第31話 追憶
三ヵ月前。
中央龍皇学園。入学式の日。
桜の木の下で、花壇の前に座り込んだ
両の手を重ねるようにして天へ掲げている姿が
入学式のため本校舎へ向かわなければならない。急ぎ足ですれ違おうとしたところ、彼女は急に立ち上がり、
彼女の両手には桜の花びらが降り積もっていて、オレンジのキンセンカが桜の中に埋もれるように乗せられている。
「ほら、こんなにたくさん」
「あなたも一年生? じゃあ一緒だね」
その時の満面の笑みを
◇◇◇◇◇
四葉は同じ一年生。同級生の女の子だった。明るい感じの活発な美人。ツインテールがよく似合っていて、校内ですれ違うたびに声を掛けてくれた。
入学式から適性属性検査が行われるまでの一週間の間は、生徒同士の交流、及び座学の授業を中心にカリキュラムが組まれていた。唯一、例外として行われたのは、適性属性とは関係のない剣術の授業だけ。
その頃はまだ龍人女子に屈折した感情を持ち合わせていなかった事から、良い所を見せて自分をアピールしたいとの気持ちが
当然、女の子からはモテた。悪い気はしなかった。
「ねえ、
廊下ですれ違った時に四葉にそう言われた。
お決まりのデートコースは庭園の散歩だった。特別な理由がない限り、学園から出られない彼らにとって選択肢はそれぐらいしかなかったのだが、広い庭園を今日はここ、明日はあっちと少しずつ回るだけでも十分楽しむことができた。
初めこそは何となく一緒にいるといった風の
ただデートはいつも彼女主導で行われ、
屋上から夕陽を眺めたことがあった。初めて繋いだ彼女の手は温かくて少し汗ばんでいた。お互い緊張していたのだと思う。気持ちが通じ合った気がした。そこから急激に二人の距離は縮まった。
時計塔の下で彼女の手作りのお弁当をご馳走になったこともある。食後、彼女に膝枕をして貰った時は、その柔らかい太ももを堪能した。女の子ってこんなに良い匂いがするんだと、その時初めて知った。
付き合って一週間が過ぎたある日。適性属性検査の前日。
夕日に染まる噴水広場で
はにかむように笑んで彼女は顔を赤くした。
「私たちこれで婚約者ってことになるね」
龍人は
古くから伝わる掟である。
この時が、幸せの
そこから夢が覚めるのは早かった。
翌日、適性属性なしの判定を受けたのだ。
公主様にきっかけを貰ったことで学園にかじりついてでも残る決意は固まっていた。だから教師と対決する覚悟はできていた。
だが、別の方向から綻びは発生してしまう。伏兵が潜んでいたのだ。
学園での生活が進むにつれ、剣術以外に才能がないことが白日の下へと晒されていった。メッキが剥がれ、
四葉さえ隣にいてくれればそれでいい。そう思っていたから。
実際、多くの女子生徒が
しかし、別れは突然やってくる。それは四葉と付き合い初めて二週間が過ぎた頃だった。彼女はまるで別人かと思うぐらい豹変していた。適性属性がないことがバレたのだった。
「どうもおかしいと思ったのよ。
最初、どうして彼女が怒っているのか
「強い男子が好きってのはわかる。でも、恋愛ってそれだけじゃないだろ」
「弱い男と一緒にいたらすぐ死んじゃうの。それがわからないのあなた」
侮蔑を込めてそう言われた。そして、
「さも実力があるかのように見せかけるなんて……詐欺師みたいな人ですね」
騙すつもりなどもちろんなかった。ただ龍人は人間を蔑む傾向にあり、半龍人であることを話すのはなかなか勇気が必要だったのだ。いずれ全てを話すつもりではいたが、今となってはその言葉を口にしても意味はない。
それでも誠意を見せる必要があると判断し、
だが、彼女は汚物を見るかのような目を向けた。
「はぁ? あり得ない! 卑しい人間の血を引いているなんておぞましい。先行投資のつもりでしたけど、大失敗ね」
卑しい人間。その言葉がショックで何も言い返すことができなかった。
「別れましょう。私たちここまでよ」
あっさりと切って捨てる悪魔のような決断に、
「婚約は破棄させていただきます。それと」
もう未練など
「婚約していたことは誰にも言わないようにお願いします。私の汚点となるので」
一度も振り返ることなく彼女は去って行った。
そしてそのまま学園から姿を消した。
忌まわしい思い出を断ち切るように。
その瞬間、
絶望の黒が世界のすべてを一色に塗り尽くしていく。
彼女は「私の汚点となるので」と言った。この最後の一言が一番効いた。龍人女子は尻軽のように見えるかもしれないが、名節を大事にする傾向にある。他者と婚約するということは
次の男を捕まえるために。
詐欺師と罵られたことも。卑しい人間と罵られたことも。ショックはショックだったが、今までの思い出さえも無かったことにされたことが一番のショックであった。
気が付けば、初めてキスを交わした噴水広場に足が向いていた。
ベンチに座り、視線は虚空を眺めている。その目には何も像を映していない。感情は消え果て、このまま空気と一体となって消えてしまいたい。無価値な自分なんてこのまま消えるのがお似合いだ。そんなことを考えていた。
「
いつの間にか隣に誰かが座っていた。
栗色の髪を耳がぎりぎり隠れるぐらいの長さで切り揃えている。目が大きく鼻が小さい。かわいい感じの女の子。おしゃべりそうな口は薄っすら笑んでいた。
突然、バシンと背中を強打され、胸が仰け反った。
「世界一不幸だ。とか思っちゃってなーい? わかるわかるその気持ち!」
妙に馴れ馴れしいやつだな。それが彼女に対する第一印象だった。
しかし不思議と悪い気はしなかった。
彼女の持つ突き抜けるほどの明るさがそう思わせたのかもしれない。
「誰だよおまえ」
「わたし? わたしは桜華。あなたは?」
「…………
「じゃあ、今から君は翔くんね」
「は?」
「あだ名だよ。あだ名。西方の文化には愛称ってものがあってですねー」
桜華はひたすらおしゃべりで、その屈託のない底なしに明るい性格がその時の
桜華とはそこからの付き合いである。
彼女は男を作ることはおろか、男にすり寄るような真似さえしなかった。だからずっと
桜華のおかげでおおよその心の傷は癒えたが、完全に癒えることは
時には空き教室でのカップルの痴話喧嘩。
「あなたの将来性に疑問を感じたの」
時には卒業後の進路に悩む三年生。
「やっぱり私、大きな群れへ就職するわ。青臭い恋愛より現実を見ないとね」
時には、成績順位が大きく変動した際の民族大移動的な男の乗り換え。これは後に、公主様との模擬戦を境に
うんざりだった。
龍人女子への不信感は日に日に増していき、屈折した思いを抱くようになっていった。
純血の龍人男子はこんなことで悩んだりはしない。仮に落ち込んだとしてもすぐ次へと切り替えることができる。だが、
なにより厄介なのは、龍人女子への不信感の根幹にあるのが、記憶の底に封印したトラウマにこそ原因があることだった。公主様も含めて、龍人女子を拒絶してしまう真の原因は、婚約を破棄され、あまつさえ、無かったことにされた時の、あの世界の全てが崩れ落ちるような絶望の記憶にこそある。全てを拒み、このまま何も考えずに消えてしまいたい。そう強く願った
――釣り合わない。
それは嘘偽りのない事実ではあったし、
だが、それは真なる本心ではない。トラウマを恐れる心が作り出した偽りの本心。自分の心を守るため、真実と感じるように作り出したまがい物でしかない。
――成績が悪いことへの劣等感。
これも同様。非凡な剣術の才能へ目を向けず、自分の劣った部分だけを強調して見るようにしていた。これは「俺はこの程度の男なんだから、女の子から好かれるはずがない」と心の中で念じることで、女子から相手にされない自分を正当化し、同時に女子を遠ざけることで己が傷つかないように無意識の内にコントロールしていたのだ。
つまり、これらを解消するためには諸悪の根源たるトラウマを克服しなければならない。そのトラウマとは何か。明白である。
失望され、口汚く罵られたこと。
将来を誓いあい婚約していた恋人に捨てられたこと。
婚約を破棄された上、無かったことにされたこと。
だから半龍人であることを言い出せなかった。言えば、公主様から向けられる好意が消えて無くなってしまうのではないかと恐れたから。
だから公主様を正妃として受け入れることができなかった。受け入れれば、学園卒業までの間に心変わりされ、婚約破棄されるのではないかと恐れたから。
しかし今、公主様の真っ直ぐな姿を目の当たりにして、
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