第6話 華麗なる手の平返し
中央龍皇学園は全寮制の学園である。
十五になった龍人は親元を離れ、学園に三年通い、そして一人前と見なされ独立する。それまでは基本的に帰省することは許されない。
授業は剣術、弓術、
本校舎は
本校舎の外周を、というよりも下院の敷地全体を走り回った末に
「はぁはぁ。とんだ災難だ。なんだこれは厄日か?」
室内には使い古された長机が二脚と、ガタのきてる木製の椅子が四脚。それから小さな収納棚と、本棚が一台ずつ置いてある。綺麗に片付いていると言えば聞こえはいいが、単に物がないだけである。
先客が一人、窓際の席に座っている。
本を読んでいたその先客は、顔を上げるとニヤニヤと嫌な視線を送ってきた。
「翔くん、モテモテじゃーん」
「ハーレムは男の
盛大にため息が出る。
「だから目立つのは嫌だったんだ。くるっくるっと返しやがって」
「うん、すごかったよ。公主様と引き分けるなんてわたしも思ってなかった」
そう。公主様との模擬戦は、結局決着がつかなかった。
途中で
「勝利したならわかる。けど、引き分けでこんなになるか?」
「下院の成績上位者が軒並み歯が立たなかったんだよ。上院の首席と引き分けなら大金星でしょー。そりゃ突然降ってわいた金山に、女の子たちは群がるよね」
「はぁ、頭が痛い」
群がるという単語に気が
「だいたい、何なんだあいつらは。信念ってものがないのか」
今まで、下院の女子生徒たちは
「
「ねえねえ、どうして今まで実力隠してたの? ねーってばぁ」
「すごいです。私、感動しました!」
「あたし、
「わたくし、あなたはやればできる方だと存じておりましたわ」
取り囲まれ、質問攻めにされたところを何とか脱出。学園を駆け回って追手を振り切り、息も絶え絶えに逃げて来たというのがここまでの
「金山に群がるって。なんだその
「あー、ひどーい! それは失礼だよー」
「いや、おまえも似たようなニュアンスだったろ」
「えー、そうかなぁ」
納得がいかないという風に桜華は首を捻っている。
「だいたい、あいつらお気に入りの男がいたはずだろ。そいつらはどーすんだよ。いいのかよ捨てて。心は痛まないのかよ」
「いいんじゃない? 婚約してたワケでもないんだし」
「前から思ってたけど、桜華ってちょいちょいドライなとこあるよな」
「えー、だって強い男の子が好き。一緒にいたいって思うのは仕方ないじゃん」
「いやいや、百歩譲ってそこまではいいよ。でも簡単に乗り換えるってどうなのよ。前の男は好きだったんじゃないの? どうして簡単に手の平返せるんだよ」
「うー……、それはそうかもしれないけど……」
桜華は困ったように眉を寄せて天井を仰いだ。
狭い室内に静寂が訪れる。
ふと、思いついたことがあった。それは前から聞いてみたいと思っていたことだった。
「なぁ、おまえはどうなんだよ」
「え? わたし?」
「強い男が好きなのか?」
「ん-、強い人はわたしだって好きだよ」
適性属性なし。無能の烙印を押された
だから力を信奉する龍人女子からは蔑まれ、見下されてきた。
力こそ正義。それは純血の龍人である桜華にしても同じはずである。
「じゃあなんでおまえは俺と一緒にいるんだよ」
いつだって桜華が隣にいた。
退屈を感じれば話し相手になってくれた。
おかげで孤独を感じることはなかった。
0と1の間には天と地ほどの差がある。彼女が味方でいてくれた事が、どれだけ心の支えになったか。感謝してもしきれない多大な恩を
どうして落ちこぼれの俺なんかと一緒にいるんだろう。
ずっと聞きたかったことだった。
いつになく真剣な
「さぁ? なんでだろう?」
「知るかよ! 聞いたのは俺だよ」
いつも通りのあっけらかんとした物言いに、
「桜華に真面目な質問をした俺がバカだった」
「ぶー、なにそれ。わたしがバカだって言いたいの!?」
「そこは議論の余地なくそうだろ」
「学校の成績はわたしの方が上ですぅ!」
「座学の成績はどうだったっけ」
「うっ、座学は総合成績に含まれないから……」
旗色悪しと悟ったのか桜華が強引に話題を戻してきた。
「それで翔くんは、誰を恋人にするつもりですかー?」
不意打ちで
「あれだけモテモテならよりどりみどりですよね、奥さん」
「誰が奥さんだ、誰が。全員ごめんだ。却下」
「えーもったいないよ。最後のモテ期かもしれないのに」
だが、思春期の彼は、女性に興味がない訳ではない。
だから一瞬だけ、心がぐらついた。
「いかん、桜華の顔をした悪魔の囁きにやられるところだった」
「なにその悪魔。かわいー」
「自分で言うな!」
「じゃあさ、翔くんの好みのタイプってどんな子なの?」
考えたこともなかった。
身近な女性は桜華しかいない。
確かに、桜華と一緒にいるのは心地が良い。しかしそれは、恋愛的な好きではないような気がする。それはきっと桜華も同じで。
「そうだな。好みのタイプというか、理想の妻像を話すなら……俺の考えを理解した上で補佐してくれる女がいい。有能なら言うことなしだが、高望みはしない」
腕を組み、うんうんと唸ること数十秒……ようやく出した答えがそれだった。
桜華のぱっちり開いた目がすっと細められる。
「つまり、公主様みたいな?」
「は?」
ぶわっと全身から嫌な汗が吹き出る。
顔が急激に熱くなるのを感じて、
「なんでそうなる!? 公主様はどちらかというと自分に続けってタイプだろ。俺の求める人物像とは真逆だ。てか、おまえも俺の話ちゃんと聞けよ!!」
「へー、そうなんだー」
棒読みである。まったく信用されていない。
「くそっ。やっぱり厄日だ」
公主様に目を付けられさえしなければ、このような面倒事には巻き込まれなかった。しかし、冷静になって考えてみると、関わらないという選択肢は最初から存在しなかったように思う。龍王樹の下で出会った瞬間から、運命づけられていたのではないかという気さえする。
「とすると、わざと負けるが正解だったのか……?」
公主様の観察眼は寒気がするほど鋭いものだった。
恐らくどのような努力をしようとも見破られていただろう。
模擬戦が回避不能なイベントだったのだとすれば、肝心なのは発生してしまったイベントへどう対処するかである。ならば、さっさと負けるのが正解だったのかもしれない。勝っても負けても学園の成績には影響しないのだから。
「その言い方だと真面目にやってなかったみたいだね。手抜いてたんだ」
半目になった桜華が呆れたように言った。
なかなか鋭い指摘である。
「いや、それが手を抜こうとしたんだけどな……」
当初の予定では、公主様と同量の《剣気》を放出し、適当に打ち合うつもりでいた。では《剣気》が同等の場合に、何で勝敗が決まるかと言えば、それは剣の
「公主様の剣の腕は本物だ。俺の攻撃は簡単に
公主様との技巧差はかなり開いていた。その差を埋めるためには《剣気》の出力を上げ、力技で押し返すしかなかった。前半は技巧差で押され続けたが、後半は《剣気》の差で押し返し、そこからは
「俺がやったのは、ただ力任せに棒を振り回しただけさ。剣術と呼ぶには、いささか優美さに欠けているんだろうな、やっぱり」
「そうなの? 勝てればよくない?」
「勝ってないけどな」
「ん-、あのまま続いたら勝てそうだったけどなぁ」
「…………」
下唇に指をあて、思案顔の桜華。
これが殺し合いならもっと他にやりようはあった。しかし学校の授業として行う以上、あれは互いの
◇◇◇◇◇
広大な上院の敷地には、下院にはない施設が多数存在する。
その内の一つ。貴族階級の来客をもてなすための施設がある。宿泊施設を兼ねたその建物には、豪華な調度品の整った応接室が設けられている。
応接室の中央には公主様が不快そうに仁王立ちしていた。
その足元。
「こんなところにまで押しかけて来てどういうつもりだ」
「陛下のご命令ですので。どうか」
額を床に擦り付けるぐらい深く平伏し、侍女頭が申し開きをした。
「見合いは受けん。相手は自分で探すと言ったはずだ」
おそるおそるという
「しかしながら……公主様に相応しいお相手はいらっしゃらないかと」
「いいや。そうとも限らないようだぞ」
打って変わって上機嫌な声色に、侍女頭は訝しげに顔を上げた。
「とにかく、
侍女頭が応接室を辞す。
一人残された公主様がぽつりとこぼす。
「見つからぬ時はな」
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