第7話 住まいが決まりました

 湖にぽっかり空いた穴に入る。


 降下を続けると、光で真っ白だった視界に、弧を描く壁みたいな水の幕が見える。


 飛び込む瞬間、ピピは眼を閉じた。

 ゴーグルをつけたアラスタは正確に観察して薄い箇所を狙ったので、皆それほど濡れてはいない。


 眼下に広がるのはキャピタル湾で、陸にうねっているのはタメシス河らしい。

 湖の水は滝になって王国の海に注いでいた。


 川と湖、あるいは、河と海。「おとぎの島」と僅かに似ているが。

 左右に首を振って眼玉が痛むほど端に寄せても、どこまでも途切れず建物が広がっていた。


 陽はまだ高かったはずだが、もう暮れかかって海の向こうの空は赤々と染まっている。

 だが街は光が溢れて昼間と変わらぬ。

 建物の中だけでなく、道のいたるところが燈る。

 妖精の粉が弾けまわる力を利用した発電とやら。

 ともかく王都は夕闇を弾くような明るさである。


 アラスタの表情はよく見えぬ。

 ゴーグルを無理やりずらして呼びかける。


「見たことのない景色だが、空気エアーは確かにあるな」


 自分にも言い聞かせる。そうだろう? 

 アラスタが言うには木の実もあるそうじゃないか、大丈夫だ。

 空気は島より冷えるが、狼黒色の服をもらったから十分にあったかい。大丈夫だ。

 息を吸って吐いてみる。


 王国に来た――

 


 遠くに見える城まで飛んでゆこうとするので風の音に負けないよう耳元で叫んで止めた。

 陸からは歩いていけばいいじゃないか。

 高度を下げ、河に沿って伸びる歩道に来たら、アラスタを突き飛ばすようにして、ピピはうまく身体を宙でひねって両足で着地した。

 


 街灯で照らされて歩道は整えられている。

 進むうちに人間をみつけた。

 赤子を抱いた娘である。

 

「あうぇええ、ううぇええ」


 赤子の泣くにはサトウキビの茎を吸わせるのがよい、と娘に教えてやったら驚いた顔で何度も頭を下げて逃げてゆく。ピピは幼い頃の記憶――カトドから語られた自分のエピソードを話しただけである。

 

 また人間だ。

 ずいぶん老いているようで眼が見えているか心配したが、こちらに気付くと機敏に道を開けて直立不動の姿勢を取って額に右手の甲を当てる。肘は高く挙げられて鋭い角度となっている。

 老人が元軍人であると分かって答礼を返すアラスタ。

 ピピが羽織っているのは指揮官アドミラルの隊服である。

 20歳に届くかどうかの娘に相応しいものでは決してなかったが老人は鍛えられた瞬発力で反応し、一切の疑問を表に出すことはなかった。


 また人間だ。

 ピピと同じかもっと若い男たち。

 見たことも今後見ることもない彼女の美しさにしばらく呆然とした後で近づいてきた。


 ピピは自分が美しいことを知らない。

 アラスタは何度かそう書いていたが、道をゆく人間が足を止め、遠目に見た者を駆け寄らせるものとは気づいていない。


 男たちはなぜか視線や体格で威圧しているのを感じたがピピは動じない。目的も分からぬ。

 はて、王都に来てすぐだというのに人間というのは思ったより沢山いるのだろうか。

 囲まれそうになったがアラスタが殺気を放ったら散っていった。

 

 また人間だ。またか。

 信じられないくらいに出くわす。石ころの数より多い。

 道を振り返ったら、ピピたちの後ろには見物人が行列となって続いている。

 恐怖。なんで付いてくるのか分からぬ。数は蟻よりも多い。

 ピピは歩速をはやめた。

 すると、出くわす人間も多くなる。人間人間人間。人間まみれだ。

 王都は人間ばかりいるぞ。まさか建物のすべてに人間が住んでいるのか?

 ハチの巣を想起してピピはおそろしくなった。

 空気エアーが足りない。

 息苦しい中を走り出した。


 羽織っていた上着を駆けながら袖を通す。全力を出すためである。

 タメシス河に沿ってピピは疾走する――


 河に架かる巨大な橋が見える。

 なんてことだ。サトウキビの茎に群がる虫のように人間が蠢いている。

 河の反対に道はなく生垣が壁のように続いている。

 四角く整えられているが、葉っぱの形は見慣れたイチイに似ている。

 ピピは生垣沿いに走って目当てのものを探す。

 そうかもしれない。

 くぼんだところに入り込むと生垣は内部に続く細い道を作っている。

 急に途切れて視界が広がった。

 

 まっすぐな道の両側に林が広がっている。


 あれ。ピピは何かに気付く。


 2本の柱が水平部を支えている――アーチ。

 島と同じものを見つけて安堵する。


 「おとぎの島」の庭園ティーガーデンに似ている。なじみ深い遊歩道を疾走するうち、薄っすらとした期待がふくらんでゆく。二つ目のアーチをくぐった先。


 東屋(あずまや)


 深い溜息が漏れた。

 此処は人間が少ないし、十分な空気エアーがある。


 呼吸は乱れているが胸の苦しさは和らぐ。


 彼女は王都における自分の住まいを定めた――

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