16 それは買い被りというもので

「ノエ様は、」


 行きと同じ荷台に買い込んだ荷物と一緒に詰め込まれ、がらんごろんと揺られながら少し疲れた顔をしたユリア嬢が目を擦る。膝にちょこんと置かれた帽子がへたっていた。こんなに歩くことはあまりないだろうから、疲れたのもわかる。なんなら寝ていてもらってもいいのだが、さすがにここで眠れないだろう。ちなみに姉はこの揺れでも平気で寝る。


「ノエ様は、こうして出かけられることが多いのですか?」


 それはどうやって平民のことを知ったのですかという意味だろうか。少し考えるが、別になんてことはない。


「俺に婚約者がいないだろ」

「は?」


 目を瞬かせるユリア嬢に薄ら笑って見せる。「え?」とか「は?」とか。ユリア嬢の驚いた表情がいちいち面白い。あまり外に見せない顔だろう。少しでもあのバカ王子から気が紛れているなら僥倖だ。


「いや、特別俺の外見に問題があるとかそういう意味ではなくて」


 一因としてあるかもしれないが、それはとりあえず置いておいて。


鷹家うちには代々婚約者がいないんだよ。知ってると思うが、父親も田舎貴族の母親引っ張ってきてるし、先代だってそうだ。怠惰な鷹と結婚したいという稀有な相手がなかなかない無くてな。だから、そうやってド田舎の爵位だけぎりぎり持っているような、領地も何にもないような、余裕のない平民とほぼ変わらない生活してるようなところから嫁いできてもらってることが多い。で。来た嫁やら婿やらに怒鳴られたわけだ。“平民のことを知らずに事業を行ってるなんて何様だ”と」


 三代目の鷹公爵が夫人に往復ビンタ喰らったのはいまだに我が家で語り草になっている。そういうわけで、鷹家は公爵家のくせに土いじりもさせられれば、着の身着のままで路上にも放り出される。母親がいまだに笑って語る。「貴方のお父様、わたしよりも胃腸が丈夫なのよ」

 一種の英才教育と言えば聞こえはいいが、やり過ぎだろう。やり過ぎだと思う。公爵家のくせに田舎の血が濃い過ぎる。凍死しかけた夜を俺は忘れてないぞ。


「そういうわけだ」

「そう、ですか……」


 目を丸くするユリア嬢にそうだよ、と明後日の方向を見る。

 といっても実を言えば俺にも全く打診がなかったわけでもなく、父親にもなかったわけではない。祖父もきっとそうだろう。ただ、鷹家は伝令と諜報を担う関係で、あまり家と家との繋がりは嬉しくない。要は互いの利益になるように仲良くしましょうなわけだが、王の目と耳である以上、婚約者殿の家の不利益に目を瞑ることはできないのだ。だから、結婚相手となりうる人には条件が色々付く。例えば鷹家うちについて実家であっても何も語らないこと、とか。いざとなったら実家を切り捨てられる人、とか。内政に関わっていないギリギリの田舎貴族を歓迎するのもこのあたりが理由になる。他国の令嬢とか絶対に無理です我が家。


「では、ノエ様。ノエ様についてもう少しお伺いしてもよろしいでしょうか」

「どうぞ」


 答えられることであれば。帰りに話すネタもなかったので、ちょうどいい。

 大きな石を踏んだのか、荷台が大きく揺れる。


「失礼ですけれど……。ノエ様は、あまり成績が良くないですが、あれはわざとだったりするのですか」

「いや?」


 心底意外な問いかけに、こちらは即答するしかない。え、実はすごい賢いのを隠してたとか? 俺が? ないない。鴉に隠す爪はないぞ。


「賢そうに見えるか? 俺」

「いいえ。でも、今日わたくしにいろいろなことを教えてくださいました。それに、教科書的な問題も答えを知っておられたでしょう?」


 流れるようにいいえと言われたが、とりあえず気にしないでおく。なんだろう、胸が痛い。

 教科書的な、というと精霊学のあれと今日の一般教養くらいだろうか。いやいや、いやいや。


「ユリア嬢。俺、一応三学年だからユリア嬢の知ってることくらいは知ってる」


 胸を張ってみるが、悲しかな胸を張れる成績ではない。訝し気なユリア嬢に頭の後ろを掻いて、溜息をついた。


「魔法は本当に苦手なんだ。理論も全然わからない。剣術だとかダンスだとかも。体力はそれなりにあると思うんだが、身体を動かすのが下手すぎていつも及第点ギリギリだろ。算術芸術はそこまで興味がない。言語は聞き取りはできるんだが、書き取りができないから考査では目も当てられなくなる。歴史は内容云々より教諭が嫌いで授業をさぼるから当然成績は最悪になるし。精霊学は風の精霊しか俺は呼び出せないし、そこまで強く使えるわけでもない」


 ……本当に。何が悲しくて自慢もできない俺の成績を公表しなきゃならんのか。

 よそを向く俺に、ユリア嬢が首を傾げる。


「歴史はさぼるのが悪いのでは?」

「ユリア嬢には悪いが、あの先生は本当に嫌いなんだよ」


 腕を組んで顔を顰める。

 四大公爵家の落ちこぼれ。それがこの国での鷹家の評価だ。初代王の時代ですら『旗持ち』、つまり位の低い兵士の扱いだったとそう授業では語られる。表向き事実なので別に構やしない。好きなだけけなしてボロクソに言えばいい。ただ、歴史の授業でそうボロクソに言いながら教師が俺を見て鼻で笑ったのはなかなかどうして腹が立った。成績が悪いと名指しで言ったのに幻滅した。ああ、別にこの教師に教えを請わなくてもいいなと思ってしまったのだから仕方ない。

 ボロクソに言われたとおりに不真面目にしているだけだ。

 まあ。どれもこれももう少し真面目にすればもう少しましな点は取れるだろうとは思う。怠惰だろうが腐っていようがそれでも公爵家の跡取り息子で、生まれてこの方教育は受けてきたはずなので。でもその気力がないのだから仕方がない。必要性も感じない。


「では。精霊学はお得意なのでは?」

「いいや? 別にそうでもない」


 ユリア嬢が言いたいのは俺が精霊の声を聴くことができるという話なのか、そこから“何でも知っているし何でも聞き出せる”ことなのかはわからないが、どちらにせよ首を振る。

 片方はユリア嬢に箝口令を敷いたとおり外部にひけらかすことではないし、もう片方についても精霊の声が聞こえるからといって、別に竜巻が起こせたりするわけでも自由自在に空が飛べたりするわけでもない。……自慢できることがないわけではないが、というよりそもそも。


「精霊に好かれるってのは血筋だしな。別に俺の努力の賜物じゃない」


 精霊は血と匂いだけで人を愛する。だから、俺が風の精霊に好かれるのは、別に俺の努力や才能の結果ではない。脈々と受け継がれてきた血の濃度と運だけの話だ。自慢気に言うことでも何でもない。

 努力やら研鑽やら。怠惰な俺からかなり遠いところにある言葉だろう。


「黒パンだの服だのと、一般教養の話だと、そうユリア嬢には偉そうに説教じみたことを言ったが。あれだって別に俺は、立場上そう教育されただけで、たまたまそう教えてもらえるところにいただけで、俺が進んで学んだものでも得たものでもない」


 がらんごろんと荷馬車が揺れる。夕暮れのオレンジが幌の隙間から零れている。なぜだか不服そうに真一文字に口を結ぶユリア嬢に俺は笑った。

 俺は寸暇を惜しんで勉強しない。

 俺は弟妹が優秀だからと劣等感を抱かない。

 俺は血豆ができるほど剣を握らない。

 俺が他の貴族よりも平民に馴染んで、ユリア嬢に偉そうに説教を垂れるのも言ってしまえば家の教育方針がそうだっただけで俺が望んで足を踏み入れたわけではない。


「ユリア嬢の期待に沿えなくて悪いが、別に俺は何か特別な才能があるわけでも努力を怠らないわけでも、なんかすごいのを隠してたってわけでもない。努力家というのなら、心配しなくても他の三公爵家のがよっぽど努力家だよ」

「そう、ですか……」


 怠惰な鷹に、愚鈍な鴉。どちらもこれ以上なく的を射ている。その評価を覆す必要も感じない。そのための努力などしたくもない。俺の望みは天下泰平と穏やかな昼寝の時間だ。

 もちろん、鷹家王の耳としてはほんの少し見誤って、油断して、誤認してくれればいいなとは思っているけれど。


「ノエ様」

「ん」


 そろそろかなと、懐中時計を手に掛けたあたりでユリア嬢の声がかかる。視線を戻すと、行きと同じく、青色の目が黄昏色を捕まえていた。


「本日はありがとうございます。わたくし、自分がどれだけ世間を知った気になっていたのか、思い知りました」


 清々しいほど、真っ直ぐな言葉。銀色の髪がさらりと流れて頭が下がる。その気品すらある仕草を野菜に囲まれてするものだから、あまりに似合わなくてつい笑ってしまう。

 過ちを認められるのは美徳だ。謝罪ができるのは真摯さゆえだ。ホント、バカ王子がバカじゃなかったら良い大公妃になったと思うんだけどな。


「いいや。俺がたまたま知っていたってだけだよ。こちらこそ偉そうなことを言った。許してほしい」


 本当にあんまり偉そうなことを言えたもんじゃないので、謝られるとむしろ恐縮してしまう。

 鷹家に着いたらしく、裏に荷台が止まる。待ち構えていた家の人間にユリア嬢を頼む。野菜と一緒に運ばれる令嬢は多分かなり珍妙な光景だろうが、あいにく我が家の人間は姉で見慣れている。この埃まみれの格好で侯爵家に帰させるわけにはいかない。

 やんややんやと連れ去られかけるユリア嬢に、ああそうだと声をかけた。


「ユリア嬢。俺が味方だと信じてくれるか?」

「え? はい。それは、勿論」


 まっすぐにこちらを見て、はっきりと告げられる言葉に、頷く。

 ここ二か月でユリア嬢の評価は落ちるところまで落ちてしまっている。第二王子の婚約者でありながら、第一王子や公爵家の子息たちを引っ掛けて遊び歩く。第二王子の火遊びにも目が瞑れない狭量な侯爵令嬢。健気で無邪気な子爵令嬢に嫌がらせを繰り返し、それを認めも謝りもしない高飛車な女。ユリア嬢が鷹家で泣いて暮らすつもりはないと宣言してから、彼女は俺が意図的に流したものも含めこれらの噂を否定も肯定もしなくなった。ユリア嬢の友人だった人たちだって、彼女を遠巻きに眺めている。それは俺が望んだ展開で、ユリア嬢が頷いた結果だが、彼女は今、ひどく孤立しているだろう。そろそろ次の手を打つ頃合いだ。


「卒業式までひと月くらいだっけ」

「そう、ですね」


 少しだけ怪訝な顔をするユリア嬢に笑って見せる。あの不信感と警戒心でいっぱいの頃を思えば、いつの間にかずいぶん信用されたらしい。だから。


「悪い、ユリア嬢。卒業式まで裏切るからな」


 努めて明るく軽快に。


「は、……い……?」


 ぽかんとするユリア嬢に手を振った。

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舞台裏の脇役のはなし @stringforest

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