オパールの番人

神無月イブ

第1話

 可哀想に、まだ小さいのに、あの子これからどうするの?囁き声が飛び交うなか散々泣いて重くなった瞼を押し上げて両親の棺に目を向けた。本当にこの中に父と母はいるのだろうか。さらに近づこうとするのを阻むかのように自分を抱きしめる叔父の胸に突然現れた光のまぶしさを鮮明に覚えている。


 甲高いアラーム音を浴びて慈己は目を覚ました。時計の隣に置いてある目薬をさして窓を開けるとまだ冷たさの残る空気が気管をすり抜けていった。顔を洗って髭を剃り終わるとちょうどトースターが跳ねるように鳴った。

 事故で親を亡くしてから十五年、多くの気づきと学びがあった。両親の全身を覆うように被せられた布はついに取り払われることはなく、葬儀とはそういうものなのだと思い込んでいた。それが原型を留めていない親の姿を幼い自分に見せまいとする配慮であったということは後から知った。十歳の子どもには抱えきれないような悲しみのなかでもなんとか周囲に支えられながら育てられ、こうしてバターと蜂蜜の香る食パンにも幸せを見出せるような大人になった。



 小豆色のセダンを走らせていると街中に近づくほど靄が濃くなるのが感じられる。朝霧とは全く異なるそれは日光を受けてやわらかく虹色に光っていた。


「あ、守本くんおはようー。」

「おはようございます。」


 グレーのジャージがよく似合う同僚の水原に挨拶を返し、駐車場から校舎まで並んで歩く。胸元には表面の滑らかな玉石が輝いている。新年度の準備に追われ、忙しくしているようだがそれを全く感じさせないあたり流石だ。


「入学式の椅子並べってバレー部の子たちがやってくれるんでしたっけ、助かるって総務も仰ってましたよ。」

「やっぱりそういうときの動きというか、心がけみたいなのがプレーにも出ると思うからねー。むしろそっちの方が部活の教育的意義としてはメインかもと最近思い始めていたり。」

「いいですねそのスタンス、教育の一環って考えれば行き過ぎた指導にもつながりにくいし。でも活動の多い部活ですから先生も無理しないようにしてくださいね。」

「ありがとね、じゃあまた後で。」


 バレーの業界においてこの千寿菊学園中等部は名門とまではいかずとも、支部ではそこそこの成績を修めている。厳しい部活に所属する生徒の様子は特に気を付けて見ているが、バレー部はさほど心配していない。泣きながら帰る部員を見かけることもあるがその胸元にそこまで深い傷は見られず、水原は正しい厳しさを具えているのだろうと推察する。

 

 両親を見送った日、叔父の胸に光ったものは端的に言えば可視化された命だ。突然他人の胸元に見えるようになったそれは丸く、オパールのように乳白色のなかに様々な色相を隠している。産まれた時が一番大きく、四六時中風化し続けているため年を重ねるほど小さくなる。人は常に風化した命の粉を撒き散らしながら生きており、街はいつも淡く色づいて見える。そして残酷にも命の大きさはこの世に生を受けたときから決まっている。もしも自分の命も見えていたら正気ではいられないだろう。

 


 春休みの間、ほとんど人が訪れることのなかった保健室の空気は学期中よりも澄んでいて、自室を思わせる安心感がある。身体測定のために昨日埃を掃った体重計と身長計を移動させ、机にパソコンを開いた。今日は保健だよりの作成と各種検査のための名簿作成、昨日に続く備品の整備を完了させることにした。養護教諭は普段生徒が保健室に入りやすいように暇を装っているが、実際はなかなかに忙しい。仕事内容の一部を挙げると、


・書類作成

・養護教諭会の研修

・保健部の研修

・掲示物作成

・各科校医への挨拶回り

・布団、着替えのクリーニング

・器具の点検

・絆創膏など消耗品の発注

・校内の安全点検、確認 など


 また、身体測定と健康診断が終われば数値と統計を入力して教育委員会に提出することになっている。春休みが明ければ気候の寒暖差と慣れない環境に体調を崩す生徒も増えるだろう。命の様子にも注目しなければ。今年も覚悟を決めるしかない、と慈己は長く息を吐き出した。












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オパールの番人 神無月イブ @kokoronitodoke

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