最終話 誰も知らない未知の地下へ

 入院している妹の容体は、日に日に悪化していった。

 一日も早くアメリカで先進医療を受けさせたいが、あと十万ドル足りない。その金は用意が出来次第、神崎が連絡をくれることになっているが、未だに音沙汰ない。

 大金を前に、目がくらんだのではないだろうか。 

 そんな疑念が豪傑の頭を過ぎる。一度は渡すと決めたモノの、やはり実物を前にして気が変わってしまった可能性。嫌な予感を振り払うように、豪傑は強く頭を振った。

「そんなはずはない。神崎は約束を守る男だ」

 しかし、遅れるなら遅れるで、電話の一本くらいよこしても良いはずだ。病室で病魔と闘う妹を間近に見ていると、気が気じゃない。

 病院の廊下でウロウロしている豪傑に、不意に声が掛かった。

「あの、豪傑さんですか?」

「そうだが」

 視線を送ると、そこにはヘルメットを被った男が立っていた。バイク便の名前が入ったバッグを持っている。

「お届け物です」

 そう言いながら一枚の封筒を渡してくる。受け取りのサインをすると、差出人が神崎であることがわかった。

「や、やっと来たか」

 立ち去るバイク便を見送ってから、封筒を開ける。現金が入っている割には薄い。引き渡し場所が書かれたメモでも入っているのかと思いきや、そこには無記名の米国債券が入っていた。内容を確認すると、確かに十万ドルある。

「約束……ちゃんと守ってくれたんだな……」

 これで妹を助けてやれる。豪傑は涙を浮かべながら、神崎に対して少しでも疑いを持ってしまった自分を恥じた。同時に深い感謝を抱く豪傑だったが、感慨に耽っている場合ではない。

「先生! 金の用意が出来た、妹を助けてやってくれ!」

そう叫びながら担当医を探し始めた。


 幹部と接触する約束の時間。

 神崎は華村と一緒に、新宿の大通りに立っていた。闇組織が手配した迎えを待つ間、華村が訊ねる。

「十万ドル、約束どおり豪傑に渡したのかしら」

「ああ」

「気前が良いわね。普通、口ではそう言っても、いざ大金を目の前にしたら、気が変わるものだけど」

「俺は約束を破らない。他人に裏切られて、傷つく痛みは知っている」

 三年前、誰かが神崎のコントローラーに罠を仕掛けた。地獄へと落とされるその辛さを誰よりも味わっている。

「喩え神のごとき神崎であっても、地下ではいつ稼げなくなるのかわからないわよ」

「だろうな。日の当たらない場所で非合法なことをしているのだから、使い捨てられても文句はない」

「そう悲観することもないわよ。裏社会では良い事なんて期待できないけれど、少なくとも豪傑の妹は救えたじゃない」

「俺は金を出しただけだ。病気と闘っているのは豪傑の妹で、助けるのは医者だ」

「謙遜なんて似合わないわ。コロッセオで頂点に立てるほどのプレイが出来るのだから、もっと威張っても良いんじゃないかしら」

「それで強くなれるのか」

 華村は軽く鼻で笑った。

「あなたの頭の中には、格闘ゲームの事しかないのね」

「そうやって生きて来た。今さら変えられない」

 話しているうちに、ウインドウにスモークを張った黒塗りのベンツSクラスが現れた。前後には屈強なSUVが二台、護衛として付いている。

 内側からベンツの後部座席が開かれた。この先は誰も知らない未知の地下が待っている。華村はチラリと神崎を見た。

「覚悟は良いかしら」

「とっくの昔に出来ている」

「だったら行くわよ」

 二人は揃って歩き出し、迎えのベンツに乗り込んで行く。


 そしてもう二度と、神崎省吾を表舞台で見る者はいなかった――


                  (アングラゲーマーズ 了)

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