第4話 達人の境地

 中央龍皇学園。

 下院本校舎二階。会議室。


 会議室には豪奢な円卓テーブルが据えられており、そこには六名の女教師たちと、彼女らを束ねる学園の長が着席している。室内の調度品にはぜいの限りが尽くされ、豪華な様相。その高級感が、今は逆に息苦しい沈黙を生んでいた。


 ダンッ! と円卓テーブルを叩きつけ、沈黙を破った縦巻ロールの女教師が立ち上がる。


「学園長! 納得がいきませんわ。これは越権えっけん行為ではありませんか」


 学園を束ねる長である青蘭せいらんは、火魔術の担当教師である明火めいびへ冷ややかな視線を向ける。明火めいびは豪華な金糸の刺繍ししゅうが全身に施された緑の龍衣に身を包んでいる。教員用の龍衣で上院の制服と比べても派手なデザイン。派手目な化粧を施した彼女が着ると、妓楼ぎろうのようなあでやかさが鼻に付く。


「公主様の希望をお断りしろと?」


 ギロリと青蘭に一睨ひとにらみされて、明火めいびは一瞬気後れするように瞳を揺らし、気勢を削がれたのか視線を机へ落とす。いくらかトーンダウンして、


青蘭せいらん様とて六妃ろくひが一人ではありませんか。くらいが劣るとはいえ、それは公主様が群れを独立するまでの短い間に過ぎませんわ。ならばそこまで卑屈ひくつになることがありましょうか」


 青蘭は鋭く目を光らせた。


「その言葉、将妃しょうひ様に聞かれたら命はないわよ」


 冷たく突き放し、警告を与える。

 明火めいびの顔からみるみるうちに血の気が失せていく。


「も、申し訳ございませんっ」


 彼女は速やかにその場へ平伏へいふくした。

 頭を床に擦り付け、ガタガタと両の肩を震わせている。縦巻ロールの髪の毛が地面に力なく横たわり、震えの振動が伝わって小さく波打つ。


 豪奢な革張りの椅子に体を沈め、青蘭せいらんは小さく吐息すると立ちなさいと命じた。


「勘違いしないで貰いたいのだけど。私は将妃しょうひ様に多大な恩があるの。だから派閥争いには興味がないし、その娘であるあの子の願いも叶えてあげたいと思ってる」


「失礼しました」


 明火めいびが着席するのを待ってから、青蘭は物憂ものうげに言う。


「ところで、魅恩みおん教諭」


 円卓テーブルに座していた六人の女教師の一人。闇魔術担当の魅恩みおんが起立する。三角メガネに切れ長の目。きつい感じのする美人である。


「はっ。何でありましょうか」

「例の生徒だけど。本当に最優の評価は適切だったのかしら」


 問われ、魅恩みおん教諭は迷うことなく断言した。


「間違いありません」

「報告では《剣気けんき》を使えるとのことだけど」

「はい、その通りです。従いまして、最優が妥当だと判断いたしました」


 こめかみの辺りを押さえて青蘭せいらんは嘆息する。


「達人の境地きょうちに達した者のみ習得可能と言われる《剣気》。まさかあの学生が習得しているとはね……頭が痛いわ」


 明火めいびが納得いかないという風に疑問を差し挟む。


「にわかには信じられませんわ。なにせ《剣気》を扱えるのは上院でもたったの五名。しかも上院の全生徒四百五十名中の五名ですのよ。それをあの落ちこぼれが習得しているなど……ああ、いえ。魅恩みおん先生を疑っている訳ではないのです。わたくしには見えないものなので」


 《剣気》は同じ境地に達した者にしか見ることはできないし、感じることもできない。それは青蘭せいらんも同様であるため、剣術の達人である魅恩教諭の申告が頼りであり、その真偽を確かめる術はない。

 部下の報告を盲目的に信じてはならないが、自分にとって都合が悪いからといって切り捨てるのは愚者のすること。管理者として青蘭は公平でなければならない。


質実剛健しつじつごうけん魅恩みおん教諭の見立てですから信じるしかないでしょう。しかし、それならばなおの事、まずい事態になりかねません」


「ええ、その通りですわ! もうなりふり構わず退学にしてしまえばいいのです」


 おそらくは青蘭せいらんの意図とは違った意味で、明火めいびが同意した。気持ちの上では青蘭も同意見だったが、しかし、そういう訳にもいかない。なぜなら。


「それはできません。どういう訳かあの者は、陛下のお気に入りなのです」


 最高権力者の名前を出されて、異を唱えられる者などいるはずがない。

 会議室に沈黙が下りる。


「あの者がなぜ名門であるわが校へ入学できたのか。魔術も吐息ブレスも使えない生徒が一体なぜ。あなたたちは以前、私にそう問いましたね。遅くなりましたが教えてあげましょう。なぜならあの者は陛下からの推薦状を持参していたからです」


 会議室にどよめきが走る。

 その衝撃は察すに余りある。

 平民風情ふぜい龍皇りゅうこう陛下の推薦状を持っているはずがない。

 青蘭せいらんとて最初は信じられなかった。


「私も不本意でした。中央は真の実力至上主義を標榜ひょうぼうしているというのに、試験を経ずして入学を許すなど……しかし、皆さんも知っての通り、陛下の勅命ちょくめいは絶対です」


 龍皇の言葉はこの国の法を曲げることさえ可能である。

 一介の妃に過ぎない青蘭せいらんに拒否する権利はなかった。


「陛下の勅命により、便宜を図ることは今までも何度かありました。ですが、まさか平民風情にまで便宜を図ることになろうとは。こんな屈辱は初めてです。ですので、今すぐにでも退学にしてやりたいところではあります。卑しい身分の癖に一体どうやって陛下に取り入ったのか……気持ちの上では明火めいび、私もあなたと同じなのです」


 実直さが売りの魅恩みおん教諭が異を唱える。


「しかし学園長。学生の身分で《剣気》を習得できる者はまれです。かくいう私も習得に百年掛かりました」


 忌々いまいましげに青蘭せいらんは唇を震わせる。


「ええ、だから頭が痛いのです。名門の名を汚す、適性属性なしなどというふざけた醜態しゅうたいを何とかしたかった。ですが、《剣気》を扱えるとなると話は変わってくる。最優を取られたのでは退学処分は難しいでしょうね」


 明火めいびがもの言いたげに口を開きかけたが、結局、何も言わないまま口を閉ざした。他の女教師たちも異論はないようである。苦渋くじゅう。それは青蘭せいらんとて同じ。


「今、考えなければならない問題は他にあります」

「それは何でしょうかぁ」


 今まで大人しく座っていたミニマムな幼女体型の教師・風曄ふうかが訊いた。彼女の担当は風魔術。外見は十歳程度の幼女にしか見えない。しかしその実、齢174歳の大人のレディである。


「あくまで可能性の話です。驚かないで聞いて下さい」


 そして青蘭せいらんは驚くべきことを口にした。

 女教師たちの受けた衝撃は凄まじく、


「ありえませんわ!」

「それは流石にないですよぉ!?」


 と、明火めいび風曄ふうかが同時に叫ぶほど。他の女教師たちも口々に否を表明する。そんな中、唯一、魅恩みおん教諭だけは難しい顔で頷いた。


「ありえない話ではありません。しかしそうなると……」


 その先は質実剛健の魅恩教諭をして、口には出せないようである。

 青蘭せいらんは左手で頭を抱えるようにしてうつむいた。額が熱を持っており熱かった。


「ですので。魅恩教諭、その万が一が起きないように配慮して頂きたいのです」




 ◇◇◇◇◇


 四角く仕切られた中央龍皇学園の広大な敷地。

 下院に割り振られたのは、全体から見れば二割程度の狭い土地である。

 学園全体から見れば下院は南に位置し、南門からのみ入ることができる。そして、他の東西北の門はすべて上院の敷地へ繋がっている。


 南門から入ってしばらくは左右に緑の庭園が続き、真っすぐに伸びた道の先には下院の本校舎がある。その東には図書館、西には学生寮、北には魔術研究棟が並ぶ。

 庭園には実習訓練用の施設がいくつか置かれており、その中の一つには、剣術の授業で使う小さな闘技場がある。白龍石はくりゅうせきと呼ばれる硬質な石材で作られたその舞台には、今、教師に伴われて一人の少女が立っていた。


 絶世の美女。


 圧倒的な美の存在感が、その場に集まった下院の全生徒四百五十名を釘付けにする。息をするのもはばかられる。そんな雰囲気である。


 生徒たちは舞台観覧用の長椅子に腰掛け、固唾かたずを呑んで成り行きを見守っている。


「なんだって急に召集されたんだ?」


 舞台上の赤と黒の龍衣。上院の制服を着た美しき少女に目を奪われながら、麒翔きしょうは疑問を口にした。隣に座る少女・桜華おうかが能天気に応じる。


「終業式じゃない?」

「なわけあるか」


 ただの終業式に上院の生徒、しかも公主様が出席するはずがない。


「入学式ですら完全に別々だったろ」

「そっかー。じゃあ何で?」

「それを今、俺が聞いたんだよ!」


 間の抜けた問答に麒翔きしょうが脱力していると、魅恩みおん教諭の芯のある声が闘技場に響いた。


「諸君、紹介しよう。こちらは将妃しょうひ烙陽らくよう様を母に持つ公主様である」


 生徒たちのざわめきが大きくなる。


「将妃様?」


 ポカンと口を開け、麒翔きしょうは首を捻った。隣の桜華が呆れたようにため息をつく。


「将妃様は六妃ろくひの一人。序列第二位のおきさき様だよ」


 人間の都市・アルガント育ちの麒翔きしょうは、龍人社会のシステムに疎い。


「まてまて。当たり前のように出てきたけど、六妃ってなんだ」


 半目になった桜華がじと目で見てくる。どうやら常識の類らしい。


「六妃は、群れの中で最大権力を握る六人の妃たちのこと」

「ん、群れって六~七人で構成されるんだろ。夫がいて妻がいて終わり。権力ってどういうこと……って、なんだその目は。心底軽蔑しんそこけいべつしましたって顔やめろよ」


 今度は桜華が脱力する番だったらしい。彼女は遠い目をして空を見上げると現実逃避した。そしてため息と共に現世へ帰ってきた。


「それは若い群れの話ね。例えば龍皇陛下の群れは十万を超える大所帯。大きな都市まるまる一つが群れなんだよ。そしてわたしたちも、学生の間は、龍皇陛下の群れに所属するってていを取るの。まさか知らなかったの?」


「知りませんでした」


 麒翔きしょうの感覚からすれば、群れとは一夫多妻制のようなものという認識である。だが、桜華の話から察するにそんなに単純なものではないようだとわかる。イメージしたのは、人間社会でいうところの生活共同体コミューンだった。


「てことは、学園の教師たちも全部、龍皇陛下の群れに所属してるってことか?」

「そうだよ。だからこの学園では特に、陛下の意向は絶対なの」


 今までの情報を頭の中でまとめ、整理する。


「つまり、その十万の頂点に立つのが六妃と呼ばれる妃たち。で、その中の序列第二位にあたる将妃様の娘があの公主様と」

「うん。公主様は母親の身分を受け継ぐから、この学園で一番偉いのは、あの公主様ってことになるのかも」


 下院の生徒は上院の敷地へ入ることを禁じられている。裏を返せば、上院の生徒が下院の敷地に入ることも同様に禁止されているはずである。その規則を堂々と破っている以上、やはり只者ではないのだろう。


「ちなみに学園長も六妃が一人。序列第六位の盟妃めいひ様なんだよ。だから失礼な態度取ったら駄目だよ」


 そういうことはもっと早く言ってほしかった。すでに無礼な態度を取ってしまっている。

 眩暈めまいがして目の前が真っ暗になった。

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