第43話 紅蘭の誤算
「あたしは幼少の頃より、お姉様についていくと決めていました。とすれば、お姉様の嫁ぐ相手は、あたしの嫁ぐ相手でもあります。ならば、己の主人として適格なのか、その実力を試さずにおれましょうか!」
その言葉を境に、場の空気が一変した。
氷解した、というのが正しい表現になるだろうか。張りつめ、緊張感の漂う
注意をして見なければわからないだろうが、公主様の乏しい顔から険がなくなっている。次の瞬間、その美しく可憐な顔にパッと花が咲いた。
「そういうことは早く言ってくれ。勘違いをしてすまなかった」
危うく焼却されかけた身の
あれは主人としての実力を見極めるとか、そういうレベルの攻撃では断じてなかった。殺意の灯った炎。近接戦闘だったから対応は容易だったものの、あれを火球にでもされて飛ばされていたら、対処に困っていただろう。
とはいえ、思い返してみれば無茶な要求を突き付けられたのは、今日が初めてではない。そうだ。公主様に認められたきっかけは、あの夜に行われた決闘にあった。あの時も真剣を渡され、問答無用で命懸けの戦いが始まったが――
それは恋を知るため。自分の嫁ぐ相手を探していたからこそ。
公主様の本気がそうさせた。
(そういうことか、あの女!)
自分もあなたと同じ気持ちなのだと。だから悪気はなかったのだと。公主様の共感を逆手にとって、この場をやり過ごそうという腹積もりのようだ。
したり顔で
「申し訳ありません、お姉様。剣を交えねばわからぬこともあるので」
「ああ、わかるぞ。己が命運を託すのだ。そのぐらいは確認しておかないとな」
まるで強敵を前に共闘をしたかのような通じ合った顔で、手を握り合う二人。公主様に助け起こされる形で、
公主様の美しい顔が満足げに笑んでいる。まるで、上等なワインを片手に「この味がわかるとはおまえもなかなかやるな」とでも言いだしそうな雰囲気だ。
そして案の定、公主様が誇らしげに胸を張り、口を開いた。
「義理の妹の
「どういうわけだよ!?」
さすがに我慢がならず
そんな
「群れに編入するという意味だ」
「やっぱりこの流れになるのか……」
ため息を一つ。
(普段はとてつもなく有能なのに、どうして大事なところでぽんこつなんだ!)
どう見ても、この女は違うだろう。絶対に自分を慕ってなどいない。それだけはハッキリとわかる。油断をして背を向ければ、グサッと刺してくるタイプだ。
そもそもの話、
「黒陽。おまえが俺のために動いてくれているのは知っている」
公主様を無礼にも呼び捨てたことによって、その後ろに控える
「でも、その女は違うぞ。
「そんなことはない。
幼少の頃から共に育った姉妹の情からか、公主様は懸命に
「つまり、
「もちろんだ」
打てば響くように返る。どうやら、
「だったら――」
その幻想を崩すのは簡単だ。
公主様の後ろ。赤と黒の
「この場で婚約しても一向に構わないはずだよな」
「当然だ。
公主様は自信満々に即答したが、その肩越しに真紅の
婚約とはすなわち、
(いや、万が一にでも呑まれたら俺も困るんだが、あの様子なら大丈夫だろ)
その言葉は
偽りを述べた手前、公主様の前で拒否はできない。だが、好きでもない男と接吻を交わせるはずもない。そんな葛藤が透けて見えた。
口から出まかせを言って公主様を騙し、この場を乗り切ろうとした
「そうは見えないけどな」
怪訝そうに公主様が振り向く。ビクッと
「どうした、
目元に溜まった涙は今にもこぼれ落ちそうだ。
(そんなに嫌がらなくてもいいだろ。まるでバケモノに嫁ぐみたいな顔しやがって。いや、受け入れられても困るんだが)
「まったく。その場しのぎの小細工はやめておけと何度言ったらわかるんだ。おまえは子供の頃から本当に変わらないな」
「あの……あたし、ごめ……ごめんなさい」
大粒の涙をこぼし泣き始める
毒気を抜かれたのか、公主様の声も柔らかい。
「勘違いするな、
「え?」
捨てられた子犬のような不安げな顔を
「おまえとは幼少の頃からずっと一緒だったな。何をするにもしても、いつもおまえが隣にいた。だからだろうな。同じ主人に嫁げればと、私は考えてしまった。この甘えが、おまえをここまで追い詰めてしまったのだな」
すまない、と公主様は頭を下げた。漆黒の黒髪が扇状に流れる。
勝気な少女の顔がくしゃりと歪んだ。そして龍衣の袖で涙をぬぐうと、赤くなった目元をキリリとやり、
「そんなことはありません! あたしはどこまでもお姉様についていきます!」
そうして少女は
「仕方ないわね。あんたの妃になってあげてもいいわよ!」
「いや、頼んでねーよ!?」
怒らせた肩を鎮めるように両腕を組み、ツンとそっぽを向いた
「だいたいなんだその顔は! 梅干しとレモンを口に含みました、辛いですみたいな顔しやがって!」
「ふん、ちょうどいいわ。ファーストキスはレモンの味っていうじゃない」
「知らねえよ!?」
嘘だ、本当は知っている。公主様の唇は柔らかくて甘かった。
「そもそも、まずは襲ってきたことを謝れよ。話はそれからだろ」
「そんなこと気にしてたの? 小さい男ね」
「皇族ってやつは、どいつもこいつもとんでもねえ自由人だな!?」
「そう? お姉様ほど優美じゃないけどね」
「褒めてねえよ! 皮肉だよ!!」
天に向かって吠えるようにして叫ぶと、すこしだけスッキリしたが、事態は何も変わっていなかった。束の間の現実逃避から戻ると、公主様が「
「ここは筋を通し、無礼を詫びるしかあるまい。わかったか、
「やりすぎだよ!? って、おまえも早速
「お許しがでたな。
公主様が仁王立ちのまま満足げに頷いた。
一方、片膝をつきかけた
「あー! わたしだけのけ者にして二人だけで楽しんでる。ずるーい」
能天気な声が本校舎の方から飛んできた。声のした方を見れば、腰を抜かしたカエル顔の男子生徒の横に、つまり昇降口の辺りに桜華が立っていた。
たったったと駆け寄ってきた桜華は、短い栗色の髪を揺らして悪戯っぽく笑む。彼女がこのような顔をした時は、絶対にロクなことを言わない。案の定、すごく興味津々といったていで身を乗り出してきて、
「なになに? もしかしてハーレム要員二人目ゲットって感じ?」
「どんどん話がややこしくなってくな!?」
闇鍋のように混沌としてきた状況に、今度こそ
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