第36話 女教師たちの酒場

 上院の教師と下院の教師は犬猿の仲である。


 中央の教師は全部で十二名。上院にも六名の女教師たちが在籍している。

 女教師たちは、姫位きい六階級と呼ばれる身分制度の中で、最高位である武姫ぶきと呼ばれる称号を持つ。武姫ぶき六妃ろくひ直属の部下を意味する称号であり、群れにおいて相当に高い地位にあたる。きさき殉職じゅんしょくもしくは降格した場合、次の妃は武姫の中から選出される――次期妃候補だと言えば、その身分の高さが伝わるだろうか。


 しかし、高い身分にある女教師たちではあるが、より優秀な者が上院の教師に選抜されるため、プライドの高い両者はライバル意識を持つことになり、結果として水と油のように反発し合っている。


 普段、下院の教師が上院の敷地へ足を踏み入れることはないし、同じく、上院の教師が下院の敷地へ足を踏み入れることもない。自然、両教師が互いの縄張りを侵犯することは、よほどの理由がない限りありえない。


 だから、下院の女教師が一日の仕事を終えて身を落ち着けるのは、上院にある豪華な商業施設などではなく、下院の隅にひっそり佇む小さなBARとなる。


 本校舎の西にある学生寮よりさらに西。教師用の宿舎の裏側にそのBARはある。黒い三角屋根に白レンガの壁。店内は薄暗く、シックな雰囲気が漂っている。要所には光石が置かれ、ぼんやりとした橙の光が薄く周囲を照らしている。


 その日、臨時の職員会議でくたくたとなった明火めいびは、自慢の縦巻ロールの横髪を怒らせてBARへやってくると、六人掛けのカウンター席に腰を下ろした。入口から見て最奥。カウンターに向かって一番右の席である。そこが明火めいびの指定席だった。


「うんと濃厚な毒酒。ロックで」

「あいよ」


 気だるげに明火めいびが言うと、カウンターの向こうから元気な声が返ってくる。単色の龍衣を着た女性のバーテンダーは、人間の年齢でいえば30歳前後。龍人の年齢でいえば、おそらく300歳を超えている。確実に明火めいびよりも年上だが、バーテンダーの位は華姫かきと呼ばれる低い身分であるため、彼女は遠慮なく愚痴を吐いた。


「まったく。やってられませんわ。どうしてわたくしまで尻ぬぐいをしなければならないのか」


 店内には四人掛けのテーブル席もあるが、女教師たちはカウンターにそれぞれ指定席を持っており、テーブル席は使用しない。バーテンダーの女性が、保冷庫から氷を取り出しながら応じる。


「連日に渡って大変だねえ。だけど公主様が重傷になったってんじゃ、仕方ないんじゃないのかい。なんでも将妃様も随分お怒りだとか」


 カランと音を立ててグラスに氷が落とされる。

 トクトクと毒酒が注がれ、明火めいびの前へトンと置かれた。これを一気に飲み干して、


「わかっていますわ。下院会議で承認したわたくしにも責任の一旦があることぐらい。だけど、これは現場監督である魅恩みおん先生と風曄ふうか先生の責任でしょう。そもそも、遠征地を獣王の森と決めたのも、武器の携帯を制限したのも、全部魅恩みおん先生なんですよ。わたくしはそこまでする必要はないと言ったのに!」


 ダンッとグラスを叩きつけ、明火めいびは唇を袖口でぬぐうと「もう一杯」と言った。

 二杯目の毒酒に口をつけ、今度はチビリと一舐めし、


「ママはどう思いますの」


 ママと呼ばれたバーテンダーは、困ったように眉を寄せた。女教師たちは階級的には彼女の上司にあたる。しかも揃いも揃って、BARの常連客である。おそらく、おいそれと悪口は言えないのだろう。少し逡巡しゅんじゅんしたのち、


「武器があればどうにかなったと言われても……非戦闘員のあたしにはちょっとわからないねえ……」


 無難にお茶を濁した。

 その日和見ひよりみな態度に、明火めいびは厚化粧が崩れるのもおかまいなしに顔をしかめる。


魅恩みおん先生は剣術の達人ですし、風曄ふうか先生は風魔術のエキスパートですのよ。装備さえ整っていれば、あの二人が負けるはずがありませんわ。例え、終末等級の魔物が相手であったとしても、です」


 女教師たちが持つ武姫ぶきという称号は、六妃に次ぐ実力者に与えられる称号である。明火めいびは自身が武姫であることを誇りに思っているし、同格である他の教師に対しても、同様にその実力を認めている。だからこそ納得がいかない。


 ――どうして、武器を携帯しなかったのか。


「それはですねぇ。生徒に武器の携帯を禁止する以上、お手本となる我々が武器を手にしてしまったら示しがつかないからですよぉ」


 振り返ると誰もいなかった。酒を飲みすぎたか――幻聴だと判断した明火めいびが再びカウンターへ向き合おうとすると、袖をぐいっと引っ張られた。つられて視線を落とすと、幼女のお団子頭がぎりぎり見えた。


「もう! 明火めいびさんも相変わらず失礼ですねぇ。麒翔きしょうくんみたいですよぉ」


 その名を耳にして、耳が穢れるとばかりに明火めいびはかぶりを振る。

 そして、自身と同格であるミニマムな女教師――風曄ふうかに向かって噛みついた。


「わたくしの前でその名前をださないでください。不愉快ですわ」


 カウンターテーブルに向かって左から三番目。よじ登るようにして席についた風曄ふうかは、のほほんとした調子で「毒ビール、大ジョッキで」と注文を入れ、幼い顔に笑顔を張り付けた。


「公主様と婚約した以上、もう邪険にはできませんよぉ?」


 酔いに紅潮した明火めいびの顔にすっと影が差す。


「わ、わかっていますわ。だけど……公主様の婚約者だというだけでデカい顔をするなんて。やっぱり納得がいきませんわ」


 風曄ふうかはクスクスと笑い、出された大ジョッキのビールをぐいっとあおる。


「公主様がぁ、実力もない男をぉ……選ぶと思いますかぁ?」


 ぐっと言葉に詰まり、明火めいびは視線をそらす。負け惜しみとばかりに、


「幼女がビールを飲んでいる……一見すると、やばい絵面ですわね」

「失礼ですねぇ! わたしは立派な大人のレディですよぉ! 本当に麒翔きしょうくんみたいなことを言わないでください」


 プンスカと両腕をあげて怒る風曄ふうか教諭。本物の幼女も顔負けなその可愛らしい仕草に、明火めいびも毒気を抜かれて苦笑する。気を取り直すようにして、小皿に盛られたピーナッツを二つ口に放り込み、塩気の広がった口内を毒酒で洗い流す。


「その件は……まぁいいですわ。公主様の恋路に口をだす資格などありませんから。ですが、獣王の森の件については別ですのよ」


 早くも毒ビールを飲み干した風曄ふうかが渋面を作る。追加の毒ビールを注文してから、幼女は困ったように呟く。


「むー、やっぱり納得がいきませんかぁ」

「当然ですわ。あなたたちのせいで、こっちの夏季特別実習まで中止になったんですよ。その上、連日に渡る職員会議。軽く学園存続の危機ではありませんか」


 連日に渡る職員会議――だけならば、まだいい。問題の本質は、将妃しょうひの娘が重傷に陥ったことにあり、これは下手をすれば学園長である青蘭せいらんの首が飛びかねない不手際だった。そして学園長が失脚すれば、直属の部下である明火めいびもまた失職する。


「事実、将妃様から命じられて学園長は参内するために学園を出立しましたわ。首都である黒帝城こくていじょうまでは馬車を走らせて二日の距離。往復で四日もかかります。その間、わたくしたちはヤキモキすることになりますのよ。ああ、龍人族の領土にも転移門があれば、もっと早く結果がわかりますのに」


 盟妃めいひ青蘭せいらんは現在、龍皇の住まう都である黒帝城こくていじょうへ馬車を走らせる途上にある。


 明火の言う転移門とは、離れた二地点間の空間を繋げる大掛かりな魔術装置を指すが、縄張りが侵犯されることを嫌う龍人たちは、この。従って、龍人族の国を移動する場合は、原始的な移動手段に頼るしかなく、そしてそれは、高貴な身分である六妃であっても同様だった。


「そうは言っても、まさか終末等級の魔物が出るなんて想像できませんよぉ」

「ですが、武器さえ携帯していれば何とかなったはずでしょう。実習で命を落とす生徒は毎年いますが、それは万全を期した上での死だからこそ、ご遺族も納得がいくのです。でも、今回は違いますよね」


 もしも公主様が亡くなっていたら――考えただけでも恐ろしい。

 幼女はしゅんとうなだれて大人しくなった。


「でも、それは……」

「わかっていますわ。魅恩みおん先生が決めたことでしょう。魔獣相手なら武器を手に取るまでもない。その慢心が今回の事件を引き起こした」


 それが結果論であることは明火めいびもわかっている。獣王の森に終末等級の魔物が出るなどと、誰が予想できただろうか。下院会議で承認され、学園長の承認まで通ったのには相応の理由がある。あれは不幸な事故だった。


 だが、万全を期し、教師だけでも武器を携帯していれば最悪の事態を防げたことも、また事実だった。


「わたくしは何度も言ったはずです。教師だけは武器を携帯するべきだと」

「でもでもぉ、生徒の手前そうもいきませんよぉ」

「教師だけズルいなどと抜かす生徒は、退学にしてしまえば良いのですわ」


 過激なことを軽々しく言ってのける。それは明火めいびの悪癖だった。

 だが明火めいびに罪悪感はない。学園の方針に従えない生徒に用はない――彼女は本気でそう考えている。中央を名門たらしめるためには秩序が必要だ。そしてその秩序を乱し、名門の名を汚す者は絶対に許さない、と。


「それともう一つ。初日から公主様の姿が見えなかったそうではありませんか」


 ふいに、やり込められていた風曄ふうかの目がギラリと光った。彼女はうつむき加減だった顔を上げ、挑むような不敵な笑みを浮かべた。


「ではぁ、公主様に首輪でもつけておけと言うのですかぁ?」


 なんとも不遜な物言いに、さすがの明火めいびも鼻白む。

 公主は母親の身分を受け継ぐ。つまり、将妃を母に持つ黒陽公主の身分は将妃相当となる。学園では教師と生徒という関係上、立場は教師こちらの方が上となるが、本来ならば膝をつき、頭を垂れなければならない相手。だというのに、この幼女ときたら――


「それはあまりにも無礼ではありませんか。犬ではないのですから……将妃様に聞き咎められたら命はありませんわよ」


 その時は、とばっちりで明火めいびまで連座させられそうだ。

 ぶるるっと身を震わせ、彼女は他に誰もいない店内を無意味に見回した。


「将妃様がぁ、どこにいらっしゃるのですかぁ?」

「あなた飲みすぎですわよ。いい加減にしなさいな」


 ぐでんぐでんに酔っぱらった風曄ふうかは、ぐったりとカウンター席の背もたれに寄り掛かった。呂律の回らない舌でまくし立てる。


「獣王の森は広いんですよぉ。それに生徒は150名もいるのです。公主様だけに気を配るなんてできっこないですよぉ。行先だってわからないのだからぁ……だったら首輪をつけるしかないじゃないですかぁ」


 くだを巻き始めた厄介な幼女を前に、明火めいびは途方に暮れた。この話が続くのは非常にまずい。将妃様が直接耳にされなくとも、告げ口をされるだけで立場は悪くなるだろう。例えば、目の前のバーテンダーが密告者にならないとも限らない。


「わかった。わかりましたから。特別実習中の生徒の管理は、わたくしも完璧とはいえませんし、そこを責めたのは間違いでした」


 幼女は追加で頼んであったトリカブトの根を、スルメみたいにがじがじ齧りながら、うだーとカウンターに突っ伏した。


「いいんですよぉ。どうせわたしなんて、お子様レベルの思考能力なんですよぉ」


 などと言いながら、ほっぺたをカウンターにすりすりしながらいじけだす。まるで自爆テロのような体当たりをぶちかまされて、明火めいびは大きなため息をついた。迷惑千万なお団子頭の幼女に力なく肩を落として言う。


「酒癖が悪いぶんだけ、幼女よりも厄介ですわ」

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