第5話 模擬戦
学園に残るためという大義名分はあったものの。
入学早々、十万の群れを束ねる最高幹部に喧嘩を売ってしまった。
さて、夜逃げでもしようか。割と本気でそう考え始める
「だいたい翔くんは、龍人族の文化に無関心すぎるんだよ。群れを作ろうともしない。女の子を避ける。挙句の果てには、人間の街で暮らすからいいなんて言う。気持ちはわかるけど、翔くんは龍人なんだから――むぐっ」
桜華の説教を
いつの間にか、他の生徒たちもヒソヒソ話をするようになっている。
直後、「
静寂に満足したのか
公主様が一歩前へ出る。
風が強く吹き、長く伸びた黒髪が少女の白い首筋に絡みつくように舞う。
「紹介に預かった通りだ。上院の一学年首席、名を
一旦は静まった場に激震が走った。
「嘘だろ? 首席って女でなれんのか!?」
「上院って名だたる貴族のご令息もいらっしゃるのよね。信じられないわ」
男は女より優秀であって当たり前。これが龍人族の共通認識である。
多くの種族において、男の方が戦闘に特化して生まれてくるという傾向はあるのだが、中でも特に龍人族はその傾向が強いのである。
無論、男勝りな女というのは存在するし、例外も山ほどあるにはある。しかし、それはあくまで血統の異なる男女間での話であって、同程度の血統の場合は確実に男の方が強くなる。
ましてや
疑いを向ける者も少なくない。むしろ、手放しに信じている者のほうが
そして、その希少な天然おバカさんが
「すごいね、翔くん。やっぱり無理にでもサイン貰うべきかな」
はいはい、と適当に返した麒翔の腕を不満げにぐいぐいと引っ張ってくる。胸が当たっていることに本人は気づいているのだろうか。いや、気づいていまい。麒翔は内心でため息をついた。
「まぁ確かに、嘘をついてるようには見えないな」
「本当に首席なんですかー? 証拠を見せてくださーい」
空気の読めない男子生徒から投げられた野次に、眉一つ動かさすことさえしない。少し首を傾げ、何事かを思案し、そして満面の笑みを浮かべた。
「実力を知りたいというのなら。そうだな。私と
ビシッと
吐いた
挑発を受けた男子生徒は
見覚えのある顔だった。カエル顔の男子生徒。
「あれは確か、学年三位の……えーと、誰だっけ」
「
そういえばそうだった。
どうでもいい男の名前などいちいち覚えていられない。
「しかし、馬鹿だとは思っていたが、ここまで大馬鹿者だったとはな」
「公主様に食って掛かるなんて命知らずだよねー……」
無能の烙印を押されたから。龍人の力を
だから絡んで来るのだと思っていた。
何度拳で語り合っても学習することのなかった根性だけはある馬鹿な奴。
そう思っていた。
しかし公主様に絡んで行くとなると話はまったく違ってくる。
その愚かさにはもはや哀れみさえ感じるほどである。
大海を知らぬカエルが吠える。
「
「そうだな。万が一負けたなら、おまえの言うことを何でも一つ聞いてやる」
そこに迷いや
一見すると
「何でも? 本当に何でもか?」
「ああ」
「へえ。後でやっぱなしは通用しないぜ」
己の
龍人族にとって決闘は揉め事を解決する際に用いられる一般的な方法である。
正式な決闘の場合、賭けるのは己の命と保有する群れの権利。負ければ文字通り全てを失うことになる。
模擬戦形式で行う以上、それは正式な決闘ではない。だが、立会人の教師がいる状況で交わされた
例えば、身体を要求されたとしても。
張りのある
「万が一ってこともある。負けたらどうすんだ」
ちらりと隣へ視線を向けると、桜華が心配そうに勝負の
舞台上で両者が構える。
それだけで麒翔には勝敗が見えた。
「心配はいらねえよ。公主様の勝ちだ」
「え? なんで?」
龍人族の使う剣術はただ剣を振るうだけではない。
体内を巡る《気》を練り上げ、増幅させた《気》を剣に
そして《気》の練度が達人の域に達すると、《気》は《
しかし、桜華への説明は難しい。なぜなら《剣気》は同じ領域へ達した者にしか見ることができないからだ。
そして今、この学園に入学して以来初めて、他者の操る《剣気》を目の当たりにした。
勝負は一瞬だった。
《気》と《剣気》では質の次元が違う。まともに受ければ模擬刀を吹き飛ばされるか、真っ二つに破砕されるかの二択。力をうまく流そうとしても、腕にかかる負荷に耐えられないだろう。
結果、開始から間もなくして、カエル顔の男子生徒は舞台に横たわっていた。気を失うだけで済んだのは、運が良かったわけでも神のご加護が働いたわけでもなく、公主様の卓越した技巧によるものだった。
公主様は勝利の
学年三位が瞬殺されたのである。軽々と出られる者などいるわけがない。
重苦しい空気が場を支配する。
沈黙を破ったのはやはり公主様だった。
「
魅恩教諭の眉間に一瞬だけ
「
「期待外れだったか……もしかしたらと思ったのだがな」
勝利したはずの公主様は見るからに落胆している。
そして各学年の成績上位者が、順番に呼ばれては倒されてを繰り返していく。
「なるほど。総合成績順で呼ばれているのか」
「残念だったね、翔くん。剣術なら一矢報いれたかもしれないのに」
「残念なもんか。逆に助けられたってもんだろ」
「えー? 公主様にアピールするチャンスじゃん」
入学当時の
だが、それは昔の話。
多くの女子たちに手の平を返され罵倒されたことで、彼の価値観は百八十度捻じ曲がってしまっている。
「剣術ができるから優秀だ。なんて勘違いをされたら堪ったもんじゃない。失望されるのはもうたくさんだ」
三学年の首席が地面に力なく倒れ伏す。
公主様が悲しそうに吐息する。
模擬刀を無造作に振るい
とっさに目を背ける。遅かった。公主様はゆっくりこちらを振り返り、今度は真っ直ぐに
「おい、そこのおまえ。見えているだろう?」
皆の視線が列の後ろに座る
半ば無駄な抵抗と知りつつも「何も知りませーん」という風を装って、
「ほう。いい度胸をしている」
いつの間にか、公主様が目の前に立っていた。
観覧用の長椅子に座ったままの
風に流された黒髪が
女の
公主様と目が合う。魔性の瞳に見つめられ、心臓が緊張に跳ねた。困惑する
「なるほど。少しは運命というものを信じてみたくなったぞ」
「えーと、なんのことかな」
今度は本当に意味がわからなかった。
公主様の眉間に
「見えているだろう、これが」
「やはりな」
「やはりな、じゃねえよ! あぶねえだろ」
公主様に目を付けられた理由はなんとなく察しがついている。
先ほど、
「見えているから必死に避けたのだろう」
「見えてなくても普通避けるだろ!」
公主様がにやりと笑った。悪女たらんその
そして
「受けてもらうぞ。さぁ立て」
もはや
(まぁそうだろうな……)
心の中でため息をつく。他の科目なら希望はあった。落ちこぼれの
「まぁ希望に沿うことで借りを返せるならそれでいいか」
ずっとお礼を言いたかった。龍王樹の下で勇気を与えてくれたお礼を。
舞台の中央で対峙する。
公主様が構えを取る。小さく
公主様の周囲に《気》が満ちている。《気》はやがて《剣気》へと昇華され、模擬刀から揺らめく炎のように立ち上る。心地よい《剣気》だった。これだけ練度の高い《剣気》を練れる学生が、自分以外にもいたのだと感動すら覚えた。
覚悟を決めるしかない。
頭の中でプランを立てる。
(これは殺し合いじゃない。あくまで剣術の稽古。その延長だ)
プランは決まった。
「それでは、始め!」
開始と同時、両者は一足飛びに相手の懐へ飛び込んだ。
刹那、凄まじく高純度に圧縮された《剣気》と《剣気》の本流が激突した。
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