第34話 公主様の婚約
公主様重傷の報を受けて本陣は
そして暴風タートルの被害は、公主様だけに留まっていなかった。本陣近くの森にも現れ、実習中だった生徒たちを襲ったそうである。その被害は本陣にまで及び、幸い死者こそ出なかったものの重傷者は出てしまっていたらしい。
対応に当たった
そして学園へ無事帰還した今も、その時の混乱は収まっていない。
公主様重傷の責を巡って、大問題に発展してしまったためである。
下院・一学年の夏季特別実習は中止された。
代わりに、
「しかし
庭園の南東に設けられた
――半日ほど休めたからな。歩けるほどには回復している。
ただの強がりだと思っていた言葉が、今更ながらに誇張ではなく事実だったのではないかと思い知らされる。
彼の軽口に、公主様は風に
「私は人より少し治りが早いんだ」
もしも半龍人の
分厚い石壁に囲われた
そこは殺風景な空間だ。岩が剥き出しの荒れた土のフィールドが視界いっぱいに広がっている。フィールドには横一直線に引かれた白線と、その白線から三十メートルの距離を置かれて突き立てられた鉄柱の
鉄柱の伸びた先には
的は全部で十あって、下院一学年総勢百五十名の生徒たちは、各列に別れて順番待ちをすることになる。自習形式なので教師の姿はない。すでに各列には順番待ちの生徒たちで賑わっていた。
その列の一つに
死の淵から生還を果たした公主様が首を傾げる。
「桜華は一緒じゃないのか?」
「ああ、あいつなら他の友達と一緒だよ」
桜華は仲の良い女子グループと一緒に他の列に並んでいる。
そうしてくれるように
大事な話だ。二人きりの方がいい。そう言って頼み込んだのだ。
それは
しかしどんなに不安であっても、話しておかなければならなかった。過去の失敗を繰り返さないためにも、すべてを話した上で、しっかり彼女と向き合う必要がある。それが
カミングアウトの内容は、まず半龍人である事。それに伴い、学園の成績が落第すれすれの落ちこぼれである事と、適性属性が存在しない事。この三つの秘密を話すつもりでいる。なお、それらを公言することのできなかった根本的な原因については隠す気満々である。
(
そんな小さなプライドなんて捨てちゃいなよ、と桜華には言われるかもしれないが、
とはいえ、だ。
これから別の意味で格好悪いところを見せる必要がある。
そしてそちらの覚悟はすでに決めている。
公主様に真実を語る上で一つだけ問題があった。
それは彼女の
そもそも、
いや、厳しいだろうな――
通常、龍人の能力は平均的に育つ。学園の授業もそのように組まれている。
しかしだからこそ、この授業は渡りに船だった。
(そう。
大勢の前で恥をかくことになるがそれは仕方がない。
その
「
隣の列の女子生徒が
その更に三つ隣では、ちょうど桜華の番が回ってきたらしい。彼女は掌を水平に掲げると高らかに命じた。
「貫け、
掌から射出された光の線が的の中心を射抜く。魔法障壁を貫いたのか的からは煙が上がる。おお、と周囲から歓声があがる。後ろからも感嘆の声がした。
「光属性の
普段は
「あいつ普段はああでも、やるときゃやるんだ」
「そうだ。桜華は優秀で見る目もある。だからあなたと一緒にいる」
「ないない。あいつは優しいから同情して一緒に居てくれるだけだよ」
「そんなことはない。桜華を見くびるな」
そこでようやく後ろに並ぶ公主様の機嫌が悪くなっていることに
え? さっきまで普通だったじゃん。と
(すでに空気が悪いとかバッドエンドコース確定では?)
作戦失敗の旗印が脳裏に浮かび、ぶるると身を震わせる。
そして気まずい空気のまま、とうとう
しかし事がここに至って初めて、致命的な問題に
(
そこで問題となるのが
適性属性がないので属性エネルギーを射出する
やばい
適当に「炎火」とでも言っておけばいいかと投げやりに考えたところで、周囲がざわめいている事に気が付いた。
「あの人、何をグズグズしてるのかしら」
「ほら、アレよアレ。出来損ないの」
「ああ。卑しい人間の血を引いた」
「剣術が出来るからっていい気になってるらしいわよ」
「アタックした子もいたんだけど、まったく相手にされなかったって」
「なにそれ調子に乗ってるの? ムカつく」
「それにしても邪魔よね。なんで今日に限って並んでるのかしら」
「隅っこで大人しくしてろってんだ邪魔くせえ」
「公主様もなんであんなのと一緒にいるんだろうね」
あちこちから悪意のある言葉が向けられる。ひそひそ声のものもあるし、大っぴらに聞こえるように話している者までいる。
拳を強く握りしめる。
(駄目だ。冷静になれ)
かぶりを振って高まった戦意を振り払う。今重要なのは、公主様に己の実力、負の側面をすべて開示すること。夢見る乙女の目を覚まさなければならない。
所定の位置。石灰で引かれた白線まで歩み寄る。
と、不意に良い匂いが鼻先をかすめた。
背中には柔らかい二つの感触。腰には白磁のように白く細い腕が回されている。長い黒髪が風に揺られるたび、女の
女子生徒たちから黄色い歓声があがるが、
「なぜ、自分を
頭一つ低い彼女の口から漏れる甘い
「なぜって――」
それは――
しかしその先は言葉にならない。代わりに先を引き受けたのは公主様だった。
「本当の自分を知ってほしいのか?」
「――――――っ!?」
思考を読んだかのような発言に、
耳元に甘い
「その必要はない。全部知っている」
「全部?」
「そう全部だ。桜華に全て聞いた」
思考停止一歩手前――鈍っていた
(全部ってどこまでだ? 全部と言ったら全部か? いや全部ってなんだ。桜華め、どこまで話した。半龍人であること?
自らの恥部を口にすることは、心の中でさえも
すべてを包み込むように公主様の甘い声が言う。
「あの夜。決闘の最中、かつてのあなたは言った。自分を大切にしろと。おまえの価値はそんなものじゃないと。あなたがあの時、私に感じた不条理を、今、私もあなたに感じている。ようやくあなたの気持ちを理解することができた」
ああ、そうだ。あの夜、
学生の身分での習得は難しく、なかなかお目に掛かれない《剣気》を女子の身でありながら身に着けた才能。更には上院の首席であることから、剣術以外の成績もかなりの腕前であることが予想される。そして美人という表現では到底足りない絶世の美貌まで持っている。その価値は計り知れないものであるはずなのに、自分を安売りし、投げ捨てるような姿勢に憤り、その間違いを正すために
それと同じ
それは
「残念ながら俺は
「ならばキスをしろ」
「は?」
「ならばキスをしろ」
大事なことなので二度言いました的な発言に、
「いや、文脈おかしいからなそれ!?」
ぎゅっと背中に押し付けられる胸の感触が強くなる。それだけで平静を装うメッキは剥がれ、
「
詩を
「私の心変わりが心配なら、今この場で婚約を結んでしまえばいい。下院の一学年全員が証人だ。決して
桜華は本当にすべてを話していた。
己の恥部を
が、発火の原因はそれだけではない。
全て承知の上で受け入れようとしてくれるその包容力。その龍人女子らしからぬ姿勢に雷鳴のような
同時に押し寄せてくる自責の念。
(何やってんだ俺は。情けねえ)
釣り合わないと勝手に決め付けて拒絶して、それでも自分を信じようとしてくれる女の子相手に意地になって突き放して。彼女の本気を知りもしない癖に。
だったらどうする。彼女の本気にどう報いる。
「黒陽……、俺は。俺もおまえのことが――」
なんとか言葉を絞り出そうとした。
だが、盛り上がったいい雰囲気をぶち壊す者が現れる。その人物は列をかき分けて悠然と歩み寄ると、
「よお、熱いじゃねえかお二人さん。それにしてもこんなところで抱き合うなんて、公主様ともあろうお方が
龍人女子は尻軽女のように見えるかもしれないが、貞操観念だけはしっかりしている。嫁ぐまで決してその身を捧げないのは当然として、好きな相手であっても必要以上に肌を晒すことは恥と考える。そして年頃の恋人同士が当たり前のように交わすキスでさえ、余程の覚悟がなければすることはない。
そのような事情からも公主様の覚悟が伝わってくるのだが、問題はその龍人女子としての美徳を公主という立場でありながら、汚してしまっている点にあった。名節が汚れれば、女としての価値が大きく損なわれる。それが龍人族の常識。絶対の
と、背中から温もりが離れて行くのを感じた。腹に回されていた腕がほどかれ、体が自由となる。振り返ると目が合った。その瞳は潤んでいたが、口元は強く引き結ばれている。彼女は小声で「任せろ」と言った。そして公主様は、龍人としては珍しく顔まで醜いその男へ向き直る。
「
「
「ああ、すまん。イメージにぴったりなので間違えてしまった。許せ」
「てめぇ……」
険悪な気配が増していく。突如として始まったラブストーリー。キャーキャーと歓声の湧く桃色だった場の雰囲気もいつしか静まり返っていた。
「喧嘩売ってんのか。上等だよ。また勝負するかぁ? 公主様」
「私は構わないぞ。どうする。
「よーし、それでいいだろう。おまえが負けたら……へへ、わかってんだろな」
「なにをだ。気持ち悪い笑みを向けるな」
「この前と同じだ。なんでも言うこと聞くって話だよ」
「ああ、それは無理だ」
その即答に、
「なぁにぃ? 自信がないのか。あぁ?」
「自信の問題ではない。私はもう自分を安売りしない。そう決めた。それに」彼女は
先ほど、
「てめぇ……この俺が、その出来損ないより劣るだとぉ」
愚呑が前傾姿勢を取る。今にも襲い掛かってきそうな構え。
その決意を知ってか知らずか、公主様は
「先ほど、名節が汚れると言ったな。結構なことだ。周りにどう思われようとどうでもいい。汚れた女だと罵られようが関係ない。
「はぁん、わかったぞ。本当は自信がないんだろ。勝負に負けるのが怖い。だから無能として生まれた半龍人を庇うフリ――」
予備動作なしに公主様が掌を愚呑へ向けた。そして――
「消え失せろ。
「誰が負けるって?」
腰を抜かして尻もちをついた愚呑の前へ仁王立ちし、公主様は底冷えするような冷たい声で
「半龍人だからなんだ?
足りない部分は補い合えばいい。思い出されるのは獣王の森での一件。あの時は、黒龍石並みに硬い魔物を相手に、公主様が魔術で足止めし、その間に《気》を練り上げた
公主様は戦意喪失した愚呑への興味を失い、寄り添う
「と、思うのだがどうだろうか」
「黒陽、おまえって奴は本当にいい女だな」
釣り合わないとはもう言わない。
「俺にはもったいないぐらいにな」
容姿端麗、成績優秀。状況判断能力に優れ、強敵を前に臆することなくその身を戦いに投じることができる。そして何より尊いのはその気高い精神性。
その小さな肩と細くくびれた腰に手を回し、抱き寄せる。
「俺のモノになれ。たしか以前に同じことを言ったな」
「ああ、あれには驚いた」
「だが、今回は本気だ。もう離さない」
「望むところだ」
公主様が背伸びをした。二人の唇が合わさった。
その日、公主様は婚約した。
―――― 第二章 終 ――――
【第三章 予告】
公主様と正式に婚約したことによって、麒翔の学園での地位は本人の知らないところで勝手に高まっていた。そして正式な婚約は、ハーレムを作るための大義名分を公主様に与えることにもなった。早速、ハーレムを作ろうと画策しだす公主様。慌てて止めようとする麒翔。彼らの関係は相変わらずで、二人の距離はキスより先に進んでいない。
そんな状況だったから、公主様は不満だった。照れ屋の彼に、恋人がするような愛情表現をしてもらいたい。そう願った彼女は、一計を案じることに……
すべてを欺き、利用する。その驚愕の方法とは……!?
そして解決したかに思われた事件だったが、実はまだ終わっていなかった。アリスがなぜ毒キノコを「おいしい」と評したのか。その真の理由を知った時、麒翔の日常は一瞬にして非日常へと塗り替えられる。愛する公主様を守るため、彼は姿の見えぬ殺人鬼を探すことに。
NEXT
「第三章 公主様に愛を叫ぶまで」
お楽しみに!
現在、第三章を執筆中です。
完成次第、少しずつ投稿をしていきますのでしばらくお待ちください。
その間、場つなぎを兼ねて閑話を投稿しようと考えています。
再開時には、近況ノートの方でもアナウンスさせて頂きます。
では、また第三章でお会いしましょう。
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