第38話 公主様が勝手にハーレムを作ろうとするので困っている

 獣王の森での死闘から一ヵ月。

 暴風タートルの被害に遭った生徒たちの傷もすっかり癒えた頃。

 夏も終わりに差し掛かろうとしていた。


 公主様重傷の件を巡って、下院は大騒ぎとなった。


 下院を統括する六人の女教師たちは緊急招集され、二年生三年生の夏季特別実習についても途中で取りやめとなったらしい。噂によれば、公主様の母である将妃しょうひ様から厳重抗議が申し入れられたのだとか。


 その混乱を象徴するように、最初は自習形式で行われていた授業も、途中から、タイムテーブルを管理するのが面倒になったのか、授業自体がなくなった。そんなわけで連日休校が続き、麒翔きしょうは暇を持て余している。


 もはやそこに居ることが当たり前となった溜まり場。

 ボロ小屋の長机に頬杖ほおづえをついて、麒翔きしょうが退屈そうに窓の外を眺めていると、ドアが開かれ公主様が入ってきた。六畳ほどの小屋である。狭い密室に公主様と二人。無視することのできない圧倒的な存在感が、すぐ目の前に立った。薄桃色の唇が開く。


「暇そうだな」

「ああ。獣王の森でのことを考えてた。なぁ黒陽。森の奥地へ行こうと提案したのが俺だって、本当に隠して良かったのか」


 公主様は風に乱れた前髪を整えると、コクリと可愛らしく頷いた。


「問題が事のほか大きくなってしまったからな。公主である私が重傷、そして本陣は暴風タートルに荒され、対応に当たった教師二名も深手を負って一時行方不明となっていた。最終的に死者こそ出なかったものの、これは六妃会談が開かれるほどの大事だ。ならば、問題を丸く収めるためにも私が矢面に立つべきだろう」

「だけど、報告すべきことは他にもあるだろ」

「すべて麒翔あなたと学園のためだ。そこは私を信用してほしい」


 話を切り上げるように公主様が、バインダーにじられた資料らしきものを差し出してくる。


「なんだこれ」


 長机に肘を付いたまま、麒翔きしょうはなんとなしに訊いてみた。すると公主様の乏しい顔に僅かに喜色が浮かんだ。


「見てみてくれ」


 椅子を引っ張ってきて、麒翔きしょうのすぐ隣に公主様が腰を下ろす。相変わらずその距離感はバグっていてめちゃくちゃ近い。いくらボロ小屋が狭いからといっても、ここまで密着しなければならないほど狭くはない。

 婚約したのだから別にいいかとも思うが、それでもやはり美しすぎる顔が間近にあるというのは、必要以上に緊張を強いられてしまうものだ。


 早くバインダーを開けとばかりに公主様が更に顔を近づけてくる。その距離感はもはや恋人のそれである。胸がドキドキと悲鳴をあげる。


「わ、わかった。わかったから近すぎるって」


 近すぎる薄桃色の唇を避けるように目をそらす。


 勢いで婚約キスまでしてしまった。その事自体に後悔はないが、あまりの愛おしさに我慢ができなくなって、流されてしまったというのが実情だ。


 そのせいか婚約したという認識はあるのだが、不思議と恋人になったという感覚が麒翔きしょうにはなかった。そして公主様もそのような素振りを見せなかったので、夏も終わろうかという今日こんにちに至っても、二人の仲はあれから進展していない。


(桜華には散々からかわれたけどな)


 下院の一年生。百五十名を前に婚約キスをしたのである。そのような絶好のネタを前に、あの悪魔が黙っているはずもなく。新しい玩具を手に入れた彼女の目はそれはもう活き活きと輝いていた。


 しかし今、ボロ小屋にムードメーカーを務める桜華の姿はない。

 ここ数日、体の調子が悪いという理由で女子寮に引っ込んでいるのである。

 公主様と二人きりというシチュエーションを素直に喜べないのは、その辺りに原因があるのかもしれない。


「それでこれはなんなんだ」


 袖口が邪魔だったので払うようにして腕まくりすると、麒翔きしょうはバインダーを開いてみた。分厚い資料だ。何百枚という紙面がじられている。見開きページをめくると、最初の紙面の右上には女子生徒の顔写真が貼り付けられていた。そして、氏名、所属、群れの規模、父親の爵位などの経歴が並び、どうやって調べたのか学園の成績にまで言及されている。


 もう一度、麒翔きしょうは訊いた。


「履歴書?」


 公主様は満足げに頷いた。至近距離の彼女が身じろぎするたびに女の芳香ほうこう鼻腔びこうを刺激し、ドキリと気を乱されてしまう。


「学園の名簿だ。とにかく目を通してくれ」


 公主様の意図がわからないまま、麒翔きしょうは言われるままにペラペラとページを捲っていく。そしてふと気付く。見覚えのある顔が一つもない。


「もしかして上院の生徒名簿か」

「そうだ」


 一体、いかなる理由で上院の生徒名簿を見させられているのか。なにせ上院の生徒と麒翔きしょうは面識がないのだ。違う学校の卒業アルバムを見せられても感慨がなにも湧かないのと同じ。


 が、公主様の手前、その願いを無下にすることはできず、義務的に資料に目を通していく。読んでいるというよりかは見ているだけに過ぎず、内容は頭に入ってこない。しばらく無為な時間が過ぎたが、その中に見覚えのある顔を発見した。


 資料には紅蘭こうらんとある。

 気の強そうな鋭い目つきに筋の通った真っ直ぐな鼻。髪の毛は後ろで一つに束ねられていて――


「これは」


 公主様が下院を初めて訪れた日。その姿を一目見ようと桜華に連れられて向かった先で、まるで騎士のように公主様へ付き従っていた人物。


紅蘭こうらんに目をつけるとは、流石だな。見る目がある」


 なぜだか公主様は嬉しそうに、どこか誇らしげに笑んでいる。それはまるで大切な友人を褒められた時のような。と、そこで麒翔きしょうは思い出す。


「確か、お姉様って呼ばれてたよな。妹なのか?」

「ああ。青蘭せいらん殿の娘だ」


 盟妃めいひ青蘭せいらん。学園長の名前が出たことで麒翔きしょうは渋い顔となる。退学勧告を受けた時の記憶が蘇ったからである。彼の中で学園長は確固たる敵という認識であった。

 もう一度、写真の少女へ視線を落とす。


「てことは、この人も公主ってことになるのか」

「それは違う」


 公主様は悲しそうに否定した。


「正確には義理の妹なのだ。父親が違う。少し訳アリでな」


 両雄並び立たずという言葉がある。若い頃には一つの群れに複数の男が所属することもあるが、群れが大きくなる過程において、必ず、派閥争いが発生してどちらかは淘汰とうたされる運命にあるというもの。龍皇の群れでも同じようなことがあったのだとすれば納得のいく話である。とはいえ、あまり深く詮索せんさくはしない方がいいだろう。麒翔きしょうが話題を変えようとしたところ、公主様が妙なことを言い出した。


「だから安心してくれ。正妃として娶る必要はない」

「? 娶る? なんの話をして」

紅蘭こうらんは上院の一学年女子において第二位の成績を収める才女だ」


 公主様の漆黒の瞳が子供のような光を宿し、ギラリと黒光りする。だから何だ? というのが正直な麒翔きしょうの感想だったが、彼女はそんなことなど意に介さず、力強く語り出した。


「桜華は戦闘には向かない性格だろう。だから内政を司る賢妃けんひを任せるのが良いと思うのだ。とすると別途、軍事面を任せる妃が必要になってくる。私が兼任しても良いのだが、優秀な人材が確保できるなら任せた方が良いだろう。その点、紅蘭こうらんは軍事を任せるに足る打ってつけの人材だといえる」


 前にも似たような話を聞いたことがある。どこか懐かしくすらも感じるが。


「まてまてまて、群れの話は諦めたんじゃなかったのか!?」

「迷える子羊メスを導くのは力ある龍人の務めだ」

「だーかーら! 俺は群れを作るつもりはないって言っただろ!」

「何を言う。私を正妃として迎え入れる時点で、群れの旗揚げは確定している」

「なんでだよ。旗揚げは群れの主人となる俺の意志で行われるものだろ」


 無駄な抵抗だと予感しながらも、それでも麒翔きしょうは抵抗せずにはいられなかった。

 全力で抗う麒翔きしょうに対し、公主様はあくまで平然とした調子を崩さない。


「正妃とは群れ内部におけるローカルな称号だ。つまり言い換えるなら、正妃という称号が付与された時点で、群れは存在していなければならない。群れが存在しなければ、正妃という称号を与えることはできないからな」


 ぐうの音も出ないほどの完璧な論理を展開され、流石の麒翔きしょうも言葉に詰まる。そもそも公主様が、この手の舌戦に強いことは獣王の森の一件で知るところであった。


「百歩譲って、群れを作るところまではいい。だけど、ハーレムを作るのだけはやめてくれ」


 公主様と一緒に幸せな家庭を築く。例え平凡であったとしても、それが麒翔きしょうの思い描く幸せの形だ。公主様を受け入れ、婚約を交わしたからといって、幼少の頃より培われてきた価値観までもがいきなり変わるはずもない。


 無論、麒翔きしょうとて思春期の男子であるから、他の女子に興味がないと言えば嘘になる。だがやはり、他の女子に移り気するというのは、大切な人を裏切っているかのようで気が咎めてしまう。例え、公主様がそれを望んでいたとしても、である。


 だが、公主様も譲る気配はない。むすっとした顔をして上目遣いに睨んでくる。


「ハーレムではない群れだ。低俗な一夫多妻制などと一緒にするな」


 長机に突っ伏す形で麒翔きしょうは両腕を前方へ投げ出した。額を冷たい長机へ擦りつけながら、


「二人だけで幸せに暮らすっていう選択肢は?」

「ない。その未来は、私への命令権をあなたが放棄した時点でなくなった」


 決闘で手にした命令権は失効していたらしい。使う気など最初からないが。


「群れのことを言わなくなったから油断してた。諦めてなかったんだな」

「当たり前だ。あなたが私を受け入れてくれるのをずっと待っていた」


 ――ずっと待っていた。


 この言葉だけを聞くと純情で一途な乙女であるように聞こえる。だが、なぜだか麒翔きしょうは、じっと身を潜めた狩人を想像してしまった。


「こんなに美人な狩人にハンティングされるなら大歓迎だ……と言いたいところだが。俺は黒陽おまえと二人で幸せになりたいんだが」


「それは私とて同じだ。だから群れをしっかり強化しなければならない」


 麒翔きしょうは二人だけの世界を所望している。

 公主様は群れを大きくすることこそが、二人の幸せに繋がると信じている。

 二人の価値観は平行線どころか、真逆の方向を向いていた。


 権勢けんせいかさに着る龍人――例えば、理不尽に退学を迫る女教師たちのことが麒翔きしょうは大嫌いである。だから自らの権利を行使することにも抵抗があるのだが、今は気にしている場合ではない。


「群れの編成権は、確か群れの主人にあるんじゃなかったか。だとすれば、俺に決定権がある。つまり、俺が許可を出さなければ妃を増やすことはできない。残念だったな」


 長机に顔を埋めたまま麒翔きしょうが言うと、公主様の声が降ってきた。


「正妃は主人と対等な存在でなければならない。つまり、私にも群れの編入を指揮する権限はあるということだ。私を受け入れたあの瞬間から、あなたは覇道を歩むことが確定している。安心しろ、私がしっかり支えてみせる」


(は、ハメられたぁ!?)


 狩人が思い浮かんだ理由。己の直感が告げていたのはこれだったのか。


 しかし一度受け入れてしまった以上、なかったことにはできない。婚約破棄などという鬼畜の所業だけは断じてするわけにいかない。


 それらの苦悩をぶつけるように額をぐりぐりと机へ擦り付ける。机はひやりとして冷たく、熱の入った頭に気持ちがいい。


 そんな様子をチラチラと覗き見ていた公主様が、不満そうに口を尖らせる。


「私とてあなたの意向を無視するつもりはない。だから一緒に選んでほしい」


 ピタリ、と麒翔きしょうの動きが止まる。ゆっくり顔を上げ、ページの中ほどで開かれたままになっているバインダーへ視線を落とす。


「なるほど。そういうことか」


 要するに、この分厚いバインダーに綴じられた生徒名簿は、妃に相応しい相手を探すための経歴書兼見合い写真みたいなものなのだ。だからより優秀な者を選抜するため、下院ではなく上院のものを持ってきた。


 しかも、よく見ると特記事項の欄には手書きの細かい文字がびっしりと書き込まれている。性格、能力、容姿、群れへの考え方、そして群れへ編入した場合にどの役職を与えるのが適切か。具体的な数字を元に、公主様の考察が事細かに記されている。


「なぁ。もしかしてずっとこの資料を作ってたのか。大変だったろう」


 公主様は、この一ヵ月もの間、群れに関する言及はしてこなかった。婚約したのだから正妃として口を出すという理屈ならば、そもそもこのような資料を用意する必要はない。婚約の翌日から口を出すこともできたはずだ。


 しかし、そうはしなかった。


 なぜか?


 あくまで主体は群れの主人である麒翔きしょうであり、自分は補佐に徹しようと考えているからだ。


(わかってる。わかってるんだ。黒陽の真心を疑ってるわけじゃない)


 それは顔がどうとか、能力がどうとかいう話ではなくて、その真っ直ぐな性格にこそ真価がある。だからこそ彼女に惚れたのだと、麒翔きしょうは思う。

 だが照れくさくて、それを口には出さない。代わりに、


「そうだな。少しぐらい話を聞いてみてもいいかもな」

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