第36話 女教師たちの酒場
上院の教師と下院の教師は犬猿の仲である。
中央の教師は全部で十二名。上院にも六名の女教師たちが在籍している。
女教師たちは、
しかし、高い身分にある女教師たちではあるが、より優秀な者が上院の教師に選抜されるため、プライドの高い両者はライバル意識を持つことになり、結果として水と油のように反発し合っている。
普段、下院の教師が上院の敷地へ足を踏み入れることはないし、同じく、上院の教師が下院の敷地へ足を踏み入れることもない。自然、両教師が互いの縄張りを侵犯することは、よほどの理由がない限りありえない。
だから、下院の女教師が一日の仕事を終えて身を落ち着けるのは、上院にある豪華な商業施設などではなく、下院の隅にひっそり佇む小さなBARとなる。
本校舎の西にある学生寮よりさらに西。教師用の宿舎の裏側にそのBARはある。黒い三角屋根に白レンガの壁。店内は薄暗く、シックな雰囲気が漂っている。要所には光石が置かれ、ぼんやりとした橙の光が薄く周囲を照らしている。
その日、臨時の職員会議でくたくたとなった
「うんと濃厚な毒酒。ロックで」
「あいよ」
気だるげに
「まったく。やってられませんわ。どうしてわたくしまで尻ぬぐいをしなければならないのか」
店内には四人掛けのテーブル席もあるが、女教師たちはカウンターにそれぞれ指定席を持っており、テーブル席は使用しない。バーテンダーの女性が、保冷庫から氷を取り出しながら応じる。
「連日に渡って大変だねえ。だけど公主様が重傷になったってんじゃ、仕方ないんじゃないのかい。なんでも将妃様も随分お怒りだとか」
カランと音を立ててグラスに氷が落とされる。
トクトクと毒酒が注がれ、
「わかっていますわ。下院会議で承認したわたくしにも責任の一旦があることぐらい。だけど、これは現場監督である
ダンッとグラスを叩きつけ、
二杯目の毒酒に口をつけ、今度はチビリと一舐めし、
「ママはどう思いますの」
ママと呼ばれたバーテンダーは、困ったように眉を寄せた。女教師たちは階級的には彼女の上司にあたる。しかも揃いも揃って、BARの常連客である。おそらく、おいそれと悪口は言えないのだろう。少し
「武器があればどうにかなったと言われても……非戦闘員のあたしにはちょっとわからないねえ……」
無難にお茶を濁した。
その
「
女教師たちが持つ
――どうして、武器を携帯しなかったのか。
「それはですねぇ。生徒に武器の携帯を禁止する以上、お手本となる我々が武器を手にしてしまったら示しがつかないからですよぉ」
振り返ると誰もいなかった。酒を飲みすぎたか――幻聴だと判断した
「もう!
その名を耳にして、耳が穢れるとばかりに
そして、自身と同格であるミニマムな女教師――
「わたくしの前でその名前をださないでください。不愉快ですわ」
カウンターテーブルに向かって左から三番目。よじ登るようにして席についた
「公主様と婚約した以上、もう邪険にはできませんよぉ?」
酔いに紅潮した
「わ、わかっていますわ。だけど……公主様の婚約者だというだけでデカい顔をするなんて。やっぱり納得がいきませんわ」
「公主様がぁ、実力もない男をぉ……選ぶと思いますかぁ?」
ぐっと言葉に詰まり、
「幼女がビールを飲んでいる……一見すると、やばい絵面ですわね」
「失礼ですねぇ! わたしは立派な大人のレディですよぉ! 本当に
プンスカと両腕をあげて怒る
「その件は……まぁいいですわ。公主様の恋路に口をだす資格などありませんから。ですが、獣王の森の件については別ですのよ」
早くも毒ビールを飲み干した
「むー、やっぱり納得がいきませんかぁ」
「当然ですわ。あなたたちのせいで、こっちの夏季特別実習まで中止になったんですよ。その上、連日に渡る職員会議。軽く学園存続の危機ではありませんか」
連日に渡る職員会議――だけならば、まだいい。問題の本質は、
「事実、将妃様から命じられて学園長は参内するために学園を出立しましたわ。首都である
明火の言う転移門とは、離れた二地点間の空間を繋げる大掛かりな魔術装置を指すが、縄張りが侵犯されることを嫌う龍人たちは、この
「そうは言っても、まさか終末等級の魔物が出るなんて想像できませんよぉ」
「ですが、武器さえ携帯していれば何とかなったはずでしょう。実習で命を落とす生徒は毎年いますが、それは万全を期した上での死だからこそ、ご遺族も納得がいくのです。でも、今回は違いますよね」
もしも公主様が亡くなっていたら――考えただけでも恐ろしい。
幼女はしゅんとうなだれて大人しくなった。
「でも、それは……」
「わかっていますわ。
それが結果論であることは
だが、万全を期し、教師だけでも武器を携帯していれば最悪の事態を防げたことも、また事実だった。
「わたくしは何度も言ったはずです。教師だけは武器を携帯するべきだと」
「でもでもぉ、生徒の手前そうもいきませんよぉ」
「教師だけズルいなどと抜かす生徒は、退学にしてしまえば良いのですわ」
過激なことを軽々しく言ってのける。それは
だが
「それともう一つ。初日から公主様の姿が見えなかったそうではありませんか」
ふいに、やり込められていた
「ではぁ、公主様に首輪でもつけておけと言うのですかぁ?」
なんとも不遜な物言いに、さすがの
公主は母親の身分を受け継ぐ。つまり、将妃を母に持つ黒陽公主の身分は将妃相当となる。学園では教師と生徒という関係上、立場は
「それはあまりにも無礼ではありませんか。犬ではないのですから……将妃様に聞き咎められたら命はありませんわよ」
その時は、とばっちりで
ぶるるっと身を震わせ、彼女は他に誰もいない店内を無意味に見回した。
「将妃様がぁ、どこにいらっしゃるのですかぁ?」
「あなた飲みすぎですわよ。いい加減にしなさいな」
ぐでんぐでんに酔っぱらった
「獣王の森は広いんですよぉ。それに生徒は150名もいるのです。公主様だけに気を配るなんてできっこないですよぉ。行先だってわからないのだからぁ……だったら首輪をつけるしかないじゃないですかぁ」
くだを巻き始めた厄介な幼女を前に、
「わかった。わかりましたから。特別実習中の生徒の管理は、わたくしも完璧とはいえませんし、そこを責めたのは間違いでした」
幼女は追加で頼んであったトリカブトの根を、スルメみたいにがじがじ齧りながら、うだーとカウンターに突っ伏した。
「いいんですよぉ。どうせわたしなんて、お子様レベルの思考能力なんですよぉ」
などと言いながら、ほっぺたをカウンターにすりすりしながらいじけだす。まるで自爆テロのような体当たりをぶちかまされて、
「酒癖が悪いぶんだけ、幼女よりも厄介ですわ」
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