」


 ため息を一つ。麒翔きしょうは右手で額を覆い、天を仰ぎ見た。


(普段はとてつもなく有能なのに、どうして大事なところでぽんこつなんだ!)


 どう見ても、この女は違うだろう。絶対に自分を慕ってなどいない。それだけはハッキリとわかる。油断をして背を向ければ、グサッと刺してくるタイプだ。


 そもそもの話、麒翔きしょう群れハーレムの作成に否定的な立場である。そして紅蘭こうらんは上院一学年女子、第二位の実力者なので、公主様の選別する妃候補の中でも最有力候補だった。その点から考えても、生半可な理由では拒むことができないわけだが、今回ばかりは紅蘭こうらんに感謝せねばなるまい。


「黒陽。おまえが俺のために動いてくれているのは知っている」


 公主様を無礼にも呼び捨てたことによって、その後ろに控える紅蘭こうらんの瞳に鋭い光が宿る。その獣のような迫力に気圧されながらも、己の直感が正しいことを悟る。


「でも、その女は違うぞ。黒陽おまえとは違う。俺のために働こうなんて思っちゃいない」

「そんなことはない。紅蘭こうらんとて、そのぐらいの分はわきまえている」


 幼少の頃から共に育った姉妹の情からか、公主様は懸命に擁護ようごした。

 麒翔きしょうはひそかにため息をつき、顔をひきしめ覚悟を決める。


「つまり、黒陽おまえと同じで俺の実力を認めたって解釈していいのか?」

「もちろんだ」


 打てば響くように返る。どうやら、紅蘭こうらんが自分と同じ気持ちであると信じて疑わないらしい。


「だったら――」


 その幻想を崩すのは簡単だ。

 公主様の後ろ。赤と黒の絢爛けんらんな龍衣を着こなす長身の少女。勝気な紅蘭こうらんの、今にも飛びかからんと欲する真紅の瞳を真っすぐ見据え、挑むように言ってみせる。


「この場で婚約しても一向に構わないはずだよな」

「当然だ。紅蘭こうらんとて望むところだろう」


 公主様は自信満々に即答したが、その肩越しに真紅の双眸そうぼう驚愕きょうがくに見開かれた。

 婚約とはすなわち、接吻せっぷんを交わすということ。この場で、下院の生徒のいる前で、上院の生徒である彼女が、である。接吻は龍人女子にとって、そう易々と交わせるような軽いものではない。その気もないのに呑めるはずがないのだ。


(いや、万が一にでも呑まれたら俺も困るんだが、あの様子なら大丈夫だろ)


 その言葉は覿面てきめんに作用していた。

 紅蘭こうらんの顔面は蒼白となり、唇がわなわなと震えだす。鋭い眼光には涙がほんのり浮かび、絶望的なその顔からは後悔がありありと見て取れる。そのおぞましい行為への拒絶からか、震えが全身へと伝わっていく。ガクガクと膝が笑い、立っているのもやっとな様子。


 偽りを述べた手前、公主様の前で拒否はできない。だが、好きでもない男と接吻を交わせるはずもない。そんな葛藤が透けて見えた。


 口から出まかせを言って公主様を騙し、この場を乗り切ろうとした紅蘭こうらんの自業自得なのだが、蒼白となった彼女を見ていると少し気の毒になってくる。情けをかけるべきかとも逡巡しゅんじゅんしたが、避けては通れない道だと覚悟を決め、麒翔きしょうはあごで指すように言う。


「そうは見えないけどな」


 怪訝そうに公主様が振り向く。ビクッと紅蘭こうらんの肩が揺れた。


「どうした、紅蘭こうらん麒翔きしょうと打ち合ったのなら、その力を実感できただろう。それともまだ足りないというのか?」


 紅蘭こうらんの歯がカチカチと鳴る。

 目元に溜まった涙は今にもこぼれ落ちそうだ。


(そんなに嫌がらなくてもいいだろ。まるでバケモノに嫁ぐみたいな顔しやがって。いや、受け入れられても困るんだが)


 麒翔きしょうが内心で軽く傷ついていると、後ろ向きの公主様が大きなため息をついた。


「まったく。その場しのぎの小細工はやめておけと何度言ったらわかるんだ。おまえは子供の頃から本当に変わらないな」

「あの……あたし、ごめ……ごめんなさい」


 大粒の涙をこぼし泣き始める紅蘭こうらん。プライドの高い上院の生徒が、下院の敷地で涙を流す。それがどれだけ恥ずべき行為なのか、無恥むち麒翔きしょうでもさすがに想像できる。おそらく、これ以上の屈辱はあるまい。

 毒気を抜かれたのか、公主様の声も柔らかい。


「勘違いするな、紅蘭こうらん。無理に嫁がせるつもりはないぞ」

「え?」


 捨てられた子犬のような不安げな顔を紅蘭こうらんが上げた。


「おまえとは幼少の頃からずっと一緒だったな。何をするにもしても、いつもおまえが隣にいた。だからだろうな。同じ主人に嫁げればと、私は考えてしまった。この甘えが、おまえをここまで追い詰めてしまったのだな」


 すまない、と公主様は頭を下げた。漆黒の黒髪が扇状に流れる。

 勝気な少女の顔がくしゃりと歪んだ。そして龍衣の袖で涙をぬぐうと、赤くなった目元をキリリとやり、紅蘭こうらん殊勝しゅしょうに声を張り上げた。


「そんなことはありません! あたしはどこまでもお姉様についていきます!」


 そうして少女は憤然ふんぜんと立ち上がり、麒翔きしょうの元へツカツカと歩み寄ってきた。勝気な少女の瞳には決意の炎が灯っている。


「仕方ないわね。あんたの妃になってあげてもいいわよ!」

「いや、頼んでねーよ!?」


 怒らせた肩を鎮めるように両腕を組み、ツンとそっぽを向いた紅蘭こうらんへ全力でツッコミを入れる。そもそもどうしてこの女は上から目線なんだ。しかも、


「だいたいなんだその顔は! 梅干しとレモンを口に含みました、辛いですみたいな顔しやがって!」

「ふん、ちょうどいいわ。ファーストキスはレモンの味っていうじゃない」

「知らねえよ!?」


 嘘だ、本当は知っている。公主様の唇は柔らかくて甘かった。


「そもそも、まずは襲ってきたことを謝れよ。話はそれからだろ」

「そんなこと気にしてたの? 小さい男ね」

「皇族ってやつは、どいつもこいつもとんでもねえ自由人だな!?」

「そう? お姉様ほど優美じゃないけどね」

「褒めてねえよ! 皮肉だよ!!」


 天に向かって吠えるようにして叫ぶと、すこしだけスッキリしたが、事態は何も変わっていなかった。束の間の現実逃避から戻ると、公主様が「麒翔きしょうの言うとおりだ」と頷いた。


「ここは筋を通し、無礼を詫びるしかあるまい。わかったか、紅蘭こうらん。まずは、ひざまずき、こうべを垂れ、そして足を舐めて忠誠を誓え」

「やりすぎだよ!? って、おまえも早速ひざまずこうとしてんじゃねえ!」

「お許しがでたな。麒翔きしょうの慈悲に感謝しろ」


 公主様が仁王立ちのまま満足げに頷いた。


 一方、片膝をつきかけた紅蘭こうらんはその場で停止し、公主様への無礼を咎めるようにギロリと睨みを利かせてくる。ただでさえ収拾がつかなくなってきたところへ、追い打ちをかけるようにさらなる混沌が飛来した。


「あー! わたしだけのけ者にして二人だけで楽しんでる。ずるーい」


 能天気な声が本校舎の方から飛んできた。声のした方を見れば、腰を抜かしたカエル顔の男子生徒の横に、つまり昇降口の辺りに桜華が立っていた。


 たったったと駆け寄ってきた桜華は、短い栗色の髪を揺らして悪戯っぽく笑む。彼女がこのような顔をした時は、絶対にロクなことを言わない。案の定、すごく興味津々といったていで身を乗り出してきて、


「なになに? もしかしてハーレム要員二人目ゲットって感じ?」

「どんどん話がややこしくなってくな!?」


 闇鍋のように混沌としてきた状況に、今度こそ麒翔きしょうは頭を抱えて絶叫した。

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