『欲を満たしても。そこに物語がなければ意味はない』

小田舵木

『欲を満たしても。そこに物語がなければ意味はない』

 狭いラブホテルの一室。窓もないその部屋に私は居た。

 部屋の中には私と男が一人。私達は身体を重ねるためにこの部屋に入った。

 だが。私達はお互い、

 その目的を今、私は果たしている。

 私の手に脈打つ心臓が収まっており。

 私はそれにむさぼりつく。弾力のある心筋を噛みしめる。

 口に広がるは鉄分のえぐ味。そして滋味とエクスタシー。

 

 私達は人間ではない。

 遠い昔に人倫を離れた者同士だ。

 ハート・スナッチャー。それが私達に与えられた名前。

 心臓をひったくり。喰らう者。そして永久とわの命を与えられた者。

 

 私はかの男を見下す。

 彼もまたハート・スナッチャーであった。

 だが。私を見誤った。人だと思って口説き。このラブホテルに連れ込んだのだ。

 彼はご馳走にありつくつもりだったのだろうが。残念。君は私のご馳走になってしまった。

 私は死体を検分する。目立った外傷はない。

 それはそうだろう。ハート・スナッチャーは。人を傷つける事なく心臓を奪える者なのだ。

 

 私はベットに転がした死骸を置いて。

 シャワーを浴び。そして部屋代を精算して。部屋を去る。

 ごちそうさま。美味しかったわよ。

 

 私はラブホテル街に出る。

 この辺は風俗街を兼ねており。至る所にラブホテルがあり。

 私はそれを眺めながら、近隣の巨大商業施設を目指す。

 街に紛れようと言う訳だ。

 

                   ◆

 

 私は怪異であると同時に。同族殺しの汚名を負っている。

 そこには私なりの哲学がある。

 私もかつては人の心臓を奪う怪異であったが。

 気付いたのだ。

 なれば。どうするか?私の出した答えは。同族を狩る事だった。

 同族に何の遠慮があるものか。彼らもまた心臓を狩る怪異であり。

 人倫の中では忌むべき存在であり。それを消して回る私は少しは人間社会の役に立っているだろう。

 

 そんな哲学…思いを抱えて生き続けて早数百年。

 どれだけのハート・スナッチャーを狩ってきたのだろうか。

 数えていないから分からない。だが。この福岡の街にはハート・スナッチャーが湧き続ける。

 そう。食事には困らない。

 待てばアイツらは湧いてくる。

 そして。人の心臓を求めて街をうごめき回る。

 それを見つけて―狩る。そしてその心臓を頂き、私は飢えと性欲を満たす。

 

 今日も福岡の街は煌いており。

 その下では人が蠢き。その中にはハート・スナッチャーが混じっている。

 私の食事場はこの街だ。

 ご馳走が蠢くこの街が私は好きだ。


                   ◆

 

「参ったねえ」私は行きつけの焼き鳥屋のカウンターで新聞を読んでいる。

「どうかしたかよ?新藤しんどう?」そう応えるは焼き場にいる親父さん。私の友人の蔵本くらもとくんである。

「いやね。新聞の地方欄いわく。『心臓を抜かれた死骸。ラブホテルで発見』だってさ。この街にはハート・スナッチャーが湧き続けらあ」

「…この街は狂ってんなあ。相変わらず」鶏皮を焼く蔵本くんは言う。

「君は。こういう商売をしているから。よく知ってるだろ?」

「まあな。ハート・スナッチャーなんか居なくても。この街は狂ってるよ」

「あーあ。お陰で。私は休む暇もない」私は祓い屋…即ち怪異を狩る仕事を、キャリアウーマンの傍らにしている。二足の草鞋だ。

「良いじゃねえか。仕事があるってのはよ」

「良かないよお。暇なほど平和が分かる職業なんだ」

「ま。ぼちぼちやれや。ほい鶏皮」

「さんきゅ」

 

 私は鶏皮を噛み締めて。新聞を眺める。

 ラブホテルで発見された死骸…男って事は今度の相手は女か。

 いやあ。女の怪異は手強い。男と違ってハメ辛い。

 例えば―

 

「何を辛気臭い顔してるのよ?新藤」この店の女将さんが現れる。彼女は。元怪異である。元ハート・スナッチャー。彼女と直接戦った事はないが。男を取られている…

「んあ?いやね、こころさん。またハート・スナッチャーがこの街を蠢いてるって話。今回は女性…」

「それは面倒くさいわね」

「でしょう?」

「そんなものか?」蔵本くんは突っ込む。

「あのね。よ」心さんは言う。

「…なるほどね」

「そうなんだよ。私は女性の怪異に対して勝率が悪い」

「どうするんだ?」

「…どうもこうも。どうせ。警察に招集されるだろうなあ」

「お前の出世が遠のく」

「元からだよ」

 

                 ◆

 

 私は、フリーの性産業従事者だ。即ち街娼。

 この仕事をするのにも理由はある。

 単純に稼ぎが良い。それに獲物を捕まえやすい。

 ハート・スナッチャーはあらゆる欲が高まった人間のようなものだ。

 それは性欲も例外ではない。

 だから。この仕事をしていると。ハート・スナッチャーに遭遇しやすい。

 

 私は今日もマッチング・アプリを駆使し。獲物を探る。

 中年の男性なんかはいい獲物だ。ただの人間であればカネをふんだくれるし、ハート・スナッチャーであれば御しやすい。

 

 私はカフェでスマホをいじっている。この仕事は拘束されないから良い。

 もし勤め人であれば。狭苦しいオフィスに閉じ込められる。

 私は自由な生き物だ。人としてのくびきからも開放されている。

 

「会いませんか?」そんなメッセージを受け取る。

 相手は30代の男性で。私のプロフィールに釣られたらしい。

 私は年齢を操作できる。ハート・スナッチャーに与えられた能力。

 これは街娼としてやっていくには絶好の能力だ。

 客のどんな需要にも応えられる。

 私は了承のメッセージを送り。準備を整えてカフェを後にする。

 

                 ◆

 

「コイツぁ酷い」私は警察の解剖室に連れ込まれている。

 眼の前にはハート・スナッチャーに殺られた遺骸。ラブホテルで見つかった遺骸。

「…今回もか?」担当の刑事は私に問う。

「ハート・スナッチャーしか居ないでしょうが」私は言う。心臓だけが綺麗に無くなってる遺骸なんて。普通の事件じゃ発生しない。

「ならば。新藤。君の出番だ」

「…今回ばかりは。うまくいくか分かりませんよ」

「どうしてだ?藤野ふじのの時はうまくやったじゃないか?」

「彼は男子高校生で。女の私にとって御し易い相手だったけど。今回は女性だ。私は同性相手には勝率が悪い」

「それでも。ハート・スナッチャーに対する専門家は君しか居ない」

「まったく。困った話だよ…んで?捜査は進んでいるのかい?」

「一応。ラブホテルの監視カメラの映像が残っている」

「面は割れた訳だ。身元の調査は?」

「近隣の性産業者に当たってみたが。覚えはないらしい」

「ふーん?フリーランスって事かな?」

「かも知れん、というだけだな。今のご時世、マッチング・アプリとやらのせいで、アマチュアの性産業従事者が多いからな」

「この国も乱れてきたねえ」

「まったくだ。気軽に身体を売るバカ女が増えた」

「…それを買うバカ男がいるから成り立つんだよ?刑事」

「ま。それもそうだが…」

「とりあえず。身元を洗い続けて下さいよ」

「君はどうする?」

「今回ばかりは先制攻撃が不可能だ。私は男じゃないんでね」

「協力者を募ってもいいぞ?」

「…一人アテはあるが。こういう事に使うのは可愛そうだ」一人知り合いの若い子がいるが。彼は戦いの最中だ。

「捜査協力費は弾むぞ」

「…カネで人を買うんじゃないよ」

「そういうもんだ。俺達は事件解決の為なら何でもする」

「ったく。世はべてカネ次第…」

 

                  ◆

 

「で?何の用だ?新藤」眼の前には知り合い。成田なりたくん。彼はハート・スナッチャーになりかけた男であり。

「…悪いけどさ。仕事の手伝いを頼みたい」私はビールをあおりながら言う。

「ハート・スナッチャー狩り…」

「そ。今回は女でねえ。困ってる」

「お前が手をこまねくような相手なのか?」彼は鶏ハツを貪りながら問う。

「…まだ尻尾さえ掴んでないから分からん」

「おいおい。僕は斥候せっこう役かよ?」

「そうなるねえ。相手はフリーランスの性産業従事者らしくてさあ。私がノコノコ行って抱かれる訳にもいかなんだ」

「レズのフリすれば良いだろ?」

「目立つじゃんか」

「んで?僕にお呼びがかかったと」

「今回は警察案件だ。ご褒美もある」私はカードを切る。

「カネで僕を買うなよ」

「しゃあないだろ?人間動かすにはカネだよ、成田くん」

「かと言って。僕は女を買う趣味はない」

「なんだい?ホモなのかい?」

「そうじゃねえ」

「良いだろ。タダで女を抱き続けられる…ホシにヒットするまでは」

「見くびられたもんだな」

「ごめんよ。そういうつもりはないんだが。私にはこうするしか手がない」

「…アンタには借りがある」成田くんをヒトに留めているのは私だ。

「返せとまでは言わないが。知り合いのよしみだ。手を貸してくれ」

「しゃあねえなあ」

「よっし」

 

                  ◆


 私は今日も男に抱かれるが。

 今回はだった。彼は心臓を欲していない。

 私はセックスを楽しめない。タダのセックスだからだ。

 奪うか奪われるか。そういう命のやり取りを想起させるような要素があって、初めてセックスに楽しみを見いだせる女なのだ、私は。

 

 彼は私の中で射精する。彼は絶頂に達しただろうが。

 私は何も感じれない。私は挿入されるだけでは満足を得れない女だ。

「ありがとう」なんて男はお礼を言う。

「良いのよ」私は言う。カネを介したセックス。そこには相互扶助の要素はない。

 セックスは男と女の共同作業だ。楽しむにはお互いの努力が要る。

 だが。そこにカネを介してしまえば。それは一方通行の娯楽に堕する。

 私はそれに嫌悪感を感じながらも、生活の術にしてしまっている。

 最初の方はそれを汚く感じた。生命の営みであるセックスを生活の糧にしてしまうなんて。

 だが。性産業を長く続けていると。それは神聖な営みからただのスポーツに堕する。

 私はアスリートと何ら変わりはない。セックスというスポーツで稼ぐ女。それが私だ。

 

 私は料金を精算して。アフターサービスをこなしてホテルを去る。

 ああ。今日も働いているなあ、と思う。

 私は日々の糧を得る為に身体を売る。カネの面でも心臓の面でも。

 

                  ◆


「見つかりそうかい?なりちんや」私は焼き鳥屋に成田くんと来ている。

 捜査は遅々として進んでいない。犯人の顔は割れているが。彼女が顔を隠して商売しているのがまずい。全然尻尾を出さないらしい。

「無理ゲーにも程がある」成田くんはマッチング・アプリを弄りながら言う。

「顔しか割れてないかんね」

「…死ぬ気で彼女を探しているが。まったく見当たらんぞ」

「参ったなあ」

「なあ。捜査が進むまで休ませてくれや」

「そうもいかん。放っといたら心臓を抜かれるヤツが出てくる」

「とは言え。事件は止まってるじゃねえか」

「…なんだか奇妙なんだよなあ」

「どう奇妙なんだよ」

「腹を空かせたハート・スナッチャーってのは。節操がないもんだが」

「奴さんは…もう3ヶ月以上も食事をしてない…」

「まるで獲物を選んでいるみたいだ」

「そんな事。あり得るのか?僕は…喰えるならなんでも良い」

「こころん?どうなのさ?」ホールに居る心さんに尋ねてみる。彼女は平安の世から生きる元ハート・スナッチャー。なりかけハート・スナッチャーの成田くんよりは知識があるだろう。

「獲物をより好みする者も居なくはない」心さんは言う。

「と。なると。今回はそういうタイプかなあ」

「かも知れないし。単純に警戒しているのかも知れない」

「面倒くせえなあ」私は言ってしまう。欲に塗れた者は御し易い。だが。欲をコントロールしている者は御し難い。

「そういう相手を釣りたいなら。エサを用意するしかない」

「それってさ。向こうの嗜好が分かってるの前提じゃんよ」

「…」心さんは考え込む。

「もしかして。相手の嗜好を丸裸にする手があるのかい?」

「というより。思い当たるフシがある」

「…と言いますと?」

「同族殺し…ハート・スナッチャーを狩るハート・スナッチャー…」

「そうなってくると。クソ面倒じゃんか」

「だけど。貴女あなたにはカードがあるじゃない」心さんは成田くんを見ながら言う。

「…僕かよ!!勘弁してくれよなあ」

「危ない橋になってきやがった」私は嘆息する。

 

                   ◆

 

 私は私生児である。私の母も街娼であり。

 客との間に産まれた子どもが私。

 私の生は惨めなモノだった…普通の子どものような人生は送れなかった。

 私は薄暗い家で子ども時代を送り、長じると街娼になった。母と同じように。

 最初はこの稼業が嫌だった。こんな自分を売り物にする仕事なんて。

 だが。私はある日。気付いたのだ。ヒトの心臓を掴めることに。

 それからは。狂ったように客を襲い続けた。お陰で客は寄りつかなくなってしまった。

 

 そして。ある日。同族に出会ってしまったのだ。

 当然、客として。彼は心臓を抜き取ろうとしてきたが。

 私は。彼を退けた。心臓を食したばかりだったのが幸運だったのかも知れない。

 

 私は同族の心臓を貪った。

 その心臓は―普通のモノより甘美な味がした。

 それは喰らった獲物のエッセンスが混じっていたから。

 私の身体はおののいた。セックスで味わった事のないエクスタシーが私の身体を走り。

 

 

 それからは。街娼という仕事を楽しめるようになってしまった。

 全国各地を旅しながら、男を抱きながら、同族を漁り尽くした。

 そして。福岡という街に流れ着き。

 私はそこに根を張った。性産業が発達していたのが理由だ。

 ここでなら食いっぱぐれる事はないし…何より。ハート・スナッチャーの数が多かった。これに関して私は説を持たない。何故かこの街には心臓喰らいが発生しやすい。

 

 私は今まで露見することなく犯行を行ってきた。

 これは年齢を操作出来ることが大きい。

 私は犯行の後は10歳程度年齢を変える。

 そうしていれば。捜査の目は撹乱かくらんできる。

 意外と単純な手口。だが。単純な手は案外に効く。

 

 今は私は18程度の身に変化している。前の犯行は30代の姿でやったから。

 防犯カメラの記録。これは普通の犯罪者ならクリティカルなものだが。

 私には関係ない。そして私は身を潜める。

 欲に駆動させられない者は強い。私は欲求の2つを完全にコントロールしている。

 食欲と性欲。根源的な欲求である。

 自己保存を旨とする生き物はとかくこの欲求に折れやすい。

 眼の前にエサを出されるとすぐ食いつく。特に愚かな男たちは。

 私はその男どもを食い物にする捕食者だ。

 食物連鎖の上位にいる存在。それが私。同族殺しの私。

 

                  ◆


「なりたん」私は彼に問いかける。

「あ?」彼は隣の席でスマホとにらめっこ。次の被疑者を探している。

「なんか楽しんでない?」私はなじる。いくら捜査の必要上にあるとは言え。女漁りを楽しむ男を見るのは気分が悪い。

「…僕も。男らしいっすわ」

「エッチが楽しいんだね?」

「…非モテにこんなモン与えるもんじゃないぜ」シニックにそう言う成田くん。

「人選。間違えたかな…」私は嘆息する。年下の男の子をセックス狂いにしかけてしまっている…いい加減。ここらでケリをつけたい。

「…今日も苦労してるわね?新藤」心さんがビールを運んでくる。

「そうだねえ…そして人を巻き込んでしまってる。悪い遊びを教えちまった」

「…成田くん。一つ欲求を封じ込めているからね。別の欲求にはけ口を見つけちゃうと。ずっぽりハマってしまう…そして。彼は男の子だからねえ」

「男の性欲は分からん」私は30を超えているが。男性経験が少ない。

「子孫を残そうと主体的に動くのが男性」

「そしてそれを受けるは女性。私は女の性欲もよく分からんが」

「…新藤。案外ウブよね」心さんは言う。

「私は…蔵本くんに惚れて以降。心を奪われる男性が現れてないだけ」

「選り好みが激しいのかしら?」

「…かもね」私は性欲が薄い…と言うよりは。20代が忙し過ぎた。会社と祓い屋の二足の草鞋。恋をしている余裕はなかったし。セックスをしている余裕もなかった。

「ゴメンね。蔵本くんを奪っちゃって」心さんは言う。

「別に…蔵本くんが幸せなら良いもん」私は拗ねる。蔵本くん絡みになると私は意地になってしまう。大学生の頃のように。

 

「…同族殺しか」心さんは言う。

「心さんは出会った事ある?」

「いいや。幸運にも私は出会っていない」

「案外。ハート・スナッチャー同士は没交渉だ」

「狩場が被るとロクな事がないからね」

「だが。同族殺しは―敢えて狩場に入ってくる」

「危険を犯してでもね」

「…メリットがあるから」

「同族殺しってのは。ヒトの心臓を食べるより、寿命を伸ばすものなのよ。そして。同族の心臓は美味いらしいわね」

「なんで知ってるのさ」

「噂よ」

「まったく。たまったもんじゃない」私は嘆息する。

「一筋縄じゃいかないわよ。力を持った個体は」

「心さんより強いのかな」

「じゃないの?」

「相手したくねえなあ」

「アンタの仕事でしょうが」

「…なりたんをこれ以上セックス狂いにしとく訳にもいかないからなあ」

「僕はまったく問題ないぞ。見つからなくても」成田くん、最初は躊躇ちゅうちょしてた癖に。

「…ぶっ飛ばすぞ」私は軽い殺意を込めて言う。

「…僕のプロフィールに。心臓ってワードを散らせてみた」

「これで。釣れれば良いけどね」

「じゃないと。僕はこの『仕事』やめらんないからな」

「エッチ楽しい癖に」

「…いい加減。欲をコントロールする時間だ」成田くんは言う。胡散臭いなあ。

 

                 ◆


 今日も私は男を漁るのだが。

 変な男を見つけた。マッチング・アプリでの事である。

 プロフィールにやたら心臓という語が入っている。

 これは。露骨に怪しい。まるで疑似餌。私はそんな罠に掛かる女ではない。

 だが。。身が震えるのを感じる。

 最近は。同族探しの効率が良くなってきている。

 

 私は欲を制御した女だが。一つだけ例外がある。

 同族殺し。

 この甘美な娯楽はどうしようもない。

 身体から湧き起こる甘い疼き。そして腹の底で虫が鳴いている。

 もっと同族の心臓を寄越せと。

 

 私は彼にアプローチをかける。あっさりと連絡は繋がる。

 そしてアポイントメントを取る。

「会おう」彼はそう言った。

「楽しみにしてるね」と私は返した。設定は18歳だから。初々しい感じを演じなければならない。

 

                  ◆


 土曜日の事である。

 私は変装をして。私鉄の駅の裏の公園に潜んでいる。

 視線の先には成田くん。今日、被疑者とアプローチする。

 私はそれをマークする予定である。

 …傍から見れば奇妙な光景である。

 だが。仕事だから仕方ないじゃないか。

 

 かの女性は現れる。

 見た目は若い。べらぼうに若い。高校を卒業したてのような年格好。

 こりゃあ。下手うったかな?いつも通り。

 また成田くんのデートをたっぷりと見せられるハメになるかも知れない。

 そうなのだ。私はこの捜査を始めてから、成田くんのデートを見せつけられ続けている。最初はウブな反応をしていた成田くんが。女遊びにこなれた男になるのを見守るハメになった。

 …まったく堪ったもんじゃない。

 

 彼女と彼はしばらく話をした後、背後にあるデパートに入っていく。

 時間帯的に食事でもするんだろう…

 ああ。面倒なストーキングの始まりだ。

 

 彼女と彼は―たっぷりとデートを楽しむと。

 天神から中洲なかす方向に消えていく。

 ああ。ホテルへ行く訳ね。毎度。ホテルの側でマークする私の身にもなって欲しいもんだ。一々言い訳をひねりだすのにも、スカウトマンに声を掛けられるのにも飽きた。

 

                  ◆

 

 彼は。女遊びに熟れた風をしているが。

 私には分かる。この子はウブな子だと。

 一々緊張しているのだ。何をするにしたって。

 ホテルに誘う文句がストレートだったのには笑わせてもらった。

 

 私と彼はホテルの狭い部屋に収まった。

 彼は今、シャワーを浴びている。

 さて。本題はここからなのだ。

 彼は私を襲うだろうか?性的な意味ではない。

 ハート・スナッチャーとして。

 

 

 私は他の同族と比べて鼻が良い。

 それは同族を数多あまた喰らってきたからだ。

 さてさて。どう調理してやろうか。

 私はプランを練る―が。シンプルに行くのが一番手っ取り早い。

 ヒトという生き物のすき。それは欲を満たしている時に露わになる。

 性欲を満たす男。それは見るからに哀れで。隙だらけだ。股間からほとばしる快楽が頭を曇らせてしまう訳だ。

 

 だから。私は決める。シャワーから出た瞬間。彼を襲うことを。ハート・スナッチャーとしてではない。性的にだ。

 性的にリードを取れば。後は手の上で転がせる。

 そして彼は私の餌食になるのだ―

 

                 ◆


「スッポコペンペンポン…ポンポポ」ホテルの前で張っている私のスマホが鳴る。

「はい。新藤」私は呆れ声で取る。いつも浮かれた調子でかけてくるからね。成田くん。

「新藤。」小声で言う成田くん。

「…どうしてそんな事が分かる?」

「男の勘」

「またオカルティックな事言うね。君の勘を頼りにホテルに踏み込めってか?」

「なんでか知らんが―今回ばかりは

「あ?」私は聞き返してしまう。立たない?何が?

「だーかーらあ。股間がだよ」呆れた声で言う成田くん。

「…いつもは猛る訳だ」

「そうなんだよ。だが。今回の女にはちっとも勃たねえ。なんか激ヤバシリアス臭を感じる」

「…ハート・スナッチャーとしての勘かい?」

「かも分からん。初めての経験で戸惑ってる」

「…今回は信じてやるか」私は言い。

「ホテル突入。頼むな」

「憂鬱だけどね」

「なんでだよ?」

「突入したら君らが盛ってるかも知れん」

「…勃たねえって言っただろうが」

「襲われるかもよ?男ってのは欲を満たしている時が一番弱い」

「…気をつける」

「ま。時間稼いどいて」

 

 私は電話を切り。ホテルに向かう。そしてフロントを探す。

 まったく。ラブホってヤツはフロントに人が居ないからやりにくい。

 

                 ◆

 

 シャワーから出てきた男は冷蔵庫から飲物を取っている。

 そして。私の座っているソファに座ってきて。私に缶のお茶を手渡す。

「ま。一服しましょうや」彼は言うが。私はすかさず股間をまさぐる。

 が。彼のモノは猛っていない…普通のハート・スナッチャーなら。食欲と性欲を同時に満たせる好機にモノを猛らせているものだが。

 

 私は嫌な予感がする。

 

 この状況は何かがおかしい。言語化出来ない感覚なのだが。

 私が股間を弄り続けていると―

 

 料金を払うまでロックされているはずの出口が開く。

 そして―一人の女が入ってくる。

「取り込み中失礼するよ…」とか言いながら。

 

                ◆


 私はホテルの管理人に話をつけて。彼と彼女がいる部屋を目指した。

 ドアのロックは遠隔で外してもらった。

 だから遠慮なく開ける。

 中に入って行けば。成田くんは股間を弄られている最中であった。

 

「取り込み中失礼するよ…」私は言ったね。

「…何事?」股間を弄る彼女は問う。

「何事も糞も。こういう事さ」私は言う。

「…?」彼女は分かってないらしい。だから。こう言うしかないよね。

「ハート・スナッチャー狩りを狩りに来たぜ?」

「やっぱり。罠か」彼女はそう言い。立ち上がる。

「残念だったね」

「…面倒な事になった」

「私としては。さっさとお縄に着いて頂きたい。警察も呼んである」事実だ。私には逮捕権がないからね。

「簡単に捕まると思う?」私を見つめる彼女は不敵にそう言う。

「捕まらないのであれば。実力行使に出るしかない」

「ハート・スナッチャーを殺せるとでも?」

「私は祓い屋だぜ?タダでは済まさん」私は両掌りょうてのひらを打ち鳴らす。

 

 私の周囲に方陣が描かれる。それは私の能力の一端であり。

 私はその方陣に篭り、ハート・スナッチャーである彼女の攻撃に備える。

 彼女はまっすぐと私に向かってきた。そして方陣の中に手を入れようとするが―

 弾かれる。これが私の力だ。あんま見せる機会ないけどね。

 

「そんなちゃちい事しか出来んのかな?」私は彼女を煽ってみる。

「小癪な」

「小癪で結構…たかが人だ」

「狩られる動物の癖に」

「どっこい。今回は私が狩る番だ…」

 

 私は。方陣を解いて。

 彼女に向かっていく。そして右掌を彼女の腹に押し込む。

 掌に力を込めて。彼女に力を送り込む。

 彼女は。しばらく動きを止めるが。

 

「こんなので。私が狩れると思ったあ?」彼女は私の胸元に手を伸ばしてきて。

 私の心臓を掴む。拙い。相手の懐に潜り過ぎた。

「成田くん!放心してないで手伝え!」私は彼に呼びかける。

 その間も心臓は掴まれていて。彼女の手が私の心臓を締める…苦しい。

「どうしろと?」股間をブラブラさせてる彼は立ち上がりながら言う。

「心臓掴んだれ!」

「ったく。もう!」彼は彼女に向かっていき。彼女の胸元に右腕を突っ込む。

 

                 ◆


 奇妙な光景であった。

 一人の女は私の胸に手を突っ込み。

 一人の男は女の胸に手を突っ込み。

 歪なトライアングルが部屋を満たした。

 

「何時までこうしてられるのかしら?」彼女は言う。

「私の心臓が保つまで?」私は呑気に言う。

「…どうにかしろ。新藤」成田くんは言うが。

 

 はてさて。どうしたものか?

 私は心臓を掴まれており。同時に彼女も心臓を掴まれているこの状況。

 警察が来るまでにはもう少し時間がある。

 

「俺がコイツの心臓を引き抜けば」

「私がこの女の心臓を引き抜く」

「う〜ん。三すくみ」

「感心してる場合か?」成田くんはそう言うが。

「どうしろってんだい?」

「どうしようもないじゃない?生き残りたければね」彼女は持久戦の構えである。

 

 私達は。お互いの命を握りあっている。私だって。彼女にクリティカルな一撃をお見舞いできる。

 だが。この状況。誰かが行動すれば、誰かは死ぬ。

 …もう。警察に任せるか。私はここで口八丁で誤魔化ごまかし続ければいい…

 

「なんて。させる訳がないでしょうが!」彼女は私の心臓を引き抜きにかかる。

「させるかよ!」成田くんは彼女の心臓を引き抜きにかかる。

 そして私は。右掌を彼女に打ち込む―


 彼女が私の心臓を抜く前に。

 私の掌は彼女の腹を捉え。そこに力をぶち込んで。

 彼女は吹っ飛ぶ。だが。彼女の掌は私の心臓を捉えっぱなし―

 

 一瞬。私の身体は。心臓なしになった。

 全ての時が止ま―

 

 …アレ?死んでない?

 それは。成田くんが。彼女の心臓から手を離して。

 彼女の掌にあった私の心臓を奪い返して。私の胸の中にぶち込んだからだ。

 

「ああ…死ぬかと思った」私はその場に崩れ落ちている。

「実際。仮死ではあったような」成田くんは。私を抱きかかえている。

「いやあ。デカい借りが出来たねえ」

「感謝しろよな…」

 

 彼女は。私達の向こうで大の字になって倒れている。

 

「死んだ?」成田くんは言う。

「んな訳あるか。軽く気絶させただけ。後は警察に任せよう…」

 

 この後。この部屋には警察が突入し。

 彼女は身柄を抑えられた。

 

                 ◆

 

「まったく」私はいつもの焼き鳥屋に腰を落ち着けている。

「まったくだな」隣には成田くん。私達は警察にしばらく拘束されており。やっとこ開放されたのだ。

「まさか。」私は鶏皮を貪りながら言う。

「…新藤。お前は軽率過ぎる」成田くんは突っ込む。

「だが。私の行動がなければ。あの場は動かなかっただろう?」

「お前が死ぬの見たくねえぞ?」

「はは。私がタダで死ぬかよ」

「そりゃそうだが―いつもああなのか?」

「…今回はハッスルした方かもね。久しぶりに」

「あんまり無理しないでくれよ」

「とは言え。私が行動しなきゃ。彼女は元気に心臓を抜いて回ってた」

「…そりゃそうだがなあ」

「いいじゃん。今日はなりたんのお陰で大金星」

「いやあ。あの場でアドリブ効いて良かったよ…」

「なりたんの判断が誤ってたら。私、死んでたのかあ…」しみじみ思う。今思えば危ない橋を渡ったな、と。

「ハート・スナッチャーって心臓を戻せるのな」

「…その発想をするヤツが居なかったから。初めての発見だろうな」心臓を食べないで戻すバカが何処に居るというのか。

「これ。役に立ちそうな…立たないような」

「…ハート・スナッチャー専門の祓い屋としては役立つかも」

「なんだあ?コンビのお誘いか?」

「これからも手伝ってもらうかもね」

「…今回みたいな報酬がないと付き合わんぞ?」

「君は。性欲の塊か?」

「いや。カネだよカネ」

「そういや。君にも捜査協力費が支払われるんだっけ」

「そ。お陰で生活が潤いそうだ」

「あっそ」 

 

「しっかし。同族殺しか」成田くんは言う。

「…どうして彼女はそっちに目覚めたんだろうか?」

「たまたま。出会っちまって。気付いたんじゃないか?」なりかけハート・スナッチャーの成田くんは言う。

「めぐり合わせの悪さ、か」

「そ。人間。めぐり合わせってのはあると思うぜ」

「…そう考えると。なりたんはラッキーなのかもね」

「…ラッキーか?俺?」成田くんは頭を掻きながら言う。

「少なくとも。たくさんエッチ出来たじゃん。今回」私は言う。

「…なあ。俺さ。今回。欲を発散して思ったんだが」

「んー?」

「欲を満たすにしても。そこに感情が伴わなければ意味がない気がする」

「…難しい事言うね?」私にはよく分からん。

「なんと言うか、ただ。性欲や食欲を満たすことは簡単だ。だが。そこに自分が納得できる感情を伴わせないと―その内、虚しくなるような気がする」

「欲を満たすにしても。物語は必要だって事かい?」

「そう。自分を満たす物語が必要だ…その点では。あの女は不幸だったのかもな」

「ただ。食欲と性欲を満たしてたって訳だね?」

「そう…俺は彼女に同情しちまう。あの女は。。ハート・スナッチャーの」

「ただただ。欲に駆動させられる存在…」

「俺は。アンタに出会えたお陰で。かなり良い思いをしているかもな」

「…感謝しやがれ。小僧め」

「…ありがとよ」

「明日は槍が振る」

 

                 ◆

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『欲を満たしても。そこに物語がなければ意味はない』 小田舵木 @odakajiki

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