第3話 龍人族の公主様
「興味ないな」
と、クールに一蹴したはずなのだが。
なぜか
庭園の遊歩道を自分の意思とは関係なく進みながら、麒翔はため息をつく。
「だいたい
公主とは皇帝の娘を意味する。
つまり、貴族の令嬢の上を行く、
そのような人物が下院の生徒に興味を示すはずがない。
だが、そんなことは百も承知だと言いたげに桜華が頬を膨らませる。
「遠くから見るだけだよ」
「ミーハーか」
「だって、すっごく美人なんだって。翔くんも興味あるでしょ?」
「ねーよ」
退学を要求する六人の女教師たちを皮切りに。
入学式からの短い期間で友達になったつもりでいた女子たちは、麒翔が無能であることを知ると離れていった。
そして桜華を除く下院の女子生徒は全員、程度の差こそあれ、麒翔のことを見下してきた。陰口を叩くのは当たり前。時には本人に聞こえるぐらい大声で嫌味を言う者もいた。
一番ひどいケースでは、立ち上がれなくなるぐらい
それらの経験は、女子への不信感を芽吹かせるのに十分すぎる土壌となった。
だからいくら美人だと言われても、自分には関係ないことだと
「だいたい龍人はほとんど美人で通るだろ」
「ふーん。じゃあ、わたしも美人になるのかな?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、隣を歩く桜華が上目遣いに見上げてきた。
「美人、ではないな」
肝心なところを省略したせいで桜華がむくれる。
「もー、失礼だなー。翔くんだって平凡な顔の癖に」
「落ちこぼれの俺にとって平凡は
「むー……、何この人。自己評価が低すぎてダメージ受けてくれない」
そりゃ下院の教師を敵に回した上で、他の学生からは白い目を向けられるような生活を送っていれば、嫌でも神経は図太くなっていく。
勝ち誇ったように笑っていると、脇腹を小突かれた。痛い。
下院の庭園は狭い。ものの数分で本校舎に到着した。
龍人は土足で屋内に入ることを
校舎は石造りの豪奢な三階建て。廊下には床板が張られている。ピカピカに磨き抜かれた床板は、
「すごい人だな。どうなってんだ」
「上院の生徒はカリスマだからねー。ましてや公主様なワケだし」
人だかりは下院の会議室の前を中心に広がっている。
「
「ちょっと翔くん。言葉には気を付けないと」
「おっと。そうだな」
下院で孤立し、一人でも戦うと決めて以来、
広い廊下は、がやがやと祭りの
(やっちまった。ま、桜華の頼みは断れないし、仕方ないか)
桜華には多大な恩がある。この程度で返せるとは思っちゃいないが、彼女の希望はできるだけ叶えてあげたい。
と、人混みの
怒声が辺りに響いた。
「下院の生徒如きが公主様の道を阻むな!」
声の高い
不意に前方から強い圧力がかかる。
「きゃっ」
「っと、大丈夫か」
押されてバランスを崩した桜華の体をそっと受け止める。
生徒の大海原は中央で真っ二つに割れて、道の左右に分かれていく。
「ありがと」
桜華がはにかんだ笑みを見せる。その子犬のように無防備な頭を撫でてやり、麒翔は開かれた道の先へ視線を向けた。呼吸が止まりそうになった。
「
「はっ。申し訳ありません。お姉様」
「まあいい。移動するぞ」
「はい」
豪華な赤と黒で彩られた上院の龍衣を
「ま、まじかよ……」
夜闇より深い黒髪を揺らしながら、その尊き人物はこちらの方へ歩いてくる。
龍衣の袖から白磁のように白く透き通った肌が覗いている。
頭一つ分小さいその華奢な体は、容易く折れてしまいそうなほど細い。
すれ違う瞬間、ちらりと公主様と目が合った。心臓が跳ね上がる。
公主様が去っていく。その後ろ姿にも見覚えがあった。
(間違いない。あれは……)
――運命を受け入れろ。
少女の言葉を思い出す。それは龍王樹の花言葉。
あの時の言葉があったから、
そして彼女はこうも言って――
「どこかで会ったことはないか?」
公主様の美しい顔が目の前にあった。すごく近い。明らかに距離感を間違えている。
一瞬、それが過去の出来事なのか、現在起こっている出来事なのか、記憶がごちゃ混ぜになり、わからなくなる。しかしそれは現実だった。
「龍王樹の下で……」
極度の緊張を強いられた
まるで昔の気弱な自分に戻ったみたいで情けない。
公主様の顔に世界を揺るがすほどの美しい微笑が浮かぶ。
「やはりそうか。その目には見覚えがあった」
麒翔の目には
そんな事情などお構いなしに公主様はマイペースに笑む。
「ところで、運命には抗えたか?」
「あ、ああ。おかげ様で、今のところは順調だよ」
「そうか」と笑んで、公主様は
「また――――」
聞き取ることができず、問い返そうとした
「行くぞ、紅蘭」
「はい。お姉様」
後ろで一つに縛りまとめた髪を
その後ろ姿を呆然と見送るのは三ヵ月前と同じ。異なるのは、
「おやおやおやー? 公主様に興味ないとかこれいかに!?」
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる桜華が隣にいること。そして――
「くそ。何であんな出来損ないが公主様と話してんだ」
「あの人、底辺のくせに
「高貴な公主様は下々の事情をご存知ないのよ」
「そうよね。でなきゃあんな落ちこぼれ相手にするはずないもの」
(上院の生徒はカリスマ。公主様なら、なおさらか。なるほどね)
「行くぞ。もう用は済んだろ」
「うん」
桜華の手を引き、その場から離脱する――つもりが、一人の男子生徒が行く手を遮るように立ち塞がった。顔立ちの整った種族である龍人にしては珍しく、醜く歪んだその顔に麒翔は見覚えがあった。
「ああ、たしか学年三位の……」
肝心の名前が出てこない。桜華が耳打ちした。
「
「ああ、そうそう。それそれ」
それ呼ばわりがプライドに触ったのかカエルのように膨れたその顔に赤みが差す。
「てめえ……相変わらずいい度胸してるじゃねえか」
「それはこっちのセリフだ。毎度毎度、突っかかってきやがって」
バキリッと拳を握り込み、骨を鳴らす。
その威圧に
だが、愚呑は怯みながらも
「だいたいてめえら釣り合ってねえだろ。なんでそんな底辺と一緒にいんだよ。俺の方がずっといい男のはずだろ! なぁ!?」
桜華は舌を突き出し、あっかんべーをした。
「だって翔くんの方がカッコイイし」
若干の哀れみを感じないでもない。学年三位という高ステータスにありながら。力を信奉する龍人族に生まれながら。力を持てどもその容姿ゆえに付き
しかし悲しきかな。彼は何かと
納得がいかなかったのか、
「言っとくが、桜華に手出すなら
桜華を傷つける奴は死刑と決めている。
彼女にはでかい借りがある。何を差し置いてでも守らなければならない。
「て、てめっ! 学園内が飛び道具禁止だからって調子に乗ってんじゃねえぞ」
学園の敷地内では専用の施設を除いて、魔術や
「言いたいことはそれだけか」
首を捻り、バキッと音を鳴らす。
周囲の
底辺相手に逃げ出すのは恥である。追い詰められた
次の瞬間、顔面に拳が突き刺さり、吹き飛んだのは
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