第41話 学園長の娘・紅蘭

 黒の布地に真紅が映える。

 上院の制服は遠目に見ても、すぐそれとわかるほどはっきり目立つ。


 下院の本校舎。青の三角屋根の先端につま先だけで立ち、眼下に広がる生徒の波へ鋭い視線を向ける少女がいる。力強い鋭利な眼光を宿すのは真紅の双眸。勝気な印象を与えるつり目に真っ直ぐ伸びた鼻。髪の毛は後ろで一つにまとめ、高所における強風に一房の黒が揺れている。


 火輪槍かりんそうと呼ばれる真っ赤な槍を右手に持ち、突き立てるように屋根へ下ろしている。


 相当に目立つ格好だが、彼女の存在に気付く者はいない。

 放課後。午後の授業が終わり、一日のお勤めを終えた生徒たちが続々と本校舎から脱出を果たしていく。その人混みを油断なく見回し、その少女は薄い唇をぎゅっと噛みしめる。


「許さない。絶対に許さない」


 ギリッと奥歯が鳴った。噛み千切られた唇から赤い血が滴りおちる。


「消し炭にしてやるわ」


 そうして更に二十分が過ぎた頃、少女はターゲットをその視界に収めた。口角が吊り上がり、殺気と共に火輪槍かりんそうから紅蓮の炎が立ち昇る。ぐるんぐるんと火輪槍を威嚇いかくするようにぶん回すと、少女は躊躇ちゅうちょすることなく三階という高さから飛び降りた。




 ◇◇◇◇◇


 その日。最後の授業を終えて、散会してまばらとなった教室の片隅で、麒翔きしょうは大きく伸びをした。座学の授業は選択制のため、桜華とは歴史の授業のあとに別れて、今は一人である。公主様は何やら小難しい授業を選択しているようで、そもそも座学に関しては一緒になる機会がほとんどない。


 立ち上がり、麒翔きしょうは人の少なくなった教室を見回す。女子生徒と目が合うと、すっと視線をそらされた。これはこれで少し寂しいものがある。


「よし、そろそろいいだろ」


 麒翔きしょうは人混みが苦手だ。購買部になかなか立ち寄ろうとしないのも混雑を避けてのこと。下校時も、他の生徒が本校舎からけるのを待ってから、帰宅の途に就くようにしている。


 廊下へ出ると、麒翔きしょうの存在を認めた女子生徒たちが、距離を取るように道を開けていく。特別扱いを受けているというよりかは、孤立しているという感じの方が強い。


 物事には順序というものがある。普通は少しずつ地位が上がり、それに伴い周囲の態度も軟化していくもの。このように軽蔑の対象から一気に畏怖の対象へと早変わりされてしまっては、麒翔きしょうとしてもどう対応したら良いのかわからない。


 一つ前の授業の移動時間。廊下を歩いていると、よそ見をしてぶつかって来た女子生徒がいた。そして強打した鼻先を持ち上げた女子生徒と目が合った瞬間、女子生徒の顔には怯えが走り、涙目となってしまった。


 必死に平謝りまでされたわけだが、もちろん取って食おうなどという気はさらさらない。まるで自分が野蛮人になったみたいで、少し心がざわついてしまう。


 ロッカールームへ立ち寄り、不要となった教材を放り込む。代わりに夜練用の模擬刀を取り出し、龍衣の脇に差す。


(龍人ってやつはどうしてこんなに極端なんだよ)


 などと考えながら階段を下り、昇降口へ差し掛かったところで後ろから声をかけられた。振り返るとカエル顔の男が立っていた。


「ああ……学年三位の……えーと」

愚呑ぐどんだよ! いい加減、覚えやがれ」


 ポンッと手を打ち納得する。馴染みの顔だ。名前を言われればすぐに思い出す。


「それで何の用だい。ウドンくん」

「て、てめっ! 公主と婚約したからって調子に乗ってんだろ」


 赤らむ膨らんだ顔。ギラつく敵意ある視線。ギョロッとした目に不思議と親近感が湧いた。そして同時に疑問も浮かび、麒翔きしょうは少し大げさに首をひねる。


「なんだ、おまえ。俺のことが怖くないのか」

「あぁ? 喧嘩売ってんのかてめぇ」


 そういえば、と思い出す。こいつは公主様が相手でも臆さずに喧嘩を売るような大バカ者であった。誰が相手でも態度を変えない。それはある意味、筋を通しているともいえる。麒翔きしょうは素直に感心して、賛辞を述べた。


「清々しいまでのバカだな」

「て、てめぇ!」


 親しみを込めたつもりだったのだが、愚呑ぐどんはお気に召さなかったようだ。いきり立つ彼は、龍衣の脇に差した模擬刀を引き抜き、構えを取った。学園内での模擬刀の帯刀は許されており、麒翔きしょうの脇にも夜練用の模擬刀が差してある。今この場で勝負に応じることは可能だが、戦う気にはなれなかった。


「やめとけ。剣術で俺に勝てないのは知ってるだろ」


 ぐっ、と愚呑ぐどんの息が詰まる。同時に向けられた模擬刀の先端が迷いに揺れた。その隙に、麒翔きしょうは踵を返して歩き出す。背後から愚呑ぐどんの罵倒が追ってきた。


「待ちやがれ。逃げんのか」


 麒翔きしょうはこれを無視。間合いと殺気の有無からして、やりあう気はないと判断したためである。小さな木製ロッカーを開けると、外履き用の履物を取り出し、引っ掛ける。そのまま何事もなかったかのように、昇降口から外に出た麒翔きしょうの背中を、慌てて愚呑ぐどんが追ってくる。と、その時。


 ――殺気。


 とてつもない殺気が麒翔きしょうの全身を貫いた。

 背後からではない。頭上。上空からだ。


 視線を上へ。本校舎を振り向き、見上げる形となる。すると、


 ――太陽が降ってきた。


 紅蓮の炎をまき散らし、灼熱に圧縮された球体が目に飛び込んできたのである。同時に視界に入る赤と黒の龍衣。それが一人の少女であることを瞬時に認識。髪は長く、後ろで一つに結んでいる。見覚えのある顔。頭上に掲げた槍の先端に業火をまとわせ、突き立てるようにして落下してくる。


「は?」


 呆気に取られたのは刹那における短い間のみ。意識せずとも体が勝手に動いていた。業火をまとって突き立てられた槍の柄へ向けて、回し蹴りを放つ。互いの身体が交差する。炎の斬撃が頬をかすめ、同時に少女の体を槍越しに蹴り上げ、中空へ吹き飛ばす。


 少女はバランスを崩すこともなく、数メートルを滞空したのち、石畳の上へ優雅に着地した。生意気そうな口が開く。


「驚いた。あんた結構やるじゃない」

「やるじゃない――じゃねえよ! あぶねえだろ!?」


 炎をかすめた頬がズキリと痛む。かなりの熱量だった。まともにくらえば冗談では済まない。内心で冷や汗をかく麒翔きしょうをよそに、少女は鋭い眼光を少しだけ緩ませた。


「ふーん。お姉様が見込んだ男……というだけはあるようね」


 澄ました顔でそう言ってのける少女に麒翔きしょうは食ってかかる。


「一人で納得してんじゃねえよ。どういうことか説明しろ!」


 少女の名は紅蘭こうらん。学園長である青蘭の娘であり、公主様の義理の妹である。下院の会議室前で一度、そして公主様の用意した履歴書でも一度、顔を確認している。


 と、そこで麒翔きしょう既視感きしかんを覚えた。額に手をやりため息をつく。なんだか頭が痛くなってきた。


「……いや、説明しなくていい。なんとなくわかった。おまえもアレか。黒陽と同じで決闘しろとか言いだすタイプだろ」


 やれやれという態度に腹が立ったのか、紅蘭こうらんの瞳にさらなる鋭利な磨きがかかった。犬歯を剥き出しにし、全身をわなわなと怒りに震わせる。ボゥっと闘気にも似た紅蓮の炎が彼女の身体から湧き上がる。


 と、般若のように変貌した顔が、蜃気楼のようにぼやけたと思うと、次の瞬間には眼前に迫っていた。一瞬で距離を詰められている。


「お姉様を呼び捨てとは……無礼者っ!」


 斬っ! と、真紅の槍が躍動やくどうする。半円を描いた斬撃に炎が引かれ、空中で猛るように燃え上がる。ぎりぎりのところで躱し、麒翔きしょうはバックステップでこれを回避。


「熱っ!? ちょっと待て、落ち着けよ! 黒陽とは婚約してるんだ、呼び捨てでもいいだろ。てか、そもそも呼び捨てにしないと怒られるんだよ!」


 なんだか言い訳っぽくなってしまったが、事実である。

 公主様を特別扱いすると乏しい顔がちょっぴり不機嫌になるのだ。


「問答無用!」


 ブォン! と眼前の大気が焼かれる。

 バックステップで適当に躱し、軽快な足取りで麒翔きしょうは距離を取るが、紅蘭こうらんは追撃の手を緩めようとはしない。すぐに距離を詰めて、次の斬撃を見舞ってくる。


「いや問答ぐらいしろよ!? 皇族ってのはみんなこうなのか!?」


 龍人は火属性に対して無敵に近い耐性を持っている。が、麒翔きしょうは半龍人なので、無敵に近い耐性も半分しかない。つまり、当たれば痛い。


「てか、この熱量。純血の龍人でもダメージを受けるレベルだぞ!?」


 結構シャレになっていない。

 場所は本校舎前の広場。下校中の生徒たちがいたはずだ。


(怪我人が出たら一大事だぞ)


 チラリと周囲に気を配る。


 下校途中だった生徒たちが、目を丸くして成り行きを見守っているのが見えた。ちゃっかり距離を取っているところなんかは、危機管理が行き届いているようで大変よろしい。昇降口の入口でカエル顔の男が腰を抜かしているのも見えた。


「しょうがねえな。怪我人が出たんじゃ寝覚めが悪い」

「あら。余裕じゃない――のっ!」


 一度大きな横薙ぎの攻撃を挟んだのち、遠心力を強力な推進力に変えて、槍の尖端が水平方向へ突き出された。


 麒翔きしょうは腰に差しておいた模擬刀を引き抜き、《剣気》をまとわせた刀身で合わせるように迎え撃った。炎を宿すことで攻撃力を増してはいても、《気》による重量は《剣気》の方が圧倒的に上である。結果、火輪槍は容易く弾かれ、紅蘭こうらんはその場でたたらを踏む。それでも不意打ちたる衝撃に、おの得物えものを手放さないのは戦士として優れた証である。


「そう。あんたも使えるのね。あたしには見えないけど」

「わかったならもうやめとけ。怪我じゃ済まねえぞ」


 両手で持った火輪槍を下方へ構え、突きの体勢を紅蘭こうらんがとる。


「お姉様の価値も知らない平民風情が大きな口を叩くじゃない」


 たぎるように熱い真紅の双眸そうぼうが、憎々にくにくしげに細められる。並みの魔獣なら逃げ出してしまいそうなその迫力に、されど麒翔きしょうとて負けてはいない。この半年間で精神面は鍛えられている。多少すごまれたぐらいでおくしたりはしない。


「俺だって無知なままじゃない。あいつが将妃の娘で、この国の公主であることぐらい知ってるさ。序列第二位の身分を継承していることだってな。だけどそれが何だ。おまえとなんの関係がある。これは俺とあいつの問題だ」


 勝気な紅蘭こうらんの顔が不快そうに歪んだ。


「序列第二位ですって? 本当に何もわかってないのね」

「何?」


 紅蘭こうらんが地面を思い切り蹴とばした。炎の残像を残して、ぐんっと間合いを詰められる。迎撃の体勢を麒翔きしょうはとる。が、その必要はなかった。


 ――黒い鎖の束縛。


 突如として、地面から黒い鎖が射出された。巻き付くようにうねり、そして回転し、決して獲物を逃すまいと縦横無尽に走る。まるでそれぞれが意思を持っているかのように、低い体勢で突撃した紅蘭こうらんの全身を拘束していく。


「こ、これはっ」


 紅蘭こうらんも無抵抗だったわけではない。抗うように火輪槍を振り回し、黒い鎖の迎撃へ向けた。しかし、射出された鎖の数が桁違いであった。明らかに、棒切れ一本で防げる量ではなかった。


 そして拘束を終えると、黒い鎖はそのまま地面へ沈んでいき、紅蘭こうらんの身体も平伏するように沈んでいく。


「くっ、この魔術……それもこのクオリティ。まさか……」


 なすすべなく身動きを封じられた紅蘭こうらんは、ひざまずくかたちで緊張に唇を震わせた。そうして次の瞬間、昇降口から一人の少女が姿を現した。腰を抜かしたカエル顔の男子生徒の脇を通りすぎ、真っすぐとこちらへ向かってくる。


 遠目にも、怒りに肩を震わせていることが見て取れる。紅蘭こうらんの歯がカタカタと鳴り始めた。その人物は、静かな怒気を口から吐きだした。


「これはどういうことだ紅蘭こうらん。返答次第では許さぬぞ」

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