第9話 遊びの時間の終わり

 東屋で暮らしはじめて1週間。

 アラスタが運び込む木の実はニューバクソールで彼が書いたとおり多様である。

 林檎、ナッツ、オレンジ、ベリー。

 小麦という木の実の仲間から作ったパンは格別。

 魚は島と同じなのだが蒸したり、ソースと合えたりして全然違う味になる。

 ピピは用心深く毒を避けるため、見たことのないものは少しずつ採るようにしていたが全部美味しいことに気付きはじめていた。

 小屋があるのと反対側の空き地にレンガで作ったかまどでアラスタが調理をしているのを観察しながら、膝に乗せたカトドの柔らかな腹を撫でている。


 婚約ごっこは継続している。 

 

 昼食を済ませた午後。


『ティーの時間にしよう』


 テーブルの上に置いた会話機トーカー、彼はいつもより丁寧な感じで記した。


 彼が取り出したのは綺麗な木箱キャディボックス

 がちゃん、と音を立てて蝶番が、羽ばたきに似た動きをして重厚な蓋が開いた。

 中を見てピピは驚く。


「商品じゃないか! どっから持ってきたんだ、すぐに元に戻そう」


 ピピが慌てて箱を閉めようとするのをアラスタの掌が制した。


『真ん中が砂糖、両脇にあるのは違う種類の茶葉だね』


 そんなことは見れば分かる。早く蓋を閉じよ、風に飛ばされでもしたらどうする。


『王国では人々はみんな紅茶に砂糖を入れて飲むんだ、紅茶ティーって呼んでいる』



 彼の言うことがさっぱり分からぬ。

 白湯ティーのこと? 綴りが同じなので両者を区別するのは文脈である。

 彼の書いたものを読み返して理解を試みる。


 人々は紅茶ティーを飲む……。

 砂糖を入れて……。 


 ピピたち――小精霊に混じった彼女は大量の商品を作り出していた。

 商品が何であるのかは小精霊は知らない。カトドも教えてはくれなかった。


 タメシス河、というか王都に虫みたいにうじゃうじゃいる人間たち。

 大量の商品と王国の人々の群れ、二つがつながった。

 

「……君たちは、商品を食んでいるわけ?」

『そうだ、間違いない』


 小精霊たちと過ごしたのを思い出す。

 ピピは気づいた時にはもう彼らと働いていたのだ。

 渦を巻く感情を抑えて尋ねる。


「なんで私たちは商品を作っている……、いたのかな?」

『100年前、小精霊の使役を国王が開始した』

 

 使役魔法がずっと継承されて今は国王、次はアラスタが継ぐ。

 ピピは世界の様相を正確に理解する。

 彼が最初に会った時に書いていた内容を今になって把握した。


 白湯ティーに茶葉が入って、ふわりと香る。

 注がれた鮮やかな色のついたものに入った砂糖が溶けてゆく。

 ピピは慎重にカップを運んで紅茶ティーを口に含む。


 苦く甘い。

 いい匂いがする。

  

 島では笑って過ごしていたが、王国ではそうできないようだ。

 止められずに筋になって頬を伝うのを袖でぬぐう。

 アラスタが差し出したハンカチで顔を覆いながらピピは紅茶ティーを飲んだ。


 遊びの時間は終わったのだ。


 空気エアーを吸って、木の実を食べて大きくなった。ピピの身体は島の一部でできている。小さい頃の彼女は小精霊の肩に乗せてもらい高いところに成る木の実に手を伸ばした。


 ぴーぴゅーぴー


 ヘルムを付けた小精霊が鳴らす音が脳裏で響く。

 自分を呼んでいるように感じて幼い彼女は喜んだものだ。

 彼女の名はピピ――名付けたのは自分だが、小精霊とともに生きてきた。

 彼女はピピである。

 

 冴えた声で彼に告げる――


「アラスタ、君はどうやら私の敵みたいだよ」


 じっと向けられた湖の瞳はいつもと同じ優しい色をしている。


『そうだね、貴方の言うとおりだ』

 

 嘘じゃない。彼は本当のことを言っている――


 そうか、教えてくれてありがとね――


 

 ** 



「少し散歩しようか?」


 紅茶ティーを飲み終わったピピが誘いかける。

 茶器とチェス盤はテーブルの上のまま。

 湖の瞳が頷いた。


 

 昼下がりの穏やかな陽差し。


 ピピはもらった狼黒色の隊服を羽織っている。

 隣を歩くアラスタは新しく調達したものを身につけている。ふさりとした肩章エポレットに1ミリのズレもない。軍規に従って点検された着こなしだ。


 二人が同じものを着ているとは、ぱっと見ただけでは分からない。

 

 ニューバクソールと違い、此処バクソールは道も木々も整えられている。

 王都だけで人間は300万人近くいる。

 100年の間に人口は3倍以上増えて、人々は王都に集中していた。

 島から送られる大量の商品のうち国内で消費できない分は他国に高値で売られる。すると、珍しい果物やら何もかも王都に集まる仕組みになっている。

 人々の多くは工場で働いている。「妖精の粉」の、熱と圧力を加えると弾け飛ぶのを動力とした機械が幾つも使われている。


 ――小精霊を使役して、人間たちも働いている。

 

 世界は可笑しな変容を遂げたことをピピはもう理解していた。


 腰から下げた短刀を歩く脚で感じ取る。

 しかし、アラスタを刺したとして、変わり果てた世界が元に戻るとは思えない。


 隣り合う二人はアーチをくぐった。


「王国にはじめて来た時に赤ん坊が泣いていただろう? ……そう、私はサトウキビを与えたらいいって言ったね。王国にはサトウキビはないんだろう? 島で砂糖をつくっているからね」


 アラスタは泣く赤子をよく覚えていた。

 

 王国の赤ん坊にピピはなりたかった。

 此処で生まれ育ってゆく、小精霊なんて見たことなくても幸せである。

 ちょっと風が冷たいと泣くけどね。


 アラスタは綺麗な瞳をしている。


 夜は冷えるので暖かい隊服を借りておきたいがそうはゆかない。

 立ち止まって肩から服を剥ぎ取った。

 一歩だけ進んでいた彼はすぐに向きを変えて二人は対峙する。


 隊服と、サファイアの付いた腕輪を左右の手に持って、どん、と彼の胸に押し付つける。

 

 会話機トーカーを腰に戻した彼が受け取る。

 瞳が揺れる。何かを言い(書き)たがっているように見えた。


「……ヴヴヴ」と彼がうめく。


 構わず、さらに強く押し付けたらピピは手を放す。

 暖かい服のお礼を言いたかったが、彼に向けた適切な言葉と考えると形を取らない。

 さよならの挨拶も違う。ピピは心を決めたら彼を刺し殺すかもしれぬ。


 駆け出した。

 行き先はない。ただ、アラスタの傍を離れたかっただけである。


 振り返って叫ぶ。


「付いてくるな!」


 最後の言葉がこうなってしまったのは残念なことだ。でも仕方がない。


 ピピは庭園ティーガーデンの遊歩道を今までで一番の速さで疾走し、やがて生垣からも飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る